第六十三章 戦場の整備士
機体が帰ってくる。
煙を吐き、装甲を削られ、関節を軋ませながら。
それが奏太の「戦闘開始」の合図だった。
「一番機、右肩装甲に亀裂。二番機、左脚駆動系の出力低下。五番機は——弾薬残量ゼロ。全部まとめて受ける!」
叫びながら走る。工具箱を掴み、泥を蹴り、最初の機体に取りつく。
蝕域の大地はどこまでも灰色だった。紫がかった霧が足元を這い、視界を濁らせる。整備拠点と呼ぶには粗末すぎる簡易テント。その下に並んだ工具と部品が、奏太たちの武器だ。
戦闘の合間は短い。
敵の第一波が退いてから第二波が来るまで——よくて三十分。悪ければ二十分を切る。その間に、損傷機体を直し、弾薬を詰め、魔力回路を調律し直す。
つまり、一機あたり数分。
無茶だ。だが、やるしかない。
「右肩、開けるぞ」
装甲のロックを外す。亀裂を確認。深さ、方向、進行度。一瞬で判断する。
交換は間に合わない。補修で持たせる。
充填剤を流し込み、表面を均し、応急の固定具で押さえる。十五秒。次の作業に移る。
隣で、ガルベルトが動いた。
巨体が機体の胸部パネルを開ける。太い指が魔力回路の紋様をなぞった瞬間、琥珀色の光がぼうっと灯る。
「回路二番、劣化。組み直す」
短い宣言。それだけで十分だった。
奏太が物理構造を直す。ガルベルトが魔力回路を整える。二人の作業は同時並行で進み、重複しない。手が交差することすらない。
これが何十機目のコンビネーションか、もう数えていなかった。
視線を交わす必要もない。相手の息遣いで、何を見て、何をしようとしているか分かる。
「一番機、完了」
「次」
「二番機。左脚、開ける」
「回路は俺が先に入る。物理は後から被せろ」
「了解」
テンポが途切れない。
工具を握る手が止まらない。ボルトを締め、ケーブルを差し替え、グリスを塗り、回路を繋ぐ。それぞれの動作が一秒の無駄もなく連鎖する。
奏太の火傷痕が残る指先が、部品の上を滑る。構造が見える。どこが弱り、どこが歪み、どこに限界が迫っているか。目を閉じても分かるほどに、機体の声が聞こえる。
整備拠点の反対側では、赤い影が飛び回っていた。
カティアだ。
「七番機、弾薬補充完了! 次、九番機の回路!」
赤毛を汗で額に貼り付けたまま、一人で担当区画を回している。融合型整備士——物理構造と魔力回路、その両方を一人でこなせる唯一の存在。
奏太とガルベルトが二人でやることを、カティアは一人でやる。速度は劣る。だがカバー範囲が広い。中型機三機分の区画を、彼女が一手に引き受けていた。
「カティア、九番機の圧力弁は帝国第三型だ。位置が標準と違う」
奏太が二番機を直しながら声を飛ばす。
「知ってます! マニュアルの百十二ページ、自分で書いた箇所ですから!」
即答。手は止まらない。緑の瞳に迷いはなかった。
頼もしい。
そしてもう一人。
この戦場整備を根底から支えている男がいた。
ディーターだ。
灰色の髪、灰色の目。表情は薄く、口数は少ない。だが彼がいなければ、全てが止まる。
「ボルト六ミリ、三十本」
奏太が言う前に、足元に置かれている。
「装甲補修材」
振り向く前に、手の届く位置にある。
「魔力結晶、予備を」
「残り四個。節約してくれ」
ディーターの頭の中には、完璧な在庫台帳がある。何を何個使い、何個残っているか。補給車両のどこに何が積まれているか。二十年の経験が、全てを数字として把握させていた。
部品が途切れれば整備は止まる。整備が止まれば機体は動かない。機体が動かなければパイロットは死ぬ。
その連鎖の最上流を、ディーターが一人で守っていた。
三機目の修復が終わった。
間髪入れず、次の帰還機が滑り込んでくる。
フィンの機体だった。
「タカモリさん! 左の推進器、反応が鈍いんです!」
コックピットから明るい声が降ってくる。戦闘直後とは思えない元気さだ。
「見る。降りなくていい、座ってろ。三分で直す」
「三分!?」
「いや、二分半でいけるかも」
左脚の推進器パネルを開ける。魔力回路の接合部に微細なズレ。零コンマ数ミリの狂いだが、推進器の反応速度には直結する。
調整。固定。確認。
二分十八秒。
「直った。出ろ」
「はやっ!?」
フィンが目を丸くする。だが奏太はもう次の機体に向かっていた。
パイロットが帰還するたび、奏太はデータ端末にも目を走らせる。戦闘中のログが蓄積されている。関節負荷、出力変動、魔力消費率、被弾位置。その全てが、奏太の目には物語として読めた。
ヨハンが戻ってきた。
大柄な体をコックピットから引き抜き、金髪を掻きながら降りてくる。翡翠色の目が、整備拠点の忙しさを見渡した。
