緊張と緩和
暗闇の中、俺は身動きが取れないでいた。
目を開いても何も見えない。そもそも明かりが存在しているのだろうか、それ程の暗闇だ。
「ん……この先に小さいが明かりが見える……」
胸騒ぎがする。
背筋がピリピリと痛くなってくるようだ。
頭が痛くなって呼吸が荒くなる。息がしにくい。
「ついに来た、という感じだな。今まで倒してきた奴らを考えればいい加減敵の親玉が出てきてもおかしくはないが」
俺は手にした剣を強く握りしめる。
聖剣グラディエイト。俺がこの冒険の中で手に入れた剣だ。
八つの首を持ったヒドラを倒した時に身体の中から出てきたっけな。
「こんな物を腹に抱えてじゃあ生活するのも大変だっただろうがな。あ、だからあのヒドラはいっつも不機嫌で辺境の村を荒らし回っていたのか。今思うと不憫な奴だ」
独り言をつぶやきながら光の方へと向かう。
「扉? 隙間から光が漏れているのか」
目の前には巨大な扉。光が小さくて距離感がつかめなかったが、思ったより近かったようだ。
俺は自分の身長の倍はある高さの扉に手をかける。
両開きの扉を押し開けると、きしんだ音が辺りに響き渡った。
「これじゃあ奇襲はできないよな」
俺の独り言に答える奴がいた。
「たとえ音がなくとも消しきれない殺気がこのワタクシに伝わってきますよ、勇者ゼロ」
広く華美な部屋の正面に座る女性とその脇に侍る黒衣の男。
「おいベルゼル、こやつが我が眷属を根絶やしにしようとしている狼藉者か」
「はっ、遺憾ではございますがワタクシめらでは一向に歯が立たず。こうして玉座の間へも侵攻を許す羽目になりまして」
豪華な装飾が施された玉座にいた女性が立ち上がる。
「よかろう、この魔を統べる王ルシル・ファー・エルフェウスが我が同胞の無念を晴らそう」
ついに俺はムサボール王国に恐怖と怨嗟をまき散らした魔族の頂点を目の前にしたのだ。
こいつらさえ倒してしまえば国に戻って持ち帰った財宝でのんびりした暮らしができる。
「覚悟してもらうぞ。王国に仇なす魔族め」
俺は胸の奥に何か支えたような、そんな違和感を覚えた。
「これも魔術か何かか……」
「さあどうかな、勇者ゼロ……」
玉座から立ち上がった女性が一歩、また一歩と近付いてくる。
「覚悟をするのはそなたの方だぞ、勇者ゼロ」
魔族の女性、魔王の声が俺の耳に響く。
「……勇者、ゼロ……」
緊張のせいだろうか、息が苦しい。
とても……苦しい。
かすかに俺を呼ぶ声。
「……ゼロ、ゼロ?」
「なんだよこれから真剣勝負が……」
俺はまぶたを開く。
今まで目を閉じていた事すら気付かなかった。
目のかすみが段々と治まっていくと薄暗い景色が入ってくる。
目の前にはルシルの顔があった。
「近いぞ」
「変にうなされていたみたいだからね、起こしてあげたのよ」
俺はルシルの膝の上に頭を預けたまま、ゆっくりと深呼吸をした。
「ルシルは……ルシルだよな?」
「どうしたのゼロ、まだ思考が混濁しているみたいだけど。まあ蜘蛛の糸がゼロの首に巻き付いちゃって息ができなかったから頭がぼ~っとしちゃうのもしょうがないよね」
「ああ、そうか」
全身の力が抜ける。
俺は砂漠の遺跡にある地下の大洞窟で女王虫を駆除した時に、巣の崩壊に巻き込まれて落下していたところを蜘蛛の糸に救われたのだった。
まあ、首に絡まったのを救われたと言っていいのであればだが。
「意識が飛んでいたのか」
「そうだよ。自発的じゃなかったけど呼吸は続けていたから、その内目が覚めると思っていたけど」
どうやら呼吸困難で気を失っていたのか。
それをルシルが呼吸を……。
おれはそっと自分の唇に手を当てる。
「……そっか」
その後、小康状態になったところでルシルが膝枕をしてくれていたようだ。
「なあルシル」
「なあに?」
「もう少しこのままでいさせてくれるか?」
「まったく……甘えすぎよ勇者のくせに」
「たまにはいいじゃないか」
俺はゆっくりと目をつぶる。
それから腕を伸ばしてルシルの太ももをなでた。
「落ち着くの?」
「すっごく」
「そっか。なら許してあげる」
目を閉じていても判る。ルシルが微笑んでいる事を。
「……ありがとうな」
「ん? 何か言った?」
聞き逃したのかそれともわざとなのか。
「いいや、何でもない」
何でもないさ。
今が今である事に、俺は安らぎを感じていた。