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戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第四部 開発篇

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第五十四章 故郷の味

 きっかけは、奏太のため息だった。

 昼食の時間。ペトラの作ったシチューを匙ですくいながら、奏太はぼんやりと窓の外を見ていた。何を見ているわけでもない。ただ、舌の上に広がるシチューの味が、記憶の底にある別の味と重なりかけて、消えた。

「どうした、タカモリ。ぼうっとして」

 向かいに座ったリーゼが、紫の瞳を向けてきた。手には千切ったパンが挟まっている。

「いや、ちょっと思い出しまして」

「何をだ」

「カレーっていう料理です」

 フィンが横から身を乗り出した。青緑の目がきらりと光る。

「カレー? どんな料理ですか」

「香辛料をたくさん使った煮込み料理です。飯にかけて食べるんですけど——辛くて、熱くて、やたらと腹に溜まる。俺の故郷では、まあ、国民食みたいなものでした」

「作れるのか」

 リーゼの問いは短い。だがその目は、もう興味を隠していなかった。

「材料さえあれば。ただ、この世界にある香辛料で代用できるかどうか——」

「ペトラに聞け。あの人の棚は宝の山だ」

 リーゼが立ち上がった。パンの最後のひとかけを口に放り込んで、厨房へ向かう。行動が早い。この人はいつもそうだ。決めたら迷わない。戦場でも食卓でも。

 奏太は空になったシチューの皿を見下ろして、小さく笑った。ポケットの六角ボルトに指を触れる。母の作ったカレーの味が、ふいに鮮やかに蘇った。


        *


 ペトラの厨房は、いつ来ても圧巻だった。

 壁一面の棚に並ぶ瓶、瓶、瓶。香辛料、乾燥ハーブ、塩の種類だけで十を超える。

「故郷の料理を作りたい? 大歓迎だよ」

 ペトラは丸い眼鏡の奥の茶色い目を輝かせた。新しい味への好奇心は、この女主人の最大の武器だ。

 奏太は棚の瓶を一つずつ開けていった。蓋を外し、鼻を近づけ、記憶と照合する。ターメリックに近い黄色い粉末——ヴォルム根。クミンに似た温かい芳香の種子。カルダモンの役割を果たせる清涼感のある莢。唐辛子の代わりになる赤い小粒の実。生姜の親戚のような白い根。

 一つ見つかるたびに、頭の中でカレーの輪郭が形を結んでいく。完全な再現は無理だ。元の世界のスパイスとは全部微妙に違う。でも——骨格は組める。

「いけます」

 奏太の声が、自分でも意外なほど弾んでいた。

「リーゼさん、手伝ってもらっていいですか」

 厨房の入口で腕を組んでいたリーゼが、ほんの一瞬だけ目を見開いた。

「構わないが。何をする」

「野菜を切ってください。一口大で」

「任せろ」

 リーゼは袖を捲り上げて、まな板の前に立った。包丁を手に取る所作が滑らかだ。刃物の扱いが染みついている。奏太が根菜と玉ねぎに似た白い球根を渡すと、リーゼはためらいなく包丁を入れた。

 とん、とん、とん。小気味よいリズム。均一な大きさに切り揃えられていく野菜を見て、奏太は素直に感心した。

「綺麗ですね。揃ってる」

「母に教わった。刃物の扱いは得意だ」

「料理の話、ですよね」

「当然だ。何を想像した」

 リーゼの口元がかすかに緩んだ。奏太は苦笑しながら、鍋に油を引いた。

 まず香辛料を油で炒める。ヴォルム根の粉、クミンもどき、砕いた莢の種。油に触れた瞬間、厨房の空気が一変した。甘く、刺激的で、どこか懐かしい香り。

「おお」とペトラが声を上げた。「香辛料を最初に油で炒めるのか。初めて見たね」

「油に香りを移すんです」

 肉を炒め、リーゼが切った野菜を投入し、水を注いで煮込む。ルウなど存在しないから、香辛料と塩と小麦粉でとろみをつけた。酸味のある赤い果物をすりおろして加える。チャツネの代わりだ。

