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画家とヒマワリ

 連続の破裂音。

 『ヴェルデ団長お疲れさまでしたー!』

 満面の笑みで声を揃える三人を、ヴェルデは紙くずまみれになりながら呆然と見ていた。

 

 本格的に夏が始まった。

 毎日強い日差しがジリジリと照りつけ、道行く人々は皆、ハンカチを頬や額に当てながら歩く。

 通りや広場に据え付けられた花壇の花も、濃くハッキリとした色が瞼の裏に焼き付くようだった。

 そんな頃、騎士団が抱えていた近隣諸国とのいざこざは、何とか大事にならずに終結した。

 その報を受け、トロイ、ハイド、エミリアの三人は、ここ数ヶ月働き詰めだったヴェルデを労うための食事会を開くことを決めたのだった。


 「もうちょっと喜べよなー」

 「良い歳したオッサンが壁も床も天井も薄い部屋で騒げるかよ」

 キッチンで鍋をかき回しながらハイドが唇を尖らせると、ビールのジョッキを持ったヴェルデは苦々しく返す。

 近くに座っているトロイとエミリアは、その様子を見て楽しそうに笑った。

 「そう言えば、また来週から飯作りに行く?」

 「おま、あんまそう言う話人が居る前ですんなよ」

 「良いじゃん、二人とも知ってんだし」

 なあ、と首を傾げてハイドがトロイとエミリアを見ると、にこりとヴェルデに笑いかけて頷く。

 ただ、その慈愛に満ちたような笑顔はやたらとわざとらしく、ヴェルデは頬をひきつらせた。

 「ほい。トマトと鶏ササミの冷製スープパスタ」

 しばらくすると、ハイドは大皿を持って皆の居るテーブルに近付く。

 テーブルには既に所狭しと料理が並んでいたが、何とかスペースを作ってパスタを置いた。

 「おー。さっぱりメニューだ」

 「あともう一品つまみになるもん作るから、先食ってて良いぜ」

 「まだ作んのか?」

 「これで最後。直ぐ出来るよ」

 良いながら、ハイドは手早くフライパンを振るう。

 久しぶりに見るその姿をぼんやりとヴェルデが眺めていると、不意に、何も乗っていない一枚の皿が差し出された。

 「ヴェルデ団長はどれにします?」

 取り分けます、とエミリアが首を傾げる。

 ヴェルデは今一度テーブルの上を見渡した。

 様々な種類、大きさの皿が置かれているが、やたらとパスタが多い。

 最初に見た時それに気が付いてハイドに理由を聞いたところ、

 「好きだろ? パスタ」

 と返されて頷くしかなかった。

 「じゃあ、奥のクリームソースのやつを貰おうか」

 「かしこまりました」

 「何かヴェルデ団長がクリームソースって可愛いですね」

 「ああ!?」

 「ほーい、最後の料理だぞー」

 クスクスと笑うトロイと彼を睨むヴェルデの間に入って、ハイドがテーブルに料理を置く。

 すると、ころりと表情を変えてトロイが身を乗り出し、その料理をのぞき込んだ。

 「それ何?」

 「白身魚の刺身にオリーブオイルで炒めたキノコ乗せたやつ。簡単だけど、結構美味いよ」

 そう良いながら、ハイドも自分の席に腰掛けた。

 エミリアがヴェルデにクリームソースのパスタをよそった皿を渡し、トロイも好きな料理を皿に盛っていく。

 ハイドがスープはまだ余っている事を告げた。

 「しかし、随分豪勢だな。招かれた側が言うのもアレだが、やりすぎじゃねえのか?」

 クリームソースのパスタに手を付けながらヴェルデが言う。 

 それを聞いて、作り手であるハイドは少し笑った。

 それから、少し考えるように間を空けて、

 「……実はさ、絵が売れ始めたんだ」

 「え……」

 「ホント? 凄いじゃん」

 トロイが言うと、ハイドは少し照れくさそうに笑った。

 「一ヶ月くらい前かな。知り合いの伝手で小さい展覧会に絵を飾ってもらったんだけど、中流階級区に住んでるお年寄りの夫婦が気に入ってくれたらしくて。この前絵を何枚か持って家に行ったら、いくつか買ってくれたんだ」

 今回の材料費はそこから、と、ハイドはまた笑った。

 「二人は風景画が好きなんだって。足があんまり良くないらしくて、遠出が出来ないから、風景画を見るんだって。風景画は自分たちを何処までも連れて行ってくれるって、そう言ってた」

