別れ
私は、膝にも満たない水位の一級河川にむけて、橋の上から花束を投げ、別れを告げた。
中学時代に親友を亡くしたここに来るのも、おそらくこれが最後だ。
実家の両親はもうこの土地から引っ越しており、今回は同窓会で寄っただけ。
私はこれから、半年程付き合った彼と結婚し、彼の海外赴任について行く。
赴任期間は未定。
仮にその間、私が日本に帰国したとしても、立ち寄る場所はここではない。
私の親友は、同じテニス部所属で非常に活発な娘だった。
痛ましい事故が起きたのは、中学二年の時、私と一緒に帰宅している最中だ。
当時この一級河川は、水位が二メートル位はあった。
田舎でのびのびと育った私達はしょっちゅう、水面からとても近い場所に架けられた橋から、それこそ小さい時から川へとダイブしていた。
そんな橋を渡りながら、私は彼女の話を聞いていた。
彼女は、中学一年の最初から想い続けていた、先輩に告白し、付き合う事になったととても喜んでいた。
快活な彼女にしては珍しく頬を赤らめながら、私より一メートルは高い位置…欄干の上を歩きながら、スキップでもしそうな勢いで、私にその報告をしていた。
彼女は、笑顔のまま死んだ。
足を滑らせ、頭から川に落ち、川底に後頭部を強かに打ち付けて。
私も彼女も、川に落ちる、と思った時ですら何の心配もしていなかった。
なんせ、幼い頃から慣れ親しんだ、何度も飛び込んだ事のある川だ。
川の流れは台風でも来ない限り、本当に緩やかなのを知っていた。
頭から落ちても、普段は充分な水嵩が私達を守ってくれた。
しかし、当時若かった私達は、ここ最近の異常気象による水不足で、まさか水位が例年には見られない程下がっている、とは知らなかった。
私は、ずぶ濡れで『落ちちゃったー』とおどけて笑う彼女がいるだろうと想像して笑いながら、橋の下を見た。
そこには、水面に髪と血を広げて、笑ったまま絶命する彼女の姿があった。
私が花束を投げた欄干には、当時はなかった『飛び込み禁止』の張り紙がしてある。
その頃からこの河川は毎年少しずつ水嵩を減らし、今では一メートルにも満たないらしい。
その事故の後、私は二度を抜かして、この橋には近くことはなかった。
逆に私が近いたのは、大学受験に失敗した時と、十年付き合った彼氏に振られた時だ。
私は、ここから身を投げた。
しかし、彼女に助けられて死ねなかったのだ。
勘違いかもしれないが、私の中では彼女だと確信していた。
私がわざと水嵩の少ない時を狙い、頭から身を投げた時。
なぜか、両腕をグンと引っ張られて足から着地する事になったのである。
加えて二度目は、彼女の声が聞こえた。
耳元で、『死ぬのは今じゃない』と。
私が身を翻して帰ろうとした時。
バッシャン!!!!
大きな水音がして驚いた。
まるで…そう、人が飛び込んだかの様な大きな水音。
私は慌てて、橋の下を覗いた。
覗いた瞬間、頭を髪の毛ごと
ガッ
と掴まれ、欄干の向こう…川へと、引きずり込まれた。
私は必死に辛うじて掴んだ欄干にぶら下がる。
ーーどうして!?
私は二度、あなたのところへ行こうとした。
ーーどうして、今になってーー
あなたは二度も、私を助けてくれた。
ーーどうして、許してくれたんじゃないの!?
私があの時、ちょっとした悪戯心で、あなたの足をくすぐってしまった事を。
私は、目撃者がいないのを良いことに、彼女が欄干から落ちたのは、足を滑らせたからだという事にした。
友人の恋が実った、喜びと。
人気のある先輩と上手くいった、妬みと。
親友を先輩に取られてしまう様な、寂しさと。
全てをひっくるめた私のとった行動は、擽りという実に子供じみたものだった。
それで親友が死ぬなんて、思ってもみなかった。
別れがくるなんて、思ってもみなかったんだ。
『そうね、けどアンタは、自分が一番辛い時に、逃げの為に、ここで死のうとしたわね』
生理的にゾクリとする声が、私の耳元でする。
『そんなの、許せない。アンタが死ぬのは、アタシと同じ…幸せ絶頂の時でなきゃ』
私の頭に、さらにグンと負荷がかかった。
ああ、だから『今じゃない』だったんだ。
私は、痺れた指先が欄干から離れるのを視界に入れながら
この世に別れを告げた。