第三十四話・外伝『虎牢関の戦い』
遅くなってしまってすいません。
ちょっと本編行き詰まっているので外伝とか。
虎牢関。
漢王朝を守る最大の要塞にして難所。
これは一刀が長安に入城した一日前に起きた話だ。
――何故、貴様達は戦う!
――何故、今の宮中に従う!
両軍の兵達が激突し、しかし問いかけられる言葉はすれ違う。
剣戟、そして大地を染める朱。虎牢関の戦地は多くの戦士達がその魂を散らしていた。
戦乱の中で、攻め手。先陣を進む一軍がある。
緑の鎧に統一された軍だ。牙門旗は劉の文字。
その旗の下。多くの兵に囲まれた柔和な少女が高らかに宝剣を掲げる。
「天子様を助ける為に!愛紗ちゃん、鈴々ちゃん!」
「はっ」「了解なのだ!」
主の命に珠玉の二将が武具を持って陣を離れた。
艶のある黒髪を靡かせ、戦場を駆ける一人。
短髪。小柄な矮躯にしかし、巨大な蛇矛を持つ少女。
二人の姿が陣中に埋もれ、しかし君主である彼女は眉を潜ませてた。
「また、この感じ……」
「桃香様?」
傍ら、自身の幼い軍師が小首を傾げて尋ねてくる。
安心させるように笑みを作って、しかし徐州牧、劉備。真名、桃香は心中に思う。
――天子様を助ける。大義名分は、あるよね。でも――この気持ち悪さは、なに?本当にこの戦が、私の目指す皆が笑って暮らせる世に必要な戦なのかな?
袁紹の檄文を見て挙兵に応じた彼女だ。
確かに宮中に潜ませた軍師の間諜の報告は、宮中での宦官達の横暴、民への重税。天子をないがしろにした統治と――裏付けは取れている。同時に解放も求める声もある、と。
だが、袁紹の檄文には、董卓は利権を求めて軍を起こした、とあった。
なのだが目の前。実際に西涼の兵を前にした感情が違った。
まるで、何かを訴えるように。砕かれ、砂に塗れ。しかし歩をとめず、一月以上この軍勢に対して抵抗している。
桃香の軍勢は叩き上げだ。
黄巾党の乱が発生した以降、義勇兵を起こし、各地を転戦してきた。自身を皇室の末席を謡い、全てを救うと宣言した彼女は、最初は弱小故に侮られたが、しかし今は行動と実力で大陸に認められるものである。
だからこそ、欲望に従う黄巾党の兵達と、目の前の西涼の兵を相手にした時の明らかな違いを彼女は見抜いていた。それはとある外史の彼女にはない――云わば戦によって培われてきた天性のモノだった。
「でも、私達は退けない。この先で、苦しんでいる人たちがいるって、分かっているから――だから、朱里ちゃん、雛里ちゃん!」
「はい!鈴々ちゃんを中心に陣を前に押し出しますっ」
「騎馬隊は遊撃しつつ愛紗様に続いてくださいー」
声に陣中で二つの反応が帰ってくる。
それは戦場に似つかわしくない可愛らしい娘達だ。
自身の至弱を知り、故に敵を打倒し至強を狙う。
それこそが彼女たちの軍のあり方。
「みんな頑張って!弱き人を助け、大陸に平和をもたらすために!」
故に桃香は、省みない。
己が手で、強い者より虐げられている人達を助けると決めた。
自分が出来ることは決して、無駄なことではないと。
だからこそ、彼女は多くの人々を救い。
それより少なく、しかし数多の人々の命を奪う。
反することは分かっている――分かっていながら、彼女は剣を振り上げた。
歩みだした劉旗は、止まることはない。
◇
攻め手の中曲。一際ゆったりと軍を動かす隊がある。
その本陣。自身の髪を弄りながら、不満気に頬を膨らます女傑がいる。
抜き身の刃を想像させる瞳。陽に照り返るしっとりとした肌。脚から胸まで、女の妖艶な魅力を全て濃縮したような肢体だ。
彼女の名は孫策――真名を、雪蓮という。
江南に勢力を持っていた孫堅の娘だ。しかし、母親が没し凋落した今は、一帯を支配する袁術の配下となっている一将に過ぎない。
