第五十二章 フィンの適性
翌朝、格納庫は早くから動いていた。
奏太が作業台でテストスケジュールを組んでいると、フィンが駆け込んできた。白い前髪が額に張りつき、青緑の目が爛々と光っている。
「タカモリさん! 聞きました! 改良機が動いたって!」
「おはよう、フィン。声が大きい」
「おはようございます! で、乗れるんですか!?」
声は小さくならなかった。十九歳の興奮は制御できない。
「乗ってもらう。今日、お前に」
フィンの目が見開かれた。
「俺が——一番手ですか?」
「ああ。この機体の共鳴構造は、パイロットの魔力適性と振動周波数が同調して真価を発揮する。リーゼさんは突撃型、ヨハンさんは指揮型。どちらも共鳴構造との相性は未知数だ」
「それで、俺?」
「お前は調和型だ。機体と同調する適性が、共鳴率に直結する——と、俺は読んでる」
「計算してないんですか」
「計算はした。でも実機で確認しないと分からない」
フィンは三秒ほど黙った。それから、にかっと笑った。
「やります」
*
一時間後。アウローラ改良型プロトタイプの前に全員が集まっていた。
ガルベルトが魔力回路の最終チェックを終え、カティアが計測器を構えている。ヨハンとリーゼも来ていた。
「昨日の操縦をもう一回見せられるのは勘弁してくれよ」
ヨハンが言った。翡翠色の目が笑っている。
「今日はフィンです。少なくとも昨日より酷くはならない」
リーゼが紫の瞳をフィンに向けた。
「緊張しているか」
「してます。めちゃくちゃしてます」
「いい。機体の声を聞け」
短い言葉だった。だがフィンには十分だった。背筋が伸びた。
「行ってきます」
コックピットのハッチが閉じた。
*
操縦桿を握った。左右二本。手に馴染む。まるで自分のために作られたかのように。
深呼吸。
「フィン・レクター、起動します」
「魔力注入、開始」ガルベルトの低い声。
魔力回路が目覚めた。歯車が噛み、駆動軸が回転する。振動が来た。シートの下から、操縦桿を通して、足裏から。
フィンの瞳が揺れた。
この振動——馴染む。初めて乗る機体なのに。調和型の魔力適性が、機体の振動周波数を肌で感じ取っている。自分の魔力の流れと、機体の脈動が、重なっていく。
「出力上昇。二十……三十……四十——」
カティアの声が聞こえた。
「五十——六十——安定——いえ、違う。同調率が昨日のデータとは桁が違う——」
フィンには計測値は見えない。だが体が知っていた。機体が応えている。境界が溶けていく。
「七十……八十……九十——九十五パーセント。昨日の最大値を超えました」
格納庫の外でヨハンの口笛が聞こえた。
フィンは操縦桿を前に倒した。
一歩目。ずしん。だがぶれない。二歩目。三歩目。まっすぐだ。昨日の奏太の千鳥足が嘘のように、一切の蛇行なく直進している。
「蛇行ゼロ。歩行精度、計測限界以内」
カティアが読み上げた。
旋回に入った。機体がスムーズに弧を描いた。五秒。奏太が十五秒かかった旋回を、三分の一で。
「旋回角速度、従来機の一・八倍——嘘でしょ。初搭乗でこの数値——」
カティアの声が裏返った。
フィンは復路に入った。走ってみた。加速。減速。停止。ぴたりと止まった。一歩のずれもない。
「タカモリさん」通信機に向かって叫んだ。「この機体——生きてるみたいだ!」
十九歳の、混じりけのない感嘆が格納庫に響いた。
*
テストは一時間に及んだ。どの項目でも、数値は予測を上回った。
「師匠、魔力回路の同調率です」
カティアが計測器をガルベルトに見せた。琥珀色の目が固まった。
「——九十七パーセントだと?」
「昨日の鷹森さんは八十六パーセントでした。十一ポイント跳ね上がりました」
「出力増幅率は」
「理論値の一・四倍から、実測で一・六倍に」
ガルベルトが顔を上げた。
「調和型の適性が、共鳴構造の触媒になっている。パイロットが機体の共鳴に溶け込む。フィンの適性は——この機体のためにあったようなものだ」
奏太はポケットの六角ボルトを握りしめていた。読みが当たった。だがここまでとは思わなかった。
フィンがコックピットから降りてきた。白い前髪が汗で額に貼りつき、青緑の目が輝いている。
「すごかった。操縦してるって感じじゃないんです。手を伸ばしたら機体の腕が伸びる。走ろうと思ったら走ってる。境界がない。量産機は道具だった。でもこの機体は——一緒に動いてくれる」
ヨハンが壁から体を起こした。冗談めいた空気は消えていた。
「おい、俺にも乗らせろ」
「ヨハン」リーゼが一歩前に出た。「私が先だ」
「おい中尉殿、割り込みか」
「実力順だ」
「経験で七年は上だぞ」
「経験では負けるが、戦績では負けていない」
二人の間に火花が散った。あの機体に乗りたい。パイロットの本能が疼いている。
「二人とも、順番に乗ってもらいます。まずリーゼさんから」
ヨハンは「ちっ」と舌を鳴らしたが、翡翠色の目は笑っていた。
*
リーゼが乗った。五分間。フィンとは質が根本的に違う操縦だった。
