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戦えない整備士、異世界転移して魔道兵器を修理してたらいつの間にか世界を変えていた——異世界整備録——  作者: 試作ノ山
第四部 開発篇

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第四十八章 リーゼの休日

 朝から空が青かった。

 雲一つない。風もない。砲声も、通信の雑音もない。非番の朝は、世界がやけに静かだ。

 奏太は工房の椅子で目を覚ました。また寝落ちしていた。作業台の上にはアウローラの補助フレーム設計図が広がり、ペンが転がっている。頬に紙の跡がついているのが、鏡を見なくても分かった。

「起きたか」

 声がして振り向くと、リーゼが工房の入口に立っていた。

 銀灰色の長髪をいつもより低い位置で結んでいる。軍服ではなく、白いブラウスに淡い青のスカート。羽織ったカーディガンの袖口から、白い手首が覗いていた。

 見慣れない格好だった。

「今日は何を——」

「買い物に行く。付き合え」

 命令形。しかし声の温度がいつもと違う。戦場の指揮官の声ではなく、もっと軽い。年相応の、とでも言うべき響き。

「え、でも補助フレームの設計が途中で——」

「非番だ。設計図は逃げない」

 リーゼの紫の瞳が、有無を言わせない光を湛えていた。奏太はポケットの六角ボルトに指を触れ、一度だけ迷って、立ち上がった。


        *


 城下の市場は朝から賑わっていた。

 露店が通りの両側にびっしりと並び、野菜、果物、干し肉、香辛料。色と匂いの洪水だ。売り子の声が重なり合って、一つの大きなざわめきになっている。戦時中とは思えない活気だった。人は食べなければ生きていけない。だから市場は止まらない。

 リーゼが先を歩いた。

 歩幅が小さい。いつもの倍は時間をかけて歩いている。露店を一つ一つ覗き込み、品物を手に取り、値段を聞いて、時に首を傾げ、時に頷く。その仕草がどれも軍人のそれではなかった。

「このカボチャ、形がいいな」

 リーゼが丸々と太ったカボチャを持ち上げた。両手で抱えるほどの大きさ。紫の瞳が品定めの真剣さで光っている。戦場で敵を見据える目と同じ鋭さを、カボチャに向けていた。

「リーゼ中尉、料理するんですか」

「たまにはな。ペトラばかりに任せるのも悪い」

 カボチャを買い物籠に入れた。ずしりと重い。奏太が荷物持ちを引き受けたのは、暗黙の了解だった。

 次は肉屋。リーゼは塊肉を吟味し、脂の入り具合を確認した。店主と二言三言やり取りして、値切る。その手際は実に慣れていた。

「中尉、買い物慣れてますね」

「士官学校に入る前は普通にやっていた。母と二人で、毎週末に」

 言ってから、リーゼは少し黙った。「毎週末」という言葉が、過去のものであることを噛みしめているようだった。

「いい肉だ。これにする」

 話を切り替えるように、リーゼは肉を選んだ。籠がさらに重くなる。奏太の腕がやや悲鳴を上げた。整備で鍛えた腕だが、食材の重さは機体の部品とは質が違う。

 香辛料の店でローズマリーとタイムを選び、パン屋で焼きたてのライ麦パンを買った。パンの匂いが籠から立ち上り、腹が鳴った。朝食を食べていないことを思い出した。

「ほら」

 リーゼがパンの端をちぎって差し出した。

「え」

「食べていないんだろう。顔に書いてある」

 受け取ると、まだ温かかった。一口齧る。小麦の甘みが舌に広がった。美味い。単純に、美味い。

 リーゼも自分の分をちぎって口に運んだ。頬がわずかに緩んでいる。軍人の顔ではなかった。二十六歳の女性の、休日の顔だった。


        *


 それは金物屋の露店で起きた。

 市場の外れ、日用品を扱う一角に、雑多な金属部品を並べた店があった。鍋、釘、蝶番。実用品ばかりだ。奏太は何気なく目を向けて——足が止まった。

 山積みの雑貨の隅に、小さな板材が数枚。表面の光沢が周囲とは明らかに違う。

「すみません、これ何の合金ですか」

 店主に声をかけた。火傷だらけの指が板材を拾い上げる。重さ、硬さ、表面の粒度。指先が勝手に情報を読み取っていく。

「ああ、それか。北方の鉱山から流れてきた端材だよ。何に使うか分からなくてな、ずっと売れ残ってる」

 奏太は板材を光にかざした。結晶構造が細かい。耐熱性が高そうだ。しかも軽い。この比強度——もしかして。

「この合金、アウローラの補助フレームに使えるかもしれない」

 目が輝いていた。自覚はない。だが声のトーンが明らかに変わっていた。設計図の上で悩んでいた問題の、答えがここにあるかもしれない。フレーム接合部の熱膨張差を吸収するには、こういう素材が——

