壁の中と外
会談を終えて俺たちは天幕を出て浜辺の漁師小屋に案内される。
「ここは空き家になっているのでな、好きに使ってくれて構わん」
「ありがとうございます警備隊長さん。見たところ同じような空き家がいくつも見られるようですが、どうされましたの? 聴いてもよろしければ、ですけど」
シルヴィアが警備隊長に質問をしてみた。
手荷物を漁師小屋に置きながら俺たちは様子を見守る。
「このところ大きな戦乱があってな。今までは大陸内での争いだったが凱王様が大陸を統一されて、それからだ。我々も外部に目を向けようとして大軍を各地に派遣したという事だよ。この辺りに住んでいた者も栄光ある遠征軍に加わって、家族は王国の壁の中に住めるようになったのだ」
「壁の中ですって?」
「そうだ。コーム王国は大雑把に言うと、壁の中の選ばれた民と壁の外の奴隷区に分かれているのだ。奴隷区にそのままいる者も多いがほとんどは自由民として解放されて壁の中へと住まいを移しているようだな」
「そうするとここの家の方は……」
漁師小屋としてはそれなりに設備も整っているし壁もしっかりとしていて隙間もない。
「ああ、ここは選ばれた民が漁をする時に使う一時的な小屋だ。奴隷たちの使っている漁師小屋はもっとボロ屋だよ」
「それでは商売をするには壁の中にも入れてもらえるとありがたいですね」
「それはそうだろうな。壁の中と外じゃあ商売もまったく違うものになるだろうからな」
「どうしたら壁の中に入れるのでしょう。流れの商人では難しいでしょうか」
シルヴィアは警備隊長を見つめる。
警備隊長はそれを色目と勘違いしたかもしれないが、副王のあの様子を見ていたからだろう、シルヴィアに手出しをするような動きはなかった。
「だがそうだなあ、沿岸警備隊の宿舎が壁の外にある。もう日も落ちてくる頃だが少し外海の話をしてもらえないかなあ。宿舎で、な」
これで乗ってきたら脈ありとでも思っているのだろうか。
俺がシルヴィアに目配せをすると、シルヴィアは小さくうなずいて応える。
「それは嬉しいお誘いですわね。是非いろいろとお話をさせていただきます。あ、でも……」
「何かご不明な点でも?」
あからさまに警備隊長の口調が柔らかい物になった。
「連れの者はどうしましょう。それに船にはまだうちの者が待っていますので」
「それでしたら使いの者を出されたらいかがでしょう、ほら君」
警備隊長はぞんざいな口調で俺を指さした。
「そうだよ君だよ君。ぼーっと突っ立っていないで、暗くなる前に自分の船に戻って状況を報告したまえよ!」
「俺は護衛だ。主人を置いて離れる訳にはいかん」
「大丈夫だ、コーム王国沿岸警備隊がシルヴィアさんの安全は保証する! さあとっとと行きたまえ!」
横柄な態度の警備隊長にセシリアが食ってかかる。
「何だその言い方は! 俺たちは難破したとはいえ国ではそれなりの地位にある者だぞ、それに敵か味方かも判らん所へ船長だけ置いていけるか!」
「威勢のいい若者だが、考え無しの行動はいただけないな。猛獣の尻尾を踏んだ事に気付かない愚か者はその猛獣に噛み殺されても文句は言えんぞ!?」
「何をぅ!」
「よせモンデール、ここは一旦抑えろ」
俺はセシリアを制止してこの場を落ち着けようとした。
「済みません……」
しおらしく返事をするセシリア。
だがここまでは予定通りだ。
ルシルはアガテー仕込みの隠密入影術を使って漁師小屋の外で身を隠している。ベルゼルも同様に暗がりへ隠れた。
この小屋にいるのは警備隊長の他には、俺とセシリアそして交渉役のシルヴィアだけだった。
「まあいい、次に偉そうなことをぬかしたら覚悟しておけよ!」
「済みません警備隊長さん、私どもの護衛が失礼を……」
シルヴィアが形だけの謝罪を述べると警備隊長は簡単に相好を崩す。
「いやいやいいんですよ、護衛は我々がしっかりと務めますのでね何も危険なことはありませんよ。ご安心下さいね!」
下心が見え見えの様子で警備隊長が漁師小屋を出る。
「ささ、ご案内しますのでね、シルヴィアさんはこちらに……」
シルヴィアは警備隊長の後を付いていく。俺も一緒に行こうとすると、警備隊長の刺すような視線が俺に向けられた。
「じゃ、じゃあ船長、お願いします」
「はい、行ってきますわね。船の皆さんによろしくお伝え下さい」
シルヴィアは警備隊長に付いていく。シルヴィアのことは隠密入影術を使って隠密行動を取っているルシルとベルゼルに任せるとして、俺は警備隊長たちが見えなくなった頃合いを見計らって、セシリアと港の方へと移動した。
「どうも演技しているのがまだるっこしくていかんな」
俺は二人きりになったところでセシリアに気持ちをぶつけてみる。
「そうだな勇者ゼロ、俺もそう思うが沖合の連中を含めても百名足らずだ。いきなり攻め込むという訳にも行くまい」
「うむ……戦闘だけなら負けないのだがなあ。占領するとなるとそうもいかんか」
「それは駄目だろう。勇者ゼロがいなくなった途端に反乱されて元の木阿弥だ」
「だよなあ……」
こればっかりは突出した戦力があったとしてもどうしようもないか。
点なら無敵だが面は一人では押さえられない。
「さてと、どうしたものか……」
俺は考えを巡らせつつ、沖合に停泊しているクラーケン号を眺めていた。