第四十四章 生きて帰る場所
警報が格納庫の壁を揺らした。三度目。もう慣れた、とは言いたくなかった。
奏太が工具箱を掴んだ瞬間、通信機からロッテの声が飛び込んできた。
「基地外周、東側防衛ラインに敵影接近。数——八。いえ、十二以上です」
十二。数が多すぎる。前線はまだ交戦中だ。リーゼもヨハンもフィンも戻れない。ここにいるのは整備班と後方要員だけ。
格納庫の扉が蹴り開けられた。
ガルベルトだった。琥珀色の目に酔いの気配はない。腕まくりした両腕に走る魔道刻印が、うっすらと光を帯びている。
「タカモリ、機体はどうなっている」
「五番機が中破で帰投中です。あと十分で着きます」
「十分は長い。先に片づける」
言い捨てて、ガルベルトは整備棟の奥へ消えた。奏太は知っている。あの先にあるのは、基地建造時に埋め込まれた防衛装置の制御盤だ。普段は封印されている。稼働させれば莫大な魔力を喰う。
低い振動が足元から伝わった。壁が鳴り、床が揺れ、天井から埃がぱらぱらと落ちる。
整備棟の外壁に沿って、刻まれていた魔道陣が一斉に起動した。青白い光の線が地面を走り、基地の外周に展開された障壁が立ち上がる。重い、力のある光だった。
ガルベルトの声が通信機越しに響く。
「障壁起動。だが長くは保たん。魔力供給が足りない」
即座に別の声が被さった。
「私が支える」
カティアだった。赤毛をひとつに束ね、右手の魔道刻印を制御盤に押し当てている。緑の目が真剣そのものだった。
「ガルベルトさん、障壁の維持に集中してください。魔力の供給経路は私が安定させます」
「頼む」
短いやりとり。それだけで十分だった。ガルベルトの障壁がカティアの魔力で補強され、青白い光が一段強くなる。外壁の向こうで、敵がぶつかる衝撃音がした。一度。二度。三度。だが障壁は持ちこたえた。
ディーターが走ってきた。灰色の短髪に汗が光っている。
「非戦闘員の退避を開始する。タカモリ、格納庫は使える状態を維持しろ」
「了解」
「医療班と通信班は地下に移す。通路は確保した」
言い終わる前にもう背を向けていた。ディーターの動きは無駄がない。感情を挟まない。だからこそ速い。
奏太は格納庫の中を見渡した。
今ここにあるのは、修理中の三番機と、まだ動く予備の弾薬台車。工具は揃っている。溶接機も動く。やれることをやるしかない。
通信機が鳴った。
「——こちらフィン。被弾しました。右脚部と背部推進器に損傷。帰投します」
来た。
奏太は工具を掴み直した。
*
フィンの機体が格納庫に滑り込んできたのは、通信から四分後だった。
右脚部の装甲が半分剥がれ、背部の推進器から黒煙が上がっている。コクピットのハッチが開き、フィンが転がり出た。白い前髪が煤で灰色に染まっている。
「タカモリさん、すみません」
「謝ってる暇があったら水を飲め。三分で出す」
「三分——」
フィンが目を丸くした。無理だと思っただろう。奏太自身もそう思った。だがやるしかない。
右脚部は捨てる。装甲を全部外して、フレームだけで動かす。防御力は落ちるが機動性は維持できる。推進器は——排気口の歪みを叩いて直す。精密修理じゃない。応急処置だ。飛べればいい。戦えればいい。帰ってこられればいい。
ハンマーで排気口を叩いた。二回。三回。歪みが戻る。完璧じゃない。七割。いや六割。だが動く。
溶接の火花が散った。剥がれかけた装甲板を切り離す。重量が減る分、バランスが変わる。推進器の出力配分を手動で調整した。左に二パーセント寄せる。これでまっすぐ飛べるはずだ。
「フィン、行けるか」
「行けます」
迷いのない返事。コクピットに飛び乗り、ハッチが閉まる。機体が浮き上がった。推進器の音がいつもより荒い。だが飛んだ。
格納庫を出て行くフィンの機体を見送る余裕はなかった。次が来る。
「こちらヨハン。左腕部が動かん。帰投する」
息をつく暇もない。
ヨハンの機体が着いた。左腕部の関節が焼きついている。ベアリングが熱で膨張して噛み込んでいた。冷却する時間はない。ベアリングごと抜いて、予備パーツを叩き込む。四分でやる。
奏太の手が止まらなかった。
工具が手の延長になっていた。考えるより先に体が動く。スパナが回り、ボルトが締まり、溶接の光が瞬く。一つ終われば次。次が終われば、また次。
外では障壁に敵がぶつかる音が続いている。カティアの魔力供給が揺らいでいるのか、光が明滅した。ガルベルトの怒号が飛んだ。
「まだ保つ。まだだ」
奏太は手を動かし続けた。ここが落ちたら終わりだ。自分が機体を直さなければ戦力が減る。戦力が減れば防衛ラインが崩壊する。ボルト一本が全員の命に繋がっている。
ヨハンの機体が飛び立った。間髪入れず、もう一機。名も知らない補充兵の機体。左翼の付け根にヒビ。応急で金属バンドを巻き、溶接で留めた。持つのは三十分がいいところだ。
「三十分以内に帰ってきてください。それ以上は保証できません」
補充兵が青い顔で頷いて出て行った。
*
通信機に、聞き慣れた声が混じった。
リーゼだ。
断片的に聞こえる戦闘の音。金属がぶつかる衝撃。推進器の咆哮。その合間に、荒い呼吸が漏れている。
「——三体目、撃破。だが上位個体が——」
声が途切れた。衝撃音。通信にノイズが走る。