だが、彼女の配下。数は少ないが南方の覇王と呼ばれた孫堅より乱世を駆けた名将達が侍ている。
今、彼女の傍には軍師に漢王朝名門、古くは後漢書に載る周栄を祖先に持ち、従祖父の周景は大尉にまでなった周家の長、周瑜。孫堅の代より歴戦を司ってきた宿将、黄蓋が立つ。
とある事情によって揚州に他の将や妹を残してきているが、しかし孫家の勢いは主家である袁術より諸侯から注視されていた。
「今日は劉備が先陣ね。ねえ、冥琳。いつまで私達は本気を出さないのー?」
「我侭を言わないで頂戴、雪蓮」
周愉、真名を冥琳。雪蓮に負けず劣らずの容姿を持つ彼女は、黒髪を靡かせながら知性を感じさせる瞳を戦地に向けた。
「私達の本当の戦はここではないわ。今は袁術の陣の後ろでゆっくりさせてもらいましょう」
「あーあ。つまんないわね。関羽や張飛が手も届く場所で目を張るような戦働きしてるのに……滾ってきたら今夜、相手してもらうからね」
「はいはい」
諫めるように流す冥琳に雪蓮はぷくうと頬を膨らます。
そんな彼女の背後で豪快に声が生まれた。
「はっはっは。全く、雪蓮様の戦好きには困ったものじゃ。悩みは尽きんのう、冥琳」
「祭様も笑っておられる場合ですか……」
豪快に笑うは黄蓋、真名を祭。
冥琳達の先達であり、雪蓮の母、孫堅より仕えた宿将だ。
肉感のある女としての熟れた魅力を豊満に備える彼女は、腕を組みながら一言。
「しかしなあ、冥琳。儂も武辺者よ。こうも素晴らしき武を見せられたら、血潮も若返るというもの。それを黙って見てろというのは、あまりにも無体な話よ」
「分かっておられることを聞かないでください……」
冥琳は頭痛を耐えるように額に手をやった。
「良いですか二人共。私たちがいますべきことは、実より名。損より益。今は少しでも袁術の力を削ぎながら良い所だけ持っていくことです」
「はいはーい。分かってまーす。可愛い妹や思春達を南陽に置いてきたんだもの。しっかり時間を稼いで、名前を売ること、でしょ。でも、ねえ?祭」
「うむ。勝ちの決まった戦ほど退屈なものはない」
彼女たちは既に戦の時勢を見抜いていた。
相手には万夫不当の猛将、呂布に神速の将、張遼がいる。
しかし初戦で同じ勇猛で知られる敵将、華雄は敗れ、いまじりじりと兵を失いつつある敵軍を、既に驚異とは捉えていなかった。
「そう言うのは止めなさい。貴女たち二人に手負いの虎の相手をさせる気はありません」
だからこそ攻め手の連合軍の諸将は恐れている。
呂布と張遼の最後の抗いを。
現在、先陣を押し付け合いながら、だらだらと長い戦が行われているのはその為だった。
「冥琳は本当に慎重なんだから――はあ。暇ね」
「そう言えば面白い噂を聞いたのう」
「噂?」
そんな感じで娯楽を求める雪蓮は祭のなにげない言葉に反応した。
「うむ。漢中の天の御使い、確か――北郷とか言ったか。なんとあやつ、西涼の馬騰の娘、馬超と協力をして一日で五胡の反乱を沈め、こちらに向かっておるらしいぞ」
「……は?」
「そんな、嘘でしょう」
一人は目を丸くさせ、一人は瞳を険しくさせる。
待って待って、っと雪蓮は視線を上にやって思案するように、
「五胡って確か今回は十万を超える大軍でしょう?それをどうやって一日で沈めるのよ」
「一つだけ方法はある。だが――」
言われ、雪蓮は冥琳に顔を向けた。
「本当に?」
「五胡は独特の制度を取っている。権力を王という一箇所に完全に集めることで、より速い意思伝達と判断が下せるようにな。私たちの漢みたいに官職もないから尚更だ」
「まさか」
「ああ。全てを囮にして王の首だけを狙う。それが可能ならば――五胡も散り散りになるだろう」
「つまり漢中の御使いは相手の文化圏を学習し、更にそれを可能とする軍事力はあるってことね」
