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戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第五部 解放篇

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第七十章 繋いだ手

 整備棟の灯りは、夜になっても消えない。

 奏太は作業台に向かっていた。手元にはアウローラの共鳴駆動のデータシート。明日の作戦で使う逆位相パターンの最終確認。数字の羅列を目で追いながら、ポケットの六角ボルトを回す。かちり。かちり。

 門の破壊作戦。

 アウローラの共鳴駆動を逆位相で叩き込む。理論上は可能。だが機体への負荷は、これまでのどんな戦闘とも比較にならない。共鳴構造が耐えきれなければ、機体ごと砕ける。

 パイロットごと。

 奏太はペンを置いた。息を吐いた。何度計算しても同じ結論になる。成功率は高い。でも「高い」は「確実」じゃない。

 格納庫の向こうでは、カティアとディーターが改良量産機の最終点検をしていた。金属音が規則正しく響く。ガルベルトは奥の工房で合金の応力試験をやっている。低い唸り声が聞こえる。いつもの夜だ。戦いの前の、いつもの夜。

 誰も寝ない。誰も口に出さない。でも全員がわかっている。

 明日は、違う。

 足音が聞こえた。

 軽い靴音。軍靴だが、力を抜いた歩き方。奏太はその足音を知っていた。

「起きていたか」

 振り返った。

 リーゼが立っていた。

 軍服ではなく、薄手のシャツにカーゴパンツ。銀灰色の髪を下ろしている。普段は一つに束ねているから、下ろした姿は珍しい。整備棟の暖色の灯りの中で、銀の髪が淡く光っていた。

「リーゼさん。どうしました、こんな時間に」

「眠れなかった」

 短い。いつものリーゼだ。必要なことだけ言う。

 でも今夜は少し違った。紫の瞳がどこかを彷徨っている。視線が定まらない。奏太の顔を見て、作業台を見て、またどこかを見る。

 落ち着かない。

 リーゼロッテ・ヴァイスフェルトが、落ち着かない顔をしている。蝕域の化け物を単騎で切り開くエースパイロットが。殲滅の堕天使が。

 奏太は椅子から立った。

「コーヒーでも入れましょうか。ディーターさんが豆を分けてくれたんです」

「いや、いい」

 リーゼが一歩近づいた。

 作業台の横まで来て、立ち止まった。横顔。灯りが左半分を照らし、右半分に影が落ちている。鎖骨のあたりの古い戦傷が、シャツの隙間からわずかに見えた。

 沈黙。

 格納庫の奥から金属音が響く。ディーターの作業だ。規則正しい、安定したリズム。それだけが二人の間の空白を埋めていた。

「鷹森」

「はい」

「戦いが終わったら言うつもりだった」

 リーゼの声が、少しだけ低くなった。

 奏太の指がポケットの中で止まった。ボルトが掌に押し当てられたまま動かない。

「でも、明日がどうなるかわからないから。今言う」

 リーゼが奏太を見た。正面から。紫の瞳が、真っ直ぐに。

 逃げていない目だった。戦場で敵に向かうときと同じ目。覚悟を決めた目。でもその奥に、戦場では見せない揺れがあった。怖いのだ。敵の光弾よりも、この言葉のほうが怖い。奏太にはそれがわかった。

「お前がいるから」

 リーゼが言った。

「私は、帰る場所がある」

 静かな声だった。

 叫びでも、囁きでもなく。ただ事実を告げるような声。でもその声に、ありったけの感情が詰まっていた。言い慣れない言葉を、不器用に、一語ずつ選んで並べている。リーゼロッテ・ヴァイスフェルトという人間が、戦場以外の場所で全力を出している。

 奏太は動けなかった。

 整備棟の灯り。金属とオイルの匂い。遠くの金属音。リーゼの銀灰色の髪。紫の瞳。全部がくっきりと焼きついて、時間が止まったみたいだった。

 帰る場所。

 その言葉が、胸の奥に落ちた。ぽとり、と。重くて、温かい何かが。

 リーゼの機体を整備するたびに思っていた。共鳴駆動のデータを確認するたびに。出撃する白銀の背中を見送るたびに。帰ってきたときの安堵。帰ってこなかったらという恐怖。その恐怖がどこから来ているのか、奏太はずっとわかっていなかった。

 いや。わかっていて、目を逸らしていた。

 自分は技術者だから。作る側だから。支える側だから。そう言い聞かせて、蓋をしていた。技術者の仕事に私情は要らない。パイロットと整備士の関係に、それ以上の感情を持ち込むべきじゃない。

 でも。

 リーゼが帰ってくるのを待つ時間は、怖かった。

 他の誰でもない。リーゼが。リーゼロッテ・ヴァイスフェルトが帰ってくるのを待つ時間が、何より怖くて、何より長くて、何より切実だった。

 それは技術者としての責任感なんかじゃ、とっくにない。

 奏太はポケットから手を出した。ボルトを手放した。指先が少し震えている。

「俺も」

 声が掠れた。咳払いした。もう一度。

「俺も……あなたが帰ってくるのを待つ時間が、一番怖くて」

 言葉を探す。うまい言い回しなんか知らない。設計図なら引けるのに。数値なら扱えるのに。感情は設計できない。

「一番、大切です」

 出てきたのは、それだけだった。

 不格好だ。自分でもわかる。告白としてあまりにも地味で、ロマンチックの欠片もない。ロッテが好きな恋愛小説に出てくる台詞とは天地の差だ。

 でもそれが、奏太の全部だった。

 リーゼの瞳が揺れた。

 大きく、一回。紫色が灯りを反射して、きらりと光った。

 唇がわずかに震えて、すぐに引き結ばれた。泣くのを堪えたのだ。この人は、泣かない。戦場でも、部下の前でも、絶対に泣かない。それが彼女の矜持だから。

 代わりに、笑った。

 ふっ、と。短く、柔らかく。

「不器用な告白だな、お互い」

 リーゼの声に、わずかな震えが残っていた。それがかえって本物だと教えてくれた。

 奏太も笑った。肩の力が抜けた。

「すみません、こういうのは設計図が引けなくて」

「設計図があったらそれはそれで怖い」

「確かに」

 二人の間の空気が変わった。張り詰めていたものが、ふっと緩んだ。戦いの前夜の重さは消えていない。明日の作戦の危険も変わらない。でも、その重さを二人で持っている。それだけで、少し軽い。

