スリー・シティーシフト ‐ ウィキパディア
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スリー・シティーシフト
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スリー・シティーシフトとは西暦2007年10月10日に発生した現在でも原因不明の未知の現象及び大規模災害の事である。現象が発生した地域はエジプト・アラブ共和国のカイロ、メキシコ合衆国のメキシコシティ、中華人民共和国の北京である。いずれも発生国の首都でありこの災害の発生後、2018年現在においても世界的な混乱が続いている。
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目次
1.被害を受けた地域
2.時系列
2.1世界的な異常気象の発生
2.2西暦2007年10月10日10時10分10秒
2.3発生国での混乱
2.4スリー・シティーシフト
2.5世界的な混乱
2.6大規模紛争の発生
3.災害後の対応
3.1エジプト・アラブ共和国
3.2メキシコ合衆国
3.3中華人民共和国
3.4国際連合
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災害を受けた地域
この災害によって何らかの影響を受けた地域は全世界ではあるがスリー・シティーシフトと呼ばれる大規模災害が発生した地域はエジプト・アラブ共和国の首都カイロ、メキシコ合衆国の首都メキシコシティ、中華人民共和国の首都北京である。いずれの三都市もスリー・シティーシフトが発生した範囲は直径約200kmの範囲である。
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時系列
・世界的な異常気象の発生
2007年10月9日から翌日10日のスリー・シティーシフトが発生するまでの間、全世界で異常気象現象が発生した。アフリカやインド、東南アジア、ラテンアメリカの各地では気温が異常に低下し雪が降る現象が発生し日本、韓国、北朝鮮では直径5cm以上の巨大な雹が各地で連続的に降った。中国の南部では超大型の竜巻が複数個所で同時多発的に発生しヨーロッパやアメリカでは異常な豪雨によって洪水に見舞われた。これらの一連の現象は10日の午前10時以降には急激に収まり完全に終息したが各国で甚大な被害が発生し死者や行方不明者が数多く現れた。
・西暦2007年10月10日10時10分10秒
2007年10月10日、エジプト、メキシコ、中国の各地で未知の巨大な発光現象が目撃、観測された。この発光現象は国際宇宙ステーションでも観測され各地で撮影された映像には非常に巨大な半球状の紫色の光が発生している姿が捉えられまた、発光現象のその周囲では強力な放電現象が確認された。またこの現象が発生していた時間はおよそ38秒間であったがこの間、全世界で通信障害が発生した。この現象が発生した地点はエジプト・アラブ共和国の首都カイロ、メキシコ合衆国の首都メキシコシティ、中華人民共和国の首都北京であった。
・発生国での混乱
謎の発光現象後、発生国ではこれまでにないほどの大混乱が発生した。発光現象後、発光現象が発生した首都周辺約200kmの地帯と一切の連絡が取れなくなったためである。しかも発生した場所がいずれも首都であった為、発生国の軍や警察は指揮系統の混乱が発生しこの結果、状況の把握に時間がかかる事となった。
・スリー・シティーシフト
10月11日、異常気象現象が完全に終息した事を受けて発光現象が発生した三ヵ国では通信が途絶えた自国の首都の調査に乗り出した。しかしこの際、エジプト、メキシコ、中国では首都の調査に向かった軍が未知の勢力による攻撃を受けるという事態が発生した。3カ国の軍隊はこの未知の勢力と戦闘状態に突入。自国の首都で何が起きたのか分からぬまま、およそ半月間に渡って戦闘を繰り広げた。エジプトのエジプト軍はカイロが未知の勢力に占領されたと考えの市街地にエジプト軍が当初、奪還に向けて侵攻したがその後、未知の勢力に押し返され逆に侵攻される事態となりアレクサンドリアが陥落、占領されエジプト軍側が防衛戦にまわるという事態に発展。メキシコではメキシコ軍がメキシコシティーに一時侵入したが未知の勢力による激しい抵抗と反撃にあいメキシコシティーから180kmの地点まで撤退する事態となった。中国では人民解放軍が首都周辺地域に進軍したが北京まで凡そ100kmの地点で未知の勢力の防衛によって進軍が停止した。
このように三ヵ国の軍隊は未知の勢力と交戦していたが三カ国の軍隊は首都や首都周辺地域での異変を確認した。その異変は多く存在するが3つにまとめる事ができる。以下はその点である。
