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令嬢誕生。

【前回のあらすじ】

 不登校児童の雫石しずくいしあゆかを家族に迎え入れたななお達は、超優秀な漫画家アシスタントの獲得に成功する。

 それはななみにとっては、校内ではずっとひた隠しにしてきた漫画愛を大っぴらに語り合える親友の誕生でもあった。

 あゆかの絶大な信頼を勝ち得たことにより、彼女を通学させ、悪評ばかりが一人歩きしていたそのイメージを大幅に回復させることにも成功した。

 何もかもが順風満帆であるかに思えた矢先、あゆかは再び奇病を発症させ昏倒。そのまま還らぬ人になってしまった…かと思いきや、土壇場で予想外の事実が判明。

 なんと、あゆかもへぼみ同様、人間そっくりに造られたHWMだった!





「…んで? こいつは一体全体どーゆーことなんだ? キッチリ説明して貰うからな!?」


 深夜にもかかわらずマッハで駆けつけたあゆかの自称主治医・れいじと名乗る男をリビングに通し、俺は間髪入れずに尋問を開始した。


「…まずは謝らせて欲しい。キミ達を騙すような真似をして済まなかった」


 ソファーに浅く腰掛けた彼は、俺たちを見回して頭を下げた。こうも素直に謝罪されてしまうと、根掘り葉掘り聞き出すつもりだったのに出鼻を挫かれて勢いを削がれてしまう。

 なので俺は質問の矛先を変えた。


「…アンタもとっくに知ってたんだろ、先生?」


 ちゃっかりれいじの隣に陣取りつつも所在なさげなていちに訊くと、彼女は悪びれもせずに「ああ」と短く応えた。

 こんな夜更けに彼奴に連絡して呼び寄せたのもていちだし、互いの連絡先は既に交換済みだったらしい。

 思えばあゆかを我が家に迎えたあの日…れいじと対面したへぼみの様子が妙だったし、その後にていちもおかしくなった。

 つまり…へぼみは元々れいじを知っていたため、あゆかの正体を逆説的に見抜いた。

 …いや、屋上で倒れたあゆかを担いだ時点で、何かに気づいたような感じだったな、そういえば。

 そしてていちも後ほど二人から、あゆかがHWMであることを明かされ、俺たちには秘密にするよう頼まれた…と考えれば辻褄が合う。

 だが、既にへぼみでHWMに慣れていた俺たちとは違い、ていちはそれまでHWMなるもの

に触れたことすら無かったため大いに困惑した。


「…だから、か?」


 他の連中にあの時の出来事がバレる訳にはいかんから…あえて詳細を省いた俺の抗議に、彼女は申し訳なさげにうなだれた。

 『だから』…俺の入浴中にわざわざ突入してきたんだな、あの時のていちは。

 俺たちにあゆかの正体を明かす訳にはいかなかったが、かといってこのままじゃていちの精神が持たない。

 そこで、いざという場合は俺にだけは真相を明かせるように…俺を味方に引き込むために、あんな真似をしてまで、ある種の共犯関係を構築したんだ。

 その上で、へぼみのことを聞き出す体で、彼女達HWMへの心構えを得ようとした。

 そして…結果的に、普通の人間に接するのと何ら変わらないと悟ったていちは…翌朝、あゆかに登校を促した。今さらもクソもないが、彼女の担任としての責務から。

 …じゃあまず、ていちをそこまで混乱させるそもそもの発端となった、根本的な疑問からハッキリさせていこうか?


「…あゆかは、いつからHWMなんだ?」


『!?』


 いきなり核心を突く俺の質問に、そこに居合わせた全員の顔がこわばった。


「少なくとも…最初は人間だったんだろ?」


 雫石家ほどの名門が、最初からHWMを御令嬢として育てるだなんてトチ狂った真似をする訳がない。

 つまり、元々はちゃんとした人間だったのが、何らかの事情があって途中でHWMに入れ替わった。

 そして…オリジナルの方は、たぶんもう…


「…お察しの通りさ。本物の雫石あゆかは、もうこの世にはいない」


 意を決したように話し始めたれいじは、予想通りの真相を告げた。


 事の起こりは数年前…あゆかの中学時代にまで遡る。

 夏休み。雫石家は避暑地の別荘でバカンスを満喫するのが毎年の慣例だった。

 だが、多忙を極める雫石グループ総帥…彼女の父親は仕事の都合で予定が合わず、やむなく彼女とその母親だけで一足先に現地へ向かうこととなった。

 その道中で…彼女達を不運が襲った。

 不慮の自動車事故に巻き込まれ、運転手と執事、そしてあゆかがあえなく死亡。

 自動運転が常識となった昨今でも、特に避暑地では無軌道な若者達が招く無謀運転による犠牲者が後を絶たない。

 当時の事故記録によれば、違法改造車が制御不能となり反対車線に突っ込んだ挙げ句の車両十数台が絡んだ凄惨な事故状況で、犠牲者の大半がほぼ即死だったらしい。

 数少ない生存者の一人だった母親にも重度の障害が残り、大掛かりな医療設備がなければ生きられない身体になった。

 それ以上に…彼女には何の落ち度もなかったのに、事故は自分のせいだ、自分が娘を殺したんだ…と悔やみ続けた母親は精神を病み、ますます回復もままならない容態となった。

 そこで…社長は驚くべき一計を案じた。すなわち…


「死んだあゆかにそっくりなHWMを造り上げ、奥様に付き添わせて欲しい…との依頼だった。

 リアリストな彼らしくもない荒唐無稽な案だったが…僕はその提案に乗った」


 そこでれいじは、ていちに頼まれてさよりが用意したコーヒーをくいっと一杯煽った。


「何故なら…僕も彼女の死を受け入れられなかった人間だからね…」


 遠い目をして湯呑みの底に映り込んだ自分の顔を見つめるれいじ。その様子に、誰もが彼とあゆかの関係を薄々察していた。

 その隣でていちが…うげっ。

「何なんだこのロリコンはよぉー?」的な、今にもゲロ吐きそうな顔してるぞ。彼へのお熱が急激に冷めたのは、そゆことだったのねん。

 つーかアンタもうちのななみに激アマだったりと、年下のカワイイ子には目がないご様子だけど…同族嫌悪ってヤツか?