 リーゼが右手を伸ばした。

 何も言わなかった。ただ、手を差し出した。

 奏太はその手を見た。

 パイロットの手だ。操縦桿を握り続けてきた手。硬い。細い。でも強い。この手が白銀の機体を操り、蝕域を切り開いてきた。この手に、何人もの命が守られてきた。

 奏太は自分の手を見た。

 整備士の手だ。工具を握り、回路を辿り、金属を磨いてきた手。指先に古い火傷の痕。爪の間にはオイルの染みが残っている。不器用で、武骨で、きれいとは言えない手。

 でもこの手で、リーゼの機体を直してきた。この手で、リーゼが帰ってこられる機体を作ってきた。

 繋いだ。

 リーゼの手は、冷たかった。

 奏太の手は、温かかった。

 その温度差が心地よかった。冷たい手が温まっていく。指先から、ゆっくりと。

 握り返す力は強くなかった。互いに、そっと。壊れものを扱うように。でも離す気のない強さで。

 沈黙が流れた。

 長い沈黙だった。

 整備棟の灯りがじりじりと音を立てている。格納庫の奥で、ディーターの金属音が止まっていた。代わりに、ガルベルトの工房から低い魔力駆動音が聞こえている。夜の整備棟は、昼間とは違う音をしている。静かで、温かい音。

 何も言わなくてよかった。

 手を繋いでいるだけで、伝わるものがあった。明日の作戦のこと。その先のこと。怖いこと。それでもやるということ。帰ってくるということ。帰る場所があるということ。

 全部、掌の温度が語っていた。

 リーゼが口を開いた。

「ペトラの食堂」

「え?」

「帰ったら、あの食堂で飯を食う。お前も来い」

 奏太は少し考えた。

「ペトラさん、絶対泣きますよ」

「知るか。泣きたいやつは泣けばいい」

 リーゼの声が少しだけ柔らかくなっていた。ほんの少しだけ。他の誰かが聞いてもわからないくらい。でも奏太にはわかった。

「……はい。行きましょう」

 行く。帰ってきて、行く。温かいスープと、焼きたてのパンと、ペトラの小言と。それがある場所に、帰る。

 帰る場所。

 ペトラの食堂。格納庫の作業台。ディーターが淹れてくれる茶。カティアの質問攻め。ガルベルトの唸り声。フィンの「タカモリさん」。ヨハンの大声。エーリヒの眼鏡越しの笑顔。ロッテの正確な報告。ルーカスの敬礼。ヴェーバーの短い言葉。

 そして、この手。

 全部が、帰る場所だ。

 リーゼの指が、奏太の指の間に入り込んだ。しっかりと。さっきよりも深く。

「明日、門を壊す」

 リーゼの声が変わった。パイロットの声。冷静で、鋭くて、揺るがない声。

「壊して、帰ってくる」

「はい。俺はアウローラを最高の状態に仕上げます。帰ってこられる機体にします」

「当然だ。お前以外に任せる気はない」

 二人の影が、整備棟の壁に伸びていた。

 暖色の灯りが二つの影を作り、壁の上で重なっていた。背丈の違う二つのシルエット。パイロットと整備士。戦う者と、支える者。それが一つの影になって、コンクリートの壁に焼きついている。

 奏太はリーゼの横顔を見た。

 銀灰色の髪が灯りの中で揺れている。紫の瞳は前を向いていた。もう迷っていない。怖いものは怖いまま、前を向いている。それがリーゼだ。奏太が知っている、一番強くて、一番不器用な人。

 リーゼも奏太を見た。

 目が合った。

「鷹森」

「はい」

「奏太」

 名前を呼ばれた。

 初めてだった。

 下の名前で呼ばれたのは。この世界に来てから、誰にも呼ばれたことがなかった名前。元の世界に置いてきたはずの名前。

 それをリーゼが拾い上げた。

「ああ、やっぱり呼びにくい。この国の名前は発音が難しい」

「無理しなくていいですよ」

「うるさい。呼ぶと決めた」

 リーゼが眉を寄せた。困った顔。髪の毛先を指で弄っている。自分で言い出して自分で照れている。二十六歳の帝国軍エースパイロットが、名前の呼び方で困っている。

 おかしかった。

 おかしくて、愛しかった。

「リーゼさん」

「さん付けをやめろ。今更だろう」

「……リーゼ」

「ん」

 短い返事。でも口元が少しだけ上がっていた。

 繋いだ手はまだ離れない。

 離す理由がないから。

 整備棟の灯りが、変わらずに二人を照らしていた。金属とオイルの匂い。コンクリートの壁。ガルベルトの工房から漏れる魔力駆動音。全部がいつも通りで、全部がいつもと違う夜。

 明日は戦いだ。

 門を壊す。帰ってくる。そのために、自分にできることをやる。

 でも今夜だけは。

 あと少しだけ。

 この手を、繋いでいたい。

 奏太はリーゼの手を握り直した。そっと。でもしっかりと。

 リーゼが握り返した。同じ力で。

 二人の影が壁の上で揺れた。重なったまま。整備棟の灯りが、夜明けまでずっと、二人を照らしていた。

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