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団長と画家

 翌日、午前中に所用を済ませたヴェルデは、午後の間街を歩き回り、ようやく噴水のある広場の隅で絵を売っているハイドを見つけた。

 「あれ、アンタまた来たの?」

 目の前に立ったヴェルデに、ハイドは目を見開いてスケッチブックに滑らせていた鉛筆を止める。

 「てか、昨日も思ったけどアンタ仕事は? 騎士団長様なら訓練とかサ、あるんじゃねえの?」

 ハイドが言うと、ヴェルデは少し目を伏せて、

 「休暇中なんだヨ。訓練や細かい仕事は副団長たちに任せてある」

 「奥方が亡くなったから?」

 鉛筆をクルクルと回しながらストレートに切り込んできたハイドに、ヴェルデはグッと言葉に詰まる。そして僅かに顔をしかめた。

 「お前も大概遠慮がねえなあ」

 「良く言われるヨ」

 ハイドはそう言ってスケッチブックを閉じると、それでパタパタと顔を仰ぎながら少し考えるように空を見上げる。

 「…………アンタさ、奥方と愛し合ってた?」

 「は?」

 突然の問いかけに、ヴェルデはキョトンとハイドを見た。

 ハイドは目線を空からヴェルデに戻し、もう一度言う。

 「奥方と、愛し合ってた?」

 また、ヴェルデが言葉に詰まる。

 そして、

 「……俺は、愛し合っていたと、そう思う」

 ヴェルデがゆっくりと答えると、ハイドはふっと薄く笑った。

 「じゃあ、良いじゃんサ」

 顔を少し背けてそう言う。

 「良いじゃん、ってお前……!」

 軽すぎる返答に、ヴェルデは勢い込んで文句を言おうとした。

 しかし、

 「……!」

 横を向いたままのハイドの目がひどく寂しげなような、それでいて何かを諦めているような風に見えて、ヴェルデは口を閉じた。

 しばらくの間沈黙が続いたが、不意にハイドの目に光が戻る。

 隣のテーブルに置かれた灰皿に手を伸ばした。

 「吸って良い?」

 「ドーゾ」

 「ドーモ」

 ハイドが煙管を手に取り、刻み煙草を火口に詰めて日を着けた。

 一口吸って、それからフーッと煙を吐き出す。

 「……それも、あの髪の長い女に貰ったのか?」

 ヴェルデがそう言うと、ハイドの動きがピタリと止まった。

 目をパチパチと瞬かせながら、ヴェルデの方を見る。

 「何だ、見てたのか?」

 「昨日、偶々な」

 ヴェルデの言葉を聞いて、ハイドはふーんと軽く頷いた。

 くるりと煙管を回す。

 「この煙管は向こうの稼ぎで買ったやつだけど……腕時計はプレゼントされたやつ。財布は……たぶん貰った」

 「たぶんってお前……」

 「もう何年も使ってるから、色んなもんと混同して訳分かんなくなるんだヨ。貰ったやつだったら、くれた人はもう客じゃないし」

 「客じゃない?」

 「特別な事じゃないよ。来なくなるってだけ。何があったかは知らないけどネ。アンタが見たヒトは今の所一番付き合い長いよ。もう十年くらいかな……」

 「十年!? お前、としいくつだ?」

 「二十五」

 「二十五!? あの女は二十三くらいだろ!?」

 「だと思うだろ? あのヒト、十歳上」

 「はあ!?」

 ヴェルデが絶句すると、ハイドはケラケラと笑った。

 「ビックリだよなあ、元々背も低くて童顔なんだってサ。ちなみに旦那は結構有名な資産家」

 「だん……! 人妻かよ……」

 「言っとくケド、初めて会った時は流石に独身だったぜ? 結婚するって言うから、じゃあもう来るなよって、こっちだって言った。でも、来るんだよ。超上客だから店の方は助かるけどさ〜、相手する方は複雑〜。

