第五十八章 量産への壁
模擬戦の翌朝。格納庫は異様な熱気に包まれていた。
アウローラの戦闘データが技術本部に共有されたのだ。従来機三機を同時に圧倒する性能。その衝撃は、基地中を駆け巡った。
「すげえのは分かった。で、これをどうする」
ガルベルトが腕を組んで言った。琥珀色の目が、壁に貼られたアウローラの設計図を射抜いている。
奏太はその隣で、六角ボルトを指先で回していた。
「量産機にフィードバックします」
「できるのか」
「完全再現は無理です」
即答した。アウローラはリーゼ専用に調整された一点ものだ。共鳴構造も、魔力伝導効率も、すべてがリーゼという操縦者に最適化されている。同じものを量産する技術もコストもない。
「ただ——」
奏太は設計図の一部を指差した。共鳴構造の中核部分。魔力結晶と物理フレームが連動する箇所。
「共鳴構造の簡易版なら、いけます」
ガルベルトの眉が動いた。
*
技術会議室。ゲルナー少佐が招集をかけた。
集まったのは奏太、ガルベルト、カティア、そして整備班の主要メンバー十二名。長テーブルの上に、奏太が徹夜で書き上げた資料が広げられている。
「説明する」
奏太がペンを取った。壁面のボードに図を描き始める。
「アウローラの共鳴構造はここ——魔力結晶と物理フレームの接合点に特殊な緩衝材を挟んで、振動を同期させています。完全版は操縦者との個別調整が必要ですが、簡易版なら汎用的に組み込める」
ペンが走る。線が増える。
「性能向上の見込みは、推定で十五から二十パーセント。劇的じゃない。でも量産機の全機に適用できれば、部隊全体の底上げになります」
整備班の面々が顔を見合わせた。十五から二十パーセント。個々では小さな差だが、部隊規模で見れば戦力が丸ごと一段階上がる。
「問題がある」
ガルベルトが口を開いた。重い声が会議室に響く。
「共鳴構造の調整には魔力感知が要る。俺の班は物理整備の専門だ。魔力を扱えるやつはいない」
沈黙が落ちた。
そこが壁だった。帝国軍の整備体制は、魔力系統と物理系統が完全に分業されている。魔力結晶の調整は魔道技術部門、フレームやギアの整備は物理整備部門。二つの部門は別々に動き、別々に報告を上げる。
だがアウローラの技術は、その境界線の上に立っている。魔力と物理の両方を同時に調整しなければ成立しない。
「だから俺が教えます」
奏太が言った。
全員の視線が集まった。
「魔力整備と物理調整を両立する方法を。融合型整備——そう呼んでください」
*
技術指導は、その日の午後から始まった。
場所は格納庫の一角。量産機が一機、訓練用に引き出されている。奏太がその前に立ち、整備班の面々が半円を描いて取り囲んだ。
「まず基本から。魔力結晶に手を当ててください」
整備士たちが恐る恐る手を伸ばした。物理整備の専門家にとって、魔力結晶は「触るな」と言われてきた領域だ。経験がある者ほど、その境界線が体に染みついている。
「振動を感じますか。わずかな熱。微かな脈動。それが魔力の流れです」
戸惑いの表情。当然だ。奏太自身、この世界に来て最初に魔力を感じた時は何も分からなかった。
「感じなくて当たり前です。大事なのは、物理的な変化として捉えること」
奏太は六角ボルトを取り出した。結晶の表面に当てる。
「音が変わるのが分かりますか。ボルトを当てた時の反響。魔力が安定していれば低い音、乱れていれば高い音になる」
整備士の一人が目を見開いた。音なら分かる。物理整備の人間は、音で機械の状態を判断するのが日常だ。
「そういうことか——」
「そういうことです。魔力を魔力として感じる必要はない。物理的な兆候を読めばいい」
奏太の言葉に、整備士たちの表情が変わった。
*
二時間の基礎講習が終わった。
大半は、まだ手探りの段階だった。理屈は分かっても手が追いつかない。長年の癖は簡単には抜けない。