「よう。忙しそうだな」
「ヨハンさん、右膝の負荷が高かった」
挨拶より先に、指摘が飛ぶ。
「踏み込みが深すぎます。膝関節の寿命が一割以上削れてる。次からは踏み込みを浅くして、旋回は腰の回転で。その方が膝も持つし、動きも速くなる」
ヨハンが片眉を上げた。
「操縦指導か。整備士が」
「データが言ってるんです。俺じゃなくて、機体が」
「はっ。機体の代弁者ってか」
笑い声。だが否定はしなかった。十五年のベテランは、正しい助言を見分ける目を持っている。
「肩の関節にも遊びが出てます。斬撃の振りが大きいからだ。もう少しコンパクトに——」
「俺の流儀にまで口を出すか」
「流儀で関節が壊れたら元も子もないでしょう」
「……まあ、それもそうだな」
ヨハンが苦笑する。奏太はその隙に機体へ取りつき、肩関節のカバーを開けていた。
ボルトを増し締めし、グリスを塗り直す。ついでに全体の魔力回路をスキャンして、微細な劣化を二箇所見つけて直した。所要時間、四分。
その間にも、新しい帰還機が来る。
共和国の機体だった。セルゲイ隊のものだ。
「帝国の整備士に頼んでもいいのか?」
パイロットが気まずそうに聞く。
「機体に国籍は関係ない。壊れてるなら直す」
奏太が即答する。共和国製の機体は設計思想が違うが、カティアが作ったマニュアルのおかげで構造は把握済みだ。
関節部のカバーを開けて中を確認する。帝国機とは配置が違うが、原理は同じ。壊れた部分は壊れた部分だ。
「ここの潤滑剤、帝国式の方が相性いいですね。替えておきます」
「……ありがとう」
パイロットの表情が少し和らいだ。
ヨハンがその様子を見ていた。
腕を組み、木箱に腰掛けて、整備拠点全体を眺めている。奏太が走り回り、ガルベルトが黙々と回路を直し、カティアが声を上げながら区画を回し、ディーターが影のように部品を配る。
その全てが一つの機械のように噛み合っていた。
「お前はもう半分パイロットだな」
ヨハンが言った。
奏太は工具を回す手を止めなかった。
「まさか。俺は飛べませんよ」
「飛ばなくても、お前がいなきゃ俺たちは飛べねえ。操縦の癖まで見抜いて、機体の寿命まで管理して——パイロットより機体のことを分かってる整備士なんて、他にいないぞ」
「俺は作る側ですから。作ったものがちゃんと使われてるかは気になるんです」
「はっ。使い方の指導まで付いてくる整備とか、贅沢すぎるだろ」
笑って、ヨハンは機体に乗り込んだ。翡翠の目が一瞬だけ真剣になる。
「頼りにしてる。死ぬなよ、整備士」
コックピットが閉じた。
言葉の余韻に浸る暇はない。
次の機体。次の損傷。次の修復。
手が止まったら、誰かが死ぬ。
その事実だけが、奏太の背中を押し続けていた。
通信にロッテの声が割り込む。
「敵第二波、接近。推定到着——十二分」
まだ二機残っている。
奏太は歯を食いしばった。
「ガルベルトさん、二十番機の回路を。俺は二十三番機の脚をやる。カティア、十一番機を頼む」
「承知した」
「了解です!」
「ディーター、接続端子の予備は」
「六本。足りる」
短い確認。全員が散った。
奏太の手が加速する。
パネルを開ける。損傷を見る。判断する。直す。閉じる。次。
この一連の動作が、呼吸のように自然に繰り返される。考えるより先に手が動く。構造が見えた瞬間、最適な修復手順が頭の中に組み上がる。
十一分三十秒。
「全機修復完了。出撃可能」
奏太が宣言した。
三十秒の余裕。ぎりぎりだった。
修復を終えた機体が次々と立ち上がり、再び戦場に向かっていく。整備したばかりの関節が滑らかに動き、補充した弾薬が装填され、調律し直した魔力回路が光を帯びる。
奏太はそれを見送った。
工具を握る手が微かに震えている。疲労だ。だが、まだ止まれない。
戦場で最も忙しいのは、戦わない男だった。
銃を持たず、剣を振らず、操縦桿も握らない。
ただ、工具を握る。
それが奏太の戦い方だった。
ガルベルトが隣に立ち、無言で水筒を差し出した。奏太は受け取り、一口だけ含む。ぬるい水が、乾いた喉を通り過ぎていった。
「次の合間は、もっと短くなる」
ガルベルトが言った。琥珀色の目が、蝕域の奥を見つめている。
「ええ。分かってます」
「足りるか。体力」
「足りなくても、やりますよ」
奏太は水筒を返して、工具を拭き始めた。刃先を確認し、調整器具のキャリブレーションをやり直し、次の整備に備える。
紫色の霧の向こうで、戦闘の音が聞こえ始めていた。
第二波が来る。
また、機体が帰ってくる。煙を吐き、装甲を削られ、関節を軋ませながら。
奏太は立ち上がった。
工具を握り直す。
「さあ——次だ」