 さて、そんな社長の咄嗟の思いつきに応えられる奴なんざ、そーそーいないはずだが…現にコヤツは見事にあゆかを完成させた。


「そろそろ自己紹介して頂いても構わねーでげしょ、れいじサン?」


「そうだね。いつまでも名乗らないのは失礼かと思ったけど…その途端に身バレしそうだったからね」


 ってことは有名人なのか? 俺は知らんけど。


「…真木名まきなれいじ博士ですよぉ〜♩」


 寝室であゆかの再起動作業中だったへぼみが、ひょっこりリビングに顔を出すなり、彼の代わりに言い放った。


「我が国のロボット工学の開祖であらせられる真木名教授のお孫さんで、親子三代に渡るロボット研究一家の期待のホープ〜☆

 機械工学の天才だった初代、電脳研究の大家だった先代に引き続き、AI進化理論に人工生命工学を掛け合わせたウンタラカンタラ〜」


「…よーするにHWM研究のいっちゃんエライ人。って認識でいいか?」


 へぼみに任せても理解不能を極めそうだったのでテケトーにまとめてみたが、博士サマはそれでいいと頷き返した。自分でエライって認めちゃってるし。

 あゆかのアパートでれいじと初対面だったにもかかわらず、へぼみがすぐ彼の正体に気づいたのも、HWM界では有名人だったからか。

 産みの親ということは、HWMにとっては神にも等しい存在だろうし…それで彼にはいつになく献身的な態度を取ってたんだな。


「ついでに雫石グループではHWM開発部門を任されていたよ…元、だけどね」


 バツが悪そうに苦笑する真木名れいじ。てことは今はフリーか。

 あゆかをあの安アパートに住まわせてたところから察するに、色々あってグループを辞めたんだろうな。


「あゆかの再起動はうまく行ってるかい?」


「はい〜、ただいま起動シークエンス中ですのでぇ、もうすぐお目覚めになると思いますよぉ〜。

 基本OSの一部にまで入り込んでましたのでぇ、部分削除して代替アプリを登録しておきましたぁ。あくまでも応急処置ですけどぉ〜」


「いや、そこまでしてくれれば上出来だよ。ありがとう」


 ふ〜む? あゆかの不調の原因について話し合ってるようだが…サッパリだな!


「そんな訳であゆか再生計画がスタートした訳だけど…」


 おぉ、さすがは大御所。外野の騒音にはまったく惑わされずに唐突に過去バナを再開しやがったな。





 ここまでの話をザックリまとめると、事故で大怪我を負ったあゆかの母親を、死んだ娘似のHWMで励まそう…と、簡単に言えばそんな流れだったか?

 故人を、しかも自分の娘のコピー品を生み出そうだなんて、死者への冒涜もいいところだけど…雫石社長はそれほどまでに追い詰められていたんだな。

 あるいは、れいじなら必ずや自分の期待に応えてくれるという信頼もあったんだろう。

 …かくいう俺もへぼみのことを指摘されるとまったく反論できないけどな。


 件のれいじはその依頼に、一旦は開発計画が凍結された半生体型HWM素体を使用することに決めた。読んで字の如く、へぼみ同様に機体の大半が生体パーツで構成されたタイプだ。

 凍結理由もへぼみ同様、見た目が人間そのものな存在を人間が開発して良いものか?という倫理的な問題が一つ。

 そしてそれ以上に、生体パーツの量産化が極めて困難であるが故に製造コストが高騰し、採算が見込めないというメーカーとしては致命的な欠点にあった。

 社長夫人の治療補佐という目的ゆえに開発期間が限られていたため、基本フレームは従来品を使い回し、その外装に生体パーツを被せる構造とし、開発は採算性度外視の突貫作業で進められた。


「そして事故からわずか半年後…あゆかは甦った。HWMとして。

 そうとは知らない奥様は、娘が生き返ったと涙を流して喜んでくれたよ。普通に考えればあり得ない事態なのに…あの人の容態は、そこまで深刻だったんだ」


 そう言ってわずかに微笑んだれいじの表情が、すぐに掻き曇る。

 人間型HWMの創造…という、万一これが公式発表されていたならば人類初の大偉業を成し遂げたにもかかわらず。

 …だが、その功績はもちろん公には報道されなかった。

 実は、あゆかの死亡報告は社長が揉み消していたのだ。彼が溺愛してやまなかった娘の死を、決して受け入れられなかったが故に。

 たった半年という驚異的な短期間で生体パーツが調達できた理由もそこにある。


「だからアレは、厳密にはHWMとは呼べない。…いわゆる『サイボーグ』だ」


 そう…あゆかの外殻パーツは『オリジナルの彼女』そのもの。事故現場から回収された遺体が使用されているのだ。もちろん腐敗したり損傷が激しかった部分は修復されてはいるが。

 そして雫石家の御令嬢は、表向きは雫石グループが総力を結集した先端医療による長期治療の成果として、再び世間に姿を現した。


「けれども、短期間で仕上げたツケか…後に想定外の問題点が続々と明らかになるにつれて、僕は今さらながらに後悔することになった」


 第一に、肉体的な問題点。

 あゆかの外殻はたしかに人間だが、中身は機械。…なので成長することが無い。

 今後いつになるかは不明だが、HWMとしての活動限界を迎えるまでは老いることもない。

 生体だから毛髪や爪などは人間同様に伸びるし、怪我をすればある程度は自己修復されるが、成長と呼べるほどではない。

 不老不死なんて夢のような話かもしれないが…周囲の者が日々年齢を重ねていく中、一切変化しない者がどう思われるか…そして、あゆか本人がどう思うか…考えるまでもない。


 第二に、各種感覚が人間とは著しく異なる点。特に飲食面において、その違いは顕著だ。

 活動に要するにエネルギーは人間同様の経口摂取…すなわち食事で補われる。

 しかし電脳化された代償として、旨味や満腹感は得られない。

 甘い辛い苦い酸いなどの基本的な味覚の判定はできるし、消化器系の残容量も体感できる一方、それがどう美味いのか、精神的にどう幸福なのかといった感覚には繋がらないのだ。

