第三十話『五胡の王と西涼の主』
先陣が一斉に切り込んだ。
馬超の率いる軍勢が崖より降下する姿は、跳躍している、という表現を一刀に与える。
何騎かは体制を崩し落下するが、しかし多くは手綱を握っていた。
馬は主に向けて大きく息を吐き、身を絞らせる。
崖の土壁に沿うように馬足を滑らせ、そして轟音が戦場を包んだ。
一騎ではない。複数だ。
それは連動し、地面に着地した音。
馬超は頬に張り付いた汗を顔を振ることで散らし、
「行くぞお前達!馬家の力を見せ付けろ!」
瞬間、騎乗をしていない相手陣中に完全武装の騎馬兵が突撃する。
繋がれた馬の手綱を切り裂き、天幕に何人かが持っていた松明を投げ込んだ。
粉塵の中、燃え盛る陣中には悲鳴と、自由となった馬達が駆け回る。
蹴飛ばされ、転がり込んだ五胡の一人を馬超の馬が踏み潰した。
息を吐き、同じように滾る愛馬の首を彼女は撫でる。
――お前も悔しいのか。
西涼の兵にとって馬とは命を預ける相棒だ。
心を通わせ、調練し、一心同体と言っても良い。
――なら駆けよう。何処までも。母様が安心出来るようにな。
馬超は旗を振り、合図を送る。
その指示で、漢中軍が動いた。
魚の鱗のような密集した陣形に、だ。
それは空から見れば全体で三角形を作るもの。
指示するのは漢中軍、後曲に立つ風だ。
彼女はたおやかな左手を突き出し、軍の指揮を取る。
「馬超さんの合図が来ましたー。魚麟の陣。少数で敵を破る為に調練したものです。訓練通りに素早く動いてくださいー。そして星さん、周倉さん、閻圃さん、廖化さん」
「承知した」「了解にゃ」「はいはい」「は、はい」
四人の武将が傍らに戻ってきたのを確認し、指で指し示す。
その先は陣形の正面、頂点の突端部だ。
「貴方達の武をもっとも扱える場所なのです。敵の先陣を切り裂き、一気に将を討ち取って下さい」
四人はそれぞれの武具を掲げて応え、軍中を掻き分けるように姿を消した。
その従順な姿に、一度こくんと頷き、彼女は後曲を振り返る。
そこには正面、戦塵を見つめる一刀の姿があった。
傍らには黒髪の少女、師愉が鍼を構えて寄り添うように立っている。
「お兄さん。今回は――」
「分かってる。俺と師愉、風で後曲で指示だな。万が一破られたとき、俺達の後曲が入れ替わるように敵を防ぐ、だろ」
「血気盛んなお兄さんにしては、随分大人しいのですね?」
「自分の立ち位置ぐらい流石にもう理解したよ。でも、今回は皆をきちんと信じるさ。それに」
一刀は視線を奥に移した。
その瞳には戦場を駆け抜けていく、西涼の少女がいる。
茶の髪を靡かせ、大地を一筋に割っていく彼女の姿。
嘆息するように、一刀は言う。
「見せてやれ、馬超。新しい西涼の主の勇姿を。五胡に刻みつけ、この痛みを忘れさせないように……!」
言った時だ。
五胡の陣中より声が響き渡った。
◇
五胡の天幕。
陣地中央に位置する一際豪華に装飾の施された入り口に、一人の男が現れたのだ。
禿頭を煌かせた天を突くような巨漢だ。皺が深く口元には大きな髭を蓄えている。黒く磨かれたかのような肌を日光に晒し、陽の光りに胡乱に目を細めた。
その目つきは刀のように鋭く、首元には動物の骸骨を繋いだ首飾りを身につけていた。彼は鍛え抜いた盛り上がった胸部を更に大きく息を吸い込むことで膨らませたかと思うと、
「――ウラアアアアアアアアア!」
叫んだ。
その膨大な声量は両軍全てに響くものだ。
一端だけ戦いの音が止む。
慌てふためき潰走を始めていた五胡兵の一人を、彼は無造作に掴んだ。
そして宙に放り上げる。
投げられた兵はまるで冗談のように宙に浮かび、落下した。
それを、彼は自然な動作で、手に持つ大剣によって斬り捨てた。
血を浴び、その身を染め上げて賛辞を言う。
「大儀だ、敗北者よ。良き朝湯であったぞ」
――異常な行動だった。
