現実改変系魔法使い
それはスランが五歳の時だ。
その時に能力の存在に気が付いたのか、或いはその時に能力が発現したのか。
スランは能力の由来を知らない。
その時にスランが負った代償は七日間に渡る高熱だった。
熱にうなされながら、彼は思った。
母様が死んだのは夢だったのだろうかと。
その日スランとその母親を襲った野盗達はその存在はもちろんの事、周囲の人々の記憶からも消滅した。
スランは気付けなかったが、馬車が通った街道は元の位置から十キロ北に場所を変えていた。
スランが二度目に能力を使用したのは八歳の時だった。
スランがゴルの木から落ちる瞬間、スランの能力は発動した。
代償としてスランは吐血した。
一緒に遊んでいた友人達は酷く慌てて、スランを担いで村へと帰った。
大量に出血したスランはその後三日間身体を起こす事すらままならなかった。
布団の中でスランは、自分がゴルの木から落ちたのは白昼夢だったのかと考えていた。
一月後、スランは自分が吐血したとされる場所――スランの記憶ではゴルの木から落ちた場所へと向かった。
そこにはギラの木が存在していた。
誰に聞いても、そこには昔からギラの木があったと言われた。
スランは混乱した頭で底冷えする様な恐怖を感じていた。
三度目は十歳の時だった。
王国では十歳になった子供に魔力適性検査を受ける義務があった。
その年はスランとギークが検査を受ける年だった。
検査技官が水晶を持って村へとやって来たのは秋の初めだった。
最初に検査されたのはギークだった。
最初にギークが水晶に手を翳すと、三色の光が灯った。
ギークは天才だった。大半の者が光を灯せない中、三色ともなれば百年に一人と居ない逸材だった。
スランは羨ましかった。周囲の大人から褒められ、讃えられるギークが羨ましかった。
その時、スランの鼻から一筋の血が流れた。
スランが原因不明の吐血をして生死を彷徨った過去は村中が知っていたため、ちょっとした騒ぎになった。
十分後、スランに顕著な不調が無い事が分かった時点でスランの検査が始まった。
スランは水晶に三色の光を灯す事が出来た。
大人達は大いに喜んだ。
スランも嬉しかった。
しかし、その後の検査技師の言葉がスランを凍り付かせた。
「そろそろ二人目の検査をしましょう」
ギークの検査が無かった事にされていた。
スランは凍り付いたまま何も言えなかった。
検査の結果、ギークに魔法適性は無い事が明らかになった。
スランはこの時初めて自分の異常性の一端を認識した。
スランが十五歳の夏。
スランは村を離れ王都の魔法学校へ通っていた。
王国中から魔法適性のある者が集められ、この魔法学校で教育を受けていた。
この頃のスランは自分の能力をある程度まで把握していた。
その日もスランは自室で実験を行っていた。
スランは筆を折ると、能力を発動させようとした。
筆は変化しなかった。
スランは秘密の手帳を開いた。
そこにはスランの能力に関して分かっている事が書かれていた。
●影響を及ぼす対象は、私が否定した事象或いは物品。
●能力の発動を意識しない否定であっても、強い願いであれば能力は発動する。
●発動した能力は現実を改変する。大抵の場合否定的な存在が無かった事にされる。
●代償を伴う。多くの場合私の身体的不調。それは私の死を伴う可能性がある。
●能力のコントロールはある程度可能。コントロール可能なのは対象と代償。発動内容は前例を再現する方式でのみ制御可能。
スランは最後の一行に筆で「●代償が軽すぎる場合は能力の不発を招く」と書き足した。
十八歳の春。スランは魔法学校を主席で卒業した。
その結果に対して能力は関わっていない。
