第十六章 パイロットに合わせる
フィンの機体の調整は、奏太がこれまで手がけた中で最も繊細な作業だった。
操縦桿を分解した。バネの一つ一つを取り出し、反力を計測する。テーブルの上には小さな部品が整然と並んでいる。ワッシャー、スプリング、ジョイントピン、ガイドレール。一つ一つが操縦桿の動きを決める要素だ。
フィンの手の大きさ、握力、指の長さ——パイロット待機室で計測させてもらった数値が手元にある。右手と左手で握力が微妙に違う。親指の付け根の角度。薬指の長さ。フィン専用の数値だ。カティアが「ここまで個人に合わせた調整は見たことがない」と驚いたのは、その数値の細かさだった。
整備棟の奥の作業台を使った。ガルベルトの目が届きにくい場所だ。もっとも、カティアが隣にいる時点でバレるのは時間の問題だろうが。
「操縦桿の遊びを広げます。現状の二ミリから五ミリに」
「三ミリも広げるんですか? 反応が鈍くなりませんか?」
「鈍くなります。ただし、それは『通常時に不要な過敏さを削る』という意味です」
奏太はカティアに図を描いて見せた。操縦桿の入力強度と機体の反応速度の関係。通常のセッティングでは直線的な比例関係だ。力を入れれば入れるほど、機体は急激に反応する。
「これを変えます。入力が小さいうちは通常通り。でも一定以上の力がかかったら、反応カーブを緩やかにする。力んでも機体が暴走しないように」
「つまり——恐怖で力んでも、急な動きにならない」
「そうです。フィンさんの問題は、硬直して力が入ること。それ自体は止められない。でも機体側で受け止められる」
カティアは集中すると出る舌先を引っ込めて、真剣に頷いた。緑の目が技術者として輝いている。師匠には内緒の共同作業——だがもはや、それを後ろめたいとは思っていないようだった。
操縦桿のバネを交換した。弱めのバネ。指先の微調整がしやすくなる。フィン本来の操縦スタイル——繊細な微調整を得意とする傾向——を活かすためだ。
反応速度の曲線を書き換える。機体の動作伝達系の歯車比を変更し、操縦桿からの入力が機体の動きに変換されるまでのカーブを調整した。元の世界ならソフトウェアで一発だが、ここでは機械的にやるしかない。歯車とリンク機構の組み合わせで、疑似的な非線形応答を作り出す。
さらに、もう一つ。
「フィンさんの操縦データを見ると、恐怖が出ない距離——五百メートル以上——では、信じられないくらい精密な操縦をしてる。微細な角度調整、繊細な出力制御。これを活かすモードを追加します」
「モード?」
「操縦桿の根元にレバーを一つ追加して、切り替えられるようにします。通常モードと精密モード。精密モードでは操縦桿の感度を上げて、フィンさんの繊細な入力をそのまま機体に伝える。遠距離での精密機動が得意なフィンさん向けの設計です」
カティアが目を見開いた。
「それ——パイロットごとに操縦系統を変えるってことですか。そんな発想、この世界にはないです。機体は規格品で、パイロットが合わせるのが普通で——」
「元の世界でも、最初はそうでした。でも産業用ロボットの世界では、オペレーターの癖に合わせてインターフェースを調整するのが当たり前になった。同じ考え方です」
「ロボ……? タカモリさんの世界の機械ですよね。それは——いつか詳しく聞かせてください」
カティアの目が好奇心でいっぱいだった。赤毛の下で耳が少し赤くなっている。技術の話になると興奮が隠せないらしい。
「パイロットを変えるんじゃなくて、機体をパイロットに合わせる。俺の整備哲学みたいなもんです」
三日間かけて調整を仕上げた。操縦桿のバネ一つ、歯車一つ、リンク機構の角度一つに何度も微調整を重ねた。夜の格納庫で、作業灯の白い光に照らされながら、奏太の火傷だらけの指先がミリ単位の精度を追求する。
ときにはカティアが計測値を読み上げた。「〇・三ミリ右にずれてます」「バネ定数、目標値まであと少し」。彼女の正確な数値読みは技術者としての素質を証明していた。ときにはディーターが無言で必要な工具を差し出してくれた。奏太が手を伸ばす前に、次に必要な工具がそこにある。二十年の経験が生む先読みだ。
テスト走行の日が来た。
朝から晴れていた。格納庫の外の訓練場に、フィンの機体が運び出された。三日間の調整を経た機体は、外見上は何も変わっていない。変わったのは中身だ。操縦桿、伝達系、反応カーブ。パイロットに触れる全てのインターフェースが、フィン・レクター専用になっている。
フィンがコックピットに座り、操縦桿を握った。奏太は機体の足元で、カティアが計測器を構えて待機している。エーリヒも訓練場の端に立っていた。友人の変化を見届けるために。
機体が動き出した。
最初の一歩で、フィンの声が通信に入った。
「——なんだこれ」
二歩目。
「操縦桿が、全然違う——軽い。でも軽すぎない。指先が、そのまま機体に繋がってるみたいだ」
旋回。急停止。再加速。フィンの操縦が、訓練データと同じ精度で動いている。繊細で、正確で、無駄がない。
「精密モード、切り替えます——うわ、すごい。角度の微調整がこんなに楽に——」
フィンの声が上擦っていた。興奮している。機体が自分の手の延長になっている。これまでの機体は「乗る」ものだった。この機体は「着る」ものに近い。
通常モードに戻して、奏太が指示した。
「フィンさん、今から三百メートル先のターゲットに急接近してみてください」
通信が沈黙した。三百メートル。あの距離だ。
「……わかりました」
機体が加速した。二百メートルの表示を通信士が読み上げる。フィンの入力強度が上がり始めた——だが、機体は暴走しない。反応カーブの調整が、フィンの硬直を受け止めている。力んでも、機体は滑らかに動き続ける。
百メートル。ターゲットの前で急停止。
「——止まれた」
フィンの声が震えていた。今度は恐怖ではなく、驚きの震え。
「止まれた。暴走しなかった。力んだのに——機体が、受け止めてくれた」
奏太は機体の足元で、小さく息を吐いた。
カティアが計測器のデータを確認し、声を上げた。
「入力強度は上がってます。でも機体の挙動は安定してる——反応カーブの変更が効いてます。これ、すごいです」
コックピットが開いて、フィンが降りてきた。タラップを二段飛ばしで駆け下りてくる。
青緑の目が潤んでいた。涙を堪えている。だが笑っている。泣きながら笑っている。首のペンダントが走る勢いで胸の上で跳ねた。
「タカモリさん、これ——自分の身体の一部みたいです。こんな機体、初めてだ」
「まだ調整は始まったばかりです。実戦データが出たら、もう一回微調整します」
「——はい!」
フィンの返事は、初めて聞く本気の声だった。「大丈夫です」ではない。「はい」。シンプルで力強い一語。
パイロットを変えるのではなく、機体をパイロットに合わせる。
機械屋にしかできない支え方がある。それを奏太は、フィンの涙で確信した。
遠くの整備棟の窓から、ガルベルトが訓練場を見ていた。琥珀色の目が、走り回るフィンの機体を追っている。その表情を読み取れる者は、この場にはいなかった。
ディーターだけが、ガルベルトの背中を見て、渋い茶をもう一口すすった。
訓練場の端で、エーリヒが腕を組んだまま動かなかった。眼鏡の奥の灰緑色の目が、フィンの機体を見つめている。最も近くにいた男だからこそ、その変化の意味が誰よりもわかる。小さく、頷いた。




