第四十七章 素材探し
鉱山都市エルツベルクは、煤と鉄錆の匂いがする街だった。
帝都から馬車で二日。山脈の懐に抱かれた谷間の街は、朝から晩まで採掘の槌音が響いている。建物はどれも低く頑丈で、石造りの壁が黒ずんでいた。空気が重い。だが活気がある。鉱夫たちが行き交い、荷馬車が石畳を軋ませていた。
「ここが帝国最大の鉱山都市か」
奏太は馬車から降りて、目を細めた。スケールが違う。山肌が削られ、何層にも段が刻まれている。露天掘りの跡だ。前の世界で写真でしか見たことのない光景が、目の前に広がっていた。
「初めてか?」
リーゼが銀灰色の長髪を風に流しながら隣に立った。紫の瞳が街を一瞥する。軍服ではなく旅装だった。それでも背筋が真っ直ぐで、どこか隙がない。
「ええ。想像以上です」
「鉱石の産出量は大陸随一だ。帝国の軍事力を支えているのはこの街と言っても過言ではない」
フィンが馬車の荷台から鞄を引っ張り出していた。白い前髪が額に張りつき、青緑の目をしばたたいている。
「うわ、重い。タカモリさん、何入れたんですかこの鞄」
「計測器具一式。分析に必要だから」
「もうちょっと軽い計測器、開発してくださいよ」
「検討する」
するつもりはなかった。
*
約束の場所は、街の中心にある鉱石取引所の前だった。
石柱が並ぶ古い建物の前で、一人の男が待っていた。五十代。日焼けした肌。がっしりした体格は鉱夫あがりの証だ。腕が太い。握手したら骨が軋みそうな手をしていた。
「ハンス・ベッカーだ。ガルベルトの紹介だな?」
低い声。だが敵意はない。むしろ好奇心を含んだ目で三人を順に見た。
「タカモリ・ソウタです。開発主任を務めています」
「リーゼ・ヴァイスフェルト中尉だ」
「フィン・アルスターです。よろしくお願いします」
ハンスが太い眉を上げた。
「若いな。ガルベルトの奴、随分と若いのを寄越したもんだ。まあいい、ついてこい。話は歩きながらする」
歩き出したハンスの背中は広かった。鉱石商人というより、まだ現役の鉱夫に見える。
ハンスは街を歩きながら、鉱脈の話を始めた。
「この山には三つの主要鉱脈がある。東脈は鉄鉱石が主体。硬くて重い。軍用装甲の基礎素材だ。西脈は銅と亜鉛の混合鉱。加工しやすいが強度に欠ける」
「三つ目は?」
「北脈だ。ここが特殊でな」
ハンスの目が変わった。商人の顔ではない。鉱物そのものへの純粋な興味が浮かんでいた。
「北脈の鉱石には魔力が含有されている。自然界で魔力を帯びた鉱石は珍しくないが、ここの含有率は桁が違う。通常の十倍から二十倍だ」
奏太の耳が反応した。
「十倍?」
「ああ。だから加工が難しい。魔力が高すぎて、普通の炉では溶かせん。温度を上げると魔力が暴走して炉ごと吹っ飛ぶ」
「それで商業利用が進んでいないと」
「そういうことだ。もったいない話だよ。あの鉱石のポテンシャルは計り知れないのに」
ハンスが悔しそうに言った。この男は鉱石が本当に好きなのだ。
*
ハンスの案内で、北脈の採掘場に向かった。
山道を登ること一時間。坑道の入口は木枠で補強されていた。中は暗かったが、ハンスがランタンを灯すと、壁面がかすかに青白く光っていた。
「これが魔力含有鉱石です?」
フィンが目を丸くした。光る壁面に手を伸ばしかけて、ハンスに止められた。
「素手で触るな。魔力が流れ込んでくる。慣れない奴がやると気を失う」
「あぶなっ」
フィンが慌てて手を引いた。
奏太は鞄から計測器を取り出した。前の世界の知識を元に、この世界の技術で再現した簡易分析装置。魔力の含有率と物理的な結晶構造を同時に読み取れる。
「失礼します」
壁面から小さなサンプルを採取し、器具にセットした。数値が出る。
「……すごいな」
思わず声が漏れた。
「何が見えた?」ハンスが横から覗き込んだ。
「結晶構造です。この鉱石、魔力が結晶格子の中に組み込まれている。外から魔力を帯びたんじゃない。結晶が成長する過程で、魔力が構造の一部になっている」