「そして実行に移す胆力もだ。並外れた自信家か、それとも命知らずの狂信者か――どちらかでもない限り不可能だろう」
その場三人全員が息を吐く。
想像して生じた熱を吐き出すように。
最初に口を開いたのは冥琳だった。
「もちろん、馬家の協力もあった筈だ。しかし猪突猛進な戦法にしては随分と綺麗に事後処理が進んでいることを考えると――」
「面白いじゃない」
言った雪蓮を、冥琳は見た。
瞳を鋭く、英気を全身より発散させている。肌を突き刺すような殺気と威圧。笑みを見せながらも、南方の王はその喜色を隠そうともしない。
「ただの自称だと思ってたけど、十万の敵を下すなんて、驚いた。ううん、喜ばしいわね。そうだ、良いこと思いついたわ」
「聞くだけ聞いてあげる……」
「その北郷とかいう男。私たちの血に引き入れるの。天の御使いの血なら孫家は更に精強になるし、名前も売れるじゃない」
「漢中の一勢力の主よ。どうやって機会を作るつもり?」
「縁談でも作られるのですかな?」
言われ、雪蓮は満面の笑みを浮かべた。
「決まってるわよ。洛陽に来たら寝込みを襲って種を奪うの!」
無言で冥琳と祭は主の頭に手刀を叩き込んだ。
陣中に巨大な音が響き渡った。
◇
同じく中曲。
曹と書かれた牙門旗の下。青で統一された陣中では、綺羅星の如き将達が控えている。
その主である金髪の少女、華琳は先陣の戦を見て一言言った。
「さすがは劉備。良い戦をしているわね……」
「やはり侮れませんな」
傍らに控える妙齢の美女、秋蘭が静かに同意した。
彼女達の軍勢は華雄を破って戦果を上げた後、損害が大きかったと嘯いて後曲に甘んじていた。あの堅牢で知られる虎牢関。そこに篭る呂布、張遼の相手を正面からする気などなかった。
「しかしこの戦を始めて早ひと月以上。そろそろこの関を突破しないといけないわ」
「北郷、一刀ですね。男の癖に華琳様の心労を作るなんて……」
陣中で小柄の少女が言った。
華琳の軍を支える軍師の二翼の一対、軍師である桂花だ。
「私は楽しいわよ。覇道とは障害を乗り越えてこそ、見えてくるものがある。何より五胡の大軍を一日で破るなんて想像以上じゃない。だからこそ――倒す価値があるわ」
「さすがは華琳様!感服しました!」
秋蘭の姉、春蘭が黒髪を靡かせて同意した。
普段は猛将として知られる彼女も、華琳の前では恋する少女のように瞳を輝かせている。
だが次の瞬間には、その瞳は力を抱いた武将のソレに姿を変えた。
「つまりは、そろそろ私たちの出番という訳ですね?」
頷く華琳。
「ええ。そうなるわね。二人共、先陣を任せるわ。劉備と協力して、一気に押しつぶしなさい」
「その言葉を、待っておりました……いけるな、秋蘭」
「ああ。万全だとも、姉者」
阿吽の呼吸で、秋蘭が同意する。
彼女は主に頭を下げると、さっと陣より下がった。
その後ろには影を踏まぬように寄り添う秋蘭の姿があった。
陣より離れる二人を見て華琳が言う。
「頼もしいわね――さて、北郷の動きはどうなってるのかしら?稟」
言葉に陣中の白い幕が上がる。
現れたのは静かな物腰の少女だ。淡い茶の髪を揺らしながら、感情少ない瞳を主に向けていた。
彼女こそ華琳を支える軍師二翼のもう一対、郭嘉。真名、稟だ。
新参ではあるものの、その部隊統制。また間諜を含めた軍部の手腕は非凡な能力を持っている。
「北郷軍は順調に進軍。この調子で進めば近日中にも長安に入城するかと」
「長安ね。ふふ、なら少しは時間を稼いでくれそうじゃない」
「はい。急な行軍ですからね。将兵には休養が必要でしょうし、何より長安に潜む白蛇の子供が、獲物を前に素直に通すとは思いません」
「ならばよし。稟。後方の、真桜、沙和、凪の隊にも伝令を送りなさい。流流、季衣にも準備するように言っておいて。そちらの指揮は任せるわ」