 だからあゆかがウチで初めて食事した際、さより達の心尽くしの手料理を本当の意味で味わうことは出来ず、「温かい」といった概念的な差異にしか気づけなかった。

 また急速かつ過度の摂取による消化不良は人間以上に深刻な機能不全に陥る恐れがあることから、へぼみも珍しく「もっとゆっくり食べろ」などと気遣ってたんだな…。


 第三に、感情面が未成熟な点。

 あゆかを見ていて、どうにも感情が希薄な印象を受けたけど…

 実質的に、この世に生まれ落ちてからまだほんの数年しか経っていないと判れば、それは無理もないことだと思った。

 開発が急がれたあまり、電脳がほぼまっさらな状態のまま実用化されてしまったから…要するに経験不足なんだな。

 オリジナルを知るれいじによれば、元々おとなしくて控えめな性格ではあったが、喜怒哀楽は割り合いハッキリした娘だったらしい。

 まぁここらへんは今後の経験次第で熟成されていくらしいが…。

 ちなみに後発のへぼみの場合は、逆に常にハイテンションで俺たち以上に情感豊かだから、何らかの打開策が施されているのかもな。


「そして、最後にして最大の問題点が…『記憶』だ」


 苦虫を噛み潰したようにれいじは言った。

 当たり前の話だが、生前のあゆかと現在のあゆかは見た目が酷似しているだけの、まるっきり別人だ。

 それぞれに個性があり、思考も思想も…外見以外はことごとく異なる。


「だけど、当時の社長も…そして僕も、いちばん大事なその点がまったく理解できてなかった。

 僕たちが望んだのはあくまでも、生前のあゆかの再生だったんだ」


 そこで彼らは、白紙状態だったあゆかの電脳に、生前の彼女のあらゆる記憶を刷り込んだ。

 現存するホームビデオなどの映像や音声記録から、彼女が残した日記や作文、図画などの資料、そして父親やれいじが思い出せる限りの彼女のエピソード、等々…。

 だがしかし、記憶というものは頭脳だけにとどまらず、その当時の感情や体感などのあらゆる思い出が複合的に織りなす『実体験』なのだ。


「HWMとして生まれ変わったあゆかには、当然のごとく何の経験も無かった。

 自分以外の人間の記憶が、自分の中にまことしやかに存在する…その違和感や異物感は相当なものだったに違いない」


 そう言って頭を抱え込むれいじ以上に、あゆかの方は散々悩まされてきたことだろう。何処の誰かも判らない、幻のような己自身の想い出に。

 かくいう俺にはそれとは真逆に、幼少期の記憶が一切無い。時々それを哀しく思いこそすれ、苦痛に苛まれるほどのことはない。

 何故ならそれはむしろ、これからの自分が思いのままに生きていけることを保証するものだから…。

 けれどもあゆかの場合は、自分が思うままの自分であることさえ許されない。『実在しない過去』という、悪夢のようなしがらみに振り回され続ける限り…。


「あゆかは、その苦痛を少しでも和らげようとして…その捌け口を外部に求めた。

 有り体に言えば…グレた。」


 己の不満を家人にぶつけたところで、誰もあゆかには逆らえない。表向きは御令嬢だし、中身は得体の知れないHWMなのだから。

 やがて、夜な夜な盛り場をうろついては、彼女の美貌やカラダ目当てに群がる野郎どもの甘言にノって暴れ回る日々に没頭した。

 自分が何を求めているのかも判らないが、その先に自身を導いてくれる何かがあると信じて…。


「いつだったか、言い寄ってきたガラの悪いホストに騙されてほいほいホテルにまでついていって、怪しいクスリを射たれそうになったこともあったっけ。

 たぶんあゆかには効かないだろうけど、世間体ってものもあるし…あの時はグループ総出で繰り出して、相手の組織を壊滅に追い込んだりしたっけなぁ…」


 遠い目をして物騒極まりない想い出を語るれいじ。オイオイ。

 それが巷で囁かれているあゆかの黒い噂の真相だった訳か。…だいたい合ってんじゃん。


「その分だと『奥様回復大作戦』は失敗に終わった…のか?」


「いいや、むしろ大成功だったよ。あゆかも奥様にだけは献身的に接してたしね。

 自分を理解してくれる唯一の存在だったから、あゆかも懐いてたんだろうな…」


 あるいは母親は、あゆかが生前の彼女とは違うことに気づいてたのかもしれない…とれいじは言った。

 俺もたぶん、そんな気がする。最初はそっくりな見た目に惑わされたななみとへぼみも、今では自然と見分けがつくしな。

 それでも互いに支え合い、いたわり合う日々を送った二人の間には…母娘の関係を超えた強い絆が育まれたことだろう。


 だけど、そんな日々も長くは続かなかった。

 もともと致命傷だった母親の容体は少しずつ悪化し…あゆかの献身的な介護も虚しく、やがて最期の瞬間が訪れた。

 それでも担当医の当初の見解よりは遥かに長い期間を生き長らえたが…。


「最後まであゆかに看取られて、奥様は静かに息を引き取ったよ。

 とても穏やかで…幸せそうにね…」


 …あゆかは、自身の使命を立派に果たしたんだ。





 そんなこんなで無事に仕事を終えたあゆかを待っていたのは…労いなどではなく、父親からの拒絶だった。


「僕が懸念した通り、社長はあゆかの違和感に耐えられなかった。生前の娘を溺愛していたから無理もないけどね。

 それでも奥様のためならと、ずっと耐え忍んでいたんだ」


 そして最愛の妻が亡くなった途端、社長は手のひらを返してあゆかに絶縁を言い渡した。