「タカモリ」

 リーゼの声が、思考を断ち切った。

 振り返る。リーゼが腕を組んで立っていた。紫の瞳がじっとりとこちらを見ている。

「今日は何の日だ」

「え。非番——休日、ですね」

「そうだ。休日だ」

「はい」

「買い物に来ている」

「はい」

「食材を選んでいた」

「はい」

「なのにお前は合金の話を始めた」

 奏太は板材を手に持ったまま固まった。しまった、と思った。思ったが、手は板材を離さなかった。

「いや、でもこれ本当にすごい素材で——結晶構造がですね、通常のクロム鋼と比較して——」

「聞いていない」

 リーゼの声は呆れの色を帯びていた。だが、怒ってはいない。口元がわずかに歪んでいる。笑いを堪えているのだ。

「……買ってもいいですか」

「好きにしろ」

 溜息混じりの許可だった。奏太は板材を五枚まとめて購入した。籠の中で、カボチャと肉とパンと合金が同居する異様な光景が出来上がった。

 リーゼは半歩先を歩き始めた。奏太がその背中を追う。

 リーゼは気づいていなかった。いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。合金に興奮する奏太を呆れた目で見ていた自分の表情が、どんな場面の指揮官の顔よりも柔らかかったことに。どこにいても、何をしていても、機体のことを考えてしまう男。そのまっすぐさを見ている自分の瞳が、穏やかな色をしていたことに。


        *


 帰り道、花屋の前を通りかかった。

 露店ではなく、小さな店舗だった。木製の棚に陶器の花瓶が並び、色とりどりの花が飾られている。薔薇、百合、矢車菊、名前の知らない白い小花。甘い香りが通りにまで漏れ出していた。

 リーゼの足が止まった。

 紫の瞳が花に向いた。何かを見つけたように、ふっと表情が変わった。店先に歩み寄り、淡い紫色の花を手に取った。小ぶりだが品のある花だった。花弁が薄く透けて、光を含んでいるように見える。

 リーゼはその花を手のひらの上で転がすように眺めた。銀灰色の髪が頬にかかる。白いブラウスの胸元に花を近づけ、少しだけ顔を傾けた。花の匂いを嗅いでいるのだろう。

 奏太はその光景を見ていた。

 見ていて、口が勝手に動いた。

「似合いますね」

 言ってから、何を言ったか理解した。

 リーゼが動きを止めた。花を持つ手がそのまま固まった。紫の瞳が一瞬だけ見開かれ、奏太を見た。頬に薄く色が差したのは、光の加減か。

 沈黙が二秒ほど続いた。

 二秒が長かった。

「——そうか」

 リーゼは花に視線を戻した。声はいつも通り。だが、花を棚に戻す手がわずかにぎこちなかった。

「買わないんですか」

「枯らすだけだ。軍人の部屋に花は持たない」

 そう言いながらも、立ち去る足がほんの少しだけ遅かった。

 奏太は自分が何か不用意なことを言ったらしいと感じていた。だが、何が不用意だったのかは分からなかった。似合うものを似合うと言っただけだ。紫の花を手にした銀灰色の女性は、事実として綺麗だった。それ以上の意味は——たぶん、ない。

 ポケットの六角ボルトを回した。思考が花からフレーム設計に戻りかけて、慌てて引き戻した。今日は休日だ。


        *


 帰路についた。

 陽が傾き始めていた。西の空が橙色に染まり、市場の喧騒が遠ざかっていく。二人の影が石畳の上で長く伸びていた。

 籠は重い。カボチャと肉とパンと合金板。奏太の腕は限界に近かったが、文句は言わなかった。言う理由がなかった。

 リーゼは隣を歩いていた。半歩前ではなく、隣。市場では常に先を歩いていたのに、いつの間にか並んでいた。

 どちらも無言だった。だが気まずい沈黙ではない。何も言わなくていい時間というものがある。

 基地の正門が見えてきた頃、リーゼが口を開いた。

「こういう時間があるから、戦える」

 小さな声だった。奏太に向けた言葉なのか、独り言なのか。その境界が曖昧な、柔らかい響き。

 奏太は横を見た。リーゼは前を向いていた。紫の瞳が夕陽を映して、琥珀に近い色を帯びている。

「僕もです」

 奏太は言った。思ったことをそのまま。

 リーゼがわずかに首を傾けた。視線は前のまま。だが、口元がかすかに動いたのが見えた。笑った、のだと思う。

 正門をくぐった。歩哨の兵士が敬礼し、リーゼが軽く手を上げて応じた。その瞬間、スイッチが入るように背筋が伸びた。軍人の顔に戻っていく。

 格納庫の前で足を止めた。

「タカモリ」

「はい」

「合金板、ちゃんと使えよ。買ったからには」

「もちろんです。明日から試験を——」

「明日な。今日じゃない」

 念を押された。奏太は苦笑した。

 リーゼが籠から食材だけを取り出し、合金板を奏太に残した。白いブラウスの背中が食堂棟に向かって遠ざかっていく。夕陽を背にしたその姿は、やはり軍人というより——年相応の女性だった。

 奏太は合金板を手に取った。五枚。ずしりと重い。表面を親指で撫でた。明日からの設計が楽しみだ。この素材なら、もっといいものが作れる。

 だが今は——今日は休日だ。

 ポケットの六角ボルトを一度だけ回して、格納庫に背を向けた。

 西の空が燃えていた。橙から赤へ、赤から紫へ。空の色がリーゼの瞳と同じ色を経由して、夜に沈んでいく。

 明日からまた、戦いの日々が始まる。

 だが今日は、カボチャと肉とパンと合金板の重さだけが、腕に残っていた。

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