 ……あ、これ、くれぐれも他言無用で頼むよ。じゃないと物理的に首が飛ぶから」

 「言う気も起きねえよ……」

 はあ、とヴェルデが深い溜息を吐くと、ハイドはクツクツと笑って、また煙管を吸う。

 あっけからんとした様子のハイドを見て、ヴェルデは少し考えた。

 「…………エミリアは、知ってるのか?」

 「エミリア? 何で?」

 「養ってやるとか何とかって、言ってただろう。他の女から流れてきた金で、女養うって?」

 ヴェルデが言うと、ハイドは煙管を灰皿に置いて苦笑する。

 「アンタ真面目だなあ。……エミリアは知ってるよ。それこそ、十年以上の付き合いだからな」

 「じゃあ……」

 「そんな怖い顔すんなよ。あんなの冗談だって、ジョーダン。何かあったら助けるぜってことだヨ」

 「…………」

 むっつりと黙り込んだヴェルデに、ハイドはまた苦笑した。

 それから、少し困った顔をして頬杖をつく。

 「なに? 人の仕事に文句ある人?」

 そう言うと、ヴェルデはハッと顔を上げる。

 しかし、すぐにまた厳しい顔でハイドを見た。

 「アンタが何言おうと、仕事は辞めないよ。これは、生きて好きなことをするために、自分で見つけた手立てだ。誰にも邪魔はさせない」

 真っ直ぐにヴェルデの目を見て、ハイドが言う。

 ヴェルデは、その瞳に確かな決意の光を見た。

 「じゃあ……」

 ヴェルデが言う。

 「じゃあ、俺がお前を買う」

 その言葉に、ハイドの思考はピシリと音を立てて停止した。

 「…………………………は?」

 たっぷりの間を取って、ようやくそれだけ絞り出す。

 すると突然、ヴェルデがハイドの腕を掴み、思い切り引き寄せた。

 抵抗も出来ずにハイドは立ち上がる。椅子が倒れてガタガタと音を立てた。

 「俺が、お前の夜の時間を買ってやる」

 


 「ぜっっっったい、中に入ってくんなよ」

 そうハイドが念を押すと、ヴェルデは確かに一つ頷いた。

 しかし、ハイドはジトッとした疑いの眼差しでチラチラとヴェルデを振り返りながら、本部の入り口へと向かって行く。

 二人がやって来たのは、歓楽街から少し離れた所にある住宅街からさらに外れた場所。

 あと数十メートル先には田畑や広葉樹林の森があり、緑地とレンガ造りの民家が混ざり合う、街の内と外の境界線のような場所に、その建物はあった。

 蔦の這う、くすんだ色をしたレンガの壁。

 見るからに重たそうな木製の扉を押し開けて、ハイドが中に入る。

 ヴェルデはもう一度、その館を見上げた。

 ここが、ハイドの所属する『そういう仕事』の本部らしい。



 「アンタ正気か!?」

 隅の方とは言え公共の広場ということもあり、ハイドは抑えた声で叫んだ。

 「正気に決まってんだろ」

 「いや。いやいやいや。どう考えたって頭沸いてんだろ!」

 ハイドはそう言って、腕を掴むヴェルデの手を振り払った。

 ふーっと大きく深呼吸をする。

 「……帰れ。営業妨害だ」

 「しなくたって客なんて来ねえだろうが」

 「あぁ!?」

 ギロっっとハイドはヴェルデを睨んだ。

 が、ヴェルデは顔を背けてその目をやり過ごす。

 「無理。今は女客専門で取ってんだよね」

 「支配人とかいう奴に変えてもらやあいいじゃねえか」

 「誰がそんなことするかっての。……だいたいアンタ、ソッチの趣味じゃねえだろ!?」

 「ああ、違うね」

 「じゃあ……!」

 何で。そうハイドが言う前に、突然、目の前に一枚の紙を突きつけられた。

 手に取ってそれを見ると、見慣れた名称と数字がいくつか。

 「これ……」

 「安過ぎんだよ。お前の絵」

 はあ……、と溜息を吐いて、ヴェルデが言った。

 「この量のカンバス、絵の具、筆に油の価格。油絵の平均制作日数とかかる手間。かかる費用をどんだけ削ったって、ココに並んでる絵の値札の合計にもならねんだヨ。しかも、売れねえもんなんだろ、こういう絵は」

