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団長と隊長

 男性がそのレストランに入ると、夕飯時のためか席はあらかた埋まっていた。

 路地の奥まったところにひっそりと建つこの店の客は、大半が男だ。ヘトヘトになった仕事終わりに、安くて美味くて量のある飯をかき込みに来る。

 今日も今日とて明るい店内は男たちの野太い笑い声が響いており、申し訳程度に設置された小さなステージで演奏されているピアノの音はほとんど聞こえない。

 男性の来店を告げるベルの音も同じようにかき消されてしまったが、ウェイトレスの一人が男性に気が付いた。

 いらっしゃいませ! と声を張り上げ、料理の乗った盆を持ったまま空いている席を探して辺りをキョロキョロと見回す。

 男性も店内を見渡し、ふと見知った顔を見つけた。

 ウェイトレスに、あそこに座るとジェスチャーで伝えてからそちらに向かう。

 「あれ、ヴェルデ団長じゃないですか。どーもこんばんは」

 テーブルの前に立つと、椅子に座って何やら書き物をしていた青年が顔を上げた。

 肩より少し下まで真っ直ぐに落ちる黒い髪に、同じ色の瞳を持つ切れ長の目。

 線自体が細く、どこか実直で鋭利な印象を受ける整った顔立ちとは裏腹に、その瞳には相手をからかうような不思議な光を湛えている。三日月のようにつり上がる口も、その印象を強めていた。

