第七十一章 窮地
作戦開始。
全軍に号令が響いた瞬間、蝕域の空気が張り詰めた。
連合軍が一斉に動く。帝国軍、連邦共和国軍、各国の合同部隊。全ての戦力が一つの目標に向かって突き進む。
門を、壊す。
リーゼのアウローラが先頭を切った。白銀の機体が蝕域の紫色の大気を切り裂き、門へと突進する。その背後に展開する連合軍の布陣は、一夜かけて練り上げた最善の形。
完璧な出だしだった。
——はずだった。
「上位個体、接近! 門の周囲に——」
ロッテの声が通信に走った。
「数は?」
「確認中……十……いえ、まだ増えています。二十——三十以上!」
通信が一瞬、途切れた。ロッテが息を呑む音が聞こえた。
「新種です。これまでの上位個体とは——形が違います」
門が、防衛戦力を吐き出した。
通常の作戦で一体出れば厄日と呼ばれる上位個体。それが三十を超えて群がっている。しかもどの個体も従来のものより一回り大きく、体表を覆う甲殻が鈍く脈動していた。門のエネルギーを直接取り込んでいる。門が近いほど、奴らは強い。
最悪だ。
「構わん」
リーゼが言い放った。短く、鋭く。
「突破する」
アウローラが加速した。白銀の閃光が敵陣に突っ込む。先頭の上位個体に斬撃を叩き込んだ。
——弾かれた。
「硬い——!」
リーゼの声に、初めて驚きが混じった。今までの上位個体なら一撃で断てた斬撃が、甲殻を削っただけで止まる。門のエネルギーで強化された甲殻は、アウローラの刃すら通さない。
上位個体が反撃した。巨大な腕が振り下ろされる。リーゼが紙一重で回避する。
一対一でも苦戦する相手が、三十以上。
正面突破は——無理だ。
「フィン、頼む!」
リーゼの声に応えて、二つの機影が飛び出した。
フィン機。精密機動の天才が操る機体が、上位個体の群れに切り込んだ。狙うのは撃破じゃない。注意を引くこと。
左に跳ぶ。右に滑る。上位個体の攻撃を寸前でかわしながら、執拗に甲殻の隙間を突く。ダメージは小さい。でも——鬱陶しい。上位個体が苛立ったようにフィンを追い始めた。
「フィン、左!」
「見えてる!」
エーリヒの射撃がフィンの死角をカバーした。二機の連携は完璧だった。フィンが引きつけ、エーリヒが牽制する。フィンが躱し、エーリヒがフォローする。言葉すら最小限。呼吸だけで繋がる僚機の動き。
五体の上位個体がフィンとエーリヒに引きつけられた。リーゼの前方が、わずかに開く。
「右翼、展開完了!」
ヨハンの声が入った。
右翼にヨハンの小隊が壁を作っていた。ベテラン小隊長の判断は的確だった。最も厄介な上位個体を見極め、優先順位をつけて対処する。一体ずつ、確実に足を止める。派手さはない。でも——崩れない。
「右は任せろ、中尉! 前だけ見てくれ!」
ヨハンの声は頼もしかった。
左翼からはセルゲイの怒声が響く。
「左翼、なんとか持ってるぞ! 共和国製を舐めるなよ、化け物ども!」
連邦共和国の改良量産機が、帝国製に劣らぬ性能で上位個体に食らいつく。重装甲の設計思想が、ここでは有利に働いた。上位個体の一撃を正面から受け止め、反撃の砲火を浴びせる。
右翼と左翼が持ちこたえている間に、中央を突破する。
作戦通りだ。まだ——作戦通りだ。
リーゼが再びアウローラを加速させた。フィンたちが作った隙を縫って、門に向かう。
だが。
「増援だと——!?」
セルゲイが叫んだ。
門が、さらに個体を吐き出していた。通常種の大群。強化種。そして——新たな上位個体。尽きることを知らないかのように、次から次へと。門は生きている。攻撃されていると分かっている。だから——全力で防衛している。
戦場の密度が、一気に跳ね上がった。
最初に崩れたのは、左翼だった。
上位個体の突進がセルゲイの部隊を貫いた。二機が同時に弾き飛ばされ、一機はそのまま地面に叩きつけられた。脱出信号が灯る。パイロットは無事だ。でも——機体は喪われた。
「セルゲイ!」
「大丈夫だ! 装甲が——吹っ飛んだだけだ!」
セルゲイの機体も損傷していた。左腕の装甲が丸ごと剥がれ、内部の駆動系がむき出しになっている。「だけ」と言えるのは肝が据わっている証拠だが、状況は深刻だった。
左翼が薄くなった穴を埋めようと、予備戦力が投入される。でも、予備にも限りがある。
右翼でもヨハンの小隊が押され始めた。
「くそ——数が多すぎる!」
ヨハンが珍しく悪態をついた。一体を抑えている間に別の一体が突破してくる。小隊の機体が一機、また一機と損傷を受けて後退していく。
フィンとエーリヒの連携も、限界が見え始めた。五体を引きつけていた二機に、さらに三体が加わった。八対二。いくら精密機動の天才でも、数の暴力には抗えない。
「エーリヒ、下がれ! もう限界だ!」
「断る。お前を置いていけるか」
エーリヒが歯を食いしばりながら射撃を続ける。フィンが回避に専念する。二人とも分かっている。このままでは——長くない。
連合軍全体に、損害が広がり始めた。
機体を失ったパイロットが次々と脱出する。損傷した機体が戦線を離脱していく。前衛の数が減っていく。穴が開く。穴を塞ぐ。また穴が開く。塞ぎきれなくなる。
戦線が——崩壊し始めている。
「損害率が想定を超えています」
ロッテの声が通信に響いた。