遠く目でも、それは察知出来た。
一刀が、馬超が。他の将達が認識する。
口元を獣のようにほくそ笑み、笑う奴こそ。
五胡を従える、王なのだと。
そんな胸中を知らずか、五胡の王は陣中を見渡した。
奇襲され、撹乱され、踏み潰された兵達がいる。
「ふむ」
彼は一回頷き、そして、
「匈奴、鮮卑、羯、氐、羌の我が民達よ」
言う。戦場の隅まで澄み渡る声だ。
それは今まさに切り捨てられ、地に伏せた五胡兵の耳にも届いていた。
「遥か昔、漢の武帝によって祖国の草原を追われし者達よ。野草を噛締め、潜伏してきた我が可愛い弱者共よ」
叫び、五胡の王は大剣を構える。
その向けられた先は陣を切り裂き進軍する馬超の姿だ。
「王の名において命ずる。殺せ。漢の兵を皆殺しにせよ。我が前で、敗走は死を意味すると思え」
声に、倒れた五胡兵が起き上がった。
足の腱が切られ、しかし飛び掛った兵は馬家の騎兵に飛び掛り、押し倒す。
手も動かない彼はそのまま首筋を噛み千切った。
すぐさまどこからか槍が飛び、彼を串刺しにする。
しかし。
「手が動かないのなら、足を。足が動かないなら、口を。口も動かないのなら、魂を」
戦場が至る所で吹き上がった。
潰走を始めたはずの五胡兵達がきびすを返し、反撃を始めたのだ。
着の身そのままの者もいる。だが、
――彼らの数は十万。漢中連合の三倍だ。
それらが一斉に、命を恐れず立ち向かってきた。
――死兵という言葉がある。
戦をする時に、絶対に相手をしてはいけない兵達。
今、五胡たちはそれになった。
たった一人の男の声で。
「そうだ我らが恨みを、奴らに刻め。そして死してこの大地を汚すが良い」
深く刻み込むような口調で、五胡の王が言う。
戦が盛り返したことを確認して、彼は深く笑みを作った。
だが、すぐさまその瞳が見開かれる。
「うおおおおおおおおお!」
陣中の柵を突き破り、本陣に雪崩れ込んだ兵がいたのだ。
濡れた茶の髪を靡かせて、馬上で槍に持ち替えた少女だ。
「馬孟起、推参!五胡の王よ!覚悟!」
馬上、鈴の音のような声と共に風圧を巻き込む槍が繰り出された。
しかし五胡の王は笑みで応えた。
「温いわ」
「なっ」
繰出された柄を握り締め、押し止めたのだ。
岩のような肌が一際肥大し、力が込められていく。
馬超は感じたことのない筋力に身を戦かせる。
その表情の機微を感じ、五胡の王が笑った。
この程度か、っと言外に込めてだ。
「小娘が来るとなると、さては馬騰は死んだか?」
「き、貴様ああああ!」
「図星か。弱き漢の娘よ――ふん」
声が一つ。槍を持ち上げた。
体ごと浮かび上がる馬超は足をばたつかせるが、地に着いていなければ力も出ない。
垂直に押し上げられた彼女が瞳に映したのは、男の片手に持たれた大剣だ。
磨き上げられた剣身は、鏡のように自分の姿を反射する。
気づいたか、っと王は告げ、
「このまま切裂いても良いが、ふむ」
そこで五胡の王は改めて敵を見た。
整った容姿。豊満な女の体。強気な瞳に鍛えられ、無駄のない肉。
自分の鑑定眼に足りると判断した王は、頷き言った。
「貴様は捕らえよう。そして我が子を産ます」
「な、ふざけるな!あたしがお前なんかにそんなことするか!母様の仇を!」
「ほう?言うな小娘。しかし先に侵攻したのは漢だ。敗者を嬲り、土地を奪い。勝手に国境線を決めたのは漢だ」
「馬鹿な!そんなことを!」
「したのだよ、貴様等は」
五胡の王は静かに言った。
「何故我が漢の言葉を使えるか分かるか?簡単だ。我が先祖は、侵攻してきた漢の兵に監禁され、長い間渡って乱暴を受けた。そうして生まれたのが我の血脈だ。その血は五胡で忌み嫌われ、嫌悪され迫害されてきた。先祖より伝わり独学で学んだ漢の言葉も、全てがこの復讐の為よ」
「な……」
絶句する馬超に、五胡の王は口を開いた。
