第十五話『深紅の呂旗、空を舞うのこと』
漢の逆賊となってしまった北郷一刀。
そんな彼の元に更なる苦難がやってくる。
陽平関。
漢中最大の天然の要塞である。
周囲を傾斜の多い山々で囲まれたこの地は、外と漢中を繋ぐ門扉だ。
東西に直線に作られた関には今や多くの兵が城壁を登り、日々その警戒に当たっていた。
彼らが主と呼ぶ北郷一刀が、国の逆臣となったからである。
明朝、霧の深い日であった。
目を擦りながら交代の兵が関の上に登ってきた。
視界が狭い中で、自分の担当になった場所に行く。
しかしそこには先客がいた。
「ぁ?お前まだいたのかよ」
「うん、ああちょっとな」
夜勤を勤め、本来なら交代している筈の兵士だ。
だが手に槍を持ち、その視線は眼下の山々に向かっていた。
「もう休めよな。お前、最近他の番も替わってるらしいじゃないか」
「子供も大きくなってきたからな。上の評価を上げておきたいんだ」
「は。立身出世でも狙ってるのか農民出」
「うるさいぞ農民出」
二人は小さく、笑う。そして、
表情を消した交代の兵が静かに告げた
「お前、逃げろよ」
突然の言葉に、しかし先に来ていた兵が表情を変えなかった。
ため息をつきながら、言った本人は山々を見つめる。
「子供、ようやく大きくなってきたんだろ。遅かれ早かれここは地獄になる。城下の妻子連れていますぐ荊州にでも逃げちまえ。誰も責めたりなんてしねえよ」
普段の軽口ばかりの友人が、切に言葉を告げていた。
それが先番の兵士には痛いほど分かる。
彼らが主は逆臣だ。
この漢という国の中でその味方はどこにもおらず、しかし敵は溢れている。
今この瞬間も霧に埋もれた大地より、いつ軍旗が上がるか分からないのだ。
「うちのガキがさ」
それに答えるように、訥々と兵は言った。
「最近、学校ってのに行きだしたんだよ。もう俺より字が書けやがってな。でも、ほら。うちの嫁さん農家だろ?働き手いなくなって大丈夫かって聞いたら」
「聞いたら?」
「子が夢を見られるようになったんだ。平気だって、言うんだよ」
その言葉が白い視界、小さく溶けていく。
「名門の家や金持ちの商人の子。もしくは自分で書物を集めないと出来ないことが、簡単に出来るようにしてくれてる。なあ?それでこの前家に帰った時、ガキが一丁前にその夢語り始めてな」
それは、っと息を吸い。
「沢山勉強して、この漢中の為に働いて、お父さんを楽させるんだ……目を輝かせてな、言うんだよ」
だから告げて兵士は手の槍を強く握った。
「子を泣かす親は、あっちゃいけないだろ?」
「……はは。安い給金で奥さん泣かせてるくせに言いやがる」
「へ、違いねえ」
また二人、歯を見せて笑う。
そして逆に、先番の男が尋ねた。
「お前は逃げないのか?独り身だから楽だろ」
「いや、それがな。俺、最近街で恋仲になった女がいるんだ」
「おお。めでたいな」
「だから格好つけたいんだよ。それに――」
照れるように目を細めて、髭を撫でながら男が言った。
「俺、次に生きて街に帰れたら、そいつと添い遂げようって考えてるんだ。だから逃げな――」
その言葉途中で、いきなり先番の兵がその頭を拳骨で叩いた。
突然の暴力に、後番の男。痛みに堪えながら抗議を上げる。
「おい!何しやがる!」
「ば、馬鹿野郎!昔から戦場ではな、そういうやりのこしたこと、だの。約束がある、なんてことを口にしたらいけないんだよ!そんなこと言ったらな、大抵何か悪い事が起きるんだ!」
「はっ。お前そんな迷信信じてんのかよ。そんなことあるわけ」
言いかけた時だった。
突如、眼下の山々に無数の旗が上がった。
霧の中、身を震わすように揺れる黒い影は無数の人の姿。
一斉に吼えるような声。ぶつかり、何かが駆けて来る音が地面を少しずつ揺らす。
それはゆっくりだが、着実にこちらに向かってくるものだった。
先番の兵士が目を凝らし見る。
いま確認出来るのは二つだ。それは、
「深紅の呂旗、そして張旗!西涼の飛将軍に、鬼将かよ!?くそ、最悪じゃねえか。誰か、早馬を出せ!」
慌てふためき始める関の上で、先番の男は顔を青くする友人に言った。
「ああくそ!俺、生きて帰れたらお前の金で痛飲してやるんだ!覚悟しておけ!」
◇
漢中城。
議場にはその報を受け、一刀、星、師愉、風。
そして武官、文官達の姿がある。
「予想していた通りですー。陽平関に西涼の呂布、張遼率いる兵。凡そ2万が攻めてきましたー」
「風の言っていたことが当たったな」
星の言葉に風が頷く。
「はいー。大方、最も近隣で大勢力の董卓さんに最初に命が行くとは思っていました。でも董卓さんもお忙しい方ですからね。なのに中央は権威の為に近日中に急げと急かす、故に――」
「精鋭の騎兵を持つ二将が来るって訳さね?」
との言は、師愉。
「あちらさんの軍師さんの心労は相当なものでしょうねー。何故ならこれは下策ですから」
「騎兵は陽平関の地形じゃ上手く扱えないからな。それをわかって派遣したということは」
一刀が思案するように呟き、それに対して風は頷いた。
「現在他の群雄より抜きん出て勢力が大きく、かつ、漢に忠誠を誓っている董卓さんですが、賄賂や中央の腐敗を毛嫌いするお方と聞いています。だから、かなりの無理を言われてるんだと思いますよ」
「扱いにくい者同士を戦わせるか。いかにも魔窟で考えそうなことだ」
そう言い一刀は、座を立った。
続くように武官、星、師愉、風が続く。
「南の劉璋は動くかな?」
「動かないでしょうねー。かの人の性は愚鈍。考えばかり巡らせて事を急く性質ではありません。ですが万が一の為に、師愉さんを派遣します」
「任せるさね!言われた通り、もし敵が来てもこちらからは出ず守りに徹するよ――。なーに、我慢は得意さ」
「お願いしますー」
「一刀様も星も風も、怪我するんじゃないよ」
一団から師愉と数名の武官が去っていく。
それを見送り、一刀達は城を抜けた。
城前の大広間には既に兵達が集結している。
姿はゴッドヴェイドウの白を基調とした服だ。
その傍らには、牙門旗が幾つも掲げられている。
丸に十字が書かれた北郷家の家紋だ。
「じゃあ行こうか。星、風」
「はい、主殿」「了解なのですー」
出撃する漢中軍、5000。
彼我の差、四倍の戦いがいま、始まろうとしていた
という訳で次は戦です。