「はっ。ご武運を」
指示を終えて、華琳は己の眼前に聳える関を見据えた。
「時代の流れに取り残された無用な象徴。ここで朽ちてもらうわ」
青の軍勢がゆっくりと土煙を上げて動き出す。
しかし奇しくもその動きに呼応した軍勢があった。
後に英雄の質がある華琳が、この戦での唯一の誤算と語ったこと。
それはこのタイミングで黄色の旗を掲げる袁旗――連合軍総大将、袁紹の陣が動いたことだった。
◇
「おーっほっほっほ!ようやく華琳さんが動き出したみたいですわね!」
最も後方に位置する陣で耳につんざく声が響いた。
いま左手を口元に当て、豊満な肢体とくるくると巻かれた金髪を揺らして笑う少女こそ、冀州の一大勢力を司る袁紹。真名を麗羽である。
この反董卓連合の発起人であり、今は無き何進大将軍と共に十常侍を捕殺しようと企んだ一人だ。
その豊富な領地と財力。そして三公を排出した家柄を合わせ、優に三万の軍勢を保有している。まさに反董卓連合の長に相応しい勢力だ。
「姫様が笑ってる……ああ、嫌な予感が」
その反応に配下。知勇兼備の将にして、薄幸の少女、顔良。
真名、斗詩が静かに嘆きの声を上げて。
「おお!じゃあ遂に動くんだな、姫様ー」
同じく配下。八重歯を輝かせて笑う少女、文醜。
真名、猪々子が瞳を輝かせた。
両極端な反応を全く気にせず、麗羽は胸を張った。
「ええ!もちろんですわ!あの性格の悪いちんちくりんが動き出したということは、今日、いまこの時が好奇に違いありません。この長くだらだらだらだらと伸びてきた戦もこれが最後ですわ」
「あのー。一応進軍するってこと曹操さんたちに伝えた方が良いんじゃないですか?陣形もありますし、ほら、私たち一番の大軍だし」
斗詩が進言した言葉を、麗羽は首を振って却下した。
「斗詩さんは分かっていませんわねえ。それじゃあ意味がないでしょう?」
「……?なんの意味ですか?」
「もちろん、華琳さんを驚かす意味ですわ!」
これには思わず、斗詩、猪々子の二人が眉を潜ませた。
「はい?」「え?」
「一番の好奇と思って攻めた時、その背後から私たちが華麗に戦功を貰っていく。悔しがる華琳さん。完璧ですわ!」
一応、華琳は仲間である。
「姫様、それはあまりにも」「姫様ー。流石にそれは子供っぽくてアタシ嫌だー」
若い二人とは言え、戦を知る武将だ。
だからこそ顔を潜めた。
しかし麗羽は止まらない。
「別に私とて無策に言っている訳じゃありませんわ。今回の戦、諸将は私の言うことを全く聞かずに勝手ばかり。そろそろ袁家の力を見せてやるべきだと思いませんか?」
麗羽はそう言って。
秀麗な表情を、微笑みに変えた。
「それに私たちの進軍で味方が混乱するなれば、そして強行に出るのであれば――それもまた、良しですわ。私たちにとっては、ね」
◇
袁紹の進軍は反董卓連合の諸将に少なからず動揺を与えた。
そもそも。黄巾党の乱より然程時間は経っていない。残してきた領土に心残りもある。
一ヶ月以上停滞していた戦を進めようと考える人間が出るのも道理であった。
まず袁紹の動きに呼応したのは南陽一帯を収める袁術。
「妾たちも続くぞ、七乃!いい加減、戦にも飽きたのじゃ!」
「はいはーい。皆さん進軍しますよー!」
続いて幽州に一大勢力を持つ、白馬将軍、公孫賛。
「袁紹が動いたのか!私たちも動くぞ」
また、各地方の諸将たちも流れに負けじと軍を前に進めた。
この時に至ってようやく。反董卓連合は、手柄の奪い合いという名目で思考が一致した。
十万を超える大軍は虎牢関の前に布陣する呂布、張遼の部隊を次々と包囲、殲滅していく――
血と噴煙に塗れた英雄達の軍勢が、今まさに虎牢関に牙を剥いたのだ。