「今がその時だ。我等は混乱する漢を滅ぼし、我等が国を設立する。長きに渡って邪魔をしてきた馬家よ。今度は貴様等が迫害を受け、呪われるが良いわ」
男の瞳は気炎を吐いていた。
どす黒く、感情の渦巻いたものだ。
そして男は剣を伸ばす。場所は胸元の衣服だ。
――そして無造作に引き裂かれる。
艶やかな胸部が空気に露出し、身を凪いだ。
「くそ!」
馬超は、身を恥じるように寄せる。
――母様。辱められるぐらいなら舌を切ります。
静かに覚悟を決める
だが、そんな彼女を影が覆った。
雲ではない。それは声を伴っている。
「お姉さまに触れるなああああ!」
馬岱だった。
小柄で身軽な彼女は馬の扱いに最も長けていた。
彼女は馬で二人を跳躍して飛び越えると、そのまま手綱を離す。
馬を行かせ、しかし飛び降りた彼女は手に持つ槍でそのまま王の腕を刺し貫いた。
鈍く、耳障りな肉を貫く音がする。
血を噴出し、馬岱は
「やった!」
無邪気な声を上げた。
だがその瞳はすぐさま動揺に濡れる。
痛みを感じさせる深さだ。しかし、男は平然としていた。
「もう一人の小娘か。残念だが、王に痛みという感情はない」
言って、剣を投げ捨て、空いた手で小さな首を掴む。
握力で首が絞まり、小さな体躯が空に浮かんだ。
苦悶の声を上げることも出来ない、万力のような力。
「蒲公英!」
妹の真名を呼ぶ馬超。
だがいつも快活な笑みを見せる少女は、手を震わせ口元より唾液を流して苦悶する。
先ほどまで強気だった敵の一変に、五胡の王は口元を引き裂くように笑み。
「ほお。貴様の心を折るのは自分の身より他人の方が良いらしい。捕虜は二人もいらん。こいつには死んでもらう」
「ね……え、さ……」
幼い目の瞳孔が開かれていく。
小さな肢体が痙攣するように響き、少しずつ色を失っていく。
――その姿が母親の最後と重なった。
馬超は自分の視界が赤く染まっていくのが分かる。全身の血が沸騰し、湧き上がっていく。思考が鋭利になり、頭の中が一つの物事に詰まった。
そして彼女は唐突に思い出したのだ。
出撃前に言われた、奇妙な少年の言葉を。
●
出陣前。
火葬場にて灰となった母親を小瓶に詰め、馬超は馬に跨った。
その視線の先、見守るように立つのは北郷一刀という名の少年だ。
自分と同じくらい歳の瀬だというのに、漢中を支配し暫定ながら将軍位を持つ彼。
そして母親の死に立会い、先ほどまで胸を借りて泣いていた相手だ。
――そのことを思い出して、彼女は赤面する。
温かかった、と思う。鍛えられた胸はしかし静かに押し包んでくれて、背中をさすってくれたのは記憶の底の父を思い出すものだった。そういえば顔も少し好みで、
「馬超。今いいか?」
「は、ははははい!?な、なんだよ!」
その感覚を思い出していた馬超は、突然当の本人に名前を言われて動揺するように声を上げていた。
そんな自分の様子を見て、彼はくすりと笑う。
――う、うわああ。今の変だったよな!?
内心、動揺しながら、しかし彼女は口をツンと尖らせた。
「何だよ!人を簡単に笑うなよな。失礼だぞ」
「ああ、悪い。ごめん」
彼は謝るように頭を下げた。
――簡単に謝るなよな。あたしが謝りにくくなるだろ。
謝ると言えば、自分は彼に対して平手打ちを開幕で与えている。
いつ謝ればいいんだろう。誰か教えてくれよ……っとも思う。
「で、なんだよ。そろそろ軍の準備を整えないといけないんだ」
少し居心地悪く彼女は言った。
それを理解して彼は口を開く。
「今回の戦は馬騰将軍の敵だ……憤り、悲しみ。兵達はそれをぶつけるだろう。だけど」
言って一刀は目を伏せ、噛締めるように。
「馬超。君は、少なくとも今回の戦場では怒りに飲み込まれたら駄目だ」
「なっ……」
その言葉に馬超は先ほどまでの感情を捨てた。
――親の仇を我慢しろっていうのかよ!
