灰となりて
ランカはゆっくりと下りてくる。俺もそれに合わせて床に下り立った。
「人間……ゼロと言ったか」
「ああ」
ランカは既に険の取れた口調になっている。
「我はな、力が欲しかったのだ。何者にも屈せずにいられるだけの力が」
「ほう」
「我はダンピールでな」
「ダンピール? 確か人とヴァンパイアの子供、だったか」
「そうだ。ヴァンパイアの父と人間の母より生まれたのだ」
「なるほど、純血のヴァンパイアであれば日の光を浴びたら灰になると思っていたんだが、お前はそうならなかったからな。だから逆にヴァンパイアではないと勘違いしていたが……」
「それは母の血の為せる業であったろうよ。だが、それらの違いもあって、我は生まれからして純血の社会からは疎まれる存在だったのだ」
ランカは遠い所を見るかのように視線を宙に向けた。
「我は幼き頃よりヴァンパイアの中では浮いておってな。いや、そんな生やさしいものではなかったか。汚れた者よ、価値なき者よとさげすまれ、奴隷以下の扱いを受けていたのだよ」
「閉塞的な社会だな。俺の国ではそんな事気にするまでもないのだが」
「それはうらやましい事だな。だが我にはそのような生活はなかった。唯一救いだったのがおじいさま、ヴァンパイアをまとめる当主として君臨していたドラクール伯爵だ。おじいさまだけは、我に優しく接してくれた……」
ドラクール。あの冥界の伯爵、俺の十倍は背の高い巨人の姿であったあの怪物か。
「あの巨人が、か?」
「おじいさまがご存命の時はごく普通のヴァンパイアだったさ。おじいさまが地上界から去られる際に精霊界の姿に作り替えられたのだろう。我もリッチーになる時には身体に変化が現れたからな」
「そうか。それでランカ、お前もヴァンパイアの社会を抜け、精霊界に辿り着き、リッチーになったというのか」
ランカは小さくうなずく。
「その前にはいろいろとあってな、ヴァンパイアの一族が滅んでしまったのだよ」
「滅んだ? だがドラクールもいて、あのマント男のリザクールもいた。そしてランカ、お前もいるじゃないか」
「そうだな、一部のヴァンパイアは生き延びてはいた。リザクールなどはおじいさまに憧れるあまり、龍伯爵であるドラクールの名に似せて、蜥蜴伯爵であるリザクールを僭称していたくらいだからな」
「そう言う意味ではお前とリザクールは似たもの同士だったようだな」
「どういう事だ?」
「リザクールは憧れるあまり名を変え、お前は種族そのものを変えた」
「なるほどな、一理ある。ヴァンパイアの社会から疎まれていたという点でも共通する部分があっただろう」
ランカは自虐的に笑うが、呼吸が苦しくなっているせいか、途中で咳き込むようになった。
「ともかく、我は力を欲し何者にも負けぬだけの能力を持ちたかったのだ。そして我から力を奪う要素はことごとく排除するつもりだった」
「それがロイヤ、コボルトたちだったという事か」
「そうだ。これはリザクールの功績とでも言うべきか。この……」
自分の胸に空いた穴をさするランカ。もう指はほとんど欠けてしまっていて、腕でなでるような動きになっている。
「銀の危険性と、リザクールを裏切ったコボルトに対しての制裁もあってな、これを片付けねばならんと思ったのだが……ゼロよ、お前にそれを阻まれてしまった。それどころか、我もこうしてリッチーとなりながらもお前に討ち滅ぼされてしまう結果となった訳だ……」
ランカはふらつく足で数歩前に出た。
「人間ゼロよ……」
俺の目の前でランカが倒れそうになる。俺は直立したままでいると、ランカは俺の胸に倒れ込んだ。
いや、たまたま倒れた先に俺がいたという所なのだが、あえて避けるでもなく、支えるでもなく、俺に倒れかかるままにしていた。
「我は後悔していない。我が一族最後の生き残りと成り果てたが、血族としては我がリッチーになった所で途絶えたも同然。そしてもはや精霊界にもおじいさまの姿なく、我も間もなく灰となって消えよう」
「ランカ。お前の行いは許せないものだったが、お前の境遇には哀れを感じる。せめて安らかに眠るがいい」
「ふっ、哀れみとは面白い。憎しみや恐怖以外の念が我に向けられるはなかなかによいものだな……」
ランカは寄りかかった俺の肩に頭を乗せる。もう立っている事も難しくなっているのだろう。
「それではその哀れみの礼をしてやらんとな……」
ランカの吐息が俺の耳にかかる。
「ゼロ! そいつから離れて!」
ルシルの声が部屋に響く。
「もう……遅い……」
俺からは見えなかったが、ランカは俺の肩に鋭い牙を立てて噛みついたようだ。
チクリと針のような痛みが走る。
「ゼロ!!」
「ぬっ!」
俺はランカの身体をつかんで引き剥がす。
既にランカは四肢が灰となって消え去り、頭部と身体を残すのみとなったが、それもまた急速に灰となっていく。
「人間ゼロよ、我はランカ、ドラクールの孫にしてリッチーとなりしアンデッドの王女……」
肩、胸、首と、その身体が灰になる。
「最期に強者へ巡り会えた事は、我にとっての僥倖であったぞ」
俺の手の中でランカは灰となって消え、その灰も俺の手には残らず、影となって消えてしまう。
そして俺は急に襲われた目眩で、意識がだんだんと暗くなっていくまでは覚えていた。