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真・恋姫大戦記  作者: 明火付
第三部・洛陽燃ゆる
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第三十一話『洛陽への旅路』

「もう、行くのか?」


朝霧の中、武威において。

 数多の兵の居並ぶ中で翠は言う。

 眼前、馬に跨り指示を出していた一刀は視線を合わせた。

 彼の前には北郷家の牙門旗が高々と掲げられている。

 旗の揺れから陽の光りがはためき、翠は眩しそうに目を細めた。


「ああ。中央の動乱を見捨ててはおけない」


 そう言う一刀は視線を左方に送る。

 送った先、鉄の籠に収められる五胡の王の首があった。


「も、もうちょっといてもいいんじゃないか?その――ほら、西涼の地方だって見ていけよ。まだまだ見せたことがない場所があるんだ。それに――」


「翠」


 静かに諭すように一刀。目を伏せ、しかしはっきりと彼は告げた。


「大丈夫だよ。翠は一人じゃない。支えてくれる人たちがいるじゃないか」


 彼女は目を見開き、背後を見やる。

 そこには手を振り一刀達を見送る蒲公英。馬家の兵達。戸を、窓を開け喝采を送る住民達がいた。

 不安になる翠の気持ちも分かる。しかし、彼女はこれより彼等の錦として駆けていかねばならないのだ。象徴として――故に彼は追いすがる憐憫を切り捨てた。


「たとえ百里離れようとも北郷一刀はいつも君と共にあろう。馬家の長、馬孟起」


 先ほどの友人としてのものではない、荘厳な声色に。

 はっきりと、自分の思い以上のことを感じ取った翠は、呼吸を数回。

 そして次には、目を気炎に燃やす西涼の長となった。


「私もだ。馬孟起は、西涼の大地はいつも北郷一刀と共にある――開門せよ!」


 長の命で武威の正門が開かれた。

 一刀が手を振り上げ、指示を出す。

 それに合わせて漢中の兵は隊列を組み進み始めた。

 行進だ。

 凱旋していく同胞達の軍勢を住民達は歓声を上げて見送っていく。感謝の言葉、熱狂し、武運を祈る賛辞。その声は幾度も重なり軍を包んだ。

 一刀はそれを確認すると自身も手綱を握り馬首を返した。

 あ、っというか細い声をあげ翠は手を少しだけ伸ばそうとした。

 しかし彼女は動かなかった。触れなかった。

 伸ばしかけた手を、自分の胸元に組みなおして、彼女は唯、去っていく漢中の男を見つめた。


「あたし達はこの恩を絶対に忘れない」


 そして、ぽつりと、離れていく温かみを思い出して彼女は言う。

 長ではなく、一人の少女として。


「あたしも……」


 一言そう呟き、彼女は踵を返した。

 翠はもう振り返らず、蒲公英たちに号令を掛ける。

 破壊された区間の再生。商業用の行路の作成。五胡との正式な交流に、馬騰の葬儀。行うことは沢山ある。

 彼女の戦いは始まったばかりだ。



 再び荒野を進軍するようになった一刀の軍勢。

 数は死傷者、負傷者三千程度。それらは武威に静養と五胡の対策として駐留させ、軍を再編成しての行軍だ。

 

「お兄さん。これからのお話ですが――」


「ああ」


「西涼に大きな貸しを作ったことは、漢中の立場を良いものとするでしょう――。ともあれ」


 彼女は手にある地図を広げた。

 そこにあるのは漢の全体図だ。時折甘い所もあるが、一刀の記憶と既存する地図を合わせ構築したもの。この時代、正式な地形を把握する物は少なく、大きな指針として風が手元に置いているものだ。