そしてその光景を、一人の少女が守りの扉の上で見つめていた。
小柄な体躯にくっきりと輝く瞳。短く切り揃えられた髪を靡かせながら、彼女――呂布軍軍師、陳宮。真名、音々音はぎゅっと掌を握った。
「来やがりましたね。ならばとくと見るが良いです、逆臣達よ。漢の烈臣を、最強の将の力を……!」
音々音は蹲ると、その体躯に似合わぬ巨大な獲物を持ち出した。
それは一本の棒に括りつけられた巨大な布。
折りたたまれていたソレは、西方より吹く風によってその姿を顕にする。
深い、紅に染まった旗にはたった一文字だけ書き込まれていた。
呂、っという文字。
「ご武運を。恋殿!」
直後、虎牢関に取り付こうした兵達が豪風と共に砕け散った。
視界を埋める血煙の中、反董卓連合軍の兵達は見ていた。
関より出てきたのは、たった一人の少女。
緋色の髪を靡かせ、発育した女性らしい形状を隠しもせず、たった一撃で数十人を粉砕した巨大な武具――方天画戟を持つ姿。
呂奉先。最強を持つ彼女の、顕現であった。
◇
敵の前線を視認するなり、呂布――真名、恋は駆け出した。
一歩目から全力だ。突撃の音は人体では不可能に近い爆発と土煙を生み出す。
高速の名を以て恋は敵陣に姿を消し――
次の瞬間には振るわれた一撃で兵達が空を舞っていた。
三日月状の刃が横凪に行使されたのだ。
衝撃に打ち上げれた兵達は、全身の骨を砕かれ絶命している。血と悲鳴を上げる仲間たちを見て、始めて戦場にいる反董卓連合の将兵たちがその異常に気づいた。
一方大量の血煙を浴びた恋は体の熱気を冷ますように目を閉じる。
その脳裏には軍師、音々音の言葉が思い出されていた。
――時間を稼ぐだけ稼いで欲しいのです。恋殿。そうすれば、音々達の勝利なのですぞ!
「ん。分かってる」
恋は呟く。
多くの英傑達がいる諸将に自分一人で勝てるとは思わない。
だが――
「例え、それが羽化前の蝶だったとしても」
恋は怯えに竦む兵達を見て、
「蒼天の世に虫はいらない。だから――死ね」
たった一人の進軍を開始した。
斬り、凪いで、叩き、打ち上げ、振り下ろす。
砕き、貪り、滅し、裂き、殴り、潰した。
風が震え悲鳴だけが脳裏を包む。
大地が割れ、衝撃が鼓膜を揺さぶる。
――化物。
ぽつりと呟いた兵の上半身が瞬きする間もなく、消失した。
幾百、幾千の武人達が思い描き、夢想だと笑われた光景。
彼女は自身の無双で、それを実践して見せる。
舞踊のように振る舞い、戦場の名でひときわ輝く花の前に。
数百倍の数の有象無象の小花が、その身を枯らせていく。
ただ一人で出陣したのは、仲間がいては武を存分に使えない故。
「なによ、あれは」
言葉を失う反董卓連合の諸将達の中で、一人だけ激昂する人間がいた。
華琳だ。その事実に気づき彼女は手に持つ鎌を地面に叩きつけた。
「あんな者がいて良い筈が、ないわ。少なくとも私の治世には、いらない!一人で万の敵を圧倒する人間なんておとぎ話で充分なのよ!それが人の身の領分というものでしょう!?」
「か、華琳様。進言致します」
傍に侍る軍師の言葉を遮って華琳は告げた。
「桂花。その先は良いわ。その手段を以て、呂布をここで討ち取りなさい」
「御意」
桂花は自身の真意を一瞬に看破する主に更なる深い畏敬の念を抱きながらも、伝令の兵達に指示を出し始めた。
華琳の目は既にそちらには向いていない。ただ緋色の武人を見つめていた。
「これで人の身を超えた伝説となるでしょう、呂奉先……でも、だからこそ貴女はここで討つわ、必ず」
一方で、呂布と接触した軍を率いる劉家の長、桃香はすぐさまその異常性を察知した。
次々と冗談のように打ち上がる兵達を見て、彼女は悲鳴を上げようとして――その恐怖を飲み込んだ。
だけでなく、腰に差した宝剣を抜き放つ。
