第二章 鉄と硝煙の大地
頬に当たる風が冷たかった。
砂混じりの乾いた風だ。それと、金属の焦げた匂い。
奏太はゆっくりと目を開けた。
空が見えた。見慣れない空だ。青いが、どこか色味が違う。太陽の位置も高さも知らない角度にある。そして空気が——乾いている。東京のあの湿った空気ではない。
体を起こす。全身が軋んだ。コンクリートの上で寝たような痛みが背中と腰に走る。
周囲を見回して、奏太は息を呑んだ。
荒野だった。
草一本生えていない灰色の大地が、見渡す限り広がっている。ところどころに巨大な金属の残骸が転がっていた。折れた腕、潰れた胴体、引き千切られた脚——
人型だ。
奏太の目が見開かれた。十メートル近い人型の金属構造物。いや、兵器だ。装甲の残骸と、内部から露出した複雑な機構が、それが何らかの戦闘用機械であることを物語っている。
ここは、どこだ。
立ち上がろうとして膝がよろけた。足元を見る。コンビニの弁当袋はない。ジャンパーも作業着もそのまま。腰のツールポーチだけが、夢ではない証拠のように重さを主張している。
恐怖は、あった。当然ある。見知らぬ場所に一人で放り出されて、周囲には破壊された巨大兵器の残骸だ。怖くないわけがない。
だが——。
奏太の足は残骸に向かっていた。
近づくと、そのスケールに改めて圧倒された。横たわった胴体部分だけで乗用車よりでかい。装甲板は見たことのない合金で、表面には微細な紋様が刻まれている。奏太はしゃがみ込み、露出した内部構造に目を凝らした。
「何だこれ……」
関節機構がおかしい。いや、おかしいというか、見たことがない。
通常のロボット工学であれば、関節は電動モーターかアクチュエータで駆動する。油圧という選択肢もある。だがこの機体の関節には、それらに相当する動力源が見当たらない。代わりに、骨格に沿って走る細い管のような構造体がある。導線か? いや、金属ではない。光沢が違う。
奏太は指を伸ばし、露出した関節部に触れた。
冷たい。だが——微かに何かが脈打っている気がする。
「動力が内蔵されてる……? この管が伝達経路か。でも動力源は?」
独り言だ。頭が勝手に回り始めている。未知の機構を目の前にすると、恐怖も不安も後回しになる。技術者の業と言えばそれまでだが、奏太にとってはこれが自然だった。
骨格構造自体は理解できた。チタン合金に似た高強度の骨格フレーム。関節の可動軸は球面ジョイントを基本に、二重構造になっている。外殻が装甲兼構造材で、内骨格が力の伝達を担う。ここまでは地球の技術でも理論的にはあり得る。
問題は、その二重構造の隙間に走る「管」だ。
奏太は別の残骸に移った。こちらは腕だけが原型を留めている。肘関節が露出していた。同じ構造だ。骨格、二重関節、そして管。管の内壁には微細な紋様が刻まれていて、装甲表面の紋様と呼応するようなパターンを描いている。
「回路だ」
奏太は呟いた。配線図のように体系的な紋様。これは動力を伝えるための回路なのだ。見たことのないエネルギーを使う、未知の駆動システム。
しかし——奏太はさらに顔を寄せた——この骨格の接合部、設計意図に対して実装が雑だ。球面ジョイントの座面に微かな段差がある。嵌合精度がもう少し高ければ、可動範囲はあと十度は広がるはずだ。それに、この装甲の取り付け方。ボルト……ではないが、固定用の留め具の配置が非対称で、左右の重量バランスが崩れている。
奏太の指が、無意識にその留め具を撫でていた。
「直せるな、これ」
声に出してから、自分で苦笑した。異世界に放り出されたばかりの男が、見たこともない機械の改善点を語っている。頭がおかしいのか、自分は。
いや——技術者とはそういう生き物だ。
三つ目の残骸にも足を運んだ。こちらは脚部のフレームが比較的原型を留めていた。膝関節を覗き込む。やはり同じ二重構造だ。だが脚部は腕部より頑丈に作られている。当然だ。全重量を支える脚部には、より高い剛性が求められる。股関節は多軸の複合ジョイントで、人間の骨盤に似た構造をしている。
この世界の技術者も、人体を参考にしたのだろう。異世界であっても、合理的な設計の帰結は似通う。それが奏太にはおかしくもあり、嬉しくもあった。
ポケットに手を入れて六角ボルトを探した。指先に硬い感触が当たる。まだある。くるくる回しながら、目の前の機構を見つめる。
遠くで、轟音がした。
奏太は顔を上げた。地平線の向こう、灰色の空を裂くように閃光が走る。一つ、二つ、三つ。轟音が遅れて届く。
戦闘だ。
あの光の先で、この人型兵器と同じものが戦っているのだ。
足が竦んだ。エンジニアの好奇心が一瞬で冷水を浴びせられた。ここは戦場だ。荒野に一人で立っている場所が戦場のど真ん中だということに、今さら気づく。
逃げなければ。だがどこへ?
どの方角に何があるのかわからない。見渡す限り同じ灰色の荒野で、目印になるものがない。閃光が見える方向だけは避けるべきだが、それ以外の三方位のどこが安全かなど判断のしようがない。
奏太は深呼吸した。
パニックは何も解決しない。わからないなら、わかることから始めるしかない。
足元に転がっていた部品を拾い上げた。手のひらに収まるサイズの、歯車のような部品。だが歯の形状が独特だ。通常の歯車は歯面が直線や曲線だが、この部品の歯面には先ほどの紋様と同じパターンが刻まれている。
すごい。
恐怖の裏で、技術者としての純粋な興奮が脈打っている。
この世界には、自分の知らない技術体系がある。原理はわからない。動力源も不明。だが機械としての構造——骨格と関節と伝達機構という基本設計は、自分の知識と地続きだ。
奏太はその歯車を握りしめた。考え事用の六角ボルトの代わりに、今度はこの異世界の部品を指で撫でる。
紋様の手触りが、指先に記憶されていく。
また閃光が走った。今度はさっきより近い。地鳴りのような振動が足元から伝わってきた。
奏太は部品をポケットに押し込み、閃光と反対の方向に歩き始めた。走る体力はない。夜通し残業した後で異世界に飛ばされたのだから当然だ。
喉が渇いている。腹も減っている。あの幕の内弁当は、結局どこに落ちたのだろう。異世界のアスファルトに幕の内弁当。想像するとおかしかった。笑えるのは余裕があるからではない。笑わないとやってられないだけだ。
歩きながら、目だけは周囲の残骸を舐めるように追い続けている。
あの機体は、すごいものだった。未知の動力源で駆動する巨大人型兵器。二重構造の骨格。紋様で制御される動力伝達回路。地球の工学とは根本から違うが、機械であることには変わりない。
そして機械である以上、法則がある。構造がある。原理がある。
機械は正直だ。構造を見れば、何をしたいのかがわかる。
この世界のことは何もわからない。言葉が通じるかもわからない。帰れるかもわからない。だがあの機械の構造だけは——触れば、読み取れる。それだけが、今の自分に確かなものだ。
ポケットの中で、異世界の歯車が指先に触れている。紋様の凹凸が、六角ボルトとは違うリズムで指に刻まれていく。
奏太は歩いた。行くあてもなく、ただ閃光から離れる方向に。