冷静な声だった。通信士官として、感情を排した報告。でも——声が、かすかに震えていた。
「現時点で全軍の十四パーセントが戦闘不能。前衛部隊に限れば二十パーセント超。損害率は加速度的に上昇中です。このペースが続けば——あと十五分で前衛が維持できなくなります」
数字が突きつける現実。
十五分。
門まで、まだ遠い。
「ロッテ、数字は後だ。通信の維持に集中しろ」
ヨハンが遮った。声は落ち着いていたが、それが逆に切迫感を伝えていた。数字を聞きたくないのではない。数字を聞いて動揺する余裕すらないのだ。
後方指揮所から通信が入った。
「前線各部隊へ。作戦の中止を——」
「中止だと?」
セルゲイが噛みついた。吹き飛んだ装甲の破片がまだ宙を舞う中で、彼は叫んだ。
「ここまで来て引き返すのか! 何人犠牲にしてここまで来たと思ってる!」
「損害が想定を大きく超過しています。これ以上の継続は——」
「門を放置すりゃ、もっと死ぬ! 分かってんのか後方は!」
議論が通信を飛び交った。前線と後方。現場の感情と指揮官の計算。どちらも正しい。どちらも間違っていない。だからこそ——結論が出ない。
その間にも、敵は待ってくれない。
上位個体が一体、右翼の防衛線を突破した。ヨハンの小隊が追いすがるが、間に合わない。突破した個体がリーゼのアウローラに向かって突進する。
「リーゼ、右から——!」
奏太の警告が間に合った。リーゼが反射的にアウローラを旋回させ、突進をかわす。
だが——別の方向から、もう一体。
上位個体の巨腕がアウローラの左翼を捉えた。
衝撃。
白銀の装甲が砕け散った。内部の共鳴回路が露出し、火花が散る。アウローラが姿勢を崩した。推進系のバランスが一瞬で狂い、機体が横に流れる。
「リーゼ!」
奏太が叫んだ。
手元のデータ端末に警告が殺到した。左翼共鳴回路、出力六十パーセントまで低下。推進系バランス異常。姿勢制御補正限界。赤い文字が画面を埋め尽くしていく。
「大丈夫だ。まだ飛べる」
リーゼの声は冷静だった。堕天使の声だった。
でも——データは嘘をつかない。
奏太は数字を見た。機体の状態を、誰よりも正確に理解する目で。
左翼の損傷は深刻だった。共鳴回路の出力低下だけじゃない。物理骨格にも亀裂が入っている。このまま戦闘機動を続ければ、左翼は十分以内に完全に機能を停止する。推進系のアンバランスは増大し、操縦はますます困難になる。
門に到達する前に——アウローラが壊れる。
さらに追い打ちをかけるように、二度目の衝撃がアウローラを揺らした。上位個体の攻撃が右肩の装甲を削り取る。リーゼの操縦でかろうじて致命傷は避けたが、機体の状態は悪化の一途を辿っていた。
「リーゼさん、機体が——」
「分かっている」
短い返答。でも奏太には聞こえた。リーゼの呼吸が乱れている。痛みか、疲労か。操縦に支障が出るほどではないかもしれない。でも——万全ではない。
戦場は地獄の様相を呈していた。
右翼。ヨハンの小隊は半数が損傷し、防衛線の維持が限界に達しつつあった。
左翼。セルゲイの部隊は四機を失い、セルゲイ自身の機体も満身創痍だった。
中央。フィンとエーリヒが辛うじて上位個体を引きつけているが、二機とも被弾が増えている。エーリヒの機体の右脚が動かなくなり、機動力が大幅に落ちていた。
そして——まだ門は健在だった。紫色の光を放ちながら、絶え間なく敵を吐き出し続けている。
「損害率、二十パーセントに到達」
ロッテの声。もう震えを隠そうとしていなかった。
「後方部隊含め、全作戦参加兵力の五分の一が——」
言葉が途切れた。ロッテが唇を噛んだ音が、通信越しに聞こえた気がした。
五分の一。
それだけの仲間が、もう戦えない。
作戦中止の声が、さらに強くなった。後方だけではない。前線の指揮官からも——もう限界だという声が上がり始めた。
当然だ。
これ以上続ければ、門を壊す前に連合軍が壊れる。
でも——。
門を壊さなければ、人類が壊れる。
どちらを選んでも、地獄。
奏太は歯を食いしばった。
データ端末の画面を睨む。アウローラの損傷データ。戦場全体の戦力分布。味方の残存戦力。敵の推定数。
全てが——絶望的な数字を示していた。
計画は完璧だった。準備も万全だった。昨夜、リーゼと手を繋いだあの時間に誓った「終わらせよう」という言葉は、嘘じゃなかった。
でも——現実は、計画通りにいかない。
全てが上手くいくわけではない。
それが、戦場だ。
「……くそ」
奏太が呟いた。
拳を握り締めた。爪が掌に食い込んだ。
昨夜繋いだ手の温もりを——まだ覚えている。
帰る場所がある。帰る人がいる。だから——ここで終わるわけにはいかない。
でも、打つ手が——。
奏太はデータ端末に目を落とした。
赤い警告に埋め尽くされた画面。その中に——何かが見えた気がした。
まだ見えない。まだ形にならない。
でも——諦めたら、そこで全部終わる。
「リーゼ」
奏太は通信を開いた。
「一度、戻ってきてください」
「何?」
「直します。応急でいい、飛べるようにする。だから——」
一瞬の沈黙。
戦場の轟音の中の、静寂。
「——分かった」
白銀の機体が反転した。
門を背にして、奏太の元へ。
まだ終わっていない。まだ——終わらせない。
帰る場所を、守るために。




