第五十五章 試作二号
完成した。
格納庫の中央に立つそれを見上げて、奏太は息を吐いた。試作二号機。全ての改良を詰め込んだ集大成。一号機とはシルエットが違う。肩部のラインが鋭く、背部主管が二本に分岐して両肩へ流れている。外装パネルの合わせ目はディーターの手で完璧に仕上がっていた。
朝日が天窓から差し込んで、鋼の表面を白く染めている。
「計測系、全て正常。いつでもいけます」
カティアが計測器の前から手を挙げた。緑の目が気合い十分。ディーターが壁際に立っている。灰色の目。いつもと同じ。ただ工具袋に触れる指が微かに動いていた。
今日は正式な性能試験だ。立会人が二人いる。
*
ヴェーバー少将。白髪交じりの短髪、鋼の灰色の目。観覧席に腰を下ろし、顎の古傷を撫でている。元パイロット。機体の良し悪しを体で知る男。
隣にゲルナー少佐。きっちり七三の黒髪。膝に革鞄、右手に万年筆。データを一数字残らず記録し、上層部への報告書にまとめる。それがこの男の戦場だ。
リーゼも来ていた。壁に背を預け、腕を組んでいる。紫の瞳が機体から離れない。
テストパイロットはフィン。白い前髪が跳ねている。首元のペンダントを一度握ってから、コックピットへ駆け上がった。一号機の時は奏太が乗って格納庫を千鳥足で蛇行した。今回はさすがに正式なパイロットを起用した。
「始めよう」
ヴェーバー少将の短い一言。格納庫の空気が引き締まった。
奏太はポケットの六角ボルトを一回だけ鳴らした。かちり。
「試作二号機、起動試験を開始します」
*
魔力回路に火が入った。ガルベルトの魔道刻印が光り、回路に魔力が流れ込む。同時に物理機構が目覚める。歯車が噛み合い、駆動軸が回り始めた。
振動。だが一号機とは違う。雑味がない。澄んでいる。二つの周波数が完璧に同調した、純粋な共鳴だけが空気を震わせていた。
「出力上昇。二十、三十、四十——」
カティアの声。計器の針は滑らかに上昇。一号機で暴れた五十パーセント帯を、何事もなく通過。
「六十、七十、八十——九十。安定」
「百パーセント到達。出力なお上昇——百十、百二十——設計限界値。完全に安定」
カティアが息を呑んだ。
「従来機比、一・八三倍」
一号機の限界だった九十三パーセントを大幅に塗り替えた。ゲルナーの万年筆が止まっていた。数値を書き留めるのを忘れている。
*
次は機動試験。演習場に移した。
「歩行テスト、行きます!」
フィンの声が弾けた。一歩、二歩、三歩。真っ直ぐ。蛇行なし。奏太の千鳥足とは雲泥の差だ。
「歩行安定度、A判定」
旋回。奏太が十五秒かけた半円を、フィンは三秒で回った。ブレなし。
「応答速度——従来機比四十パーセント以上向上」
「タカモリさん! この機体すごいです! 考えた通りに動く!」
「落ち着け、フィン。まだテスト中だ」
加速。急停止。跳躍。全項目A判定以上。そして魔力消費のデータが出た。
カティアが数値を二度確認した。三度目。緑の目が見開かれた。
「従来機比、三十二パーセント削減」
三割以上の魔力削減。共鳴構造が入力を無駄なく増幅している証拠だ。
「戦闘継続時間が四割以上延びる」
リーゼが腕を組んだまま言った。声は冷静だが、言葉に熱があった。魔力が長く持てば、それだけ多く帰ってこられる。
ガルベルトが低く息を吐いた。二十三年間、一パーセントの効率改善に心血を注いできた男の前に、三十二パーセントという数字がある。
*
全テスト終了。カティアが最終報告を読み上げた。
「出力——従来機比一・八三倍。魔力消費——三十二パーセント削減。応答速度——四十パーセント以上向上。共鳴安定性——全項目A判定以上」
ヴェーバー少将が顎の傷を撫でた。データを一瞥し、機体を見上げた。
「よくやった」
短い。だが重い。三十年以上の戦場を知る男の四文字は、どんな賞賛より効いた。
ゲルナーが一歩前に出た。
「上層部への報告書を作成します。この数値なら予算の増額は通せます」
黒い目に、官僚の仮面ではない何かが覗いた。
「今回は、潰させません」
かつて有望な技術を予算不足で失った男の決意だった。
「量産への移行について、見解をお聞かせください」
奏太はボルトを握った。離した。
「リーゼ専用のカスタム機をまず一機。量産型への展開はその後です」
きっぱり言い切った。
ゲルナーの眉が上がった。ヴェーバー少将の灰色の目が細くなった。
「理由は」
「共鳴構造はパイロットとの相性が大きい。同じ設計でも乗り手次第で共鳴の質が変わります。まず最高のパイロットに最適化した実戦機を完成させて、そこから得たデータを量産設計にフィードバックする。それが最短ルートです」
一呼吸。
「順番を間違えると、中途半端な機体が前線に並びます。それは——命に関わる」
ヴェーバー少将が顎の傷を撫でた。考える時の癖だ。