 もう二度と自分の前に現れるな、と。


「確かに社長の期待通りに仕上げられなかった僕にも落ち度はある。

 それでも、開発者である自身の生涯においての最高傑作を自負していたあゆかを、そこまで足蹴にされて…僕はもう我慢が出来なかった」


 れいじはHWM開発リーダーを退き、雫石グループからも抜けた。

 そしてあゆかを引き取り、あの安アパートに匿った。グループを辞めて無職で無収入となった彼には予想以上に余裕が無かったし…あゆか自身があの部屋を希望したんだそうな。

 後で地図アプリで確認したら、雫石邸から最も近い物件があそこだった。

 ちなみにれいじは独身で一人暮らしだそうだが、何故あゆかと同居しなかったのかは言うまでもないだろう。相手は見た目JKだしな。


「ったく、なんちう父親よっ!?」「私のお父さんとは比べ物にならないわねっ!」


 ななみとさよりは社長の酷い仕打ちに憤りまくりだが、


「落ち着けお前らー。一度は娘を亡くした親父さんの気持ちにもなれー」


 ていちはさすがに年長者の配慮で二人をなだめている。奇遇だな、俺も同意見だ。


「…あゆかの肉体は死んだ娘だけど、中身はまんま入れ替わってるしな。父親的にはそりゃ許せねーだろ?」


 俺もへぼみがウチに来たばっかの頃は、何かと大変だったしな。顔はまったく同じなのに、中身はあーだし…エロいし、すぐ脱ぐし。


『…………。』


 やっと外野が静かになったところで、俺はれいじへの質問を再開した。


「あゆかはいつから漫画にハマったんだ?」


「そうだな…確か、入った学校に馴染めなくて引きこもった後からかな?

 部屋に漫画雑誌があっただろう。アレに魅了されてしまったらしい」


 あー、あったあった。読み込んでボロボロになったヤツな。なんでか不思議と既視感がある気がする…。


「何処かから拾ってきたらしくてね。最初は読み方も知らないほどだったけど、教えてあげたらすぐにドハマリさ」


 以来、れいじがいつ彼女の部屋を訪ねても、あゆかは脇目も振らずに漫画に熱中していたという。

 そういえば、俺たちが初めて出会ったあの画材店でも、あゆかは最初、俺の存在をガン無視して道具選びに没頭してたっけな。

 漫画バカを自負する俺をも凌駕する凄まじい熱量には圧倒されたが…そうならざるを得ない理由があったんだ。


「思えば、彼女が特定の物事にあれだけ興味を抱いたのは初めてだったし、何であれ趣味を持つのは良い傾向だろうと最初は思ったけど…どうやら少し違うらしいことに気づいた」


 あゆかのマスターは社長に設定されていた。

 へぼみのような最新型とは違い、従来品のHWMをカスタマイズしたあゆかのAIはやや旧式なため完全自立型ではなく、マスターへの依存度が高い。

 そしてあゆかは、そのマスターに拒絶されてしまった。マスターからの命令が得られないのは、HWMにとっては死活問題だ。

 そこで…


「おそらくあゆかは、社長の代わりに『漫画を描く』という命令を自らに課したんだ。

 自分で目標を見つける…僕ら人間には当然だけど、HWMにとっては驚異的な進化だよ」


 初めて見つけた漫画という目標。

 そのお陰で次世代HWMと同等の『自我』を手に入れたあゆかは、目標実現のために昼夜を徹して漫画にのめり込んだ。

 まさしくプロ漫画家のように、漫画にすべてを捧げてしまったんだ。

 幸い今日では専門学校に通ったり専門書を買ったりせずとも、ネットを探れば漫画の描き方は至る所で紹介されてるし、描き上げた作品を公開する場所もどこだろうと構わない。

 なので漫画家という仕事への敷居は、出版社を経由するしかなかった大昔よりもかなり低くなってはいる。

 そしてHWMはリアルタイムで他の作業をしながら並列処理でネットダイブ可能だから、こうした仕事にはまさに打ってつけだ。

 あゆかの漫画知識と技能は短期間で驚くほどの上達をみせた。

 しかし彼女は、そうして描き上げた作品をどこにも発表したことがなかった。


 あゆかにとっては「漫画を描く」行為そのものが目標であり目的であって、完成したモノはもはや何の意味も成さなかったのだ。

 あれだけの出来栄えだってのに、なんて勿体無い…。


「ななおくんへのストーキングも、その延長だったのかもしれないね。

 同じ目標を持っているキミなら、新たなマスターとして最適だと考えたんだろう」


 屋上で俺に迫ってきた時の、明らかに度を超したあゆかの切羽詰まった様子がありありと思い浮かんだ。

 アイツも必死だったんだな…。


「あと、漫画に限った話じゃねーけど、この種のサブカルにはタチの悪いアングラサイトも無数に転がってるから要注意なんだよなぁ。

 プロ志望の初心者をデビューさせてやると騙くらかしてカネ巻き上げる詐欺とか、違法コピー品を配布して荒稼ぎしてる輩とか、ウイルスに感染させることが目的の悪質ハッカーとか…」


「…まさにソレさ。あゆかがああなった原因は」


 彼女が復旧作業中だろうリビングの外を仰ぎ見て、れいじは溜息ひとつ。

 より多くの漫画知識を得るために、来る日も来る日もネットの波に揉まれ続けた結果…


「…悪質なウイルスに感染してしまったんだ」


 ディープなネットユーザーには宿命ともいえるウイルス感染。いかに強力なワクチンアプリを投入しようとも、常に新種が誕生し増殖し続けるコンピュータウイルスは防ぎようがない。