 元の世界のカレーとは違う味になっていく。でも、カレーの魂——複数の香辛料が渾然一体となって押し寄せるあの感覚——は、確かにそこにあった。

「味見、お願いできますか」

 匙をリーゼに差し出した。リーゼが一口含む。

 紫の瞳が、わずかに広がった。

「辛い」

「すみません、辛すぎました?」

「いや。辛い、が——うまい」

 短い評価。だがリーゼの二口目が全てを語っていた。匙が止まらない。

「リーゼさん、それ味見じゃなくて——」

「味見だ。念入りにやっている」

 真顔で言うから、奏太は笑うしかなかった。

「塩をもう少し。煮込みも足りない」

 リーゼの指摘は的確だった。あと三十分煮込む。鍋が静かにことこと鳴る。厨房に立ち込める香りが、扉の隙間から廊下へ、やがて格納庫の方まで届いていったらしい。


        *


 夕食の時間。

 食堂のテーブルにカレーが並んだ。この世界の穀物——米ではないが粘り気のある粒状の穀物——を炊いて、その上に黄金色のルウをかける。湯気が立ち上って、香辛料の香りが食堂を満たした。

 フィンが真っ先に席についた。青緑の目が皿に釘付けになっている。

「すごい色ですね。これがカレー」

「見た目はちょっとアレですけど、食べてみてください」

 フィンが一口。

 目が丸くなった。咀嚼が止まった。そして——満面の笑みが弾けた。

「美味い! タカモリさん、これめちゃくちゃ美味いです!」

「本当ですか。よかった」

「おかわりってありますか」

「まだ一口しか食べてないでしょう」

 フィンは聞いていなかった。猛烈な速度で皿を空にしていく。首のペンダントが食べる勢いで揺れた。

「何だこの匂いは」

 ヨハンが食堂に入ってきた。濃い金髪を掻きながら、翡翠色の目を細める。皿を覗き込んで、眉をひそめた。

「黄色い。なんか怪しいな」

「大丈夫ですよ。リーゼさんの味見済みです」

「ふん。リーゼが認めたなら外れはねぇか」

 ヨハンが匙を口に運んだ。一拍の間。顔が赤くなった。

「辛ぇ!」

 水を一気に飲み干す。だが、すぐにまた匙を取る。

「辛ぇ! でもうまい!」

 酒瓶を取り出して流し込み始めた。翡翠色の目は涙目だ。それでも匙は止まらない。

 ガルベルトが食堂の奥から現れた。無言で匙を取り、淡々と食べ進める。表情は変わらない。だが匙は止まらなかった。

 皿が空になった。一粒も残っていない。

「悪くない」

 それだけだった。奏太は知っている。この男の「悪くない」が何を意味するか。

 ペトラが帳面を広げて奏太の隣に来た。

「この香辛料の使い方、覚えさせてもらうよ。配合も全部書き取らせておくれ」

「もちろんです」

 ペトラのペンが帳面の上を走った。配合の比率、炒める順番、煮込みの時間。料理人の目で、一つも漏らさず。

 フィンがおかわりに立った。二杯目の皿を持って戻ってくる。食べる。三杯目。食べる。エーリヒが灰緑の目を丸くした。

「フィン、お前どこに入るんだ」

「胃袋は別腹です」

「意味が違う」

 四杯目に手を伸ばしかけたフィンを、ヨハンが「残せ! 俺のおかわり分がなくなるだろうが!」と制した。フィンは渋々引き下がったが、鍋の方を未練たっぷりに見つめていた。

