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戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第四部 開発篇

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第五十章 魔力回路と機械構造

 夜が深まっていた。

 格納庫にはもう奏太しかいない。作業灯の白い光が、沈黙したプロトタイプを照らしている。ノートの上に広がる数式は、これまでとは違う方向を向いていた。

 統合ではなく、共鳴。

 六角ボルトが指の間で回る。かちり。かちり。金属音がリズムを刻むたびに、頭の中で何かが組み上がっていく。

 物理機構の振動周波数。三・七から四・二ヘルツ。これを消そうとしていた。ダンパーで殺そうとしていた。だが、振動は消すものではない。

 使うものだ。

 ペンが走る。紙の上に、新しい回路図の断片が生まれていく。魔力回路の流動周期と物理機構の振動周波数。二つが干渉帯でぶつかる。それが問題だった。だが——もし、ぶつかるのではなく、重なったら?

 音叉と同じだ。

 同じ周波数の音叉を並べて片方を叩けば、もう片方も鳴り出す。共鳴。振動が伝わるのではない。空気を介して、もう一方を目覚めさせる。

 物理機構の振動特性を、魔力回路の周波数に合わせる。完全に合わせる。干渉帯を避けるのではなく、干渉帯のど真ん中で同調させる。そうすれば、ぶつかり合いは——増幅に変わる。

 かちり。ボルトが止まった。

 奏太の手も止まった。

 見えた。

 壊れた機械を前にしたとき、因果の糸が浮かび上がるあの感覚。設計図には書かれていない、現実の構造だけが持つ透明な骨格。それが、いま、目の前のノートの上に重なった。

 回路図と機構図が、一つの像を結んだ。

 ぶつかり合う二つの波。位相がずれているから壊し合う。だが位相を揃えれば、波は重なり、振幅は倍になる。物理の教科書に載っている、当たり前のこと。

 当たり前のことを、誰もやっていなかった。

 魔力回路と物理機構は別物だ。この世界の技術者はそう考える。だから統合しようとする。あるいは干渉を避けようとする。だが奏太は違う世界から来た。振動と周波数と共鳴の概念は、元の世界では基礎中の基礎だ。

 それが、ここでは誰も思いつかない。

 奏太は立ち上がった。椅子が倒れた。気にしない。プロトタイプの側面パネルを開き、中を覗き込んだ。魔力回路の配線。その横を走る駆動軸。二つの距離、角度、接触面積。全部を目に焼き付ける。

 ペンが走った。数式が溢れた。ノートの一ページがあっという間に埋まった。二ページ目。三ページ目。手が止まらない。

 駆動軸のギア比を変える。回転数ではなく、振動の周波数帯を魔力回路の流動周期に近づける。具体的にはギアの歯数を変更し、軸受けの素材を弾性の高いものに差し替え、共振が起きやすい構造にする。

 普通なら共振は忌避される。構造物を壊す力だからだ。だが、魔力回路は物理的な構造物ではない。共振で壊れたりしない。むしろ、振動を受け取って出力が増幅される。

 理論上は。

 奏太はノートを掴んで走った。


        *


 ガルベルトの工房の扉を叩いたのは、夜中の二時だった。

「師匠! 起きてください!」

 カティアの声がした。隣の部屋から、寝巻き姿のカティアが顔を出していた。赤毛がぼさぼさだ。緑の目が半分閉じている。

「タカモリさん? こんな時間に何——」

「見つけた」

 奏太はノートを突き出した。息が荒い。走ってきたからだ。

 カティアの目が、ノートの数式に落ちた。半分閉じていた瞼が、ゆっくりと開いた。

「……え?」

 奏太の背後で、重い足音が響いた。

「何の騒ぎだ」

 ガルベルトが扉を開けた。百九十センチの巨体に夜着を纏い、琥珀色の目が不機嫌に光っている。白い顎髭に寝癖がついていた。

「師匠、これを見てください」

 奏太はノートを差し出した。ガルベルトはため息をつきながら受け取り、作業灯をつけた。

 琥珀色の目が数式を追い始めた。

 最初は眠そうだった。次の行で、眉が動いた。三行目で、目つきが変わった。五行目で、ガルベルトは椅子に座った。

「……待て」

 低い声だった。もう眠気は欠片もない。

「物理機構の振動を消すのではなく、同調させる? 魔力回路の流動周期に?」

「はい。干渉帯のど真ん中で位相を合わせれば、破壊的干渉が建設的干渉に変わります。出力は相互に増幅される」

 ガルベルトがノートを凝視した。ページをめくる。数式を追う。指が計算を辿っている。唇が微かに動いていた。検算しているのだ。頭の中で。

 カティアが奏太の隣に立ち、ノートを横から覗き込んだ。赤毛がノートに落ちた。払いもしない。緑の目が、数式の上を走っている。

 沈黙が流れた。長い沈黙だった。

 ガルベルトが顔を上げた。琥珀色の目が、異様な光を帯びていた。

「馬鹿な」

 その一言に、否定の色はなかった。

「だが——これなら」

 ガルベルトの声が震えた。二十年以上、帝国最高の魔道技師として生きてきた男が、声を震わせている。

「干渉が増幅に変わる。物理機構が魔力を食うのではなく、魔力が物理機構を押し上げる。同時に物理機構の振動が魔力回路を励起する。相互増幅——」

「永久機関みたいに聞こえますけど」カティアが口を挟んだ。「エネルギー保存則は?」

「外部からの魔力供給がある」奏太が答えた。「永久機関じゃない。効率が跳ね上がるだけだ。魔力入力に対する出力の比率が、干渉ロスをゼロに近づけることで飛躍的に改善される」