 HWMは当初からネット経由での運用が想定されていたため、基本OSは他のネット家電同様、ごく一般的なものが使用されている。

 つまり…人間が風邪をひいて体調を崩すのと同様、HWMも時々は風邪をひく訳だ。

 その場合には、人間なら医者に診せたり薬を飲んだりするし、HWMなら自分でワクチンアプリを適用する。


「でも…漫画にのめり込みすぎていたあゆかは、自身のウイルス対策強度を過信するあまり対応が遅れて…気づいたときには手遅れだった」


 HWMでもそんなことがあるんだな。

 風邪ひくからそろそろ上がれと言われても、なかなか水遊びを止めない子供みたいな奴だ。

 そんな具合に油断したあゆかの身体をウイルスは瞬く間に蝕み、やがて日常生活にも支障をきたすようになった。

 俺たちの目の前で倒れたときもそうだったように、突然どっかの機能がフリーズして昏倒する。その頻度も次第に高まってきていたらしい。

 皮肉にも、雫石あゆかという自我を形成する立役者となった漫画が、彼女の不調を増大させる毒薬にもなってしまったんだな…。

 それでも人間よりマシなのは、たとえ呼吸が乱れようが発動器が停止しようが死ぬことはなく、再起動すれば復活できるってことか。


「あるいは僕がまだグループに残っていたなら、あそこの設備を使ってもう少しはマシな対処ができたかもしれないけど…現状では、倒れる度に再起動をかけるくらいで精一杯さ」


 家電なんかでも調子が悪くなったらとりあえず電源入れ直せば、しばらくはマトモに動いてくれるしな。

 根本的な解決には至らないから、単なる気休めに過ぎないが。


「そうなる度に、あの時の自分の堪え性の無さを呪うけど…だからって今さら頭を下げて戻る気はサラサラ無いしね」


 見た目チャラさげな長髪野郎の分際で、コイツもやっぱ男の子だねぇ。そういう割とヤンチャで思い切りがいいトコ、けっこー好きだぜ♩


「なら、これからどうすんだ。あのままじゃいずれ限界が来ちまうだろ…?」


 俺の質問に誰もが固唾を飲んで注目する中、腕組みをして考え込む…フリをしてみせたれいじは、ポツリと一言。


「…方法は無いこともない」


 じゃあ何ですぐ試さないのか?という皆の疑問に応えたのは、


「でも、それはたぶん…きっと、あゆかさんにとっては死ぬよりもツラいことかもしれないですぅ〜」


 れいじのそばで黙って話を聞いていたへぼみだった。

 死ぬよりもツラい…死なないHWMが?

 しかし直後にれいじが明かした方法は…まさしくその通りだった。


「…初期化だ。」


 ッ!?

 俺はすぐにそのヤバさに気づいたが、あまりPC畑に詳しくなさげな女性陣は皆キョトンとしている。


「あゆかの記憶領域を再フォーマットして、基本OSを再インストールし…最初期の状態に戻す。原理上、これでウイルスは全消滅する」


「ち、ちょっと待てよ…そんなコトしたら、あゆかは…!?」


 血相変えて詰め寄る俺に、れいじは務めて冷徹に応えた。


「その通り…

 あゆかは、すべての記憶を失う。」





 初期化。PCがウイルスにやられてどうしようもなくなったときの最終手段として、実際に行ったことがある人も多いだろう。

 その際、それまでの記録情報は物理的に一切合財削除され、元の白紙状態に戻る。

 HWMの場合も同様だ。

 人間の記憶喪失なら、ドラマのように何かのはずみで一気にすべてを思い出すこともあるだろう。

 だが、HWMの場合それはあり得ない。

 一旦失われた想い出は、二度と…永遠に取り戻せない。

 そうならないために、PCなら定期的なバックアップが推奨されているし、スマホならすべての使用記録がクラウドに残されているため、復旧も比較的容易だ。

 HWMの場合も、基本的な行動記録はクラウドに残される。…あくまでも基本的な、スケジュール表のような記録ならば。

 実際の記憶は膨大な情報量を有するため、記憶に残るのは象徴的な概念だけで、しかもごく短時間の断片的な塊のみ。これは人間もHWMも同じだろう。

 だから人間はビデオカメラや写真機で映像を記録する。あくまでも補助的な記録に過ぎないが、それで過去を思い出せるのが人間だ。

 HWMも人間と同じように逐一記録してはいるが、容量をオーバーした古い記憶は新しい記憶に上書きされ、復旧は効かない。ドライブレコーダーの仕組みみたいなものだ。

 そしてHWMの場合…その想い出がどのように処理されているのかは、れいじ達技術者にも解らない。AIがブラックボックス化されているため、調べようがないのだ。

 つまり、一旦初期化されたHWMが過去を取り戻す方法は…無い。

 れいじが今からあゆかに対して行おうとしている『初期化』とは…そういうことだ。


『……っ!?』


 やっとことの重大さに気づいたななみ達が大きく息を呑む。

 あゆかがウチに来てから皆とともに過ごしたのは、ほんの数日だけど…それでも、とても言葉には尽くせないほどの濃密な時間だった。

 彼女がこの世に生を受けてからの数年間は、俺たちからすれば空虚な日々の繰り返しだったかもしれない。

 けれども、きっと誰にも解らない…あゆか本人しか知り得ない大切な想い出の蓄積が、そこにはあったはずなんだ。

 それが…全部、消えて無くなるなんて…。


「…それでいい。是非、そうしよう」


 鬱屈とした空気を吹き飛ばす、凛とした声が部屋に響いた。

 驚いて振り向いた皆の目に映ったのは…

 リビングの戸口に立つ、あゆかの姿。


「あゆか…復旧の具合はどうだい?」


 皆を代表して問うれいじに、


「ああ、いつになく調子が良い。へぼみの作業が適切だったのだろう…感謝する。この服も」


 あゆかが倒れたときのままの下着姿ではさすがにマズイと思ったのか、それ以前に着ていた部屋着をへぼみが着付けたらしい。


「復旧中に発見できたウイルスはすべて駆除させて頂いたのでぇ、調子が良いのはそのためでしょうかねぇ〜?