だが一人だけ、違う動きを見せた者がいた。
カティアだ。
赤毛を後ろで束ね、緑の目を結晶に向けたまま、カティアは黙々と作業を続けていた。右手で物理フレームのボルトを締めながら、左手で魔力結晶の振動を確認する。二つの動作を同時に、淀みなく。
「カティア」
ガルベルトが声をかけた。
「お前、なぜそれができる」
カティアは手を止めずに答えた。
「師匠の整備を見て育ちましたから。師匠が物理側を触る時、いつも魔力の流れも気にしてたでしょう。言葉にはしてなかったけど、手の動きで分かりました」
ガルベルトが息を呑んだ。
自覚はなかった。だが確かにそうだ。長年の経験で、魔力の影響を無意識に感じ取っていた。それを技術として体系化したのが奏太で、見て盗んでいたのがカティアだった。
「生意気な弟子だ」
ガルベルトの声は低かったが、怒りはなかった。
「カティア、明日からお前が先行して量産機の改修に入れ。他の連中の手本になれ」
「はいっ」
カティアの返事は弾けるように明るかった。緑の目が輝いている。整備士としての新しい領域が、目の前に開けている。その興奮を隠せていない。
奏太はカティアの作業を見ながら、小さく頷いた。融合型整備士の第一号。この技術が根付けば、量産機の整備体制そのものが変わる。
「タカモリ」
ガルベルトが隣に来た。
「あいつは筋がいい」
「ガルベルトさんの弟子ですから」
「世辞はいらん」
だが琥珀色の目は、弟子の背中を見つめて細められていた。
*
三日目。
カティアが最初の量産機改修を完了した。
共鳴構造の簡易版を組み込み、魔力伝導路と物理フレームの接合部を再調整する。奏太が最終チェックを行い、数値を確認した。
「性能向上、十七パーセント。想定通りです」
「よし」
ガルベルトが太い腕で胸の前をぱんと叩いた。認めた、という合図だ。
カティアは油まみれの手で額の汗を拭った。三日間、ほとんど休んでいない。それでも緑の目は疲れより充実感で満ちている。
「次、もう一機いきます」
「休め」
「まだいけます」
「休めと言っている」
ガルベルトの一喝。カティアは渋々工具を置いた。だがその口元は、にやりと笑っている。師匠に怒鳴られることすら、嬉しいらしい。
奏太は改修データをまとめながら報告書を書いた。改修時間、資材、性能向上の実測値。すべてを数字にする。組織を動かすのは、具体的な数字だ。
*
一週間後。
格納庫に見慣れない顔が現れた。
長い銀髪を一つに編み、深い青の軍服を着た女性。帝国軍とは異なる制服のデザイン。左胸に刻まれた紋章は——共和国のものだった。
「イレーネ・ペトロヴァ技術大尉。リヒテン共和国整備技術局より参りました」
凛とした声。背筋がぴんと伸びている。鋭い灰色の目が格納庫を一瞥し、並んだ量産機を舐めるように見た。
「視察と聞いているが」
ゲルナーが出迎えた。
「ええ。アウローラの戦闘データが同盟国にも共有されました。我が国の技術局は——率直に申し上げて、衝撃を受けています」
イレーネの言葉は簡潔だった。外交辞令を削ぎ落とした、技術者の言葉遣い。
「実機を見せていただけますか」
「もちろんだ。タカモリ、案内してやれ」
奏太が前に出た。イレーネの灰色の目が奏太を捉える。値踏みするような、だが敵意のない視線。
「あなたが開発主任の」
「鷹森奏太です」
「お若い」
「よく言われます」
格納庫を歩きながら、奏太はアウローラと改修済みの量産機を順に説明した。共鳴構造の原理。簡易版の仕組み。性能向上の数値。
イレーネは終始無言で聞いていた。時折、手帳に何かを書き込む。質問は少ないが的確だった。魔力伝導効率の劣化率。簡易版の耐久性。量産コスト。すべて核心を突いている。
一通りの視察が終わった後、イレーネはゲルナーと奏太、ガルベルトを前にして口を開いた。
「単刀直入に申し上げます」
灰色の目が真っ直ぐにこちらを見た。
