トリンプの失われた記憶
「いや、そんなはずはない……ねえ」
凱王がうろたえている。以前ブラッシュで凱王と戦った時はトリンプが退避した後だ。だからあの時に凱王はトリンプの姿を見てはいなかった。
「ラスブータン!」
「は、はひぃ!」
凱王の影から一人の白い僧服を着た男が現れた。ブラッシュの町で戦ったラスブータンだ。
今まで影に潜んでいたとでも言うのか。気配すら感じられなかった。
「首だけの男が、また身体を手に入れたか」
「先日はよくもやってくれやがりましたね、東の大陸の勇者よ!」
「よせラスブータン。今は人間同士でいがみ合っている場合ではないのだよねえ」
「ははっ、凱王様。チッ、かの国の勇者はまた別の機会に裁きを下すものといたしましょうぞ」
「それよりもだよラスブータン。どうしてトリンプ様の事を報告しなかったのかねえ」
「へっ?」
凱王の冷ややかな視線がラスブータンに注がれる。
「トリンプ様?」
俺はトリンプの方を見るが、トリンプ自身は記憶を失っているというのだから判るはずもない。
小さく首を横に振るトリンプ。
「ともかく、ご無事で何よりでしたねえ。ささ、こちらへトリンプ様」
凱王はトリンプに手を差し出す。
だがトリンプはそれに近付こうとはせずに俺の後ろに隠れている。
「勇者くん、トリンプ様を今まで守ってくれていた事は感謝しようねえ。それに対しての礼はさせてもらうからねえ」
「何を言っているんだお前は。俺がトリンプをお前に渡すはずがないだろう」
「そんな事を言っても困るねえ。そうだ、世界の半分を勇者くんにあげようねえ」
「世界の半分?」
俺が話に乗ってきたと思ったのだろう。凱王は前のめりになって話を続けた。
「ああ。ぼくの知る限りの世界の半分、東の大陸をきみにあげよう勇者くん。トライアンフ第八帝国とその属国、属州合わせて一億人はいるんだ。東の大陸も同じくらいの規模はあると思うがそれをきみに任せようと思うのだがどうだろうねえ」
「思ったよりもまともな提案だったな。魔界でもくれるのかと思ったぞ」
「そんな前時代的な発想はしないよねえ。どうだろうか。ぼくたちも流石に手狭になってきた事もあって東の大陸へ活路を見いだそうかと思っていたんだけどねえ。それならそれで何とかするしかないかもしれないからねえ」
凱王はぎらついた目で更に一歩踏み込んでくる。
「だからどうだろうねえ、トリンプ様をこちらへお渡し願えないだろうかねえ」
もう一度凱王は手を伸ばしてきた。
「トライアンフ第八帝国皇帝、トリンプ・トライアンフ陛下をねえ」