 システムの中枢でどんどん自己増殖してるようなので、一時凌ぎの気休めですけどぉ〜」


「なんと…やっぱり凄いな、キミは…!」


 どうやらへぼみはれいじの予想や常識を遥かに上回る高性能ぶりらしく、その説明に彼が目を見張っている。

 事実、並みのHWMなら仲間の復旧中に自らもウイルス感染し、ミイラ取りがミイラになりかねない危険を伴うらしい。だから通常は感染の恐れがない人間の技術者が手動で行う。

 しかしへぼみの弁によれば、彼女自身の電脳やOSは従来品とはまったく異なるアーキテクチャで開発されており、あゆかの復旧作業には適合OSをエミュレートして当たるため、感染の恐れは一切無いそうな。

 …素人の俺には何のことだかさっぱりだが。


「…あゆか…本当にいいの?」


 へぼみとれいじがオタク談義で盛り上がる中、誰もが話しかける機会を失っていたあゆかに最初に話しかけたのは…意外にも、ななみだった。


「初期化したら、全部忘れちゃうんでしょ?

 あたし達のことも、みんな…」


 いつもの乱暴な言葉遣いから一転して、昔のように素直で幼い口調で、ななみはあゆかに詰め寄る。


「せっかく仲良くなれたのに…嫌だよ、そんなの。あたしは…あゆかに忘れられたくないよ…っ!」


 今では俺にも滅多に見せない、昔ながらのカワイイ素顔で…ななみは涙を浮かべた。

 いつしかコイツの中でのあゆかは、それほどまでに大切な存在になってたんだな…。


「だが…私はお前たちを騙していたんだぞ?

 HWMなのに人間のフリをして、ななおに近づいて…お前たちにも散々迷惑かけて…」


「関係ないよそんなのっ!!

 あたしはあゆかだから友達になったんだよ!

 あゆかじゃなきゃダメなんだよッ!」


 ななみの言葉に誰もがハッとして…誰もが自分の気持ちを再認識した。

 むしろ、あゆかがHWMだと判った今こそ、やっと互いの心のわだかまりが解けた気がする。


「…嬉しいものだな…誰かにこんなにも必要とされるのは」


 今にも泣き出しそうな笑顔であゆかは呟く。


「…だからこそ、私は思ったんだ。

 たとえ記憶を失おうとも…生きたい、と」


 それまでのあゆかは、自分が何のために生まれてきたのか解らなかった。

 既にこの世にいない娘の代わりになれと、マスターである父親言われ…その存在に近づこうとすればするほど、何もかもが違うと否定された。

 それでも誰かに認められたくて…自分という存在を見つけて欲しくて…あてもなく街を彷徨い歩いて…挙げ句に何かしでかす度に、ますます疎んじられた。

 唯一、自分を可愛がってくれた母親もいなくなり…ついには父親にも捨てられ、自分の居場所まで取り上げられ…

 ならばと苦労して見つけた、漫画という目標を追い求めるあまり…しまいには自身の身体をも害する結果となった。


「こんな自分など、消えてなくなってしまえばいいと思っていた。

 機能不全に陥って停止する度、もう二度と目醒めなければ…どんなに精々することかと…」


 そんな最中に…あゆかは俺と出会った。

 何故だかわからないが…俺なら、あゆかを認めてくれるかもと思った。

 結果的にその直感は当たり…


「ここに来てからは、誰もが私を認めてくれた。

 私にとって大切なものが、どんどん増えた。

 そうしたら…不思議なものだな。

 あれだけ消えたいと思っていたのに、今度は逆に…少しでも長く、この世界に留まっていたいと願うようになった」


 大切なものが多ければ多いほど、人はそれにしがみつこうとする。

 子供だろうと大人だろうと…

 善人だろうと悪人だろうと…

 それは変わらない。

 傍目にはどんなに浅ましく、滑稽に映ろうとも…

 それこそが、生に執着する人間の姿だ。


「私は…もっと生きたい。生きたいんだ…!」


 声を震わせて生への渇望を叫んだあゆかに、皆の心も揺さぶられた。


「…解った。アンタがどんなに忘れたって、あたしがまた思い出させたげる…!」

「まだ、お料理の味を褒めて貰ってないもんね。絶対に美味しいって言わせてみせるから!」

「この世を生き抜くためのノウハウを生徒に叩き込んでやるのが教師の務めだからなー!」


 目尻に浮かんだ涙をぬぐって、ななみやさより、ていち達と抱き合うあゆかの姿が、俺たちの目にはとても眩く映った。


「…よし、方針は決まりだね。ならば善は急げ…と行きたいところだが。

 困ったことに、HWMの初期化にはそれなりの設備が必要になるから、まずは場所の確保が必要だ」


 れいじがさっそく出鼻を挫く。

 単なる再起動とは異なり、HWMの初期化は基本的に誕生時と同様の手間暇を有する。

 人間だって生まれてくる時には産婆だの産湯だのと色々入り用だろ?


「さて、どうするか…社長に頭を下げて、本社施設の利用を願い出るか? いや、しかし…」


 義理と人情と技術者としての矜持に苛まれて苦悩するれいじに、


「あ〜、それでしたらあたし一人で全部出来ますよぉ〜?」


 へぼみがこれまたあっさりと申し出る。


「戦場で万一、僚機が行動不能に陥った場合の対策機能は全部盛り込まれてますし〜、基本OSのインストールもエミュレータ生成でどーにでもなりますしぃ〜♩」


 よー解らんけど…今、戦場て言った?

 ゴタンマのHWMはいったい何処を目指してんの???