「この技術を、共和国と共有していただけないでしょうか。正式な依頼です」
空気が張り詰めた。
同盟国とはいえ、軍事技術の共有は簡単な話ではない。政治的にも軍事的にも、重い決断だ。
ゲルナーが腕を組んだ。
「上には報告する。だが技術的な判断は現場に委ねると言われている。ガルベルト、タカモリ。お前たちの意見を聞きたい」
奏太は六角ボルトを握った。共通の敵がいる以上、同盟国の戦力向上は帝国の利益にもなる。技術を独占しても、味方が崩れれば意味がない。
「俺は賛成です」
奏太が言った。
「この技術は広まるべきだと思います。一国だけが強くても、戦線全体は守れない」
全員の視線がガルベルトに向いた。
巨体の男は黙っていた。琥珀色の目が天井を見上げている。長い沈黙。格納庫に工具の音だけが響く。
やがてガルベルトが口を開いた。
「——俺の弟子たちに、こいつの技術を教えるのは癪だ」
こいつ、と奏太を顎で指す。
「俺が何十年もかけて積み上げた整備の流儀がある。それとは全く違う発想だ。正直、面白くはない」
イレーネが身じろぎした。断られる——そう思ったかもしれない。
だがガルベルトは続けた。
「だが、必要だ」
低く、重く。
「アウローラの模擬戦を見た。あの性能は本物だ。タカモリの技術は本物だ。それを認めないほど、俺は頑固じゃない。——いや、頑固だが、馬鹿ではないつもりだ」
ガルベルトがイレーネを見た。
「条件がある。共有するなら、技術者の交流もセットだ。お前のところの整備士をこっちに寄越せ。うちの連中も送る。技術だけ渡して終わりじゃ意味がない。人が育たなければ、技術は死ぬ」
イレーネの灰色の目が見開かれた。
一拍。
「望むところです」
イレーネが右手を差し出した。ガルベルトがその手を握る。巨大な手と、細いが力強い手。異なる国の技術者が、格納庫の油の匂いの中で握手を交わした。
ゲルナーが満足げに頷いている。
「では正式な手続きを進めよう。タカモリ、技術移転の計画書を頼む」
「了解です」
奏太は手帳を取り出した。やることが一気に増えた。量産機の改修。融合型整備の教育。そして共和国への技術移転。個人の技術が、組織を動かし、国境を越えようとしている。
六角ボルトを回す指が止まった。
*
その夜。
格納庫の片隅で、奏太は一人で計画書を書いていた。手元のランプが橙色の光を落としている。
足音が近づいた。重い足音。ガルベルトだ。
「まだやってるのか」
「もう少しで終わります」
ガルベルトが隣の椅子にどかりと座った。椅子が軋む。
「お前が来た時のことを覚えているか」
「忘れるわけないでしょう。初日に怒鳴られましたよ」
「素人が格納庫をうろつくなと言ったんだ。間違ったことは言っていない」
「もう少し優しくしてくれてもよかったんじゃないですか」
「甘やかして育つ技術者はろくなもんにならん」
いつもの調子だ。だがガルベルトの声は、どこか柔らかかった。
「お前の技術が国を越える。大したもんだ」
「俺一人の力じゃないですよ」
「分かっている。だから認めたんだ」
ガルベルトが立ち上がった。椅子がまた軋む。
「計画書、明日の朝までに仕上げろ」
「了解です」
重い足音が遠ざかっていく。
奏太はペンを握り直した。技術移転計画書。融合型整備の教育カリキュラム。共和国との人材交流プログラム。書くべきことは山ほどある。
でも不思議と、重荷には感じなかった。
一人の整備士の技術が、一機の専用機を生み、量産機を底上げし、同盟国にまで広がろうとしている。元の世界から持ってきたものは、工学の知識と物を直す手の感覚だけだった。それが今、この世界で根を張り始めている。
ランプの灯りの下で、ペンが走る。明日はカティアの二機目の改修。来週には共和国から最初の研修生が来る。
六角ボルトをポケットにしまった。
壁は高い。だが越えられない壁ではない。