「偉そうに言うなよ北郷。奴等はあたしの敵だ。卑怯で、姑息で、母様を奪った。あたしにそれを思うなと言うなら、この気持ちを何処にぶつければいいんだ!」
「飲み込め」
「なっ」
驚く馬超に、一刀は言う。
力強く、迫るようにだ。
「俺だって人間だ。我慢出来ない怒りはあるし、それで物事を決めることがある。戦場の失敗だって数知れない。だから、言うんだ。仇を取りたいなら、大局を見据えるんだ。君はもうただの西涼の一武将じゃない――西涼の長になるんだ」
何度も失敗してきた。
風に窘められ、言われたことを理解しきれておらず。
故に一刀は、今だ未成熟な君主として同じ立場になった彼女に言う。
「で、でも。無理だ。あたしはきっと、五胡の兵を、その将を見たら、目先が見えなくなる」
弱気に言う彼女の手を。
一刀は静かに握った。
突然の感触に馬超は顔を赤くさせる。
「◎◇♯d!☆?」
声にならない声を上げる彼女に、一刀はしかし気にせず、
「じゃあ昔、爺さんに教えてもらったおまじないを教えるよ。どうしようもなくなったとき、してみるといい。きっと助けになる」
「おま、じない?」
「ああ、それは――」
馬超はそれを聞いた。
少し頼りない不思議な少年の言葉を。
そして彼女は――
●
その異変を最初に気づいたのは五胡の王だった。
目の前、怒りに頬を染めていた少女が。
突如、目を閉じたのだ。
――観念したか。
そう思う。しかし、直後頬を温かい風を感じた。
それは槍を持つ右手の先より発せられるもので、幾度となく繰り返される。
馬超だった。
目を閉じ、胸を大きく数回上下させる。長い眉がその度に揺れ、だが呼応して表情より感情の波が引いていく。
――大きな呼吸を繰り返す?何を考えている。
五胡の王はその異変を疑うように目を細めた。
そして、馬超の瞳が開く。
そこには理性のある、力のある本来の感情が渦巻いていた。
「ありがとう、北郷」
言って馬超は槍を放した。
武器を失うことを恐れて、故に身を浮かばせていた原因を、だ。
そのまま彼女は身を翻すと、足を大きく振り上げ、
「はあ!」
踵を五胡の王に叩き込んだ。
体重と威の込められた一撃だ。
衝撃に身を沈めながら、しかし
「ふん!王たる我に痛みはないと先ほど!」
そう言って強引に身を起こそうとする。
だが、体が立ちくらみのようにふらついた。
「な、!?」
それは驚きとなって、しかし思うように動かず。
思わず膝をつき左手で掴んだいた馬岱を放してしまう。
落下し、咳をしながらしかし呼吸を始める馬岱に、馬超は安心したように笑みを向け、しかしすぐさま視線を五胡の王に向けた。
「痛覚がない?そんな人間いるわけない。母様に聞いたことがある。五胡には痛みや恐怖を完全に消す薬草があるって。でも、考える場所を揺さぶられたらそんなことは関係ない」
「き、貴様!五胡の王である我に向かって……!」
「今思えば、母様や軍に毒を仕込んだのだって、本当はあたし達が怖かったんだろ。兵を整えても怖くて怖くて――だからアンタはそういう手段に出たんだ。もう二度と負けて、迫害されないように」
先ほどまで揺さぶられていたはずの馬超は、勢いを取り戻していた。
五胡の王は、その視線、気炎に見知った影を見た。
それは幾度も自分達を負かした西涼の女傑だ。
たった一度の戦で、目の前の少女は大きく成長をしていたのだ。
悠然と槍を構え、馬超は突きつける。
「五胡の王よ。あんたの境遇は同情する。でも――だからといって、それが今を生きる人間を殺す理由になって良いわけがない!とくと西涼の荒野に果てろ、亡霊!」
相手に言葉を許さず、西涼の槍が五胡の王を貫いた。
左胸の心の臓を貫通した槍は、分厚い胸板を通り背中まで突き抜けている。
ごぽ、っと血を吐く音がした。
「馬家め、漢め……呪われろ!呪われるがいい!多くの戦乱を、未曾有の大戦よ、起きるが良い。我は、死して尚この国を呪う。呪って、や、……る……」
それが最後の言葉だった。
五胡の王が前に、倒れこむ。
ぐらりと音を経てて、地面にだ。
戦乱の音が消え、しかし大気が小さく揺れた。
息を大きく、吸い、立つのは馬超だ。
そして、彼女は叫んだ。
「敵の大将を、西涼の馬騰が娘、馬孟起が討ち取ったり!