「これより洛陽へは一月は掛かります。輜重隊の補給路の構築、掛かる兵糧は十二分に持ってきていますのでご安心を。ただ、ですね。気がかりな点が」


「言ってくれ」


「はいー。洛陽に向かう道中の涼州の各都市。天水等は翠さんの口ぞえがありますので、何の障害もなく突破出来るでしょう。しかしですね。問題はここですー」


 つつっと大分先に指が動く。

 そして一箇所で動きが止まった。その場所は長安と書かれている。


「長安……確かここは」


「はい。現在董卓さんが支配する場所ですね。ここに斥候や間諜を送り込んで、中央の動乱の情報網を構築していたのですがー」


 一息付き、彼女は口を開く。

 憂いたものをその目に乗せて。


「先日より斥候、及び潜ませていた間諜よりの報告が一人を除き途絶えています。恐らく彼等の身に何かあったと思われます」


「最後の情報は?」


「洛陽までの道、虎牢関に諸侯が攻め寄せていると……しかし細部までは。残りの一人からも連絡は今だ。長安で合流する予定ですがー」


 情報が無い。

 遠地で戦う一刀が一番に憂慮していたことだ。

 これより先。戦場を選んでいかなければ多大な犠牲と誤解を生む。

 安西将軍という将軍位を持つ彼だが、しかし失点を犯せばすぐに付け込まれるだろう。

 更に言えば、他の外史通りに進んでいると仮定すれば反董卓連合は既に、虎牢関を破って洛陽へと向かっているかもしれないのだ。

 歴史を大きく外し、新たな混乱を生む気は彼には無い、しかし。


「いま長安を治めているのは誰だ?」


「守る将が変わったようです。今あの地を治めているのは――」


 風が静かに息を吸い込み、述べた。


「董卓軍配下。李傕と郭汜の二将です」


「李傕と郭汜、か……」


 聞き覚えがない名前だ。

 故に一刀は、眉を潜め、そして、


「もう一回斥候を出せ。到着前に長安を出来る限り探ってくれ。あと諸侯の動向もだ。出来る限り情報が欲しい」


 焦る気持ちを抑えながら、彼は涼州の地を進む。

 淡い笑顔の少女の命を、守る為に。



 長安。


 一地方都市ながらも、整備された交通網と発展した商業地域を持ち、西部東部の交通路として栄えている。いま、董卓が抑えるこの都市は洛陽の後詰として七万の兵数を蓄え、しかし路を行く市民達の顔に悲壮なものはない。商いも通常通りであり、それは董卓の治世の優れていることを如実に現していた。

 多くの戸が並列して並ぶ中央道を抜けると、一際輝く赤い城がある。長安城だ。

 軍師の指示として急遽作成されたこの城は、万が一には政務と軍務。どちらも取ることが可能な物として建造されていた。階層は五。どれも篭城用の設備から政務を執る玉座の間など、準備は万端だ。