・発光現象が発生した首都周辺の広域の地帯の風景が変わっている。
・偵察機などによって首都の様子を確認すると市街地の構造が自分達の知っている様子とはまるで違っている。
・発光現象が発生した地域の住民に話を聞くと自分達と話がかみ合わない。
などである。なお、エジプトおいては首都周辺地域においてアラビア語が通じないという事や市街地にアラビア語が一切なく多くのヒエログリフが見られる事も確認された。
以上のことから三カ国は混乱状態で戦闘をしていたが事態が動き始めたのはエジプトのカイロだった。未知の勢力がエジプト軍側に対して英語で交渉を呼びかけてきた為である。エジプト軍は未知の勢力との交渉に応じ会談を行った。この会談は後に歴史的な会談と呼ばれることになる。エジプト軍との会談は両者が激しい攻防戦を繰り広げていたミニヤー県の県都ミニアーで行われた。この会談は英語で行われ、この際、未知の勢力側の司令官は自らを「大エジプト王国軍」であると名乗った。これに対してエジプト軍の司令官は自らを「エジプト・アラブ共和国軍」であると名乗った。両者の交渉は8回に渡って行われその間、交渉が進むに連れて両者は常に困惑の雰囲気だったという。その8回の交渉のうち最初の交渉の概要は以下の点である。
・まず、なぜエジプト軍側に交渉を申し込んだのかという質問に対し「大エジプト王国軍」の司令官は「未知の勢力」の侵攻を受けたため軍を動員しアレクサンドリアを「奪還」した際に市街地にアラビア語が溢れさらに自分達が知っているアレクサンドリアの市街地がなく住民と言葉が通じない為に事態の把握のために交渉を申し込んだと話した。
・エジプト軍側が「大エジプト王国軍」の司令官にカイロを占拠しているのはあなた方ではないかと言うと「大エジプト王国軍」の司令官は怒った様子で領土を不法に占拠しているのはエジプト軍側であると訴えさらにどうやって市街地の姿を変えたのかと訴えた。
・エジプト軍側が反論し同様の事態が起こっている事を「大エジプト王国軍」の司令官に言った。
・2回目の会談で両者は事態の把握をする為に一時停戦し互いの地域に両者の調査団を受け入れる事を提案し承諾された。
この会談によって停戦が実現したがその後の調査によってある事実が判明した。それはエジプト側から見てカイロ及びカイロの周辺地域が自分達の知らない未知の地域と入れ替わっているという事だった。
この調査結果は全世界に衝撃を与えた。エジプト軍は「大エジプト王国軍」の協力で報告書をまとめ発表した。これによってメキシコシティーや北京でも同じ事が起きている可能性が高くなりメキシコと中国は直ちに未知の勢力との接触を図り事態の究明に乗り出した。
その結果、メキシコシティや北京の周辺地域ではエジプトと同じ結果が確認された。
中国では北京周辺の転移してきた地域は自らを大清帝国と名乗り、メキシコのメキシコシティー周辺の転移してきた地域は自らをメキシコ帝国と名乗った。
これらは後の国際機関の調査でも事実であると確認されている。
スリー・シティーシフトが発生した原因は未だに不明ではあるが仮説として平行世界にあった大エジプト王国の首都カイロ周辺約200kmの地域と、大エジプト王国とは別の平行世界にあった大清帝国の首都北京周辺200kmの地域と、大エジプト王国、大清帝国とは別の平行世界にあったメキシコ帝国の首都メキシコシティ周辺200kmの地域が我々の世界のカイロ、北京、メキシコシティと入れ替わったものと考えられている。
この事件は日本では三都市入れ替わり事件として報道され後にスリー・シティーシフトと世界共通で呼ばれるようになった。
・世界的な混乱
スリー・シティーシフトの発生は異常気象によって被害を受けた全世界に大きな影響を与えた。まずにスリー・シティーシフトが発生したエジプトやメキシコや中国は首都を失い政府すらも消滅するという事態になり政治的、経済的、行政的に大きな影響を与え国家機能が麻痺した。エジプトとメキシコでは当初の戦闘の激化によって軍による統制が取られていたが大国である中国では行政機関の麻痺によって各地で暴動が発生するなど混乱の度合いは増しこうした事態に世界各国も混乱した。
・大規模紛争の発生
スリー・シティーシフト発生の発覚後、エジプト、メキシコ、中国では停戦交渉がまとまった事によって戦闘行為は停止したがすぐに指導者を失った事による政治的な大規模混乱が発生し中国では各地の軍が主導権を主張し2009年、内戦が勃発した。エジプト、メキシコでは今後の対応を決めるために交渉が行われたがメキシコでは交渉が上手くいかずメキシコ合衆国側が転移してきたメキシコ帝国のメキシコシティー周辺地域をメキシコ合衆国として編入する案を提出した事をきっかけにこれに反発したメキシコ帝国軍が攻撃を再開。戦火がさらに拡大した。一方でエジプトでは交渉がある程度、上手くいった事により大エジプト王国軍がアレクサンドリアより退却するなど戦闘状態に突入する事はなかったが大エジプト王国がイスラム国家ではなく古代エジプト宗教を信仰している事を知った一部のテロ組織がエジプト国内で散発的にテロ活動を行う事態になっている。
