王弟のプライド
ムサボール王国の王位継承権第一位にして、現国王ムサボール三世の実弟であるゴーヨック公爵が、欲と贅に膨れた身体を豪華な椅子に預けている。
「おほ、おほー。これは気持ちがええわいやー、身体が溶けていきそうだわい」
ゴーヨックは精神安定の神聖魔法をゴブリンにかけられて、気持ちが穏やかになる。だらしのない緩んだ顔からよだれが垂れていた。
「これは普段やっとる神官の魔法とは違うのかのう?」
「はい、欲望に忠実なゴブリンだけあって、魔法の効力もより本能に響くものとなっておりましょう」
「なるほどなあ」
俺の適当な説明に納得するゴーヨック。
「お前は目利きの才も持ち合わせておるようだの、どうだ、このワシ、公爵に仕えぬか、ん?」
「それはそれは、過分にしてもったいないお言葉。ですがそこまでとおっしゃるのであれば、非才ながらお役に立てるよう粉骨砕身お仕えする事も……などと昔ならあったかもしれませんが、今は流浪の身。そのような野心は持ち合わせておりません」
「そうかあ、ワシに仕えておれば地位も名誉も思いのままであったろうにのう……」
ゴーヨックが指を鳴らすと、椅子の後ろで立っていた男がゆっくりと俺の方へ近づいてくる。
「このゴブリンはワシがもらってやるわい。痛い目にあいたくなかったらとっとと……」
ゴーヨックが話している途中、目の前が真っ白になったかと思った瞬間に天を裂くような轟音がこだました。
俺は後ろにいた子供に小声で礼を言う。
「ありがとうルシル、雷光の槍か?」
「いえ、雷神の鉄槌、Sクラスの電撃系魔法よ」
「魔力の回復はできていたようだな」
ルシルは小さくうなずく。
「ひっ、ひい!」
天幕越しに雷の直撃を受けて屈強な男は黒焦げになっていた。
「大丈夫ですか公爵閣下!」
音を聞きつけて天幕の外から兵士が覗き込むが、時を同じくして外で騒ぎが起こる。
「大変だ! ジャイアントたちが暴れているっ!」
「鎖で縛り付けていたんじゃなかったのかよ!」
「無抵抗だからってしっかり縛っていなかったんじゃねえか!?」
「巨人の力を侮りやがって!」
天幕の外ではヒルジャイアントのドッシュたちが暴れて大騒ぎになっていた。
「ジャイアントが……」
「これだけ中枢部が混乱していては、対峙する魔族軍にしてみたらいい機会でしょうな」
「判った、ワシの部下でなくとも構わん、今だけワシを助けてくれ、報酬はいくらでも出そう、な!?」
ゴーヨックが立ち上がろうとするが、椅子から離れることができない。
「にゃ、にゃにぃー!?」
ゴーヨックの下半身は椅子と融合していた。一度溶けた身体が椅子とくっついたかのように。
「どうだ、ゴブリンの回復魔法は。身体が溶けるくらいに気持ちがよかっただろう?」
「ひ、ひいぃー! たしゅけて、ワシは王弟、王位継承権第一位の公爵ぞ……。助けろ、助けんかぁ!」
「あんたが誰の弟とか王国の誰かとか関係無い。だいたい誰が傭兵戦士のゼンだって?」
「え、だって自分でそう名乗っていたんじゃ……」
「薄ら呆けた目には映らなかったようだが、ほら、俺の顔を見忘れたか?」
俺はゴーヨックの顔に自分の顔を近づけた。
「あっ……勇者、ゼロ……」
「そうだ、お前たちが囃し立て魔王討伐へ送り込んだゼロだよ。国を守り世界を平和にした者に対してお前たちがくれた報酬は解雇と暗殺者なんてな。俺だってそこまでとは予想もしていなかったよ」
「でもそれは兄上、いや、国王が大臣と決めた事……」
俺は黒焦げになった男の側で輝きを放っている物を見た。
「その割にはお前にもたいそうなおこぼれがあったようじゃないか」
俺は転がっていた昔の愛剣を取る。
「聖剣グラディエイト。こんなところで戻ってくるとは思っていなかったが」
「それは国王が勝手に……そそ、そうだ、ゼロ、ゼロ様、ワシは王位継承権がある。それなら国王を倒してワシが王になろう。それからそなたに王位を譲れば正式にそなたが国王になれるのだ、どうだ悪い話ではあるまい、な?」
卑しい笑い顔を俺に向ける。その顔は汗と涙と鼻水とよだれと、とにかく色々なものが溢れ出てぐちゃぐちゃになっていた。
「流石は王弟閣下だ、事ここに至ってまだそのような戯言を。民の、家族のためとはいえこのような奴が支配階級にいる国に仕えていた事が恥ずかしいよ」
俺は手にした聖剣グラディエイトを鞘から抜く。青く光る魔力を帯びた聖剣は久しぶりの正当な所有者の手に収まって、一層その輝きを増したようにも見えた。