 彼が、向かいどうぞ、と、椅子を示す。

 「おう。お前も飯か?」

 男性――ヴェルデが尋ねると、青年は一つ頷いた。

 「ええ。結構美味いですよ。ココ」

 「んなこた知ってるよ。こちとら騎士団に入ったときから通ってんだ」

 男性が言うと、青年は、これは失礼しました、と面白そうにケラケラ笑った。

 トロイ・ハースランド。

 それがこの青年の名前だった。

 彼はヴェルデが統率する騎士団の団員だ。

 常に飄々とした雰囲気を漂わせ、時に目上の相手であろうと小馬鹿にするような態度を取るが、どこか憎めない不思議な青年。

 入団はほんの数年前だが、独特の身体運びや、複数本の剣を曲芸のように同時に振るう他に無い剣術で瞬く間に頭角を現した。

 昨年の夏辺りからは、彼と同じ様な戦術に適正のある者を集めた特殊遊撃隊の隊長を任され、隊員たちの指導にあたっている。

 トロイの年齢はまだ二十代後半。

 異例の待遇に、初めは反対の声も多かった。

 しかし、ヴェルデは彼が必ず成功するだろうと信じている……というか、確信している。

 彼のような戦術を好む者は、彼と同じように多少の違いはあれ、クセのある、扱いに困る者ばかりだ。

 彼はそんな問題児たちを上手くまとめ上げ、来るべき時には、必ずこの国の騎士団を勝利に導いてくれる、と。

 トロイがテーブルに広げていた紙類を片付けると、ちょうど先ほどのウェイトレスがトロイが頼んだらしいカレーとスープ、そしてヴェルデの分の水を持ってきた。

 水を受け取ったヴェルデはミートソースのスパゲッティとサラダとスープを注文する。

 「うは〜。いっただきま〜す」

 パチンとスプーンを持った手を合わせてトロイはそう言うと、特にヴェルデの方を気にする様子も無くカレーを食べ始めた。

 「あ、お先でーす」

 「おせーよ」

 舐めてんのか、とヴェルデが言うと、トロイは何も言わずにケラケラと笑う。

 しばらくするとヴェルデが注文した料理も運ばれてきて、二人はどうでもいい世間話をしながら食事をした。

 その途中、不意にトロイが顔を上げて、店の隅にあるステージの方に目を向ける。

 ヴェルデもつられてそちらを見ると、一人の女性が舞台に上がってきていた。

 腰まで伸びる艶やかな金色の髪を持ち、少し垂れ気味の丸い目の瞳は澄んだ水色。

 その瞳と同じ色の、身体にぴったりと添うドレスが見せる曲線はなかなかに魅惑的だった。

 女性はゆっくりと舞台に上がると、先ほどまで居心地が悪そうにピアノを弾いていた男性に数枚の紙を渡し、一言二言、言葉を交わすと、くるりと客たちの方へ向き直る。

 ヴェルデはヒョイと片眉を上げた。

 「おいおい、まさかココで歌おうってのか?」

 「みたいですねえ」

 トロイがそう言った時、ピアノの男性がポロポロと伴奏を始めた。

 舞台に現れた彼女に気付いて、何だ何だと目を向けるものもちらほら居るとはいえ、相変わらず店内はガヤガヤと騒がしい。

 歌ったところで意味があるのか。

 そう、ヴェルデが思ったときだった。

 『!!』

 彼女が歌を紡ぎ始めた瞬間、店内の人間が一斉にステージを見た。

 トロイが頬杖を着いてどこか楽しそうに笑うのが見える。

 ゆったりとした曲調のバラードだった。

 彼女の声量は圧倒的で、それでいて声は満月の銀の光を湛える泉のようにどこまでも澄み渡り、時に冷たく鋭く、時に温かく包み込むように、店内を満たしていく。

 聞いたことのない歌だ。どこか遠くの国の、古い歌だろうか。

 ヴェルデがハタと気付いた時には演奏は終わっていて、ピアノの男性が次の曲を弾き始める頃だった。

 次の曲は、一曲目とは打って変わって陽気でアップテンポな曲。

 ステージの上の彼女は楽しげにステップを踏み、時にくるくると回ったりしながら弾んだ声で歌う。

 誰からでもなく手拍子が始まり、歌声とリボンのように絡まった。

 それから、彼女はあと三曲を歌い、全ての曲が終わった時には、店内は歓声に包まれた。

 拍手が溢れ、あちこちから指笛の音が上がる。

 彼女はニコニコと笑いながらステージを降り、ゆっくりと客席の間を歩き始めた。

 彼女がさり気なく両手を客たちの方に差し出すと、その手には紙幣や硬貨が次々と渡されていく。

 その度に彼女は妖艶な微笑みや投げキッスを飛ばし、男たちはさらに沸いた。

 そんな光景にヴェルデが苦笑いしていると、次第に彼女がこちらに近付いて来るのが見えた。

 ヴェルデは少し考える。

 男でも女でも媚びを売るだけの人間は得意ではないが、彼女の歌声の素晴らしさは本物だ。自分はあの歌声に衝撃を受け、純粋に感動した。そのことに対する賞賛を、彼女に送るべきだろう。

 そう判断したヴェルデは椅子に掛けていたコートのポケットから千リジュー紙幣を取り出し、やってきた彼女に差し出した。

 彼女はそれを受け取るとヴェルデに向かってにこりと笑いかけ、それから投げキッスを飛ばす。

 ヴェルデはまた少し苦笑しながら、今度はトロイに目を向ける彼女を見た。

 二人は目が合うと互いに微笑み合い、次に頬杖を着いていたトロイがゆっくりと身体を起き上がらせた。

 トロイはヴェルデと同じように、椅子に掛けていた上着のポケットに手を突っ込んで中身を漁る。

 そして。

 「お!?」

 はい、とトロイが笑って彼女に渡したものを見て、ヴェルデは目を見開いた。

 それは先ほどヴェルデが彼女に渡した千リジュー紙幣よりも、サイズが少し大きく、書かれている数字もゼロが一つ多い、一万リジュー紙幣。

 これは彼女も予想外だったのか、目を見開いてパチパチと瞬きをした後、ようやくぱっと顔を輝かせてそれを受け取る。

 それから彼女は少しかがみ、自分の顔をトロイの顔にぐっと近付け、そしてついに、ちゅうっと頬にキスをした。

 ヴェルデも含め、周囲の客たちがどよめく中、トロイは余裕そうにそれを享受し、さらに顔を離した彼女の頭を一度ゆっくりと撫でて見つめ合う。

 美男美女のどこか手慣れた感じのする一連の動作はむしろ迫力すらあって、ヴェルデは口の端をひきつらせながら上半身を後ろに引いた。

 ヒラヒラと手を振って、トロイがバックヤードに帰って行く彼女を見送る。

 店の隅のカウンターの横にある扉に彼女が消えると、トロイは上機嫌で赤ワインを飲んだ。

 「お前酔ってんのか?」

 「え? まさか。自分で言うのもアレですけど、俺結構強いですよ?」

 ケラケラといつものように笑うトロイを見て、ヴェルデはさらに苦笑い。

 しかし、

 「お前、女に興味あったんだな」

 以外だわ、とヴェルデが言う。

 いつも軽い雰囲気を漂わせているトロイだが、浮いた話は一つも聞かない。

 彼が指揮をとる遊撃隊の隊員たちに聞いても、たびたびやって来る町娘たちからの告白は全て断っているそうで、泣かせた女は数知れないらしい。

 夜に街中で声を掛けられることもあったが、全て興味なさげにあしらっていたとか。まあ、街で男に声を掛けて回っている女たちと彼女とはまた少し違うが。

 そんな事を思っていると、トロイがククッと楽しそうに笑った。

 「まあ、興味ないものはとことん興味ないですけどね。でも……何かに執着すると、周りが見えなくなる事はあるかもしれないです」

 そう言って笑うトロイの顔は限りなく楽しげで、そして限りなく怪しかった。

 彼のことを末恐ろしく感じつつ、ヴェルデはウィスキーの入ったグラスを口に運ぶ。

 と、その時、カウンターの横の扉が静かに開いたのが見えた。

 出てきたのは、先ほどのドレスよりさっぱりとした、けれどやはり町娘たちよりも華やかな格好をした彼女。

 トロイもヴェルデの視線に気が付いたのかそちらに目を向け、二人で彼女の行方を観察する。

 彼女が向かったのは扉のすぐ隣にあるカウンターだった。

 そのカウンターの一番奥。照明の当たり辛い暗い場所に、人影があった。

 彼女はそこ近づき、人影もそれに気が付いたようで、彼女の方を向く。

 ヴェルデはその横顔を見て、おや、と思った。

 「あいつは……」

 「……?」

 ヴェルデの呟きにトロイがこちらを向く。

 その瞬間、ガチャンッ! とガラスの割れる音が店内に響いた。

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