受動から能動への変動
天幕の中の巨大な檻が、闘技場のようなものになっていた。
俺の足に蛇が食らいつく。噛まれただけではない痛みが襲う。
「毒、か」
アンフィスバエナの頭を振り払う。その牙からヌメヌメとした物が滴り落ちた。
「アンフィスバエナの毒は神経を麻痺させて徐々に動けなくなってしまうのです」
「シルヴィアさん詳しいのね」
「商人は情報が命ですから。ともかくこれではゼロさんは足の自由が……」
俺は双頭の蛇アンフィスバエナの頭が届かないよう距離を取る。
毒で獲物を捕らえるタイプは締め付けたりはしない。送り込んだ毒で弱るのを待つだけだ。
「さてと、どうしたものかな」
片方の頭が俺を攻撃できるぎりぎりの距離を保ちながら弧を描いて移動する。
思った通り、片方の頭だけが威嚇してきた。
牙を剥く蛇の頭を張り手で横にはたく。もう一度、今度は噛み付こうとして前進してきたところを逆向きの張り手ではたく。
蛇の頭が少し下がったところで追い討ちの蹴りを入れる。
「行けるか?」
「ゼロっ!」
ルシルの叫び声ともう一方の頭が俺の足に噛み付くのが同時だった。
「なんて速さだ!」
いくつもの戦いをくぐり抜けてきたが、いつもスキルを使って有利に事を運んでいた。基礎能力が低いわけではないが、強力な魔獣相手には流石に厳しいか。
「おじいさん、もうやめてもらう事はできませんか。私たちここの国境を通るのは諦めます。このままではゼロさんが……」
「シルヴィアさん大丈夫。ゼロなら、ゼロなら大丈夫よ」
「でも、だって、毒が……」
噛まれた痛みはあるが、動きは悪くならない。
「それって……」
「俺なら平気だシルヴィア。俺は完全毒耐性を持っているからな」
「ヒドラとかとも戦ったりしているからゼロに毒は効かないのよ。でも……」
アンフィスバエナは二つの首を巧みに使って交互に攻撃してくる。
「そうだな、毒が効かないのと戦いに勝つのとは同じじゃない。このままではジリ貧だ」
やはり勇気の契約者のスキルで強化ができないのは辛かったか。
「王、国土、象徴……。俺はいったい何だ? 病気の妹を食わせるため衛士になった。国を守るために魔物を倒した。平和のために魔王と戦った」
俺は本能的に双頭の蛇からの攻撃を躱しながら考える。
「なあお嬢ちゃんたち、お嬢ちゃんたちはあの勇者を好いておるかの?」
「な、何を急に言ってるのよおじいさんっ」
突然のことにルシルが戸惑う。だが、シルヴィアは冷静だった。
「はい、お慕いしておりますのよ」
「えっ……」
シルヴィアの言葉が意外だったのかルシルは言葉が出なかったようだ。
「そちらのお嬢ちゃんはどうだの?」
コロホニーが腕を組みながら意地悪そうにルシルの顔を見る。
「わ、私は、私は……」
ルシルが恥ずかしがっている。戦いながらでも俺には判る。
「私……、ゼロのこと好き! 力の差があってもどんな困難があっても、最後には勝って笑顔で帰ってきてくれた! あたし、お兄ちゃんが大好き!」
「ルシル……」
一瞬、ルシルの顔に妹のアリアの顔が重なった。
コロホニーが檻に近付く。
「なあゼロさんや。あんたはどうだの。あんたは自分のことが好きだの?」
俺が、俺を?
俺を頼ってくれる仲間がいる。
俺を信じてくれる臣下がいる。
俺を愛してくれる家族がいる。
「そうか……俺は、皆のことが好きだ」
カインが俺の言葉を聴いている。
シルヴィアが、ルシルが俺のことを見つめている。
「だから俺は、俺のことが大好きだ!」
自分の中で何かが目覚めた。他人からの評価ではなく自分自身を認め自ら立つ事。
「だから俺は嫌なことをして辛いことをして悲しいことをして生きていきたくない。好きな人と楽しいことをして喜んで幸せになりたい!」
身体の中から温かいものがどんどんと膨らんでくる。
「俺は好きなことを好きなようにする! そのために強くなる!」
身体の芯から熱い塊が破裂した。
「ゼロが、変わった……」
「どうしたのルシルちゃん」
「ううん、何がって訳じゃないけど、風が変わった」
「風?」
アンフィスバエナが俺の右腕に噛み付く。もう一方は左腕に。俺は噛まれたまま両方の頭を捕まえる。
身動きの取れなくなったアンフィスバエナはもがくが、俺はそれぞれの頭を両脇に巻き込んで動きを封じる。
そのまま蛇の胴体を踏みつけ、つかんだ身体を巻き取っては引っ張る。
胴の部分が引く力に耐えられず、鱗が剥がれ皮が引き千切れる。
「ぬうぅっ」
そのままさらに引く力を強める。繊維の束が切れていく音。吹き出す体液。
「ぬうりゃぁっ!」
真ん中から引き裂かれて二つに千切れたアンフィスバエナを俺は高々と掲げた。
【後書きコーナー】
次回、第一章最終話です。