「だからどうなる?」
「つまり——物理的な強度と魔力伝導性が、構造レベルで一体化しているということです」
奏太の頭が回転し始めた。前の世界の材料工学の知識と、この世界の魔力理論が頭の中で混ざり合う。
「ガルベルトさんとの設計で、物理構造と魔力回路の干渉が問題になっていました。フレームの振動が魔力の流れを乱す。でもこの鉱石を使えば——」
「干渉しないのか?」リーゼが鋭く聞いた。
「しないんじゃなくて、干渉が起きても構造が壊れない。物理と魔力が同じ格子の中にいるから、共振しても自己安定する。むしろ共振によって強度が増す可能性がある」
「共振で強くなる?」フィンが首を傾げた。
「前の世界で言う、超合金に近い概念だ。複数の素材の特性が単純な足し算ではなく、掛け算になる」
奏太はサンプルを光に透かした。青白い光が指の間から漏れる。
「この鉱石を基材にして、東脈の鉄鉱石と合金化できれば——従来の装甲材とは次元の違う素材が作れるかもしれない」
ハンスの顔が変わった。商人の計算ではない。鉱物を愛する男の、純粋な驚きだった。
「合金化だと? 北脈の鉱石は加工できんと言っただろう。魔力が暴走する」
「通常の炉では、ですよね。温度の問題なら、加熱方法を変えればいい。急速加熱ではなく、段階的に温度を上げながら魔力の安定域を維持する。結晶格子が崩れない温度帯を見つければ——」
「それは理論上の話か?」
「今は理論です。でも計算してみる価値はある」
ハンスがしばらく黙った。太い腕を組み、壁面の青白い光を見つめていた。
「……面白い若者だな、お前は」
低い声に、微かな感情がにじんでいた。
*
坑道を出て、ハンスの事務所に戻った。
木造の建物の中は、鉱石のサンプルで溢れていた。棚という棚に石が並び、一つ一つに手書きのラベルが貼られている。ハンスの人生そのものだった。
茶を出された。山の水で淹れた薬草茶は、素朴だが温かかった。
「ベッカーさん、改めてお願いがあります。北脈の鉱石を、まとまった量で譲っていただけませんか」
奏太が切り出した。ハンスは茶を啜り、杯を置いた。
「量による」
「機体一機分のフレーム素材として。概算で——」
奏太が数字を出した。ハンスの眉がぴくりと動いた。
「安くはないぞ。北脈の鉱石は採掘コストが高い。魔力対策の装備が要る」
「予算には限りがありますが、軍の正式な調達として——」
「金の話をしているんじゃない」
ハンスが遮った。声のトーンが変わっていた。
「あの鉱石をどう使うかだ。何に使うかだ」
部屋が静かになった。リーゼが茶杯を膝の上に置き、紫の瞳でハンスを見ている。フィンも黙っていた。
ハンスが立ち上がり、棚の奥から一つの鉱石を取り出した。他のサンプルより丁寧に布で包まれていた。
「息子がいた」
ぽつりと言った。
「兵士でな。機甲騎士だった。東部戦線に配属されて、二年前の冬に戦死した」
奏太は何も言えなかった。リーゼの目が細くなった。フィンが唇を噛んだ。
「あいつが乗っていた機体のフレーム素材は、ここの鉱石だった。東脈の鉄鉱石。俺が自分で選んで、自分で品質を確認して納品した」
ハンスの声は淡々としていた。だがその淡々さが、逆に重かった。
「なのに守れなかった。俺の石で作った機体は、息子を守れなかった」
布を開いた。中にあったのは、青白く光る北脈の鉱石だった。拳ほどの大きさ。透明度が高く、光が奥まで通っている。ハンスの手の中で、静かに脈打つように輝いていた。
「これは北脈で採れた最高品質の原石だ。含有率は通常の三十倍を超えている。ずっと持っていた。いつか、あいつの弔いになるような使い方ができるんじゃないかと」
ハンスが奏太を見た。日焼けした顔に、複雑な感情が浮かんでいた。怒りでも悲しみでもない。もっと深い何かだった。