「まさか、そんな…あり得ない…!?」


 素人にはどこがそんなに凄いのかさっぱり解らんが、れいじは救世主の降臨でも見たかのような神々しい眼差しをへぼみへと送り、


「…ま、まぁその辺の興味深い話は後でじっくり伺うとして…それじゃあへぼみくん、お願いできるかな?」


「ハァ〜イ喜んでぇ〜♩

 ではではあゆかさん、そゆことですのでぇ〜」


 どっかの居酒屋みたいな安請け合いをしたへぼみは、再びあゆかの手を引いて寝室へと…


「…その前に…少しだけ時間を貰えるか?」


 あゆかは、いつになく熱っぽい目で俺を見つめた。





「…お前には、いくら感謝してもしきれない」


 二人きりの薄暗い寝室で、あゆかは俺に素直に頭を下げた。


「お陰で私は初めて自分の居場所を得られた。

 お前たちは私を他の誰でもなく、私という存在のまま受け入れてくれた。

 なのに私は、ずっとお前たちを騙し続けて…」


「…ずっと学校に来なかったのも、それが原因だったんだな?」


「…ああ。自分で蒔いた種とはいえ、誰もが私を煙たがった」


 街中で何度かあゆかと遭遇した俺は、なんだかオモロ…いや魅力的な彼女ともっと話してみたくなって、まったく考え無しに学校に誘ってみたんだよな。

 本当に出てくるとは思わなかったし、あそこまで周囲に腫れ物扱いされてたってのは想定外だったから…正直スマンかった。

 だが、あゆかが登校を拒んでいた理由は、それ以上に…


「その上、自分がHWMだということが皆に知れたらと思うと…怖くて仕方がなかった」


「なのにどうして…俺にそそのかされたくらいで、お前は学校に出てきたんだ?」


 わざと答えにくい質問をした俺に、彼女は頬をわずかに赤らめて、


「わかり切ったことを訊くな。

 …そそのかしたのがお前だったからだ」


 あの日、あの画材店で初めて俺に出会った時…あゆかは直感したのだという。


「この男なら、ありのままの私を受け入れてくれるかもしれないと。

 だから、あの時は気が焦るばかりで…恥ずかしいことをした」


「ホントに恥ずかしかったなアレは。すんごい役得だったから、別に怒ってはいないぞ?」


 ニヤニヤ笑う俺を見て、あゆかは今さらながらに気まずそうに照れる。カワイイなぁ♩


「そ、そして…お前たちがへぼみを連れているのを見たとき、それは確信に変わった」


 だから彼女はウチに来たんだ。

 いつ、完全に機能停止するか判らないが…

 残されたわずかな時間を、自分自身として過ごすために。

 俺たちの記憶の中に、本当の自分を刻みつけておくために…。


「なのに…どうしてお前はあんなにも気が多いんだ?

 さよりと付き合い出したかと思えば、へぼみにも手を出してるし、ていちとも…風呂場で事に及んでいたな?」


 うはっ、バレてーら!? あん時あゆかはななみの部屋にいたはずだが…HWMに嘘はつけないなぁ。


「おまけに、血の繋がらないななみとも…あ、あんな真似を…!」


「すんごいガン見されてたしな、あん時は♩」


「ゔ…相手が私じゃなかったら、今ごろ兄妹揃って警備ドローンのお世話になってるところだぞ!」


 それはマジ助かりました。

 てかへぼみが来て以来、あんだけムチャクチャやらかしてんのにドローン全然飛んで来ねーな、そういや?

 ジャミング機能でも付いてんのかアイツ?


「だいたい何なんだ、お前は?

 私に気があるようなそぶりを見せたかと思えば、いざ応じてみれば常に裏切るような真似ばかり…!

 いったい何人毒牙にかければ気が済むんだ!?」


「あー…なんか誤解してるようだけど。

 俺まだ誰とも致してませんから。

 あくまでもプラトニックなお付き合いに徹しておりまして…」


「嘘つけっ!」


 ですよねー。


「ま、まぁ、それが事実だというなら…まだ、私にもチャンスはあるということか?」


「チャンスも何も…俺、とっくにお前を受け入れてるつもりだったんだけどな?」


 いくら俺でも、見ず知らずの赤の他人を自分ん家に住まわせるほどのお人好しじゃないぜ。

 ちゃんとななみ達の意見も確認して…


「ただ受け入れられるだけじゃなく…それが確認できる証が欲しいと思うのは、私のワガママなのか?

 というより、そもそもオカシイだろ…なんで好いた相手と添い遂げるのに他の女の確認が要る?」


 被りを振って指摘するあゆかに、俺は今さらながらにハタと気づかされた。

 クールな見た目とは裏腹にリビドー全開、インパクト絶大なあゆかの猛アタックに、なんて情熱的な女なんだと唖然とさせられてばかりだったが…

 真剣に相手を得ようとするなら、むしろそれが普通だったのか。


「まったく、お前という奴は…。

 そのぶんだと、今まで誰かを本気で好きになったことがあるかどうかも疑わしいな」


 よもやあゆかに常識を諭されようとは思いもしなかったな。

 曲がりなりにもさよりという親公認のカノジョまでいるのに、それが本気の想いかと問われれば…正直、答えに窮するな。

 なんてコト、さよりには絶対言えねーけど。言った途端に刺されそうだし。

 ななおよ、お前という奴はどこまで浮ついたいい加減な男なんだ?


「誰かを本気で好きに…?」


 う〜ん…何だろう?

 あゆかに言われたからムキになって反論する訳じゃないが、まるっきり無かった訳でもない気がする。

 じゃなきゃ、女の子相手にフザケるなんて高度なテクが使えるわきゃねーし。自分で言ってて虫唾が走るけど。

 だが、それについて思い起こそうとすると…

 どう説明すれば良いものか…

 頭の中に白い壁みたいなモノが立ち塞がってて、その先を覗き見ることすら出来ないんだ。

 幼い頃の俺の記憶は、すべてその先にある。だから確認のしようもないが…

 それとは別の体感的な記憶というか、感覚としては…あったよーな気もするし、なかったよーな気も…う〜むむむ???


「…フッ、まあいい。そういった適当なところもひっくるめてお前を気に入ってしまった私の落ち度だ」


 たまに見せる優しい表情を浮かべて苦笑したあゆかは、すっかりリラックスした様子で俺のそばに寄った。


「だから…今から私の本気を見せてやる」


 へっ?と呆ける暇もなく、俺をガバッと抱きすくめたあゆかは、強引に唇を奪った。

 相変わらず男らしくて惚れ惚れするぜ。


「…これで、お前は絶対に私を忘れまい。

 次は…お前を忘れずに済むよう、その証を私の身体に刻みつけて欲しい…!」


「それってつまり…セックスして全身にガタが来るほどズンズン突き上げて、子宮を俺の精子で満たせ…と?」


「そこまで露骨なコトは言っとらんッ!!