能力を使わなくとも望みを叶えられる実力を欲したが、事象の否定を含まないその望みは能力を発露させなかったのだ。
その頃のスランは周囲から鉄仮面と呼ばれていた。
能力の発露を防ぐ為に極力感情を殺していた為だ。
スランはその後十九歳にして筆頭魔法使いまで上り詰める事になる。
歴代最年少の筆頭魔法使いの元に勇者が訪れるのは三年後の話である。
スランが二十歳の時、神殿の巫女が魔王の復活を感知した。
神殿は即座に魔王の復活と同時に発生している勇者を探し始めた。
間もなく勇者は確保され、二年の教化を経て表舞台へと現れた。
その代の勇者は齢十七と歴代最年少であり、前例の無い女性勇者であった。
スラン二十二歳の夏。
スランは勇者から熱烈な誘いを受けていた。
「スラン筆頭魔法使い様、是非魔王討伐のお力添えを!」
さて、ここまでスランと言う男の生涯について簡単に語って来た。
その内容は現実改変能力に関連する事に終始していたのだが、ここに来てスランの人間性について語らなくてはならないだろう。
スランと言う男は、非常に愚直で誠実な男だ。
現実改変能力を自覚してからも力に驕る事無く、その危険性を正確に把握して自制出来る男だ。
魔法学校では勤勉さを発揮し、主席の座を守り続けた。
さて、そんなスランだが、欠点も幾つか所持している。
その内の一つが女性耐性の低さであろう。
「――是非!!」
勇者のおっぱいが大きい。
ただそれだけの理由だった。
魔王を探す旅はある程度までは順調であった。
勇者シャル。外面も内面も美しく強い女性。
騎士ヌルグ。戦闘狂でありながら騎士道を忘れぬ好漢。
神官ミレヌ。神にその生を捧げた高潔な高位神官。
そして、魔法使いスラン。現実改変能力等無くとも、人類では彼に敵う者は居ない。
そう、人類には。
その日は遂に訪れた。
魔王城の近隣まで潜入した勇者一行に、魔王の側近自ら軍を率いて襲い掛かったのだ。
魔王軍の数約七百。敵将は魔王の側近ィガッェ。
勇者一行は魔王軍五百余りを打ち取った。その過程で騎士ヌルグと神官ミレヌはほぼ戦闘不能となっていた。
傷だらけで疲弊した勇者一行に対して、それまで後方で静観していたィガッェが動いた。
魔王軍は全滅した。
残っていた二百はィガッェの吐いた火炎の息で燃え尽きた。
この時点で勇者一行に死者が出なかったのは魔法使いスランが居たからだ。
残り少ない魔力で展開した障壁は勇者一行を守り切った。
スランが倒れ伏す。魔力切れを起こしたのだ。
満身創痍の勇者シャルと、余力有り余るィガッェは向かい会う。
スランの発した「逃げろ」と言う言葉は勇者シャルには届かなかった。
届いていたとしても、勇者であるシャルは逃走を選択しなかっただろう。
その勝負にもならない勝負は即座に決した。
ィガッェの剣が、勇者シャルの左胸を貫いた。
スランはその光景を否定した。
世界樹の守り。
その代の勇者一行が幾度と無く窮地を脱したのはそのアイテムのお蔭だったと伝わっている。
それは善神からの授かり物であり、装備した物が致命傷を負った際それを無かった事にして救うアイテムである。
スランは失った右目を右手で確認しながら、左目で肘から先を失った左腕を見た。
騎士ヌルグから生き残れた理由を聞いたスランは、鉄仮面の下で酷く落胆した。
現実改変能力を使ってしまった事に、落胆した。
それまで世界樹の守りと呼ばれるアイテムは存在しなかった。
それが右目と左腕を犠牲にして創造されたアイテムだとスランは悟った。
同時に安堵していた。勇者シャルを失わずに済んだ事を。
「目を覚まされたのですか!?」
部屋に入るなり僅かに涙を湛えた両目を見開いて、口元を手で覆って大きな声を上げたシャルを見て、スランの落胆は彼方の果てへと吹き飛んだ。