一歩ごとに地面を踏み砕くような圧。切り返すような鋭角の旋回。全力走行からの急停止。機体に掛かる負荷は跳ね上がったが、共鳴構造が全て吸収した。
コックピットから降りてきたリーゼの銀灰色の髪が乱れていた。紫の瞳が見開かれている。
「これは——次元が違う」
短く、低く。格納庫の全員が息を呑んだ。
「操縦応答が速すぎる。私の意思決定より先に機体が動き始めている」リーゼが奏太を見た。「お前、何を作った」
「機体です」
「そういうことを聞いているのではない」
それからリーゼは腕を組んだ。
「ただし、同調率はフィンの方が上だった。あの機体は、フィンの適性に最も応える」
エースパイロットが十九歳の若手の適性を素直に認めた。リーゼらしかった。
ヨハンのテストも終わり、全データが出揃った。カティアが集計した。
「フィンの同調率が最高値。九十七パーセント。リーゼ中尉が九十二、ヨハン大尉が八十九。出力増幅率一・六倍。従来機比で二・三倍の出力です」
ゲルナーが格納庫に現れた。データに万年筆を走らせ、一行ずつ確認していく。
「予測値の全項目を上回っていますね」
「はい」
「今夜中に中間報告を再修正します。この数値なら、追加予算の承認は確実です」
事務的な声。だが万年筆を胸ポケットに差す指が、かすかに震えていた。
*
夕方だった。
フィンは機体の足元に座り込んで、ディーターが淹れてくれた茶を飲んでいた。テストの興奮が少し落ち着いた頃。
格納庫の入口から、足音が聞こえた。
わずかに不均一な軍靴の音。怪我をした脚を庇うような歩き方。
フィンは顔を上げた。
逆光だった。夕陽が人影のシルエットを作っている。中背。痩身。左腕がわずかに体に寄せられている。
一歩、格納庫に入った。
丸眼鏡。角ばった顎。少し痩せた頬。左腕は包帯の上から軍服の袖を通している。
「——エーリヒ」
茶杯が手から滑り落ちそうになった。立ち上がった。膝が震えた。
エーリヒが眼鏡の奥から、フィンを見た。
「生きてたか、この馬鹿」
ぶっきらぼうで、そっけなくて、温かさを隠すのが下手な声。
「生きてるよ。お前こそ——腕は。いつ戻った。なんで連絡しなかった」
「質問が多い。腕はくっついた。今朝着いた。連絡する前に着いた」
三つの答えを三つの短い文で。エーリヒらしかった。
フィンは笑った。目が熱い。泣きそうだ。でも泣かない。エーリヒの前で泣いたら、一生からかわれる。
エーリヒの目が、格納庫の中央のプロトタイプに向いた。
「この機体は?」
「アウローラ改良型。今日、俺がテストパイロットを務めた」
「データは見せてもらえるか」
奏太が作業台を指した。エーリヒが計測データを手に取った。右手だけでページをめくる。数値を追う目が速い。
三枚目で手が止まった。
「同調率、九十七パーセント?」
「うん」
「出力増幅率、一・六倍?」
「そう」
エーリヒがデータから顔を上げた。丸眼鏡の奥の目が、フィンを真っ直ぐに見た。戦場でフィンの背後を守る時の、冷静で真摯な目。
「お前、すごいな。俺がいない間に、別人になったみたいだ」
フィンの喉が詰まった。
別人になったわけじゃない。調和型のまま、自分のやり方を見つけただけだ。リーゼ中尉の真似をするのをやめた。自分の足で立つと決めた。でも、それをエーリヒに認めてもらえた。
それが、何よりも嬉しかった。
「お前がいなかったから、強くなるしかなかったんだよ」
声は震えなかった。
エーリヒが鼻で笑った。眼鏡の奥の目が細くなった。
「なら、次は二人で乗ろう」
「この機体は一人乗りだ」
「僚機でだよ。馬鹿」
フィンが声を上げて笑った。エーリヒも肩を小さく揺らした。格納庫に二人の笑い声が響いた。
格納庫の端で、ヨハンが翡翠色の目を細めていた。
「若いってのは、いいもんだな」
*
夜。格納庫には奏太とガルベルトだけが残っていた。
奏太はプロトタイプの足元に座り、ノートにデータをまとめていた。六角ボルトが指の間で回る。かちり。
フィンとエーリヒは兵舎に戻った。二人で並んで格納庫を出ていく背中を見送った。復帰した僚機パイロットと、成長した若手。二人の影が夕陽の中で重なっていた。
ガルベルトが酒瓶を持って隣に座った。
「フィンの適性は化け物だぞ。九十七パーセントなど、教科書に載る数値だ」
「分かってます」
「だがパイロット一人では戦えん。僚機がいる。整備がいる。機体がいる」
「全部揃えます」
ガルベルトが鼻で笑った。酒を一口飲んだ。
「急げよ。戦争は待ってくれん」
奏太はノートを閉じた。ボルトをポケットに戻す。
格納庫の中央で、プロトタイプが作業灯の光を浴びて立っている。今日、フィンが溶け合い、リーゼが驚き、ヨハンが唸り、エーリヒが数値に目を見張った機体。
調和型。どっちつかずだと笑われた適性。だがそれは、正しい機体と出会ったとき、誰よりも深く、誰よりも強く、人と機械を結ぶ力だった。
明日も、手を動かす。それだけだ。