「お前の話を聞いて思ったよ。合金化。物理と魔力の融合。もしそれが本当にできるなら——あいつが乗っていたのより、ずっと強い機体が作れるんだろう?」
「……作ります」
奏太は真っ直ぐに答えた。
「作ってくれ。いい機体を」
ハンスが原石を差し出した。
「これも持っていけ。必要な分の鉱石は、正規の取引で出す。だがこいつは別だ。俺の——親父の気持ちだ」
奏太は両手で受け取った。原石は温かかった。ハンスの体温なのか、鉱石自体の魔力なのか、わからなかった。
「大切に使います」
「ああ。頼んだぞ」
ハンスが笑った。皺だらけの、不器用な笑顔だった。
*
帰路についたのは昼過ぎだった。
馬車の出発まで時間があったので、三人はエルツベルクの市場を歩いた。
鉱山都市の市場は、奏太が知っている帝都の市場とは様子が違った。金属加工品が多い。鍋、包丁、蝶番、留め具。実用品ばかりが並んでいて、装飾品は少ない。この街の人々は地に足がついている。
「あ、これ可愛い」
フィンが露店で足を止めた。小さな金属細工が並んでいる。動物の形をした留め具やブローチ。
「妹たちに土産を買いたいんですけど、どれがいいと思います?」
「知らん。好みによるだろう」リーゼが素っ気なく言った。
「リーゼさん、冷たい」
「事実を述べただけだ」
フィンが三つのブローチを選んだ。花、星、蝶。妹の数と同じだ。
「これください。三つ」
「まとめて買うなら負けてやるよ」
フィンが嬉しそうに支払いを済ませた。
市場の奥に進むと、食べ物の屋台が並んでいた。炭火で焼いた肉の串。蒸かした芋。香辛料の効いたスープ。鉱夫たちが昼飯を頬張っている。
「腹が減ったな」奏太が言った。
「同感だ」リーゼが頷いた。
三人で肉串を買い、広場のベンチに座って食べた。肉は固かったが味付けが濃くて美味かった。周囲では鉱夫たちが笑い、子供が走り回り、商人が声を張り上げている。戦場から遠く離れた、当たり前の日常だった。
「ここにも戦争の影響はあるんでしょうね」
フィンがぽつりと言った。串の油が指を伝っている。
「ああ。鉱石の需要が増えれば、鉱夫の労働時間も増える。事故も増える。ベッカーさんの息子のように、この街から戦場に送られる若者もいる」
リーゼの声は静かだった。紫の瞳が広場を見渡している。
「俺たちが基地にいると、忘れそうになる」フィンが言った。「戦争って、戦場だけの話じゃないんですよね」
奏太は肉串をかじりながら、ポケットの中の原石に触れた。ハンスの顔を思い出す。息子を失った父親の、あの不器用な笑顔。いい機体を作ってくれ。その言葉の重さが、腹の底に沈んでいた。
「帰ったら、すぐに合金の設計に取りかかる」
奏太が言った。
「ベッカーさんとの取引の手続きは私が進める」リーゼが応じた。
「俺は——何すればいいですか?」
「フィン、お前は妹に手紙を書け」
「え?」
「土産を送るんだろう。手紙も添えろ」
フィンが目をしばたたいた。それから、ふっと笑った。
「はい。そうします」
広場の時計塔が鐘を鳴らした。昼の二時。馬車の時間が近い。
三人は立ち上がり、馬車の乗り場に向かった。エルツベルクの街並みが背後に遠ざかる。煤と鉄錆の匂いが薄れ、山の冷たい空気が頬を撫でた。
馬車の座席で、奏太は鞄の中の原石を確かめた。布に包まれた青白い光が、かすかに脈打っている。ハンスの息子は、もうこの世にいない。だがこの石は残った。父親の想いとともに。
重い。だがその重さを、受け止めると決めた。
馬車が動き出す。フィンがすでに居眠りを始めていた。リーゼは窓の外を見ている。その横顔は穏やかだった。
奏太はポケットの六角ボルトを指で回した。もう片方の手で、原石の入った鞄を抱えている。
戦場の外にも、戦争はある。そこには、いい機体を作ってくれと願う父親がいる。
その期待に応えたい。応えなければならない。
馬車が山道を下っていく。奏太は目を閉じ、頭の中で合金の設計を始めていた。