「靖王伝家……二人を守って」
剣を掲げ彼女は言う。
桃香の家に伝わる天子の末席を証明する宝剣は陽を反射し煌めいた。
刀身に描かれた詔がうっすらと映し出され、同時に上空より発せられた太陽光が限界まで磨き上げられた剣身から反射、その煌きは多量の陽光を以て偶然にも恋の視界に揺らめいた。
視界を焼かれ、一瞬だけ恋は瞳を閉じる。
その時、兵達の間から飛び出す人影が二つ。
「劉玄徳が義妹、関雲張!」
「同じく、張翼徳が推参なのだ!」
黒髪を靡かせた少女と、小動物のような愛らしさのある少女。
その二人は、しかし豪腕と謳われる武を以て自身の武具を振るう。
見た一人の兵が歓喜の表情を浮かべて叫んだ。
「関将軍と、張将軍だ!玄徳様の旗下で類まれない武を持つ二人ならば……!」
だが。
火花が散った先、瞳を閉じた恋は寸分違わず二つの矛を受け止めていた。
全くの別角度から放たれた二撃を、体を捻るようにして掲げられた方天画戟がその行く手を遮っていた。
「馬鹿な!私と鈴々の一撃を――!」
「こいつ、強いのだ……!」
「その、程度?」
首を傾かせ、恋は武を弾く。
巨大な圧力で弾き飛ばされる関羽――真名、愛紗。
払いのけられた張飛――真名、鈴々。
桃香の軍を支え、優れた武で黄巾党相手に莫大な戦果を誇った彼女たちですら、初めての感覚に背筋に冷たいものが走るのを感じている。
そしていつの間にか雑兵たちは離れ、距離を取っていた。恋を中心に円が描かれたようにぽっかりと人の群れの中で空白が広がっている。恋は目の前の二人の将を倒さないと前に進めないことを感じて、静かに腰を落とした。
そこに声が掛かる。一つではない、複数だ。
「曹孟徳が将、夏侯元譲推参!」
「夏侯妙才だ。すまんな、呂布。多勢でいかせてもらうぞ」
大剣を持った春蘭と、弓を構えた秋蘭が。
「儂の名前は黄公覆。中央の武、見せてもらおうかの」
「周公瑾だ。やれやれこうなってしまっては、しょうがないわね」
大弓に弓を番える祭と、鞭を構える冥琳。
華琳の素早い判断と、目の前の惨状。それが自己保身という名で諸将の意見を統一させ、全軍の精鋭が集まっていた。
未だ名のある将達も次々と姿を現しており、周囲の兵達も弓兵達の姿が増えつつある。
恋はすぐさま状況を観察し、関の上に視線を送った。
見れば――呂旗は既に降ろされている。
その合図に彼女は若干表情を柔らげ――
――勝った。
ただ一言だけ心の中で言葉を浮かばせた。
時間を稼ぎ、関の撤退を勤め上げた。
兵糧の少ない反董卓連合ではこれ以上の追撃には時間がかかる。その混乱こそ、月の救出に出された軍師の起死回生の策が効く。もう充分に役目はこなした。
後は音々音の言う通り、自身が撤退するだけ。
背後にただ向かえばその技量で突破出来る。
だが瞬間。
恋は特攻を開始した。
後方ではない。敵将が控える前方に向かってだ。
――まだ、時間が必要。一刀が来るまで、反董卓連合の進軍、止める。
恋は思う。
西から来る予想外の存在、北郷一刀。
仲間を助ける為に格上の相手である自分に勝負を挑んだ、不思議な、人。
まだ数える程しか会っていないのに、それでも何故か。彼ならばこの状況をなんとか出来るのではないか。そんなキモチが恋の心を満たしていた。
音々音の策と、北郷一刀の存在。この二つで、大丈夫だと。
「霞、詠、音々音――そして、一刀、月を、お願い」
恋は呟くように言って、大軍に身を投じた。
破壊音と爆砕音。そして剣戟が数刻鳴り響いた。
そして数刻後。戦場から緋色の少女の発する音が消えた――
はい、っというわけで最高に遅れてしまってすいませんです。
今回は外伝。というか虎牢関でこういうことが行われていましたよーってやつですね。次は一刀君に改めて視線を戻します