薬液の樽
ユキネに案内されてなにか怪しげな研究室に入っていく。
「これは、なんだか墓場に似ているというか、薄暗くてほこり臭くて、なんだか陰気な感じがするなあ。明かりが少ないせいもあるのかもしれないが」
「そうねえ、ゼロくんの感じている通りかもしれないわね」
「え、それってどういう事だ?」
「ここは死体安置所、とでも言うのかしら」
死体安置所? 穏やかじゃあないなあ。
でもよくよく考えてみれば、俺たちの周りには常に死が隣り合わせになっている。なにかが起きれば命の保証はない。
それは俺に敵対する者も同様だ。
「命の値段は……そう高くないからな」
「でしょ? だから死体もそれなりに、ね」
なにが、ね、だ。色っぽい口調で言ったところでなにも変わらないぞ。
「それで、俺は別に墓場にもその住人にも興味は無いんだがな」
「ねえゼロくん、私っていい匂いする?」
突拍子もなく、いきなりなにを聞いてくるんだ。
「そ、そんな事は知らん!」
「そう意地悪しないでよ。嗅いでいたんでしょ、私のに、お、い」
正直、いい匂いって思っていた。ユキネの髪というか、全身かな。ほのかに漂う香りが俺をドキドキさせていた事は確かだ。
だが、それを素直に認めるには、少々気恥ずかしい。
「そ、その匂いがなんなんだ?」
「まあいいわ。私が喰らう者だっていうのは判っていると思うけど、意識も智恵も持った不死者で、そんじょそこらの動く死体とは違うのよ」
「ああ、それは前にも聴いた。ただ人を襲うのではなく、理性を持った存在だと」
「その通りよ」
ユキネは少し嬉しそうに、そして恥ずかしそうに微笑む。
「でもね、結局私たちも不死者、いえ、死んだ人間の身体なのよ」
「ほう、それで」
「生命活動は止まっている。身体の代謝もない。そうなると今の身体を維持する必要が出てくるのよ。肉体の生命活動ではなく、ね」
そうだな、生きていないのだから成長もないし老化もない。いや、時が経てばどれだけ頑丈な岩でも風化するし、それが肉体であれば腐ったり痛んだりする。
「腐敗が、無い?」
「その言い方はちょっと気にくわないけど、まあそうね。私たちは肉体を維持するために、この匂い、いえ、沐浴液を使うの」
「沐浴液だって……?」
「ええ。見て……」
ユキネは研究室の奥の冷暗所でいくつも積み上がっている樽を見せた。
「これは? なにか不思議な匂いがする……あ」
気が付いた。部屋に充満する香りは、ユキネから感じられた香りだ。
「うん。私たちを私たちとして維持するために使う香水みたいな物。沐浴液よ」
ユキネが樽の蓋を開けると、中には茶色がかった澄んだ液体がなみなみと入っていた。
「これね、不死者の肉体を維持する事ができる調合された薬液なの。それでね、これは渋みを多く含んでいるわけ」
「渋み……あ、皮のなめしに使う!?」
「そう。それにも使えるのよ。これでドラゴンの皮を加工すれば」
「火蜥蜴の革鎧ができる!」
ユキネが大きくうなずいた。
「これをもらえるだろうか」
「いいわ。そのつもりで連れてきたのだもの」
俺はあまりの嬉しさにユキネを抱きしめていた。
「あっ……」
「ユキネ、ありがとう! この恩は忘れないぞ!」
「う、うん……」
喰らう者とは思えない柔らかな女の子の身体。ほのかに香る薬液の匂いは、部屋の中のそれと混ざって俺の鼻孔をくすぐっていた。
「ほら、ルシルちゃんが怒るよ……」
気恥ずかしそうにユキネがつぶやく。
「す、済まない」
俺は勢い余って抱きついてしまった事に戸惑いながら、ユキネの身体から離れる。
そんな俺の事を、ユキネはうっとりとした目で見つめた。
「でも、ここだったら誰も……」
ユキネの小さな声が俺の耳に届く。
「さ、さあ、これを持っていくぞ、な?」
「そうだね、行こうか」
俺が樽を一つ担ぐと、ユキネがそれを後ろから支えてくれる。
そうして俺たちはなにも言わずにロイヤが作業しているところへと戻っていった。
【後書きコーナー】
久し振りの後書きです。皆さんこんにちは。長い事読んでくださりありがとうございます!
昨日、90万文字を達成しました。話数は640話。
そして毎日投稿して一年半。ずっとです。
よくもこんなに長く書く事ができたなあと、しみじみ思いました。
それを支えてくださった読者のあなたに、感謝です。
まだ話は続けられると思いますし、新たな区切りを目指してまた一歩踏み出した所です。
100万文字行けたら、もう一皮むけるような気がします。
それまで頑張れるといいなあ。
読者の皆さんからの応援で元気を補充しています。ブックマーク、評価を入れていただけると嬉しいです。
それではまた!