イドノナカ
「おじいちゃん虫取に行ってくるね!」
「あぁ、洋一行っておいで。5時までには帰ってくるんじゃぞ」
おじいちゃんは笑顔でそう言った。
ボクは夏が好きだ。なぜなら田舎のおじいちゃんちに行けるからだ。
地平線まで続く田んぼと森。ボクはこんな世界が大好きだ。
「洋一ちょっと待ちなさい。これを…。」
そう言っておじいちゃんはボクに何かを手渡した。
「おじいちゃんなにこれ…?」
「木人札じゃよ。この地方に伝わるお守りじゃ。無事に帰ってくるようにという思いが込められているから捨てたりしちゃダメじゃぞ」
「捨てたりなんかしないよ。おじいちゃんありがとう!それじゃ行ってくるね!」
そう言ってボクは走りだした。
「う~ん、どうしよう…」
ボクはため息をついた。
珍しそうなトンボを追ってかなり森の奥まで来てしまったのだ。
「5時までには戻らないと…。開けた場所にさえ出れれば…あぁ、のどがかわいた。水筒持ってくるんだった…」
そうつぶやきながらボクは歩きだした。
「ん?あれは…?」
20分ほど歩いた時だ。目の前に井戸がある。
古そうな井戸だ。
井戸を見た時、もしかしたら水が飲めるかもしれないという思いがボクの脳裏をよぎった。
「きれいな水なのかな…?」
そう思いながら井戸に一歩ずつ近づいた。
井戸の前まで来た時だ。急にボクは井戸に恐怖を感じた。
なんだか覗いてはいけないような気がする。
「ただの井戸だ。怖くなんかないさ」
そう自分に言い聞かして井戸の下を見た。
暗い…。かなり深い井戸なのか底が見えない。
「こんなに深いんじゃ水飲めないな…」
ボクは諦めてまた歩きだそうとしたその時だった。
「イドノナカ…。イドノナカ」
聞こえた。空耳なんかじゃない。
低い…。低い声だ。とてつもなく…。
「だれ?」
ボクは恐る恐る振り返った。
誰もいない。この場所にいるのはボクだけだ。
ひょっとしたら気のせいなのかもしれない。
いや、気のせいであって欲しい。
「イドノナカ…。イドノナカ。ミテミテミテ」
まただ。聞こえた。
確かに聞こえた。
「井戸の中見て?誰かいるの?」
ボクは井戸を覗きこんだ。
「ミタネミタネ。キテキテ…イドノナカ。ズットズット……ネ?洋一君!!!」
その時だ。暗い井戸の底から緑色の手が伸びてきて勢いよくボクの頭をつかんできた。
「ギャー!」
ボクは叫んだ。そして井戸に落ちまいと全身の力を足に込めた。
冷たい…。冷たい手だ。
まるで井戸水のような冷たさだ。
「いやだ…。はなせよ!」
その時だ。一瞬、手の力が弱まった。
ボクはそのチャンスをのがさまいと思いっきり手を振り払って一目散に走って逃げた。
その後のことはあまり覚えていない。
気が付くとボクは道に迷った最初の場所に立っていた。
「おじいちゃん~!」
ボクは泣きながらおじいちゃんに抱きついた。
「どうしたんじゃ?洋一?ケガでもしたのか?」
ボクは今日体験したことをおじいちゃんに話した。
「そうか…。洋一会ってしまったんだな…。木人札もってるか?」
おじいちゃんに言われてボクはズボンのポケットに手を伸ばした。
ない…。どこにも。走ってる時、落としてしまったんだろうか?
「ないのか。良かった…。仏様に感謝しないとな。さっ中に入りなさい。お腹空いたろう?」
おじいちゃんは笑顔でそう言った。
あの出来事から25年がたった。ボク、いやオレは今年で35歳になった。
大人になって知ったことだが今から50年前、ある男の子が森に虫取に行って行方不明になったそうだ。
村の人総出で山を探したのだが結局男の子は見つからなかった。
村の人々は噂しあった。
神隠しにあったのだと。
その話を聞いた時、オレの脳裏にあることがよぎった。
いや、これ以上考えるのはやめよう。
なぜならどのみち考えても答えはわからないのだ。
「お父さん!虫取に行ってくるね!」
息子の悟が玄関で靴を履きながらそう言った。
「いや…。悟!今日は家で遊びなさい!父さんとテレビゲームでもしよう…。な?」
「え…。なんで!?田舎のおじいちゃんちに来てるのに?外で遊びたいよ!」
「ダメだ。木人札もないし…」
「お父さん木人札って何?オモチャ?」
「ハハハッ…。父さんの独り言だよ。さぁ、テレビのある部屋にいこう」
オレは息子の悟に笑顔でそう言った。