 その地下室。

 作った本人は使って欲しくないと、しかし必要なものとして設立された暗部がある。

 分厚い石壁に囲まれた拷問部屋だ。

 いま、そこには三人の影がある。蝋燭の刹那の灯火に照らされるのは男だ。

 彼は両手を差し出すように縛られ、その爪には木の杭が差し込まれていた。

 悲鳴を飲み込み、歯を震わす男の眼前には、二人の少女がいた。

 一人は髪を右サイドに流した黒髪の少女、もう一人は髪を左サイドに流した白髪(はくはつ)の少女。

 驚くことに二人は全く同じ容姿をしていた。その髪の色と流された場所を除けば。

 派手で装飾華美な舞踏会に出るような衣服だ。小柄で、幼子のような肢体で、だ。


「ねえねえ、知ってるー?りかりか」


「なーに、くしくし」


 鈴の鳴るよう幼い声で彼女達は歌うように言葉を並べる。


「董卓様ねー。相国になったんだってー」


「えー。この前大尉になったばかりじゃない?」


「うん。でも張譲様の計らいだってー。大出世だよねー」


「人臣の最高位だよね。まあ、拘束されてたら意味ないけどね」


 クスクス。手を合わせて彼女達は笑った。


「っていうかさ。くしくしって言いにくいんだけど。かくかくじゃ駄目なの?」


「駄目。そしたらあの董卓様愛な気持ち悪い軍師と被るじゃない」


「そうだねー。くしくしがあいつと同じ名前って私も嫌」


「でしょー?りかりかだけに許した私だけの神聖な名前。汚されたら嫌」


「うん。くしくしは私だけのものだもの」


 眼前の男を一切気にせず彼女達は手を取り合う。

 そしてどちらかと言わず顔を寄せ、口を付けた。

 吐息が洩れる音と、唾液を混じ合わす淫靡な音のみが響く。

 小さな手がその裾。衣装の下より潜り込もうと蠢いた。

 しかし、くしくし呼ばれた少女が、その侵入しようとする手を優しく押し止める。


「ん、ぷは。だーめ。りかりか。まずはお仕事、ね?」


「ちぇー。まあ良いわ。お楽しみは後ね、くしくし」


 そう言って彼女達二人は顔を離した。

 糸のような唾液を引き、恍惚な笑みを見せ合い。

 ――何の躊躇もなく、押し上げられた杭を叩いた。

 それは男の爪の隙間に挟まってある杭と連動したもの。

 梃子の原理だ。

 叩きつけられた力は、爪に挟まる杭を押し上げ、


「ぎゃああああああ!俺の、俺の爪があああああ!」


 カランと音を経てて男の爪が飛んだ。

 血が滲み、桃色の皮膚が露出する。

 激痛に叫ぶ男に二人は口を裂くようにあざ笑った。


「あらあら、りかりか。こいつ、豚みたいに鳴いてるわ」


「あらあら、くしくし。こいつ、豚みたいに泣いてるわ」


 二人はてきぱきと爪に挟まった杭をその隣の爪に挟んでいく。

 器具を固定し、まるで遊具のように。

 見れば男の左手の爪は全て剥かれ、残った右手も一枚だ。


「や、やめろ!話します!話しますから!」


 男は漢中より送られた間諜だった。

 仲間は全て殺され、残ったのは彼だけだ。

 別の独房で仲間の悲鳴を聞き続けた最後の一人。

 鉄のような堅い意思は拘束され疲弊し、それが過度な痛みに拠って崩れさっていた。

 彼女達二人が最も期待する言葉のはずだ。

 しかし男の請願に二人は目を合わせて、表情を作る。

 それは嘲笑だ。


「なにこいつ。豚の役すら、出来てないじゃない」


「なにこいつ。豚の役すら、演じられてないじゃない」


「なら、鳴いてもらいましょう」


「そうしましょう。楽しく笑って、ほら、餌を求めるように」


 男が首を拒否するように振るが、しかし彼女達は意に介さなかった。

 無造作に最後の一枚も飛びぬけ、男の悲鳴が再び響く。


「ぎゃあああああ。俺の、俺の爪があああ」


「あら。まだ笑ってるわよ、この豚」


「あら。じゃあこんな遊具はどうかしら」


 そう言って、くしくしと呼ばれた少女が手元の机を開く。

 そこには拘束具、鋭い鉄鎖。そして一本の研磨された鍼だ。

 磨かれ鈍い光を放つ


「これを、爪のあった場所に差し込むの。痛みでぴーぴー泣いて、今度こそ豚のように鳴いてくれるでしょう」


 薄い光を放つそれを、男は絶望した瞳で見つめていた。

 あれが自分の爪の隙間に刺されたら、どんな激痛が襲うか。考えただけで、汗が噴出し、歯がかちかちと音を合わせる。

 故に男は鳴いた。


「か、漢中だ!漢中の北郷一刀に仕える軍師、程イクより派遣されたんだ!内容は長安での情報網の作成と、諸侯の洞察だ!他に散らばった間諜の詳細も秘匿の連絡手段も、これからの日程も教える!だ、だから助けてくれ!」


 ぴたり、その言葉に二人の動きが止まった。

 幼くも妖しい瞳が、男を大きく映し出す。

 そして艶やかな笑みを見せて、娼婦のように肢体を動かした。

 二人の手が男の頬を撫で、掴んだ。


「あら、この豚。人間みたいよ」


「あら。この豚、人みたい」


 興味を示したことに男は薄く歯を見せる。

 もうその心は既に崩れ腐り、あるのは自身の保身だけだった。


「そ、そうです。私は人間です。貴方様たちの忠実な僕です。だから、助けてください。お願いします、お願いします」


 男の言葉に彼女達二人は小さく笑った。

 彼女達、李傕と郭汜の眼火、松明が一際大きく火花を散らした。

 一瞬、映ったその拷問部屋には数十の男達が倒れている。

 彼等は等しく漢中の間諜であり、彼等は等しく絶命していた。



虎牢関。

 首都である洛陽を守る最後の関として、最大の防御を誇る要塞だ。

 その関の上。舞い上がる風を受けながら立つのは霞だ。

 眼下。数里離れた場所には大軍が蠢いているのを確認する。

 無言で袴を揺らし、整った目を細める彼女の元に、伝令兵が拝礼した。


「申し上げます」


「どうやった」


「長安の李傕将軍、郭汜将軍。共に都市の治安を理由に援軍は出せぬ、とのことです」


「……ッアホ共が!」


 怒りを込めて、彼女は吐き捨てる。

 既に彼女の軍は満身創痍だった。呂布、そして軍師の陳宮も善戦してくれてはいるが、しかし相手は諸侯の英雄達だ。曹操に先陣だった華雄は破れ消息不明、また先日も徐州の牧、劉備、袁術配下の孫策の将たちに散々軍を散らされたばかりだ。