 カティアの目が丸くなった。

「師匠、これ……本当に動くんですか?」

 声が震えていた。期待と不安が入り混じった、細い声だった。

 ガルベルトは立ち上がった。椅子が鳴った。百九十センチの巨体が、部屋を狭くした。琥珀色の目が奏太を射抜いた。

「やってみるぞ」

 その声には、迷いがなかった。


        *


 夜中の三時。ガルベルトの工房に灯りが灯った。

 作業机の上にノートが広げられ、その隣に白紙の設計図用紙が並んだ。奏太が数式を書き、ガルベルトが魔力回路の設計に落とし込む。二人の手が止まらない。

「ギア比はここだ。従動歯車を三十二枚歯から二十八枚歯に変える。これで駆動軸の振動周波数が〇・三ヘルツ上がる」

「足りん。魔力回路の流動周期は四・〇五ヘルツだ。もう少し寄せろ」

「軸受けの素材を変えます。スチールからリン青銅に。弾性係数の差で振動特性が変わる」

「リン青銅か。耐久性は持つのか」

「持たせます。肉厚を増やして——」

 二人の会話は専門用語の応酬だった。傍目には意味不明でも、互いには完璧に通じている。技術者の言語だ。

 カティアが割り込んだ。

「待ってください。この数式、三行目の近似が粗すぎます」

 奏太が手を止めた。カティアが指差した箇所を見る。

「テイラー展開の二次までで打ち切ってますけど、振動数がこの範囲だと三次の項が無視できません。修正すると係数が一・三倍になります」

 奏太はペンを置き、計算し直した。カティアの指摘は正しかった。

「ありがとう。これだと軸受けの仕様も変わる——」

「任せろ」

 扉が開いた。ディーターだった。灰色の短髪にぐっしょり夜露がついている。いつの間に呼ばれたのか。誰が呼んだのか。誰も聞かなかった。

 ディーターは作業机の端に座り、部品表を広げた。

「リン青銅の軸受け。在庫は二種類ある。内径十六ミリと二十ミリ。どっちだ」

「二十ミリ。肉厚五ミリ以上」

「ある」

 それだけだった。ディーターの言葉はいつも必要最低限だ。だが、その最低限が、いつも的確だった。

 四人が作業机を囲んだ。奏太が理論を組み、ガルベルトが回路設計に変換し、カティアが計算を検証し、ディーターが実現可能な部品を選定する。一つの歯車のように、四人が噛み合って回っている。

 時間が溶けた。

 奏太は気づかなかった。窓の外が白み始めていることに。カティアが四杯目の茶を飲み干したことに。ガルベルトの声が掠れ始めていることに。ディーターだけが黙々と部品リストを更新し続けていることに。

 気づいたのは、全部が終わったときだった。


        *


 夜明けだった。

 窓から薄い朝日が差し込んで、設計図用紙の上に影を落としていた。作業机の上は紙で埋め尽くされている。数式、回路図、部品表、検証計算。何十枚もの紙が、一つの結論に向かって積み重なっていた。

 カティアが最後の検算を終えた。ペンを置く音が、静かな工房に響いた。

「……合いました」

 声が小さかった。疲れのせいだけではない。

「物理機構の振動周波数、四・〇五ヘルツ。魔力回路の流動周期、四・〇五ヘルツ。位相差、理論上ゼロ。干渉係数——」

 カティアの唇が震えた。

「マイナスからプラスに転じます。出力増幅率、理論値で一・四倍」

 格納庫が静まり返った。

 一・四倍。それは、設計値の八十パーセント安定どころか、百十二パーセントに到達する数字だった。干渉で食われていたエネルギーが、そのまま増幅に回る。失われていた力が、味方になる。

 誰も声を出さなかった。

 ガルベルトが設計図を持ち上げた。琥珀色の目で隅々まで確認し、ゆっくりと机に戻した。大きな手が、かすかに震えていた。

 ディーターが部品表の最後の行にチェックを入れた。必要な部品はすべて在庫にある。新規発注は不要。つまり——すぐに取りかかれる。

 奏太はボルトをポケットから出した。指の間で回す。かちり。たった一回。それで十分だった。

 構造が見えている。透明な設計図が、目の前のプロトタイプに重なっている。もう、ぼんやりとした輪郭ではない。くっきりと。完全に。

「明日——いや、今日か」ガルベルトが掠れた声で言った。窓の外の朝日を見て、苦笑した。「今日、改修に入る。全員、少し休め。作業は昼からだ」

 カティアが頷いた。緑の目に涙が滲んでいた。悔しさの涙ではない。赤毛が朝日に透けて、金色に光った。

「師匠」

「なんだ」

「動きますよ、これ」

 ガルベルトは答えなかった。ただ、白い歯を見せた。笑ったのだ。この厳格な師匠が。

 ディーターが立ち上がった。黙って薬缶を手に取り、ストーブに火を入れた。四杯の茶が並ぶ。今度は朝の茶だ。

 奏太は湯気の立つ杯を受け取った。温かい。いつもの絶妙な温度。疲れた体に染みる温度。

 一口飲んで、息をついた。

 窓の外で、朝日が昇っていく。格納庫の屋根に光が当たり、金属が鈍く輝いた。アウローラ試作一号機は、まだ沈黙している。だが、もうすぐだ。

 理論は揃った。設計は終わった。部品もある。あとは、手を動かすだけだ。

 奏太はボルトをポケットに戻し、茶を飲み干した。

 今日から、また始まる。


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