 「素敵ですね」

 エミリアが微笑むと、ハイドも嬉しそうに頷いた。

 「何か、二人と話すの楽しくてさ、いらんことまで喋っちゃって。毎年夏は街の外のひまわり畑に行くんだって言ったら、是非見たいって」

 「良いじゃん良いじゃん。俺も見たいな、ひまわりの絵」

 「お前は自分で行けるだろ。場所くらい教えてやるよ」

 「ハイドの絵が見たいんだヨ。エミリアは見たことある? ハイドのひまわり」

 「ええ、何度か。でも、油絵は見たことがありませんね」

 「スケッチブックに色鉛筆で描いてばっかりで、カンバスには全然描かないからな。でも、今年は油絵も描いてみるか」

 ハイドが言うと、トロイとエミリアは楽しみだと笑った。

 「ヴェルデ団長も楽しみですよね。ハイドのひまわり」

 トロイがそう言って、考え事をしていたヴェルデはハッと顔を上げる。

 「あ、ああ……。そうだな」

 ちらりとハイドを見ると、エミリアと何かを話して笑いあっていた。

 

 その翌週のことだった。

 「ハイドが来ない?」

 「ああ。今日が飯を作りに来る日なんだが、いつまで待っても来なくてな」

 夜にヴェルデが路地のレストランに行くと、ステージを終えたばかりのエミリアと出会った。

 珍しくトロイが不在で、ヴェルデとエミリアは二人で食事を取る。

 「飯の材料はいつもアイツが買ってきてたから、市場にでも居座ってんのかと思って覗いてきたんだが……」

 「教会前の広場の市ですか? この時間はもう、ほとんど閉まっていたのでは?」

 「おうよ。一応まだ店はポツポツ出てたから探してはみたんだが、居なくてな」

 「そうですか……。ハイドは、個人的な約束や時間にはゆるい方ですが、お客様との約束を放り投げたりすることは、今まで無かったはずです。遅れたりしても、必ず伺うとは思いますので、何処かですれ違ってしまっているかもしれませんね」

 「そうか……。まあ、結構長く間があいたからな。感覚が戻らなくて、忘れてても仕方ねえとは思うが……。さっさと帰ってみるかね」

 「それが良いと思います」

 そう言って微笑むエミリアを見て、ヴェルデはふと懐かしい何かを感じた。

 彼女と会うと、時折こういった感覚に襲われる。

 「……なあ、エミリア」

 「はい、何でしょうか」

 せっかく二人きりなのだ。ずっと気になってきた事を、聞いてしまおう。

 「お前は……」

 そう、ヴェルデが口を開いた時。

 「あっ!!」

 突然、店内に大きな声が響いて、ヴェルデとエミリアのみならず、他の客たちもビクリと肩を跳ねさせた。

 「ヴェルデ団長! エミリアに何したんですか!? 明日非番だからってハメ外し過ぎちゃダメですよ!」

 「何で『何かやった』が前提なんだよコラ!」

 思わずヴェルデが叫ぶと、入り口に立っていたトロイはムスッとした顔でこちらに向かってくる。

 客たちが、ああなんだ、とでも言うように食事に戻っていくのを感じて、ヴェルデは頭を抱えたくなった。

 「と言うか、何でヴェルデ団長、ココにいるんですか? 今日はハイドが行ってるはずじゃ……」

 「そのはずなんだが、いつまで経っても来なくてな。いい加減腹が減ったんでここまで来たんだ」

 「へえ……。珍しいですね。むしろ初めて?」

 「だな。エミリアに話聞いて、すれ違ったかもしれないから、さっさと食って、さっさと帰るつもりだ」

 「なるほど」

 席に着くトロイに一つ頷いて、ヴェルデはローストチキンの最後の一欠片とライスを口に運ぶ。

 ウェイトレスがトロイに水を持ってくるのとほとんど同時に飲み込むと、すぐに席を立つ。

 「ごちそうさん。んじゃ、行くわ」

 「お気を付けて」

 「おやすみなさい」

 食事代をテーブルに置き、二人に軽く手を振ってヴェルデは早足に店を出た。

 