 食堂は賑やかだった。ディーターは無言で二杯を空にした。空の皿が全てを物語っている。全員が、一つの食卓にいた。

 奏太はその光景を見渡して、胸の奥が熱くなった。元の世界では一人でコンビニ弁当を食べていた。「美味しい」と言ってくれる人はいなかった。

 ここにはカレールウもない。でも——この食堂がある。温かい鍋と、一緒に食べる仲間がいる。

「似ているけど違う味になりましたね」

 奏太はぽつりと言った。隣に座ったリーゼに向けて。

「元の世界のカレーとは、結構違う味です。こっちの香辛料の方が香りが強いし、肉の甘みも違う。でも——」

「でも、美味しい」

 リーゼが静かに続けた。紫の瞳が奏太を見ている。

「似ているけど違う。でも美味しい。それはお前がこの世界で見つけた味だ」

 その言葉が、奏太の胸を突いた。似ているけど違う。この世界での自分の在り方そのものだ。でも、ここに居場所がある。

「これが俺の故郷の味です」

 自然に出た言葉だった。故郷。その言葉をずっと避けてきた。でも今なら言える。

 リーゼが顔を上げて、真っ直ぐに奏太を見た。

「なら、ここがお前の二つ目の故郷だ」

 冗談の色はなかった。ただの事実を述べるように、リーゼは言った。

「……はい」

 それしか返せなかった。でも、伝わったようだった。リーゼが小さく頷いて、皿に視線を戻す。

 食堂の喧騒が二人を包んでいた。ヨハンが酒瓶を振り回し、フィンが五杯目に挑み、ガルベルトが「いい加減にしろ」と制し、ペトラが「まだ鍋にあるよ」と笑っている。

 その喧騒の中で、リーゼがぽつりと呟いた。

「弟にも、食べさせてやりたいな」

 奏太は匙を止めた。

「弟さん?」

「ああ。士官学校にいる。今年で二十二になる。母が亡くなった時、あいつはまだ十二だった」

 初耳だった。リーゼに弟がいるなんて、一度も聞いたことがない。これだけの時間を一緒に過ごしてきたのに。

「知らなかったです」

「言ったことがなかったか」

「一度も」

 リーゼの口元がわずかに苦く歪んだ。

「料理を覚えたのは、あいつに食わせるためだ。父は剣と戦術の人間で、台所には立たなかった。母が死んでから、あいつの飯は私が作った」

 リーゼの声は平坦だった。もう整理のついた記憶を淡々と語る声。だがその淡々さの裏の重みを、奏太には少しだけ想像できた。

「士官学校の飯は不味いんだ。私も経験がある。味気ない芋と塩気だけの肉。量はあるが、心がない」

「心、ですか」

「作る人間の心だ。ペトラの飯にはそれがある。だから美味い。あいつは今、心のない飯を食っている。それが——少し、気にかかる」

 リーゼが視線を落とした。カレーの残りが皿にわずかに残っている。黄金色のルウが、穀物の粒にからんでいた。

 気の利いた言葉が見つからない。だから、別のことを言った。

「レシピ、書きますよ。弟さんの分も。香辛料を小分けにして送れば、士官学校でも作れるかもしれません」

 リーゼが顔を上げた。紫の瞳がまっすぐに奏太を見た。

「……ああ。頼む」

 短い返事に、リーゼの全てが詰まっていた。弟への情。不器用な姉の愛情。それを他人に見せたことへの、ほんの少しの照れ。

 奏太はポケットの六角ボルトを一度握って、離した。この人の輪郭が、食卓を共にするたびに少しずつ鮮明になっていく。

 ペトラが厨房から追加のカレーを運んできた。

「さあ、まだまだあるよ。遠慮しないで食べな」

 フィンが歓声を上げた。ヨハンが「おう、もう一杯だ」と皿を差し出した。ガルベルトが無言で匙を取った。二杯目だ。この男が二杯目を食べるのは珍しい。琥珀色の目が一瞬だけ奏太を見て、すぐに逸らされた。

 認められている。言葉にされなくても、わかる。

 窓から夕焼けが差し込んでいた。橙色の光が食堂を染めて、カレーの湯気と混ざり合う。温かい色だった。記憶の中の実家の食卓と、少しだけ重なる色。

 元の世界の母のカレーは少し甘口だった。福神漬けが添えてあって、父がいつも大盛りで。あのカレーはもう食べられないかもしれない。

 でも今日、新しいカレーができた。この世界の仲間と一緒に。似ているけど違う。でも、温かい。

 リーゼが皿を重ねて立ち上がった。片付けを手伝うつもりらしい。奏太も腰を上げた。

「タカモリ」

「はい」

「次は何を作る」

「え?」

「お前の故郷の料理。他にもあるだろう」

 リーゼの声は淡々としていた。だが奏太は聞き逃さなかった。「次」という言葉。未来を前提にした言葉。一緒に食卓を囲むことが、当たり前に続いていくという前提。

「そうですね。味噌汁の完全版とか、天ぷらもどきとか——」

「楽しみにしている」

 リーゼが歩き出した。銀灰色の髪が夕日に透けた。その背中を見ながら、奏太は思った。

 二つ目の故郷。

 その言葉が、胸の中で温かく灯っている。

 ペトラが最後の鍋を抱えて厨房に戻っていく。帳面を胸に抱えた、満足げな足取りだった。

 空になった食卓の上に残ったのは、香辛料の匂いと、夕焼けの光と、全員分の空の皿。

 全部空だ。一皿も残っていない。

 奏太は最後の皿を拭きながら、小さく笑った。ポケットの六角ボルトが、いつもより温かい気がした。


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