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恋愛もの

春の浜離宮恩賜庭園でお茶会のお勉強

作者: 水源

ここは浜離宮恩賜庭園。

東京は芝浦にある都立庭園である。

ビル周りにはビルが立ち並び首都高速一号羽田線が走っているが、この庭園の中は閑静で緑あふれる場所である。


 ここの名所は潮入りの回遊式築山泉水庭で、これは江戸時代に庭園として造成された。

東京湾から海水を取り入れ潮の干満でその景色の変化を楽しむ事ができる、潮入の池で東京湾から魚が入り込んで優雅に泳ぐ様子も見える、江戸時代には釣りも行われていたが現在は禁止されている。

潮入の池の中央には中島と呼ばれる小さい島があり、中島の御茶屋と呼ばれるお茶が楽しめる休憩所もある。


 その他にも園内には鴨の猟をおこなうために作られた池である鴨場、 潮入りの池の北東側にある現在は利用できない利用不可松の御茶屋と潮入りの池の北側にある燕の御茶屋。

四季折々に違う景観を見るお花畑、 60種800株が植えられているボタン園、多数の種類が植えられているために多いため見頃が比較的長く春の夜はライトアップされる桜。

その他にも松、けやきかえでなどの多くの大木が残されている。

もともとは甲府藩の下屋敷の庭園であったが、将軍家の別邸である浜御殿が建てられのちに宮内省管理の離宮を経て、その後東京都に下賜され現在は都立公園として利用されている。