 ヴェルデは行きと同じように街の中心部を通って、ハイドが居ないかを探しながら帰った。

 しかしそれらしき人物は見つからず、溜息を吐きながら一般民区と中流階級区の間の道へと入る。

 歩き慣れた道をずっと進み、気が付けば自宅の前だった。誰かが家の前に立っている気配も無い。

 ふと、嫌な予感が頭をよぎったのは、暗くてひっそりしたこの場所のせいだろうか。

 何か事件や事故に巻き込まれているのではないか。

 誰にも気付かれぬまま、何処かで倒れているのではないか。

 門を開けようとしていたヴェルデの手が思わず止まった。

 その時。

 「オッサン!」

 「!」

 背後から聞こえてきた声に、ヴェルデは勢い良く振り返った。

 等間隔に並んだ街灯の淡い光に照らされながら、こちらに走ってくるのは、

 「ハイド」

 「わりっ……遅れた……」

 どこから走ってきたのか、肩で荒く息をしながらハイドが言う。

 「もしかして……もう、飯食った?」

 「お、おう。路地のあそこで……」

 「あ、そ。じゃあ、帰るわ」

 「待て待て」

 フラフラとした足取りで踵を返そうとしたハイドをヴェルデは慌てて止めた。

 「んなフラフラで帰ったら危ねえだろうが。水でも飲んでけよ」

 そう言うと、ハイドが一つ頷く。

 それを確認して、ヴェルデは小さく息を吐きながら門を開けた。


 「道に迷った?」

 「んー、迷わされたって言うのが正しいかも」

 モグモグとサンドイッチを咀嚼しながらハイドが言う。

 昼食を取ったきり何も食べていないのだと水を美味そうに飲んだハイドに、ヴェルデは家にある物を好きに使って良いから何か食べるようにとそう言ったのだ。

 「今日は街の外のひまわり畑に行ったんだけどさ」

 サンドイッチを飲み込んで、ハイドは話し始める。

 「何か、今日は魔法使いとか魔女のちびっ子がいっぱい来てて、それで……」

 そこまで言って、ハイドがフッと苦笑した。

 「ヤンチャな奴が、ひまわり畑に迷いの魔法を掛けたらしくて」

 「迷いの魔法って……。子供でも扱えるものなのか?」

 「簡単な幻術だったら扱えるってエミリアに聞いたことはある。

 これは推測なんだけど、簡単な罠みたいな感じだったんじゃねえかな。本体を狭い範囲に設置して、そこを誰かが通ったりすると、同じ所をグルグル回らせるような魔法が発動する。と」

 「なるほどな……。お前はグルグル回ってたと」

 「回っちゃったんだなあ……」

 サンドイッチを全て食べ終えたハイドは、コップに残っていた水を一気に飲み干した。

 大きく息を吐いて、空のコップをテーブルにガツンと置く。

 「いやあでも、今回は冗談抜きで参った! どれだけ歩いてもひまわり畑の出口に近付けないし。周りに人が居るのは見えるんだけど、叫んでも声届かねえし。どんどん辺りが暗くなって、遊びに来てた他の魔法使いに見つけて貰わなかったら、ホントに壊れてたカモ」

 「お疲れさんだったな」

 頭を抱えるハイドにヴェルデが心の底からそう言うと、ハイドは疲れた顔で笑った。

 「結局あんまり数描けなかったしなあ。明日も行くかねえ」

 「そう言や絵描きに行ったのか。にしては身軽だな」

 「今日は良い場所探しとスケッチだけだから。それに、油絵を描くだけなら、荷車だって要らねえよ」

 そう言いながらハイドは床に置いていた大きめの肩掛け鞄からスケッチブックを取り出して、ヴェルデに差し出す。

 受け取って開くと、すぐに半透明で柔らかな色合いのひまわりが目に飛び込んできた。

 「これは、水彩か?」

 「そそ。良く知ってんじゃん」

 ケラケラと笑うハイドに、それぐらい知ってる、と返しながらヴェルデはページをめくっていく。

 一輪を大きく描いたものもあれば、小高い丘の上からひまわり畑全体を描いたものもあった。

 ヴェルデはその絵たちを見て、穏やかに微笑む。

 「優しい絵だな」

 その言葉に、ハイドは一瞬面食らったような表情をして、緩みそうになる口を何とか引き結びながら少し顔を伏せた。

 が、

 「お前と違って」

 「何だとコラァ!!」

 バンッ! とテーブルを叩いてハイドが立ち上がる。

 「返せソレ!」

 「まだ全部見てねえ」

 「関係ねえ! あー、ちょっとでも嬉しく思ったこっちがバカだった!」

 もう一度、返せ! と言って、ハイドはヴェルデの手からスケッチブックを引ったくった。それからフンッと鼻を鳴らして、それを鞄に押し込む。

 「ケチだな」

 「うるせえ。そんなにひまわりの絵が見たかったら、自分で描けヨ」

 ハイドはそう言って水差しの水をコップに注いだ。

 それを聞いたヴェルデはうーんと伸びをして椅子の背もたれに身体を預ける。

 「……まあ、お前の絵を見てると、描きたくなってくる気もするナ」

 「気もするって……」

 ハイドの呆れたような呟きには応えず、ヴェルデは天井を見つめて黙り込んだ。

 ハイドが首を傾げる。

 「オッサン?」

 「お前、明日もひまわり畑に行くんだろ?」

 「い、行くけど……。まさか……」

 「おう」

 頷いて、ヴェルデが身体を起こした。

 「俺も行くワ」

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