 「……いちいち調べてんじゃねえよ……暇人か……」

 「暇なんだよ。休暇中でナ」

 「…………」

 口を閉じてむっつりとハイドは黙り込んだ。

 ヴェルデは黙ってその様子を見ていたが、しばらくするとおもむろにハイドの被っていた帽子を取り、頭に手を置いた。ワシャワシャと髪をかき回す。

 「っ……! やめいっ!」

 バシッと音を立てて、ハイドがその手を振り払い、帽子を奪い返す。

 「困った時に助けたい友達が居るんなら、まず自分がちゃんとした場所に居ろ」

 「別に、雇われてる所は変な場所じゃねえよ」

 「だとしても、夜中にあの辺りに居たら何があってもおかしくない。あのレストランだって昨日みたいなことがあるんだ。共倒れになっちゃ元も子も無えぞ」

 「…………」

 また、ハイドが黙った。今度は俯いて、何かを考えるように。

 「お前は絵を描けよ。描くのが好きなら、こんな中途半端に片足突っ込んでんな。全身浸かって、溺れ死ぬまで描けよ。それで本気の勝負しろ。ダメなら俺が買ってやる」

 「アンタが買うのかよ」

 「俺が絵が欲しいから良いんだヨ」

 ハイドが俯いたまま、ガシガシと頭を掻く。

 それから上を向いて、また下を向いて。

 考えて、考えて考えて。

 「…………そこまで言うなら、支配人に話してみるけどサ」



 しばらく待って、ハイドが館から出てきた。

 どこか不満げに唇を尖らせていて、ヴェルデが少し笑うと顔をしかめて睨んでくる。

 「もし本当にアンタに買われたとして、その時に入ってこなくなる今までの客からの料金と、その他諸々の損失を考えて、通常料金の倍額なら良いってさ」

 とりあえず一ヶ月分、と言って、ハイドが一枚の紙をヴェルデに差し出した。どうやら契約書兼請求書らしい。

 「こういうトコって、相場はどれくらいなんだ?」

 「んー……。ウチは普通より割高かもナ。でもぼったくりじゃないと思うよ。主なサービスってデートだけで、オプションも、臨機応変に対応はするけど、基本的に添い寝とか。でも、従業員の質は顔も中身もかなり高いと思うよ。

 言うなれば……上品な火遊び? 過激なことは困るけど、偶にカッコいい男の子とか可愛い女の子とちょっとドキドキしたいな〜。みたいな人向けってこと」

 「なるほどな……。やっぱりお前が抜けると痛手なのか?」

 「それなりにネ。結構古参だから、専属の客も多いし。あ、そうそう。もしそれにサインしても、一回は今の客と会うから。会えなくなること伝えないといけないし」

 「ま、それくらいは流石に許すヨ」

 ヴェルデはそう言うと、シャツの胸ポケットから一本の万年筆を取り出し、その契約書兼請求書に何の躊躇いもなくサインをした。

 正直、金額を見て諦めてくれるんじゃないかと期待していたハイドは、心の中で、チッ、と舌打ちをする。

 「料金はいつ払えばいいんだ?」

 「月の頭に半分払って、終わりにもう半分を払ってくれってよ。途中で契約を解除しても残った料金は払って貰うけど、十五日以内だったら残ってる半分の料金の、さらに半分で良いって」

 「案外まともな店じゃねえか」

 「変な所じゃないって、言ったろ」

 そう言って、ハイドは肩を竦める。

 だが直ぐに、真剣な表情でヴェルデを見た。

 「なあ、ホントに良いのかよ。天下の騎士団長様がこんなことしてさ。しかも、アパートのこととかさ」

 現在、ハイドに明確な家は存在しない。

 客とホテルに泊まるか、この本部の一室を夜だけ借りたりして夜を明かしている。絵の道具も、使わない時はここに置かせてもらっていた。

 それを聞いて、ヴェルデはハイドを買うことの他に、街の小さなアパートの一室を借りてハイドに使わせることも約束していた。

 静物画も描いてみろよと、そう言った。

 初めて会った時、静物画を描くのには場所が無いと言っていたのを、覚えていたらしい。

 「新聞社とかにバラすかもしれないぜ? とんでもないスクープだろ」

 「バラされたって別に良いさ。失うものは、もう何もねえ」

 「……フーン……」

 軽く首を縦に振って、ハイドは2、3歩足を進める。

 「それに、お前はそんなこと出来る器じゃねえしな」

 「がっ……。んだと!?」

 背後から聞こえた言葉に、振り返りながらハイドは拳を振り上げ声を上げた。

 しかし、すぐに拳を下ろして、ニッと笑う。

 「ま、大事な金蔓を失うわけにはいかないからなあ」

 しょうがねえなあ、と、ハイドが言った。

 ヴェルデは少し苦笑して、

 「せめてパトロンとかって言えよ」

 「厳つい顔して何言ってんだよ」

 「顔は関係ねえだろうが!」

 そう言うと、ハイドはアハハと笑って振り返り、ヴェルデを正面から見た。

 「んじゃ、ヨロシク。パトロンさんヨ」

 「こっちこそ頼むぜ。画家さんヨ」

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