殺人鬼
…私は、震える体を動かない様努め、息を潜めた。
コツーン
コツーン
響く足音は、私のいる地下室に向かって来ている。
きっと〝あいつ〟が、仲間を連れて来たんだろう。
私は、地下室に漂う腐臭に吐き気を催されながらも、必死にそれに耐えた。
…〝あいつ〟に、してやられた。上手く騙したつもりが、逆に騙されていたなんて。
さっと視界が、一瞬明るくなった。
〝あいつ〟の仲間が、ライトで地下室を照らした様だ。
「おい…これ、全部〝アイツ〟がやったのか?」
「こりゃ…ひでぇ」
「一体、〝アイツ〟は何人殺したんだ?」
「…数える気にもならねーな…」
〝あいつ〟は、私を追い回す事にだけ執着しており、遺体には興味がない様だった。
恐らく、地下室に転がる遺体の数を数える事はしなかったはず。
だから、私はこうして遺体に混ざり、遺体のふりをして、〝あいつ〟の手から逃れたのだ。
「…とにかく、取り逃がした奴を探すぞ」
それは、〝あいつ〟の仲間も同じらしい。
遺体には目もくれず、さっさと引き上げて行った。
行きは慎重な足音が、帰りはやけにガサツになっていた。
部屋が、真っ暗になる。
…もう、動いても大丈夫か?
私は、その場でむくり、と上体を起こした。
周りの遺体を見渡す。
遺体は、十代後半から三十代前半の、全て男性だ。
そして、全員が裸で、性的にも暴行を受けている。
〝あいつ〟は、私を捕まえて、どうするつもりだったのか?
そんな事は決まっている。
〝あいつ〟に騙された私が、馬鹿だったんだ。
さて、とにかくここから逃げ出さなければ。
〝あいつ〟の仲間が何人来るかはわからないが、時間が経てば経つほど、不利になる。
ついさっきまで、〝あいつ〟と穏やかに食事をしていたのが嘘の様だ。
食事の最中に、いきなり襲われて…がむしゃらに逃げて、気付けばこの地下室にいた。
〝あいつ〟は、地下室に入って来る様子はなく…ひとまず仲間を呼んだ様だ。
すー、はー、と深呼吸をして、脱ぎ捨てた服を着、手にしていたナイフを握りしめる。
地下室の上から二人の声が聞こえている。
急襲するなら、二人位はなんとかなる。
いや、何とかする。
しなければ、あの趣味の悪い〝あいつ〟に捕まえるだけだ。
…あの、一晩の営みも、愛の囁きも、嘘だったのだろう。
私の好みを知っていて、罠にかけたに違いない。
遺体に見送られながら、私は地上へと向かった。
***
「何だって!?〝アイツ〟に逃げられた!?」
俺は、我が耳を疑った。
俺が呼んだ応援。
それが駆けつけるまで、地元の交番勤務のお巡りが来てくれた。
が、地下室に〝アイツ〟が紛れ込んでいるのに気付かず、二人して後ろから首を掻っ切られて絶命した。
俺は、応援を引き入れる為に、見張りも兼ねて一人玄関にいたことを悔やんだ。
俺が〝アイツ〟に一晩付き合い、おぞましい行為に耐え、やっと〝アイツ〟が俺をターゲットと見なして自宅に連れ込んだのに、それが無に帰した。
いや、厳密にいうと、それまで〝アイツ〟の家柄の為に家宅捜索すらなかなか出来なかったのだ。
この度、36体のご遺体が見つかった事により、のらりくらりと捜査をかわしていた〝アイツ〟に逃げ場がなくなった、というのは吉報だ。
しかし…情報によると、〝アイツ〟は偽造パスポートを何通も制作していたらしい。
根回しの良い〝アイツ〟の事だ。海外逃亡も視野に入れて、殺人を犯し続けていたのだろう。
次の〝アイツ〟の住処にも、きっと地下室が存在するに違いない。
そして遠からず、その地下室も若い男性で埋め尽くされるのだー……
大丈夫かと思いますが、もし意味がわからなかった方がいらっしゃいましたらスライドを↓
“アイツ”=殺人鬼です。
“あいつ”=警察官です。