「戦況は楽観できん。だが——急いで粗製乱造するくらいなら、確実な一機を仕上げて展開する方が早い。そうだな」
「はい、閣下」
「リーゼ。お前の意見は」
「タカモリの判断を支持します。実戦データなしの量産は博打です」
短い。リーゼらしい。
ヴェーバー少将が頷いた。
「承認する。ヴァイスフェルト中尉専用のカスタム機を一機。量産型の検討はその完成後だ」
ゲルナーの万年筆が走った。迷いのない筆跡。奏太は静かに息を吐いた。通った。
*
ヴェーバー少将とゲルナーが去った。格納庫に残ったのはいつもの面々。張り詰めていた空気が緩んだ瞬間、奏太の膝から力が抜けかけた。
ガルベルトの太い手が肩を掴んだ。
「倒れるな。格好悪い」
「すみません」
「百回はボルト握ってたぞ」
「数えてたんですか」
「暇だったからな」
カティアが笑った。ディーターも口元を緩めた。
「お疲れ様です! やりましたね!」
「ありがとう。カティアの計測が正確だったから——」
「出た」リーゼが遮った。「全員の功績を並べて、自分だけ抜かす癖」
「いや——」
「褒めてるんだ。黙って受け取れ」
奏太は口をつぐんだ。もう慣れた。
「……ありがとうございます」
フィンがコックピットから降りてきた。汗だく。だが青緑の目がぎらぎら輝いている。
「タカモリさん! あの機体すごかったです! 考えた瞬間に動く!」
「フィン。息を吸え」とリーゼ。
「はっ、はい!」
深呼吸の後、リーゼが続けた。
「お前の操縦データ、私の専用機の設計に使う。素直に乗るから機体の素性がよく出る。いいテストだった」
フィンの顔が真っ赤になった。リーゼに褒められた。多分。
その横で、カティアが口を開いた。
「あの、一つ提案があるんですけど」
全員の目がカティアに向いた。
「量産するなら、整備マニュアルも作らないと」
赤毛の下の緑の目が、真剣だった。
「今は四人で全部見てますけど、量産型が配備されたら各部隊の整備兵が扱います。共鳴構造の理論、統合整備手順、調律パターン——全部マニュアル化しないと、誰も触れません」
ガルベルトが鼻を鳴らした。
「気が早い」
「早くないです」
カティアは一歩も引かなかった。緑の目が師匠を真っ直ぐ見ている。
「量産が決まってから慌てて作るんじゃ遅い。技術は頭の中にあるだけじゃ、伝わりません」
格納庫が静かになった。正しい。技術は文書にして、人から人へ渡せる形にして、初めて「技術」になる。
ガルベルトの琥珀色の目が弟子を見つめた。五年前、整備棟の前で毎日待ち続けていた少女が、技術の未来を語っている。
「……勝手にしろ」
声に棘はなかった。
ディーターが壁際で小さく頷いた。灰色の目が、ほんの少しだけ和らいでいた。
「カティア」奏太が言った。「手伝うよ。俺の知識も文書化した方がいい。元の世界の工学をこっちの言葉で書き直す。それは俺にしかできない」
「ありがとうございます! じゃあまず共鳴構造の基礎理論から始めましょう。あ、テイラー展開の説明のところは私がチェックしますから。三次の項、打ち切らないでくださいね」
「まだ言うか」
「一生言います」
奏太は苦笑した。あの深夜の指摘はカティアの技術者としての誇りなのだ。
リーゼが腕を組んだまま、その光景を見ていた。紫の瞳が穏やかだった。技術者たちが作る話ではなく、伝える話をしている。明日が来ると信じている人間だけができることだ。
「タカモリ」
「はい」
「いい機体だった」
六文字。リーゼはそれだけ言って踵を返した。銀灰色の髪が格納庫の光の中で揺れて消えていく。
短い言葉。でも十分だった。リーゼの六文字には、エースの信頼が全部入っている。
*
夕方。格納庫にはガルベルトと奏太だけが残った。
二号機が作業灯の下に立っている。テストの余熱がまだ鋼に残っていた。
ガルベルトが杯を二つ出した。琥珀色の液体が注がれる。
「カティアのことだが」
「はい」
「あいつはもう弟子じゃない。自分の頭で考えて、自分の言葉で語っている。一人前の技術者だ」
琥珀色の目が遠くを見ていた。
「——育てた甲斐があった」
小さな声だった。弟子には絶対に聞かせない声。
「ガルベルトさん。リーゼさんの専用機、最高のものにしましょう」
「当然だ」
かちん。杯が鳴った。
従来機の一・八倍以上の出力。三割を超える魔力消費削減。大幅に向上した応答速度。だが、これは通過点だ。
次はリーゼ専用機。その先に量産型があり、カティアの整備マニュアルがあり、技術が人から人へ渡っていく未来がある。
奏太は酒を飲み干した。ポケットのボルトに触れた。
いい機体だった、とリーゼが言った。なら次は、もっといい機体を作る。
白い紙を広げた。ペンを取った。
新しい線を引き始める。明日のための、一本目の線を。