「リーゼ中尉!」ロッテが叫んだ。
「——問題ない。続行する」
問題ないわけがない。声でわかる。限界が近い。代替機の性能では上位個体に対抗しきれない。さっき弾き飛ばされたばかりだ。それでもまだ戦っている。
奏太は通信機を掴んだ。
何を言うべきか、一瞬迷った。頑張れ、は違う。無理するな、も違う。
だから、自分にできることだけを言った。
「リーゼさん。俺が機体を完璧に直しておきます。だから——一度帰ってきてください」
沈黙が二秒あった。戦闘の最中の二秒は長い。
「……わかった」
短い返事。それだけで十分だった。
*
リーゼの代替機が格納庫に戻ってきた時、奏太は息を呑んだ。
右腕がなかった。肩の付け根から千切れている。左脚の装甲は半壊。背部推進器の片方が停止。これで戦っていたのか。
ハッチが開いた。リーゼが降りてきた。銀灰色の長髪が汗で額に張り付き、紫の瞳に疲労の色が濃い。だが、足取りはしっかりしていた。
「タカモリ」
「見ました。やります」
完璧に直す、と言った。言った以上はやる。
右腕——完全な腕の在庫はない。三番機から肘から先を移植し、肩から肘は仮フレームで繋ぐ。出力は六割。振り回す程度なら耐える。
左脚の装甲は張り替え。在庫の装甲板を切断して形を合わせた。削る。叩く。合わせる。推進器は片方を分解して、もう片方に部品を回す。両方止まるよりましだ。
手が震えた。疲労だ。もう何機直した。数えていない。だが手は止めない。止めたら、リーゼが戦場に戻れない。
七分。
七分で全行程を終わらせた。完璧とは言い難い。だが嘘は言っていない。今できる最善は尽くした。
「リーゼさん、行けます」
リーゼが機体を見上げた。仮組みの右腕。張り替えた装甲。応急修理の痕だらけの機体。
「——ありがとう」
その一言が、静かに響いた。
リーゼがコクピットに乗り込んだ。ハッチが閉まる。推進器が唸る。格納庫を飛び出していく銀灰色の残像を、奏太は今度こそ見送った。
*
転機は、それから二十分後に訪れた。
南方から、複数の機影が接近してきた。敵ではない。味方だ。
「増援到着。第七遊撃中隊、戦闘に合流します」
ロッテの声が震えていた。安堵だ。
増援が前線に加わり、戦況が持ち直した。リーゼが上位個体を牽制し、ヨハンとフィンが増援と連携して通常個体を削る。ガルベルトの障壁は最後まで保った。カティアが膝をつきながらも魔力を送り続けた結果だ。
一時間後、敵が撤退を始めた。
追撃の余力はなかった。辛うじて——本当に辛うじて、生き延びた。
*
戦闘が終わった格納庫は、静かだった。
戻ってきた機体はどれも満身創痍だった。リーゼの代替機は仮組みの右腕が肘から脱落している。フィンの機体は推進器が焼きつき、ヨハンの機体は牽引されて帰ってきた。
奏太は工具を置けなかった。
戦闘は終わったが、修理は終わらない。次の襲撃がいつ来るかわからない。一機でも多く動ける状態にしなければ。
だが、その前に。
戦闘中に記録されたデータを確認していた時、あるものが目に止まった。
門の近くに設置された観測機器のデータだ。戦闘の振動で計測値が乱れている。普通ならノイズとして処理する。だが奏太は技術者だ。ノイズの中にパターンを見つけるのは得意だった。
振動パターンに、規則性がある。
戦闘の衝撃や爆発とは異なるリズム。もっと深く、もっと根本的な振動。門の近くでだけ計測されている。まるで——門自体が共鳴しているかのような波形。
奏太はデータを拡大した。
門のエネルギーは魔力だけで維持されているのではない。物理的な共鳴——振動のフィードバックによっても支えられている。共鳴を乱せば、門のエネルギーバランスに干渉できるかもしれない。
まだ仮説だ。だが、ここに何かがある。
奏太はデータを保存して、格納庫の外に出た。
戦場の跡が広がっていた。
障壁の残骸。焼け焦げた地面。砕けた装甲の破片。被害は甚大だ。機体の損耗率は限界を超えている。応急修理で凌ぐのも、もう限界だ。
既存の機体では、この先の戦いに耐えられない。
上位個体はさらに強くなっていく。門から現れる敵の数は増える一方だ。今日はたまたま増援が間に合った。次も間に合うとは限らない。
新しい機体が必要だ。
応急修理ではなく。既存の設計の焼き直しでもなく。上位個体に真正面から対抗できる、まったく新しい機体。
風が吹いた。焦げた匂いを運んでくる。
奏太はポケットの六角ボルトを握りしめた。
指の間で、ボルトが硬く冷たかった。
「新しい機体を作らなきゃ——この先は、生き残れない」
呟きは風に溶けた。
カティアが倒れ込んだガルベルトを起こしている。ディーターが負傷者の報告をまとめている。リーゼがコクピットから降りてきて、奏太の方をちらりと見た。紫の瞳に、小さく頷きが添えられた。
ありがとう、の続きだと思った。
奏太は頷き返して、格納庫に戻った。
まだやることがある。機体の修理。データの解析。そして——新しい設計図を引くための、最初の一歩。
六角ボルトをポケットに戻した。
嵐はまだ終わっていない。だがこの場所には、帰ってくる人たちがいる。自分はその歯車の一つだ。小さいが、欠けたら機械は止まる。
工具を手に取った。
夜はまだ長い。