わ、っと歓声が鳴り響いた。
馬超の胸元に馬岱が飛び込む。
涙を浮かべて、その妹を彼女は優しく抱きしめた。
五胡の兵は次々に武具を捨て、頭を垂れた。
あの王は、それほど権威があったらしい。
敵兵を拘束しながら、馬家の兵達が新しい主に向かっていくのを一刀は見つめていた。
「おめでとう、馬超。いや、翠」
本人には言わず、しかし彼は陣を纏めに掛かった。
ふと、彼は視線を上にやる。
見えるのは空だ。そこにあった灰が、ふわりと揺れて舞い上がった。
距離を上げて、見えなくなるように、だ。
一刀はそれを見て、ただ一人、静かに微笑んだ。
◇
戦が終わり、その夜。
月夜の下、復興途中の武威の中に、一際目立つ舞台が出来上がっていた。
多くの子供や生き残った人間達。そして兵達が松明に浮かび上がる三人に熱狂の声を上げる。
「天和、地和、人和!数え役満☆姉妹です!みんなこれから大変だけど、今だけは五胡撃退を祝って楽しみましょうー!」
おー!っと歓声が上がる。
肉親をなくした人間や、大切な人を失った者達も、今だけは温かく、その歌声に熱狂していた。
西涼の酒を片手に、その宴を見るのは一刀だ。
漢中より連れて来た彼女達は良い仕事をしれくれている。歌われるのは郷土の歌が多く、しかし時折胸がこみ上げるような陽気な歌が混じる。普段の彼女達の自分達を押すものでなく、戦乱に覆われた場所を理解した演出、選曲が続いた。
戦っていた兵達も酒を、肉を持ち、騒いでいる。星は民家の屋根の上でメンマを片手に月見酒をしており、陣の隅では閻圃が廖化の胸をジト目で揉み解し、涙目で助けを求める廖化を周倉が笑って眺めていた。風はそんな傍らでうとうとしており、時折巻き込まれていた。
師愉は今だ負傷者の手当てに回っている。後で特注の酒を持っていこう、っと思う。
そう一刀が考えた時だ。
「隣、良いか」
背後より声がした。
振り返り見れば、馬超が立っていた。
「ああ、どうぞ」
断る理由はない。か細い声で彼女は礼を述べると、そのすぐ隣に座った。
舞台より役満姉妹の歌が流れ、辺りは五月蝿い。
しかし馬超と一刀の間の会話は暫くなかった。
それは随分長く、覗き見していた、とある妹が乱入しようと考えた時だ。
「あの」「あの」
二人の声が重なった。
どちらも沈黙に耐えられなくなったのだろう。
あまりの機会のよさに思わず二人とも笑ってしまう。
固まっていた空気が溶解していく。
「ははっ。北郷からどうぞ」
「じゃあお構いなく。おめでとう、馬超。馬騰将軍の仇、取れたな」
「ありがとう。北郷のお陰だ。漢の中で唯一援軍を出してくれた漢中には感謝してるよ。あたし達だけじゃ到底無理だった。大軍をひきつけてくれたお陰で、王を倒せた」
言って、しかし怪訝そうに眉を潜める。
「でも、いいのか?食料も多く分けてもらって、ここまでしてもらわなくても」
「貯蓄する倉も多く焼かれたろ?このくらいさせてくれ。民の為だよ」
「お人よしだな、北郷は」
「よく言われる。しかも天では女の子に対して良い人止まりだったんだぜ」
「なんだよ、それ」
再び二人は声を出して笑った。
一通り経って、そして一刀は問いかける。
「降伏した五胡の兵はどうするんだ?」
「ああ、西涼に組み込むことにした」
「……危険だ。奴等は漢に恨みがあるんだぞ」
五胡は暴虐を繰り返した。
民も簡単に受け入れないだろう。
しかし馬超は力強く頷いた。
