ボクシング
「よォ、ヨワオ君、お久しぶりィ」
久々に、声をかけられた。
振り向くと、見知った顔が三つ、並んでいた。
ニヤニヤと下卑た笑みも、キイキイと耳障りな声も、変わらない。
「んだョ、その顔ァ?」
無言の俺の、肩に腕を回してくる。
「お前、高校からボクシング始めたんだってェ?
んな事しても、ヨワオはヨワオなのによォ……」
耳元で、ケケケと笑う。
中学の時の俺は、いじめられっ子だった。
いつもこいつらにパシリにされ、金もせびられた。
俺は、その環境が嫌で、ボクシングを始めた。
こいつは勘違いしているが、始めたのは中学からだ。
こいつらから逃れる為にボクシングを始めたが、誤算があった。
意外と気性にあっていたらしく、ボクシングが楽しかったのだ。
誰かを殴ったりしたら、試合に出られなくなる。
「……」
無言なのが気に入らないのか、更に絡んできた。
「なァ、これから女でも犯りに行かないか?
良い倉庫があるんだぜェ……」
「……良い倉庫?」
俺が初めて反応したのに気を良くしたのか、そいつはベラベラ話す。
「おゥ、こいつの家が所有してる、忘れ去られた倉庫さァ。いいぜェ、誰もこねーし、大声あげられたって、気付きもしねェ。鍵も掛けて、安全に犯れるぜェ?」
俺は、ロープスキッピングをしながら、今日の出来事を振り返っていた。
ロープスキッピングはいわば縄跳びだが、あごを引く、脇を締める、かかとは付けない、手首のスナップをきかせる、ひざのバネを使う、ジャンプは低くリズミカルに等、意外と気を付ける事が多い。
ボクシングには、基本中の基本だ。
普段は無心になって跳ぶのだが、今日はなかなかそう出来なかった。
普段使うロープでないため、なかなか手馴染まないのも原因かもしれない。
俺は、何を迷っていたんだろう。
いつから、試合に出る事が重要になった?
奴等を殴っていた方が、はるかに世の為人の為、そして自分の為になったはずだ。
次に、シャドウボクシングだ。
鏡を前に、基本フォームのチェックをする。
大きなヒビの入った鏡は、俺の顔も歪めて見せた。
そのまま、3人の顔を思い浮かべながら、リングシャドウに入った。
奴等は、今まで何人の人間を死にたい気持ちにさせてきたんだろう?
倉庫では、何人の女性が被害にあったんだろう?
サンドバッグにうつる。
腰の回転を肩に乗せて、パンチを繰り出す。
鈍い手応えを拳に感じながら、次々とパンチを放った。
怒りを滲ませて叩き込むサンドバッグは、やはり普段と違う感触がした。
後は、パンチングボールと、ダブル・パンチングボールだ。
パンチングボールは、顔に拳を叩き込む感じでゆっくりゆっくりと殴り続けた。
拳が濡れて滑ってくると、パンチングボールの中心をしっかりと狙うのが難儀になってくる。
ダブルパンチングボールは、最初軽くボールを叩き、中心に戻ってくるタイミングを掴む。
これも無心で、殴り続けた。
濡れた拳をしっかりと倉庫の隅にある水場で洗い流す。
転がっていた鍵をしっかりと締めて、その場を後にする。
***
いつか、誰かが見つけて、俺は警察に捕まるのだろう。
だが、それまでは、ボクシングを楽しもう。
やはり、人間の腸で、人間を踏み付けながらのロープスキッピングはやりにくい。
サンドバッグも、足を天井に括って頭を切り落とした物では、流れる液体が酷くていただけない。
その切り落とした頭を吊して作ったパンチングボールは、顔面を殴るという意味ではなかなか良かった。しかし、戻りが遅すぎてリズミカルに打ち込めない。
かといって、人間一人の腕を天井に、足を地面に括って作ったダブルパンチングボールでは、動きが出ずに逃げの動きの練習になりゃしない。
やはり、練習はジムでするに限る。
しかし、拳を入れる時の快感は、今まで感じた事のないものだった。