洞窟に逃げた娘
森の中では特に不自然ではない壁面の切れ目。その隙間をたどると、奥には広大な空間が広がっている。
「地下水が流れていた所なのだろう。今は水位が低くなって道になっているが」
俺は洞窟を降りながら状況を確認していく。
「岩が主体で崩れにくそうではある。その上、壁は適度に乾いているとすると、地下水はかなり前に枯渇したと見てよさそうだ」
「洞窟に入って急に水が押し寄せてきたとかになったら、普通は困るよね」
そうは言いながらルシルは困った様子もない。
「俺たちには竜神の鱗があるからな。水中でも呼吸ができるお陰でこういった洞窟でも困ることなく探検できる」
「そうだね~」
竜神の鱗は、水中でも呼吸ができる道具だ。
セシリアにも竜神の鱗を渡しているから、この場所が水没しても俺たちには問題無い。
「それはともかく、デュビアはどこまで行ったかな」
「行動を考えるとただの村娘じゃなかったって事だよね?」
「そうだなあ。たとえ奴隷商人の娘だとしても、こんな所で一人でいるのはおかしい。それにこの洞窟だ」
俺の意見にルシルも賛同する。
「女の子が逃げるにしては、ここって危険だよね」
「その通りだ」
俺たちは岩の裂け目みたいな洞窟を進んでいく。
真新しい足跡があるという事は、デュビアがこの先を進んでいったはずだ。
「なあ婿殿」
セシリアが俺の肩をつかんで引き留める。
「少し気になるのだが」
「なんだセシリア。俺の敵感知は特に発動していない。敵対する者はいないと思うが」
「そうだとしても、だ」
セシリアが警戒心を強め、俺はそれに従った。
進む足を止めて辺りをうかがう。
「気が付かないか婿殿」
「ふむ……」
「さっきとは違う事」
「少し広くなっている」
セシリアがうなずく。だが鋭い視線は変わらない。
「その他には?」
「そうだなあ、言われてみれば獣の骨とか、蜘蛛の巣が増えた気が……」
俺はそこでハッとした。
「蜘蛛の巣!?」
無言でうなずくセシリア。
俺は剣を抜いて警戒を始める。
耳の奥は痛くならない。という事は、俺に向けられた殺意はないという事だ。
今の所は。
「ありがとうセシリア。あの少女を追うことばかり気にしていて、辺りの状況が目に入っていなかった、いや、入っていたが気にしていなかったようだ」
「いいさ婿殿。実害がなければ問題無い」
真剣な視線で辺りをうかがうセシリアが軽口を叩く。
ジメジメとした洞窟の中でも、セシリアの性格は晴れた日のようにすっきりしている。
「蜘蛛の巣は……」
俺は近くにある蜘蛛の巣に手を伸ばす。
少し粘着力のある糸は俺の手に触れてまとわりついてくる。
「まだ新しいか」
手を払って蜘蛛の巣を散らす。
「ゼロ、新しいって事は……」
「そうだな、この糸を吐き出した奴が近くにいてもおかしくはない、という事だ」
俺は剣先で蜘蛛の巣をかき分ける。ルシルは銀枝の杖にともした炎で糸を焼き切っていた。
「おい! 隠れているのなら出てこい!」
洞窟の中に俺の声が響く。
「ゼロ、あんまり大きな声を出すと洞窟崩れちゃうかも」
「大丈夫だろう?」
「いや、私に聞かれたって判んないよ……」
それもそうだ。
俺はあまり大声を出さないようにした。
「おい、そこにいるのは判っているんだ。観念して出てくるのだな」
洞窟の中に伝わるよう、大きくはないが声を響かせてみると、天井付近からカサカサと音がした。
「気を付けろよルシル、セシリア」
「うん」
「ああ」
俺たちは戦闘態勢を取る。いついかなる事が起きようとも、俺たちなら対処できるはず。
「おやおや珍しいねえ。娘を追いかけてきたと思ったら、人間じゃあないか」
天井から声が聞こえる。
「おぉ? 人間だけじゃなく、魔族の匂いもするねえ。これは珍しい! いい栄養になるというものだ!!」
薄暗い天井から不気味な声が響いてきた。
「何者だっ! 姿を見せろっ!!」
俺は天井に向かって叫んでみる。もちろん威嚇のためだ。
「おおっと、威勢のいい声じゃないか。それもなんだか……」
天井の声が言い淀む。
「お母さん! 人間だよ! 魔族もいるよ!!」
洞窟の暗がりから出てきたのはデュビア。俺たちから逃げていた村娘の格好をした女の子だった。
「まさか、デュビアお前」
「そうよバカ人間! あたしは逃げたんじゃない!!」
デュビアが誇らしげに天井を見上げる。
そこには光に反射する鋭い眼光が見えた。