第四十五章 プロジェクト・アウローラ
大侵攻から三日が経った。
基地は傷だらけだった。格納庫の壁にはひび割れが走り、滑走路の舗装は三箇所が陥没している。外壁の防御結界も半分が機能不全。だが、人は生きている。それだけが救いだった。
*
奏太は格納庫の作業台に突っ伏していた。
三日間、ほとんど寝ていない。大侵攻で損傷した機体の応急修理が終わったのが昨夜の零時過ぎ。そこから門の振動パターンの解析を始めたら朝になっていた。
指先が震えている。だが頭の中は妙に冴えていた。
門のエネルギーは魔力だけで維持されているのではない。物理的な共鳴——周波数の干渉によって構造が安定化している。その仮説を裏付けるデータが、戦闘中の振動ログに残っていた。
もし魔力と物理の両面から設計された機体があれば。
考えるほどに、現行機体の限界が重くのしかかる。量産機では駄目だ。ガルベルトと組んで物理系と魔力系を同期させた手法——あれを設計の根幹に据えた、まったく新しい機体が必要だ。
「タカモリ。死んでるのか」
ガルベルトの声だった。作業台にコーヒーのカップが置かれた。
奏太は顔を上げた。目の下の隈が酷いのは自覚している。
「生きてます」
「生きてるやつの顔じゃないな」
ガルベルトが向かいに座った。琥珀色の目が紙の束を一瞥する。
「先に聞くことがある。ヴェーバー少将から呼び出しだ。俺とお前、二人で来いとのことだ」
「少将が?」
「一〇〇〇に司令室。あと二十分だ。顔を洗ってこい」
奏太はコーヒーを一気に飲んだ。熱さが喉を焼いて、目が覚めた。
*
司令室の扉は重かった。
「入れ」
ヴェーバー少将は窓際の執務机に座っていた。白髪交じりの灰色の短髪。左頬の古い傷跡。鋼のような灰色の目が二人を迎える。六十二歳の老将は大侵攻の三日間で十歳は老けたように見えたが、背筋は真っ直ぐだった。
「まあ、座れ」
いつもの第一声。奏太とガルベルトが並んで椅子に腰を下ろす。
ヴェーバーが顎の傷を撫でた。
「単刀直入に言う」
灰色の目が二人を射抜いた。
「上層部に、新機体開発計画を申請した。先の大侵攻のデータと被害報告を添えてな。現行機体では次の侵攻に耐えられんという結論は、もはや誰の目にも明らかだ」
奏太の心臓が跳ねた。隣のガルベルトは微動だにしない。
「計画の骨子は、お前たち二人の名前で出した」
「——俺たちの?」
「鷹森奏太とガルベルト・ドルン。物理系技術と魔道技術の統合による次世代機体の開発。お前たちが代替機調整で出した成果データも添付した。量産機の性能を二割上回る調整結果——あれは上に見せるには十分だ」
「少将、それは——」
「昨日、承認が下りた」
空気が止まった。
承認。帝国軍の正式な予算と資材が下りる。個人の工夫でやりくりする段階ではない。国家プロジェクトとして、新しい機体を作れるということだ。
「計画名は『プロジェクト・アウローラ』」
ヴェーバーが書類を滑らせた。帝国軍の公式印章が押された承認書。
「曙光、という意味だ。大仰な名前だが、気に入らなければ変えてもいい」
「いえ」
奏太は承認書を見つめた。文字が滲んで見えた。寝不足のせいだ。たぶん。
「いい名前です」
ガルベルトが腕を組んだまま、低く唸った。
「少将。開発体制は」
「鷹森を開発主任とする。設計の全権を任せる」
二度目の衝撃。開発主任。設計の全権。一介の整備士——しかも異世界から来た身元不明の男に、だ。
「ガルベルト、お前は魔道技術統括。魔力回路の設計と調律は全面的にお前に任せる。この二つを統合するのがアウローラの核心だ。異論はあるか」
「ない」
即答だった。ガルベルトの琥珀色の目が奏太を横目で見た。唇の端が、ほんのわずかに上がっていた。
「加えて、技術本部から管理官が一名派遣される。予算と資材の管理を担当する。明日到着の予定だ」
ヴェーバーが立ち上がり、窓の外を見た。大侵攻で傷ついた基地の景色。
「鷹森。お前の技術がなければ、先の大侵攻で何人が死んでいたかわからん。ガルベルト、お前の防衛がなければ基地が落ちていた。二人の力が合わさった結果を、俺はこの目で見た」
振り返った灰色の目は、穏やかだが揺るがなかった。
「だから賭ける。お前たちに」
奏太は立ち上がり、敬礼した。ガルベルトも同時に立った。
*
翌朝、格納庫の前に軍用車が停まった。
降りてきたのは細身の男だった。黒髪をきっちりと七三に分け、軍服に一点の皺もない。革鞄を左手に提げ、鋭い黒い目が周囲を観察するように動く。
ミハエル・ゲルナー少佐。帝国軍技術本部所属。第一印象は「堅物」だった。
「鷹森開発主任ですね。ゲルナー少佐です。本日よりプロジェクト・アウローラの予算および資材管理を担当します」
握手は形式的で、力の入れ方まで計算されているような手だった。
「よろしくお願いします」
「早速ですが、データを見せてください」
挨拶から三十秒で本題。奏太は少し面食らったが、嫌いではなかった。無駄がない。
作業台に資料を広げた。戦闘データ。損傷記録。同期調整の手順と結果。門の振動パターン解析。走り書きの新機体コンセプト案。