 そんな和の趣を残したこの浜離宮恩賜庭園で、季節は春、桜が花開く季節のある日、庭園の庭にて茶会が開催されていた。

正確には正式な茶会のための練習の席である。


 庭に敷かれた畳とさされた朱傘により、野点の茶席にしつらえてあり、そこまで続く庭を悪いている二人がいた。

一人は穏やかな感じの和装の男、もうひとりは緊張している和装の少女。

男が少女に茶会の礼儀作法を教えているようだ。


「茶庭には、必ず敷石と飛び石があります。

 これは茶庭や庭園の景観を深めるためだけでなく、

 苔の保護や客の草履に土をつけないようにする目的もあります。

 ですので茶庭を歩くときは石の上を歩くように心がけましょう。

 庭の土や苔を傷めないためにも、また自分の草履を汚さないためにも、

 敷石や飛び石づたいに歩く必要があるのですよ」


「あ、は、はい、石の上をですね」


 男性はなれた様子で静やかに庭を歩いているが、少女はおっかなびっくりという風に歩いている。


 しばらく歩いていくと、握りこぶしほどのおおきさの石に、棕櫚縄を十文字にかけた石がおいてある。


「これは止め石、といいましてここから先は入ってはいけません。

 という立ち入り禁止の合図となっていますから見落とさないようにしてください」


「あ、はい、分かりました」


 やがて敷物の前についた二人はまず少女が草履を脱ぎ先に敷物の畳に上る。


「お先に」


 少女がお辞儀をしながら挨拶をした。


「はい、今回は他のお客様はいらっしゃいませんが、

 大寄せの茶会でも小寄せでも同様に必要な挨拶です。

 うまくできていましたよ」


 少女は嬉しそうにはにかんだ。


「はい、ありがとうございます、先輩」


 少女は草履を脱いで畳の上に前に正座して座り、膝前に扇子の要が右を向くように扇子を置く。

そして男性が少女の対面へ同じように座った。


「今日は、お招きいただき、ありがとうございます。」


 少女がすっと頭を下げて挨拶をする。


「本日はようこそお出でましくださいましてありがとうございます。

 ささやかな茶席ではございますが,ごゆっくりお過ごしください」


 ニコリと男性が微笑んで挨拶を返した。


「うん、良い感じだと思いますよ。

 正式な茶室の中での茶会ですともっと色々挨拶の仕方や

 入室の仕方、畳の歩き方ですとかその他にも色々決まり事がありますが

 今回は省略しますね」


「はい、ありがとうございます」


 その後、男性が和菓子を大皿に乗せ、女性の前にお菓子を出しお辞儀をした。

女性はお辞儀を返します。


「どうぞお菓子をお取り下さい」


と男性が声をかけ


「お先に頂戴します」


 と女性は左にいると想定する相手に挨拶をし


「頂戴します」


 と男性にお辞儀をした。

そして懐紙を取り出し、その上に箸でお菓子を一つ取り、取り終えたら箸の先を懐紙の角で軽く拭いて元の位置に戻し、隣の人へと皿を送る。


「はい、良い感じですよ。

 なお煎茶の場合には、お菓子が先に運ばれてきても、

 お茶をいただくまでは口にしないのが作法です。

 抹茶の場合は お茶の前にお菓子を全ていただいてしまいます。

 間違えないようにしてくださいね。

 今日は抹茶ですので先に菓子を食べきってください。

 またお菓子は、上座の正客が手に取ってからその横の次客も取り回しを始め、

 口にするのも、まずは正客が口にしてからとなります。

 抹茶席ではお茶が来るのを待たずにお菓子を食べます。

 そして日本の茶会ではお茶と菓子を交互に食べるのはマナーに反しますので

 必ず先に菓子を食べきってください。

 このときは菓子切を使って少しずつ手べるのが普通ですが

 ない場合は手でつまんでも構いません。

 使った懐紙は、表面の1枚を折りたたんで束の真ん中にはさんで

 かならず持って返ってくださいね」


「はい、分かりました」


 静々と開始の上に載せた葛焼きを菓子切を使って小さく切り取った後女性は上品に口へ運ぶ。

男性は女性が歌詞を耐え終える頃に


「お茶が出される前に食べ終えるよう、菓子を少しずつ切っていただいたら、

 いよいよお茶が回ってきます。

 お茶が出されたら、お菓子の時と同じように

 まず運んで来た人にお辞儀します。

 次の人にまだお茶が運ばれていなかったら、

 お先に頂戴します

 とお辞儀をし

 お点前頂戴しす」

 と言って頭を下げ、畳の縁の外に出された抹茶を、

 まず一度手にとって、自分の縁のうちに一度置きます。

 縁の外に置かれた茶碗をそのまま取り込んで

 飲むことは避けてくださいね。

 さてお茶を飲む時に、気を付けないといけないのは

 お茶を茶わんの正面から飲まないことです。

 茶わんは客に美しい正面を向けて回ってきます。

 受ける側は正面の絵を楽しみつつも、

 大切な茶わんの正面を汚さないように正面をずらしてから

 茶わんに口をつけることが作法ですよ」


「あ、はい、分かりました」


「具体的には茶道の流派によって変わりますが、

 まず右手で茶わんをとり、左手の手のひらに乗せます。

 次に、手の上の茶わんに右手を添えて2度ほど時計回りに少し回します。

 そして正面からずれたところに口をつけて茶を飲みます。

 お茶は一度に飲まず、だいたい三口くらいで

 飲み干し最後は茶碗に残った抹茶をスッと音を立てて吸います。

 飲み終わったら右手の指で茶碗へ口を付けたところを軽く拭き、

 指先は懐紙で拭きます。

 また茶碗を正面に向きなおして、一度自分の前に置き、

 改めて持って相手側の畳の中へお返しします

 ではやってみてください」


「はい、分かりました」


 少女がおっかなびっくりと言われたとおり、抹茶を口にした。

その様子を見て男性は聞いた。

 