魔王城。
その入り口に勇者一行は辿り着いた。
その過程で何度も勇者シャルは死んだ。
魔王軍は執拗に勇者の命を狙って来たのだ。
しかし、勇者シャルの死を知る物はスランだけだ。
スランは勇者シャルの死を何度でも否定した。
右目と左腕を犠牲にして造りだした世界樹の守りを何度も活用した。
製造方法も入手方法も不明な世界樹の守りだが、既にこの世界に存在している事になったアイテムを出現させる事は容易だった。
世界樹の守りが勇者シャルを救ったと言う前例を繰り返し再現したのだ。
毎回同じ代償で勇者シャルは生き返る。
スランは魔王城を前にして心を落ち着かせながら、左腕の義手を右目の義眼で見た。
オリジナルの世界樹の守りを生み出す代償として消費した左腕と右目は現実改変能力を使っても戻る事は無かった。
そのままでは戦闘に差し障るので、スランは魔法具の義手と義眼を作成して装備していた。
魔力の流れを見る事を可能にする義眼と、魔力を掴む事を可能にする義手。
それをもってしても勇者シャルは後何度死ぬのだろうかと、スランの頭にそんな思いが浮かんで消えた。
「行きましょうか」
スランは穏やかな声音でそう言った。
その後の激闘で勇者は十三回命を落とし、スランはその全てを拾い上げた。
スランが勇者シャルの命を拾った回数は、七十八回に上った。
凱旋式は華々しく執り行われた。
主役は歴代最年少にして初の女性勇者シャル。
横に並ぶのは精悍な騎士ヌグルと高潔な神官ミレヌ。
そして、歴代"最高齢"の筆頭魔法使いであるスラン。
勇者一行のその後に関しては様々な逸話が遺されている。
勇者シャルは王子に見初められた。貴族の血を引かぬ王女は後にも先にも勇者シャルだけである。恋物語と言えば勇者シャルと言われる程だ。
騎士ヌグルは後の元帥ヌグルその人である。齢百を超えても尚現役で敵を斬り続けたその雄姿は数多の物語となり後世へ語り継がれている。
神官ミレヌはその後神殿へと戻ると、用意されていた出世の道を辞して孤児院の院長へ転身する。慈悲深いミレヌの様は模範となる姿として後世に語り継がれる。
これら三人の物語が数多く語り継がれているのに対して、筆頭魔法使いスランのその後は殆ど知られていない。
断片的な記録から俗世を捨て東方の山脈へ向かったとされるが、その理由に関しては不明である。
唯一手掛かりとなりそうなものはミレヌの日記に書き遺された言葉だけである。
それによれば、スランは俗世を捨て東方の山脈へ向かう理由を「近くに居れば改変してしまうし、帰る場所も無いから」と説明したとされる。
その真意に関してミレヌは分からないと書き残している。
また、スランの出生に関しては不明瞭な点がある。
魔王討伐時のスランは齢九十と高齢であった。
王都の出生記録にはスランが貴族の出である事を証明する記録が残っている。
しかし、スランが貴族であったと言う資料は出生記録の他に何一つ残されていおらず、スランの貴族としての姓や、その血族に関する記録は一切残されていない。
スランと言う人物がどういった人物だったのか、その生家はどの様な貴族だったのか。後世に遺された情報は異常なまでに少ない。
ただ、ヌグルが親しい友へと宛てた手紙に興味深い事が記されていた。
曰く、スランはシャルに懸想している、と。
八十歳離れた、親と子供どころか祖父と孫程離れたシャルに対してスランが抱いたとも思えない感情。
手紙は魔王が討伐される半年前の物である事が分かっている。
無かった事にしてしまう。
何か便利そうな能力ですよね。
因みに現実改変能力と聞いてSCPを連想した方、正解です。
思い付きかつ突貫工事的な短編ですが、楽しんで頂けたのなら幸いです。