ゲルナーは万年筆を取り出し、メモを取り始めた。ページをめくる速度が速い。だが読み飛ばしてはいない。目がデータの要点を正確に拾っている。
十分ほどの沈黙。ガルベルトが壁にもたれ、奏太はポケットの六角ボルトを回していた。
ゲルナーが万年筆を止めた。
「物理共鳴と魔力回路の同期率——量産機で九十三パーセント?」
「はい。代替機の調整時に」
「標準設定の一点六倍ですね」
ゲルナーがデータを睨んだ。眉間に皺が寄り、それからふっと緩んだ。
「……これは上に通す価値がある」
呟くような声。官僚の仮面が一瞬外れて、技術者の本音が覗いた。
万年筆をぱちんと閉じる。
「予算申請に必要な仕様書のフォーマットを今日中にお渡しします。あなたが技術を詰める。私が組織を通す。役割分担を明確にしましょう」
ガルベルトが壁から体を起こした。
「ゲルナー少佐。魔力回路の素材調達、技術本部の在庫から融通は利くか」
「リストを出してください。可能な範囲で手配します。ただし——帳簿上の辻褄は必ず合わせます。そこだけは譲れません」
「わかっている」
官僚と職人。水と油だが、互いの領分を認めている。それでいい。
*
その日の午後、奏太はカティアとディーターを呼んだ。
カティアは赤毛を揺らしながら駆けてきた。緑の目が好奇心で輝いている。ディーターは灰色の短髪のまま、いつもの無表情で歩いてきた。
「プロジェクト・アウローラ。新機体の開発計画が正式に承認された。班長が魔道技術統括で、僕が開発主任を務める」
カティアの目が丸くなった。
「開発——新しい機体を、作るんですか?」
「ああ。物理系と魔力系を根本から統合した、まったく新しい設計の機体だ。量産機の改良じゃない。ゼロからやる」
カティアの瞳の奥で魔道刻印がちりっと光った。
「二人を正式にチームメンバーとして迎えたい。カティアさんには魔力回路の計測と解析を。班長の下で調律の腕を磨いてきた経験と、あなたの刻印の感度が必要だ」
カティアが息を呑んだ。
「ディーターさんには製造管理と部品精度の統括を。あなたの百分の一ミリ単位の選別技術がなければ、どんな設計図も絵に描いた餅です」
沈黙。蛍光灯がじいと鳴っている。
最初に口を開いたのはカティアだった。
「やります」
即答。迷いがない。
「師匠と鷹森さんが代替機を仕上げた時——この二人が最初から設計したらどうなるんだろうって、ずっと思ってたんです。見るだけじゃなくて、一緒に作りたい」
ディーターは腕を組んだまま五秒ほど黙り、小さく首を縦に振った。
「悪くない」
二十年の職人が出す、最高の承諾だった。
奏太はポケットの六角ボルトを握った。四人だ。自分とガルベルトとカティアとディーター。ゲルナーが組織を守り、ヴェーバー少将が後ろ盾になる。
整備じゃない。開発だ。
壊れた機体を直すのではなく、新しい機体を生み出す。自分の設計で、仲間の力を借りて。
「これがやりたかったんだ」
口をついて出た。自分で驚いた。
だが嘘ではなかった。この世界に来てからずっと、壊れたものを直し、足りないものを補い、今あるもので何とかやりくりしてきた。必要な仕事だった。誇れる仕事だった。だが心のどこかで、ずっと飢えていた。
作りたかった。自分の頭の中にある理想を、形にしたかった。
カティアが笑い、ディーターが工具ベルトを締め直した。ガルベルトが格納庫の奥から四人の輪に加わり、琥珀色の目で全員を見回す。
「聞いたか、ゲルナー少佐」
振り返ると、いつの間にかゲルナーが格納庫の入口に立っていた。革鞄を抱え、万年筆を手にしている。
「聞いていました」
無表情。だが万年筆のキャップを回す指がわずかに速い。
「開発チームの人員構成、記録しました。報告書にまとめます」
形式的な言葉。だがその黒い目は作業台の走り書きを見ていた。官僚の目ではなかった。かつて予算不足で切り捨てた計画の面影を、そこに見ているような——技術者の目だった。
「仕様書は明後日までに。こちらは資材調達のルートを確保しておきます」
「了解です」
ゲルナーは踵を返した。格納庫を出る直前、足が一瞬止まった。振り返りはしなかったが、肩の力がほんの少しだけ抜けたように見えた。
*
夕暮れの格納庫で、奏太は一人、白紙に向かっていた。
鉛筆が走る。新機体の最初のスケッチだった。まだ何も決まっていない。だが手が止まらなかった。
物理駆動系と魔力回路の同期を設計の根幹に据える。後付けの調整ではなく、最初から一体のシステムとして。量産機の延長ではない、根本的に次元が違う機体を。
リーゼのために。フィンのために。ルーカスのために。この基地で戦う全員のために。
線が形になっていく。まだ荒い。まだ甘い。でも、始まった。
ポケットの六角ボルトに触れた。整備士の時代が終わり、開発者の時代が始まる。
格納庫の蛍光灯の下で、一本の鉛筆が未来を描いている。プロジェクト・アウローラ。曙光。この戦争の先にある光を、自分の手で形にする。
夜は長い。やることは山ほどある。だが今、胸の奥で燃えているものがあった。恐怖でも義務感でもない。技術者としての、創造への渇望。
六角ボルトが夕陽の残照を受けて、かすかに光った。




