虚無への落下
暗黒というより虚無。
俺は何もない世界で漂っていた。
俺すらもその中の一部として溶けてしまいそうなくらい何も感じず何も見えない。
「意識は取り戻したようだな」
言葉が俺の頭の中に入ってくる。
返事をしようにも声が出ない。
「構わん、そのまま少し……たゆたっておればよい」
その優しさと温かさの感じられる言葉に俺はあらがえないまま、虚無の中を沈んでいく。
何もないのに沈むというのもおかしい話だが、何かに埋まって包まれていく、そんな感覚があるような気がした。
「私か? そうだなあ、お前に説明するのも難しいが……もうそろそろよい頃だろうと思ってはいたのだがね、どうやらそうも言っていられなくなったようだよ」
いったいこいつは何の話をしているのだ。
「まだお前はこちらに来るには早かった、という事だろうね。まあそうちょくちょく来られても困るんだけどさ、少しは楽しませて……いや、お前ならまだ頑張れるぞ、うん」
なんだか急にしどろもどろになったがまあいい。
「そら……、お前のことを待っている者たちが呼んでいるぞ……」
言葉の主が遠ざかっていくような気がする。
それと共に世界が段々と明るくなっていくような……。
「あんたはいったい……」
「お、声は出せるようになったようだな。よいよい、その調子だ……ゆっくり、ゆっくり目を開けてみなさい……」
俺は言葉の通りにまぶたをゆっくり開ける。
「ゼロ!」
ルシルの涙で濡れたぐしゃぐしゃの顔が俺の目の前にあった。
「ルシル」
「びっくりさせないでよ! ばかぁ!」
ルシルから罵声は浴びせられるが平手打ちはもう来ないようだ。
「ここは……?」
あの暗闇の世界とは違う、いつもの空間を感じる。
寝台と小さな窓。その窓の外からは日の光が差し込んできていた。
ここはどこかの寝室なのだろうが、今まで俺はどうなっていたのだろう。
「ゼロさん」
「シルヴィアか」
「私たちと一緒に捕まっていた女の子たちの中に治癒のスキルを持っている方がいましたので」
シルヴィアが俺の側に一人の女の子を案内する。
「で、でも、あたしは、そんなに高ランクの治癒は使えなくて……勇者様の回復力があったから……」
女の子は恥ずかしそうにもじもじと指を組んだり鼻を触ったりしていた。
「あ……お前は」
「そうだよゼロ」
「グリコじゃないか!」
女の子は花が開いたように明るい笑顔を俺に向ける。
「はいっグリコです勇者様!」
「すごいなあのヒポグリフだった女の子……と言っても確か天使に連なる種族だとか……。回復系スキルが使えるのはその才能のせいもあるのか。ともかく助かった、ありがとうグリコ」
俺は背中に羽の生えた女の子、ヒポグリフに身体変化されていたグリコの頭をなで回す。
グリコはうっとりと微笑みながら俺に頭をなでられるがままになっていた。
「ルシルも、ありがとうな」
「ひゃうっ!」
俺はルシルの頭も軽くなででやると、びっくりしたルシルが変な声を出して固まってしまう。
「ゼ、ゼロぉ……」
困ったような顔をするルシルだがそれでも自分の頭をなでる俺の手をはねのける事もしなかった。