「お服加減はいかがですか。」


 ん女性は微笑んで答えた


「大変結構でございます。」


 女性は作法に沿って茶碗を男性へと返した。


「さて、おおよそ茶会における作法というのは理解できましたか?」


「はい、ありがとうございます。

 多分大丈夫だと思います」


 男性は笑顔で頷いた。


「茶会の格式などにもよりますが、大体は上座の人間が

 やっていることを参考にいすれば大丈夫です。

 あとは慣れですね」


「慣れ……ですか」


「はい、慣れです」


「分かりました、ありがとうございます」


「というわけでここからはお勉強の時間ではないので楽にしてください」


 男性が笑ってそう言うと脚を崩し立ち上がった。


「助かりました。もう足がしびれてしびれて」


 そう言うと女性も足を崩し、立ち上がろうとしたが、しびれた脚でよろけてしまった。

男性がすっと歩み寄って支えてなんとか転ばずに済んだが。


「す、すみません」


 赤くなっってペコペコ頭を下げる。


「いえ、大丈夫ですよ

 ではのんびりできる茶屋にでも移動しましょうか」


「はい」


 二人は中之島の茶屋へ移動した。


 春には菜の花と桜が咲いて、ウグイスやヒヨドリの姿も見える。

野点の席とはまた違うゆったりとした雰囲気の中で抹茶と羊羹をいただきながら二人は会話を楽しんでいた。


「茶の発祥は中国の四川あたりでおおよそ4千年ほど前に

 茶の木は発見されていたようです。

 原産地に近い四川地方で最も早く普及し、

 その後長江沿いに東へ広がり、茶樹栽培に適した

 気候である江南地方に広がっていったと考えられています。

 三国志で有名な2千年ほど前の漢の時代には中国全土に

 薬として栽培は広まっていたようです」


「へえ、そんなに古くからあったんですね」


「その茶がいつ中国から日本に伝わったのかははっきりしてはいませんが、

 日本にも中国から茶葉が持ち込まれる前にクワ、クコ、ウコギなどの葉を

 ヒキ臼で細かい粉にし、熱湯を注いで飲むという習慣はすでに有ったようですね。

 弥生期の登呂遺跡から泥炭化した茶種が見つかってもいます。

 おそらく稲作と同時に茶葉を持ち込んだものがいたのでしょうね 」


「へえ、そうなんですか?

 だとすると卑弥呼もお茶を飲んでいたかもしれないのですね」

 

「ええ、そうなりますね。

 一般的にはお茶は、奈良時代や平安時代に、大陸に渡った遣唐使や

 留学僧によってもたらされ、初期は発行したウーロン茶のような

 茶をを輸入していたようです。

 茶色は緑ではなく発酵した茶葉の色なのはそのせいですね。

 さて、805年に唐より帰国した最澄が茶の種子を持ち帰り、

 比叡山の山麓の坂本の町に茶を植えたことが

 日本での茶の栽培のはじまりで、

 空海などの僧も茶を持ち帰ったようです。

 当時のお茶は非常に貴重な薬草でもあり、僧侶や貴族階級などの

 とても限られた人々だけが口にすることができました。

 しかしやがて遣唐使が停止されてからは、茶もすたれていったとされています」


「あれ、それではなんでまたお茶が日本に入ってきたのですか?」


「中国との貿易は平清盛が再び大規模にはじめました。

 そして再びお茶を日本に持ち込んだのはまたしてもお坊さんです。

 日本の臨済宗の開祖である栄西えいさいは、

 二度にわたって宋に渡って禅宗を学び、中国の禅院で

 飲茶が盛んに行われているのを見聞きし種子や苗木を持ち帰って

 帰国後栽培し、栄西は、深酒の癖のある将軍源実朝に、

 良薬としての茶を献上したと言われています。

 鎌倉時代には、禅宗寺院に喫茶が広がると共に、

 禅宗を信仰していた武士階級にも喫茶が浸透していきました。

 戦場で、現在の何倍も濃い濃度の抹茶を飲んで眠気を覚ましたり

 夜討ち朝駆けの際にも飲んでいたようですが

 栽培が普及すると薬ではなく嗜好品として、飲まれるようになったようです」


「武士にとっては眠気覚ましの栄養ドリンクみたいなものだったのですね」


「ええ、お茶にはカフェインが含まれていますからね。

 その後足利幕府の足利義満や豊臣秀吉などがお茶を奨励しましたが

 有名な千利休が茶道というものを完成させました。

 無論その前にも茶道を起こしたものは居るのですが

 現在伝わっているのは利休とその子供や弟子たちの流派がほとんどです」


「その前に茶道を起こした人たちはなんでダメだったのでしょう?」


「其れはまあ、天下人である豊臣秀吉に

 仕えたものとそうでないものの差ですね。

 この時代までは基本お茶は抹茶でした。

 煎茶の茶道は、江戸時代に隠元禅師により始められました。

 またまたはじめたのはお坊さんなわけですが、

 隠元禅師とは中国明王朝の禅僧で、徳川幕府の将軍徳川家綱に招かれて

 宇治に黄檗山萬福寺を開いた人物です。

 そして中国の明王朝では煎茶は最新の流行だったのですね。

 当時の日本の文人たちもそれを真似て、香り高い煎茶を

 味わいながら詩を作り、絵を描き、学問を語り、

 人生を語る風雅の世界を楽しんでいました。

 抹茶と煎茶では茶会の作法が少々異なるのはこういう経緯からです」


「そうだったのですね、初めて知りました」


そんなことを話していたら、時間もたってやがて日も傾いてきた。


「おや、もう夕方ですね。

 そろそろ帰るとしましょうか」


「はい、今日は本当にありがとうございました。

 ぜひまたの機会があればよろしくお願いします」


「はは、私はいつでも大丈夫ですよ」


「本当ですか、ならぜひぜひまたお願いします」


 そう言いながら席を立つと二人は桜の花の咲く浜離宮恩賜庭園を後にしたのだった。

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