 今は土地の利で持ち堪えているが、いつまでも持たないだろう。

 まだ十五万の全兵力で戦えれば違った結果があったかもしれない。

 しかし、今ここに残るのはたった三万。前陣の華雄の無謀な突撃と、これまでの一月以上の戦で優に五万の兵達を死亡、負傷させている。


「賈クっちは何しとんや!」


「それが、洛陽での横暴を食い止めるのに、手が塞がっております。援軍を出す為の働きかけもしているそうですが……」


「あの張譲も、何を考えとんのや!ここを失ったら洛陽まで守る手はない!何でそれが分からん!」


「そ、それが。宮中で不吉な噂を聞きました」


 兵は恐れながら、告げた。


「防衛に劣る洛陽を捨て、今だ無傷の長安に遷都することを、張譲太傅は計画しているとか……」


 既に中常寺から三公を越えた太博――若い天子の代わりに政治を行う職についていた張譲だ。

 彼は諸侯の戦力に怯えている、との噂は霞も聞いていた。

 彼にとって絶大な天子と、十五万の圧倒的な軍。

 政治と力。それを持った自分に歯向かう人間達がいることに、恐怖を隠しきれていないのだ。

 宮中に生きてきた政治屋の哀れな末路、である。


「駄目やな」


 そこまで理解して、彼女は断を下した。


「この戦、負けや。ここが一番の正念場なのに、保身に走る馬鹿共がおる限り、うちらは勝てん。全く、嫌な貧乏くじ引いたなあ……」


 言って空を見上げる。

 だが。


「まだ、恋たち負けてない」


「呂布……」


 そう言って彼女の背に立つ少女がいた。

 赤毛を揺らし、身に不釣合いの矛を手に持つ、恋だ。

 傍ら、ひょっこりと緑髪の小さな矮躯の少女が顔を出す。


「そうですぞー!恋殿がいる限り負けはないのです!」


「陳宮もかい。でも、天子様も董卓も動かせん今、どうすればいいんや?捨て駒にされつつあるのに、ウチらは退くことも降伏もできん……」


 言葉に、しかし恋は小さく頷き言った。


「一刀、来る」


「何やて!?それ、本当か!?」


 言葉に霞は目を見開いた。

 一刀率いる漢中軍は西涼の五胡を討伐しに向かった筈だ。

 相手は十万を超えると聞く。

 こんなに短期間で洛陽に向かえる筈がない。

 しかし、陳宮が同意するように声を上げた。


「本当ですぞー!この、ねねが掴んだ情報によりますと、馬騰殿は残念ながら五胡の毒によって倒れましたが、その娘、馬超殿と共に五胡の本陣に奇襲。たった一日の戦で五胡を降伏させたのです。天の御遣いも侮れませんな――でも、本当に良かったのです。気がかりが一つ消えましたぞ!」


「は、はっはっは」


 乾いた笑みが霞の口より洩れた。

 あの、漢中の城で共闘した頼りなさそうな少年。

 そして実際に刃を交えた陽平関の戦い。

 会う度に、少しずつ大きく感じるようになった天の御遣いが。

 来る。この、戦乱の場所に。


「一刀……アンタ、本当に面白い奴や!何しでかしに来るんか分からんが……ええよ、ここはアンタに賭けたる!」


 叫ぶ。まるでそれに反応したかのように攻め手の軍が動いた。

 土煙を上げる敵兵達に、霞は宣言する。


「皆、堪えい!ここを絶対に通させんで!時間を、時間を稼ぐんや!我等が主を救う人間が、きっと来てくれる。それまで、耐えるで!」


「応!」


 無数の兵が叫びに殉じた。

 一筋の希望を抱き、彼等は戦に奔走する。

 ただ一人。心優しき主を助ける為に。



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