美醜
私には、一人娘がおりました。
可愛い可愛い娘でしたが、
ある日仲違いをしてから
その関係は修復されず、
娘は行方をくらませました。
私は当時若かったものですから、
酷い母親だったと思います……
探す事すら、しませんでした。
音信不通になって、もう40年になりますが、
私が癌になり余命いくばくもない、と
人伝に聞いたのでしょうか?
今日、わざわざこの病院に、
娘が来てくれるとの連絡があったんです。
だから、心持ち緊張しているんですよ……
私が娘にとって、美しい母親に戻ったかどうか。
それを知るのが、怖いのです。
***
えぇ、えぇ、そうでした。
いきなり60過ぎのおばあちゃんが、
美しく戻ったか、なんて驚きますよね?
それには、娘の能力のお話から
しなければなりませんね。
娘は、人並みより少し可愛いくらいの女の子でした。
けれども、娘の他人への美醜という評価は、
多少変わっていました。
私が娘を産んだのは、20歳の時です。
高校卒業後、直ぐに結婚致しましたが、
娘を産んだ翌年には、離婚をしておりました。
私は高卒でしたが、何とか従業員10人にも満たない
小さな町工場で、事務の仕事にありつけました。
小さい頃の娘はそれはもう可愛くて、
シングルマザーとして市から補助金を頂きながら、
薄給でしたが、何とか親子2人仲良く暮らしておりました。
町工場の社長は人の良い方でしたが、
身長が160にも満たない、かなり太目の方でした。
更に言うなら、私より5歳も若いのに、
当時から頭頂部が寂しい事になっておりました。
けれども娘はこの社長が大好きで、
「社長さんは日本一格好いいね、新しいパパには
社長さんになって貰いたいなぁ」
なんて、本気で社長を私に薦める位でした。
またある日、私の2人の友人が家に遊びに来ました。
一人は、高校では学年一美人と言われていました。
もう一人は、愛嬌があるものの鼻が低く、
影で子ブタちゃんと呼ばれていました。
娘は、美人の友人には全く寄り付かず、
子ブタちゃんに纏わり付いてばかりいます。
友人2人が帰ってから、娘は言いました。
「ママ、今日来たお友だち、ママの次に綺麗な人ね!
けど、髪の毛長い方の人は……なんであんなに醜いの?」
話の流れでおわかりでしょうが、
髪の毛の長い人=美人、です。
とは言え、娘の美醜の判断は、世間一般と逆な訳ではないのです。
テレビを見て、格好いいタレントを格好いいと言いますし、
可愛いタレントを可愛いと言います。
不思議に思っていましたが、時は過ぎ……
娘が16になった頃、私に出会いがありました。
私はその時、36でした。
友人との飲み会に、合コンとは知らず参加しました。
そこで出会った、身長も高く、話も面白く、顔も良く、年収も良い。
そんな男性に、私は惚れました。
彼にも離婚歴がありましたが、全く気になりませんでした。
私の想いが通じ、シングルマザーであるにも関わらず
受け入れてくれました。
私は、彼とデートを重ねて、最後に家に呼びました。
……その時の事は、忘れません。
娘は彼に会うなり、
「2度と母に近づかないで!!」
と怒鳴りつけ、部屋に閉じこもったのです。
私は、床に頭をつけるようにして彼に謝りました。
彼は、
「いいよいいよ、気にしないで。
娘さんはきっと、ママを取られちゃうと思ったんだよ」
と言って、温かく微笑んで、その日は帰って行きました。
私は、娘に対して激昂しました。
何故私の幸せを踏みにじる行為をするのか、許せませんでした。
その時娘が、謝りもせずに、
「お母さんこそ、何であんな悪魔みたいな人連れて来るの!?
社長さんだったら、反対なんてしないのに!!」
と言いました。
私は、娘が大好きな社長と一緒にいたいから
彼を詰るのだと思いました。
彼は、「娘さんが賛成してくれないと…」
と、再婚をすぐには望まず、
祝福してくれるまで待つ、と言ってくれました。
一方娘は、彼が家に来ようものなら、
その日一日帰って来ないと言う態度を取りました。
私は、可愛かった筈の娘を、日に日に憎む様になりました。
そして、娘が18になった時です。
彼女は、一通の手紙を置いて、家から出て行きました。
私は、その頃、長年勤めた事務の仕事を辞め、
お水の仕事を始めていました。
彼が病にかかり、多額の医療費を必要としたからです。
辞めるとき、社長は、何かを言いたげにしていましたが、結局何も言いませんでした。
私は、娘の手紙を読む事もなく引き出しにしまい、探す事すらしませんでした。
私はそれから、10年と言う月日を、彼に貢ぎ続けました。
えぇ、そう。貢いでいたのです。
彼は結婚詐欺師で、結婚を前提としたお付き合いをしている人は
何人もいたそうです。
彼が警察に捕まっても、しばらくは信じられませんでした。
彼の病が真っ赤な嘘であったのを聞いて初めて、
私は彼に裏切られた事を認識したのです。
彼を失ってからやっと目を覚まし、私は娘の事を思い出しました。
えぇ、酷い母親でしょう?それまでずっと、忘れていたのです。
今更探し出して、顔を合わせる事など出来るはずもありません。
その時、娘が置いていった手紙を思い出しました。
私は引き出しから手紙を引っ張っりだし、
実に10年経ってから、読んだのです。
「お母さんへ
どうか、今お付き合いしている男性との交際を考え直して下さい。
私には、実際に会った人の心の美醜が見えるのです。
お母さんは、私から見て、誰よりも綺麗でした。
あの男との交際を反対してから、お母さんは日に日に醜くなっていきました。
私には、大好きだったお母さんがどんどん醜くなっていくのに耐えられません。
今まで育ててくれて、本当にありがとう。
いつかまた、お母さんに会いに来ます。
その時は、綺麗なお母さんに戻っていてくれるように、心から祈っています」
そう、書かれていました。
私は、手紙を暗記するまで何度も読み、一人泣きました。
***
「だから、美しいかどうか気になるっておっしゃったんですね?」
私は、やっとこのタイミングで、患者さんの長い話から解放された。
長い、長すぎる。
私は普段寡黙で笑顔を貼り付けている為、人の話をじっくり聞いてくれる良い看護師さん、で通っている。
が、実のところはそうでもない。
このばーさんが話している間、仕事をサボってるだけだ。
ばーさんの話は殆ど聞いてもいない。
ばーさんの与太話を、今日の飲み会でのネタにしようと思いながらナースステーションに入る。
そこに、声が掛かった。
40代位の女性と、5歳位の女の子。そして少し後ろに、もう初老?と感じる位の男性。
男性は、禿げ頭で、体型もでっぷり太って醜くかった。
しかし、女の子がパパ、と言っている。
こんな男がこんな若い女を掴まえたって事は、まぁ金か…と思った。
女性に、さっき私に与太話を聞かせていたばーさんの病室を尋ねられる。
女性がぺこりと頭を下げ、病室へと足を向けた時だ。
禿げ頭が小声では、「看護師さんでも、あんなに優しそうで儚げな方もいるんだねぇ」と私の事を評したのが聞こえた。
それに対して女の子は言った。
「もう!!パパってば、見る目ない!!
あんなに醜いオバチャン見たの久しぶりよ!!」