パイ生地
トリンプが皇帝だと!?
「そこの……首だけ宰相のラスブータンはトリンプを見てもそんな事は言っていなかったし、そもそもブラッシュの兵たちはトリンプを捕らえようとして追いかけていたんだぞ……」
「それは仕方がないだろうねえ」
凱王は俺の質問にも驚いた様子は見せない。
「そんな辺境の属州、王であればトリンプ様へ御簾越しにご挨拶した事もあるだろうけどねえ、宰相ではなかなか。だろう、ラスブータン?」
「へ、ひゃい! 見過ごしてなんてないです!」
ラスブータンは青ざめた顔で凱王の言葉を聞いている。自分が聞き間違っている事などまったく意識できない程に。
「せ、拙僧はこ、こ、皇帝陛下のご尊顔を拝し奉った事などなく……」
あわてふためくラスブータンに俺は質問を投げかけてみた。
「容姿程度は聞き及んではいないのか?」
「しょ、しょんな、市井に広まっている肖像画ではもっとこう、女帝然とした高貴で麗しいお姿でしたので……」
「はっははは! 本物のトリンプ様も高貴で麗しいお姿だろうがねえ」
「が、凱王様ぁ……」
「まあ行き過ぎたところもあったろうけど、こうして無事なお姿を拝見できたのでねえ。国威発揚のためにもお戻りになっていただかないとねえ」
凱王とラスブータンの掛け合いは放っておいて俺は気になった事を質問する。
「ちょっと待て、トライアンフ第八帝国と言ったな」
「そうだよ。この大陸を治めているのはね。それでぼくはトライアンフの中の一角、凱国の王なんだよねえ。まあ、凱国は代々国王が凱王を名乗る決まりになっていてねえ、ぼくも凱王を名乗っているんだけどねえ」
「面倒くさいな……」
「国の成り立ちという物は面倒くさい事なんだよねえ」
俺は凱王の言葉が気になって後ろにいるトリンプを見た。
トリンプも自分の事が信じられない様子で、俺の外套を握りしめている。
「ともかくこんな状態ではトリンプの事をどうこうするつもりはない。この虫どもを片付けてからと言う事であれば手を打とう」
「ふむ……」
凱王は出した手を一度引っ込めて考えた。
「いいだろう。それならまずはこの虫の地下要塞を壊滅させようではないかねえ」
「判った。何層にも続いていると言っていたな。ここが上層階とか」
「そうだよ、だからもっと奥に行かないと女王虫にたどり着けないからねえ」
凱王は、と言ってもこの凱王の姿そのものは思念体を埋め込んだ擬似的な身体なのだが、その肉体は華奢で戦闘に耐えられるような物ではなさそうに見えた。
隣に立つラスブータンも身体を取って付けたような物で、俺にはどう動いているのかも理解できないが。
「どうしたかねえ、勇者くん」
「いや凱王、お前のその身体は擬似的な物なのだろう? 何重にもなっている虫の巣を潰すのに耐えられるかと思ってな」
「ああ、そんな事か」
凱王は自分の身体を眺めた。
「これは土から作っているからねえ。どうとでも作り直せるから大丈夫だねえ」
「土……泥人形みたいな物か」
「そうだねえ、それに近いかもしれないねえ。まあ契約と魔力連携で泥人形を制御するけど、ぼくはそれを直接思念体を入れて行っているという感じだねえ」
「乗り換えも簡単なのか?」
「そう難しくはないねえ。だからそれが簡単にできるように、魔術特化した従者としてラスブータンを付けているのだけどねえ。そうすればこの身体に何かあっても即座に対処できる、この虫の巣が百層あったとしても、ねえ」
「そ、そうですとも! 凱王様のお身体は拙僧にお任せ下され!」
ちょっと待て。俺は聞き捨てならない言葉を耳にした。
「お、おい凱王」
「どうしたね勇者くん」
「ここ……百層もあるのか」
「う~ん……少なく見積もっても、だねえ」
なんだこいつ、軽く答えやがって!