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災害後の対応
・エジプト・アラブ共和国
エジプトではカイロを含めた直径200kmの範囲が古代エジプト宗教を信仰している大エジプト王国と入れ替わった事を受けて首都をアレクサンドリアへと移転した。さらに転移してきた大エジプト王国はファラオを頂点とした立憲君主制の政治体制を有する国家で元の世界においては世界第3位の経済大国であった事が判明し、さらに大エジプト王国は地球の西暦では西暦2089年の世界にあった事が分かり高度な技術力を保有している事が分かった。軍事力も非常に強力で様々な種類の大型自動歩行戦車を始め無人航空機や自動歩兵といった高度テクノロジー兵器を多数保有しているなど、その軍事的能力の影響からエジプト・アラブ共和国は大エジプト王国とゆるやかな連邦制による統一を行う事を決定した。現在、エジプトは大エジプト王国の技術力の高さから経済が徐々に上向き傾向にあり、その経済成長のスピードはアフリカ最大となっている。しかし、大エジプト王国はもとの世界において北アフリカの半分の地域を支配していた経緯があったためか周辺国との関係は対立傾向にあるとされている。2011年のリビアの内戦ではカダフィ政権の支援として地上軍を派遣し実質的にリビアの大半の地域を支配した。また、国内ではイスラム教徒と古代エジプト宗教の信者との間では近年トラブルが続発しており2013年にはアレクサンドリアで大規模な暴動が発生し多数のイスラム教徒が虐殺される事態となった。アラブ諸国はこうした事態に対してエジプトを批判しているが欧米やアメリカなどの大国は既にエジプトが事実上、北アフリカ、中東地域において最大の軍事力を有する国家となっている事や、エジプトの高度な技術を自国に取り入れるために、積極的なエジプトへの批判は展開していない。一方で、宗教問題は年々、悪化の一途を辿っている。
・メキシコ合衆国
メキシコではメキシコシティを含めた直径約200kmの範囲がメキシコ帝国という皇帝による絶対君主制国家の首都と入れ替わった。メキシコ帝国の時間は2027年であった事が分かった。メキシコ帝国は元の世界では世界第三位の軍事大国であり南米の大半を支配する植民地帝国であることも分かった。メキシコ合衆国とメキシコ帝国は今後を決める交渉でかなり揉め、メキシコ合衆国側がメキシコ帝国に対して連邦制による立憲君主制を提案したのに対しメキシコ帝国側は絶対君主制を求めた。その後も交渉は揉め続け最後には決裂。メキシコ合衆国軍とメキシコ帝国軍との間で再び激しい戦闘が勃発した。アメリカもこの事態に軍を投入し介入したがメキシコ帝国軍が核兵器の使用をちらつかせるなどした為、アメリカ軍は退却、戦況は泥沼の様相を見せ2010年までは、メキシコ合衆国はその勢力範囲を大きく縮小しサカテカス市より以南の地域一帯はほぼ全てがメキシコ帝国軍に占領されメキシコの統治下ではなくなった。2015年にはメキシコ最大の油田であるカンタレル油田がメキシコ帝国軍の攻撃によって占領された。2018年現在、これら地域はメキシコ帝国の行政区に組み込まれ事実上独立状態にある。現在、サカテカス市より以南の地域でメキシコ合衆国の支配下にある地域はユカタン半島のメリダからカンクンまでの沿岸線幅約50kmの地域とグアテマラの国境付近の地域のみである。ここまで戦況が悪化、拡大した要因としてメキシコ帝国のメキシコシティではスリー・シティーシフトが発生した当日は皇帝の誕生日であり各地から多くの軍が集結し記念式典を行っていた為、メキシコ軍を超えるほどの戦力が集結していた事が要因であると考えられている。
・中華人民共和国
中国では北京を含めた直径約200kmの範囲に大清帝国という絶対君主制の宗教国家が出現した為、国内の政治機能が完全に麻痺しそれに加えて軍内部で分裂が生じた事により内戦が勃発し軍だけではなく民間の武装勢力が誕生するなど混沌とした状態が続いている。この為、国内の状況を正確に知る事は困難であり事実上の無政府状態が永らく続いている。一方で大清帝国は現在、直径約200kmの範囲を自国の領土であると国際社会に訴え実質の鎖国体制を構築している。大清帝国には科学とは別系統の技術があるとされ一見すると文明の度合いは中世と同じ概観であるが軍事力は中国軍の侵攻を止めるほどの力を持っている。
・国際連合
こうした各国で起きている事態に国際連合は各国に冷静に対処するように呼びかけている。




