まとわりつく血だまり
凱王と名乗る青年とその後ろにひざまずいているラスブータン。
いまだ止まない血の雨の中、凱王だけは純白の姿を留めている。
「今、何と言った……。魔族を取り込んだ、だと」
「そうだとも。聞こえなかったかねぇ。まあどちらでもいいかね、実験は終わったからもう帰るとするかねえ」
凱王は俺たちには興味なさそうに空を見上げた。
「何を、凱王というのであれば俺たちの国に攻め込んだ諸悪の根源だろう。それをこのまま見過ごす訳にも行かないぞ」
「勇者と言ったかな? そんなに気負う事はないだろうね。凱王は一兵士とは戦わないからねえ」
「それは俺と剣を交えてから言うんだな」
俺はRランクスキルの超加速走駆を発動させて凱王との間合いを一気に詰める。
「喰らえっ!」
だが俺の振るった剣は凱王の姿を捉えていなかった。いや、凱王の身体を通過したのだ。
「残念だねぇ、これは残像だよ勇者くん」
「なっ!」
あまりの速さに俺の超加速走駆でも間に合わなかったというのか。
「それとも瞬時に入れ違ったか……」
俺は振り向いて声の主を探す。
「ゼロ……」
俺の目に飛び込んできたのはルシルの頬に触れている凱王の姿だった。
「この魔族の娘、いい魔力量だねえ。凱王はこの娘を欲しくなったねえ」
「なっ、やめ……」
「ふむ。嫌がる声もかわいいねえ」
凱王はルシルの顔をなで回し、首筋、肩へと手を滑らせる。
「ルシル!」
「だめ……ゼロ、身体が……」
ルシルは顔をこわばらせて身動きが取れない状態のようだ。
「その通りだよ勇者くん。魔族の精気を奪っているのだからねえ、立っているのもやっとだろうねえ」
「下劣な……!」
俺は一歩踏み出そうとするが足が固まったように動かない。
「ブフフ! 捕縛血糸……。この血だまりが不信心な野蛮人を束縛するのですよ!」
「血の塊が……絡みついて……」
俺の自由を奪っていく。
凱王に気を取られていたにしてもこの動きに気付けなかったとは。
「ぬかったな……。俺も焼きが回ったって事……」
「そうそう、粋がっていたってそんなものでしょうよ! さっきは拙僧をさんざっぱら酷い目に遭わせてくれましたよね! そのお返しはさせてもら」
ラスブータンはそこで言葉が途切れる。
続くのは言葉ではなく喉から溢れる血と笛のような空気の抜ける音だ。
「うるさい、黙ってろ」
俺はラスブータンの喉を切り裂いた剣で血だまりをかき回す。
術者が息絶えたスキルは効果をなくし、捕縛血糸もただの血の塊に戻っていた。
「おおっと、凱王の忠実な僕をこうも簡単に殺してくれるとはねえ」
「どうした凱王、偉そうにしていても今ので怒りがこみ上げてきたか」
「ふ、ふふふ……。面白い、面白いねえ!」
凱王はルシルの首を片手で締め上げる。
「く……苦し……」
「どうだね勇者くん、君のお気に入りがこの凱王の手で握りつぶされようとしているねえ!」
凱王は醜い喜びに顔を歪ませた。
「それはどうかな」
俺の腕の中には苦しそうにあえいでいたルシルが抱きかかえられている。
「おや?」
凱王がその手を見ると、そこには刎ねられたラスブータンの首が握られていた。
「ふふふ、やるねえ勇者くん」
「それはどうも」
俺は勇者補正のSランクスキルに強化された超加速走駆を使ってルシルを救い出していたのだ。