「うん。分かってる。でも、だからといって行き場を亡くしつつある彼等を放ってはおけないだろ。まず彼等を受け入れて、五胡のほかの部族とも交流をして――もっと良い場所を作るよ。この西涼を」
そう言って目を細める馬超。
小さな微笑は、しかし武威の町並みに向けられた。
「それが母様より託された、あたしの使命さ」
「そうか。馬超……いや、馬超殿なら出来ますよ、必ず」
言葉遣いが変わった。
それは西涼の主にふさわしいものだ。
だが、馬超は眉を顰めた。
「な、なんだよその言い方、気持ち悪いぞ、北郷」
「これは西涼の主に相応しい言い方にしたんけど。ほら、これからそういう付き合いになるしさ」
「そ、そういう堅苦しいのはいらない!何か距離あるみたいじゃんか……」
「え?」
「あーもう、なしなし!ともかく、えーっと!」
馬超は髪をぶんぶんと振り回して、頬を赤くさせた。
悩むように人差し指を重ね、顔を俯かせ、そして。
思い切ったように顔を近づける。
「わ!?な、なんだよ」
「殴った!」
「はい?」
言われたことが分からず聞き返す一刀に馬超は繰り返した。
「出会ってすぐあたし、北郷を殴ったろ!だから、そのお返しがしたいんだ」
言われ、お返しという言葉に反応するのは青少年の悲しい性。
しかし一刀は首を振って打ち消す。
自分はそんな、資格はない。っと。
だから一刀は彼女の続きを待った。
そして馬超は彼の考える最大の返礼をした。
「あたし、真名は翠っていうんだ!北郷に預ける。だから、その。漢中と西涼の間に、えっと、新しい縁を、だなあ……って、うわ!?」
その手を一刀が強く握っていた。
「◎◇♯d!☆?」
再び声にならないものを上げる馬超、いや翠に。
一刀は笑みを見せた。最大級のものを。
「ありがとう!翠。嬉しいよ!」
「あ、ああ。そ、そっか。嬉しい、か。嬉しい……ふふふ」
再び信頼を得ていくことに嬉しさを感じるのは異常だろうか。
しかし、それこそ彼の願い。
そんな少し良い空気の二人を後ろから抱きしめるように小柄な少女が現れる。
驚き、声を上げる二人に肩を寄せ合うように笑みを見せるのはくりっとした瞳の小動物のような少女だ。
「一刀様ー!たんぽぽはね、真名を蒲公英って言うの!あたしのも覚えておいてねっ」
「こ、こら蒲公英!何をいきなり……」
「ふーん。お姉さまだけに良い雰囲気はさせないもんねー。さっきだってニヤニヤしちゃって。お姉様ったら本当初心なんだから」
「こ、こらー!」
「わー怒ったー!っという訳で一刀様。私、馬岱の真名も覚えてね!じゃあねー」
「待て蒲公英ー!」
「やーだよーだ!」
嵐のようにどたどたと過ぎ去っていく二人に手を振りながら、一刀は静かに息を吐く。
そして武威の町並みを見渡した。
破壊され、悲惨なもの。
しかしいま、大切な者達を失った兵、市民は酒を交し、笑顔を見せている。
勿論、加わらない者もいる。悲しみに暮れて、だ。
だが輪に入るように手を差し伸べる者達がいた。
それに引かれるように、何人かが輪に入っていく。
目を赤くさせ、しかし時折笑みを見せた。
「馬騰将軍。これが貴方が守った場所だ」
呟き。
昼に浮かび上がった灰の行ったであろう、月の上に。
盃を掲げ、浮かんだ表面に円を映した。
その爛々と輝き、大地の人々を照らす姿は。
まるで包んでくれているようだ、っと一刀は思った。
はい。これで五胡終了です。
次はようやく洛陽に視線を移します