 が、まぁ…よーするにそーゆーコトだ」


 真っ赤な顔で縮こまったあゆかは、餌をねだる仔犬のように俺を見上げてくる。

 超カワイイから、ご褒美をあげやう♩

 俺も強引にあゆかを抱き寄せると、強引にその唇を奪う。強引に舌を捩じ込んで、強引に口蓋をねぶって、強引に舌先を絡めて…


「…ぷはっ。どーよ? 今までお前に不意打ち喰らわされてばかりだったからな。

 ヤられてばっかじゃ俺の気が済まん!」


「ハァハァ…まったく、お前という奴は…」


 可愛く吐息を荒げるあゆかに、俺はしてやったりと微笑み返して、


「そう気負うなよ。お前がどんだけ忘れちまっても、俺たちが思い出させてやるっつってんだろ。

 …けど、それでいいのか?」


 ずっと気になってたことを俺は訊いた。

 何故なら彼女は、ずっと生前のあゆかの記憶に振り回され続けてきたからだ。

 オリジナルの自分ではあるが、彼女自身にとってはまったくの赤の他人の幻に。

 デジャヴなんて生やさしい感覚では済まされない、自身が経験したこともない悪夢のような想い出に…。


「…今度もまた、そんな風になっちまったら…苦しむのはお前なんだぜ? それでもい」「ああ、構わない。」


 俺の言葉を遮ってまで、あゆかは力強く頷き返した。


「今度のは前とは違う、私自身の記憶だ。

 忘れて良い訳がない…忘れたくなんかない!

 お父様のことも、お母様のことも、ななみ達のことも…ななお、お前のことだって!

 忘れなければ生きてはいけない…そう、理解してるのに…本当は嫌なのに…どうして…ッ!?」


 失言だった。あゆかだって覚悟を決めた上での英断だったんだ。

 けれども、そう簡単には割り切れるはずもない。そんな彼女の気持ちが痛いほど伝わってきて…

 俺は言葉で慰める代わりに、再びあゆかの唇を塞いだ。

 こんなにも…狂おしいほど熱いのに、お互いどうしようもないほど切なくて…たまらなく悲しくて…涙がとめどなく溢れた。

 俺たちは心の赴くままに激しく求め合い…

 もどかしく服を脱ぎ散らかし…

 身体の芯まで結び付こうと、深く、深く…。





「…今さらだけど、博士に一言断らなくて良かったのか?」


 すべてが終わった後で。

 あゆかの柔肌の温もりを直に感じながら、俺は内心青ざめていた。


「…私が望んだことだ。彼奴の許可など知ったことか」


 裸の俺に手を回して抱き寄せたまま、あゆかは幸せそうに微笑んでみせた。


「とはいえ…ずいぶん派手にやらかしちまったしなぁ」


 一仕事終えて通常サイズに戻った俺の俺が垂れ下がったままの彼女の入り口からは、引き抜くこともままならずしこたま内でぶちまけてしまった白濁した液体がいまだ溢れ出てくる。

 絶頂を迎える寸前、あゆかが両手脚で俺を羽交締めにしちまったもんだから、退避行動が間に合わなかったんだよ。

 ちなみにその部分については、生前の彼女の肉体のままで、もちろん未使用だった。

 さすがに妊娠の心配は無いそうでホッとしたが、あゆかはすこぶる残念がっていた。オイオイ勘弁してくれ…。


「…せめて拭き取ってもいいか? ソレ見てると罪悪感パネーんだけど」


「断る。お前の愛で満たされたココはこのままにしておく」


 マジか。ずいぶん卑猥というか、いっそ猟奇的な愛もあったもんだな…。


「男なら自分のしでかしたことには責任を持て。それに…少なくとも私は幸せだぞ」


 実に幸せそうに自身の下腹部を撫でるあゆかの指先に、白濁液が絡み付いてメチャエロい。

 あっヤベ、それ見てたらまたおっきした。


「…もう一回満たしていくか?」


 もっとオブラートに包むか自重してくれぃ。

 たいへん魅力的なお申し出だが、あまり長々と引っ張ると他の連中にバレちまうし、ここいらが潮時だろう。


「…また、こんな関係になれたら、毎晩でもお邪魔させて貰うさ」


 もちろん他の連中がいない時にな。


「フ…期待しない程度に期待しておこう」


 HWMらしからぬセリフとともに、あゆかと俺は再び熱い口づけを交わした。


「…じゃあ、へぼみにバトンタッチな」


 後ろ髪を引かれる思いでベッドから起き上がり、のそのそと服に袖を通しかけた瞬間を見計らって、


「…別に延長なさっても構いませんけどぉ〜♩」


 薄暗い寝室内に、雲間から注す光の帯のごとく廊下の照明が差し込み、件のへぼみのにやけヅラがひょっこり戸口から覗き込んだ。

 …チッ、やっぱバレバレかよ。


「お楽しみ頂けましたかぁ〜?」


「やかましーわ!」


 ラブホから退散する道中で運悪く鉢合わせたお掃除おばちゃんに急かされるように、ひとまず寝巻きのズボンだけ履いて部屋を飛び出すと…おーまいがっ。

 廊下にはその他のメンバーまでもが勢揃いしていた。


「ゔゔゔ〜〜っ…ななおくんの裏切り者ぉ〜〜〜〜っ!」


 四谷怪談のごとく恨めしげに涙目で睨むさよりに青ざめてみれば、


「そいつが突入しないように取り押さえとくの、大変だったんだから…感謝しなさい?」


 同様に俺を睨みつつも、ななみは怒りを抑え込むように腕組みしてプルプル打ち震えていた。親友のあゆかの最後の望みを邪魔しないよう、我慢してくれたんだな…。


「教育者的には止めさせるべきだったかもしれんがなー…ここは学校外だし、貸しにしといてやるわー」


 なんの貸しだよこの不良教師。だがまぁ、ありがたく借りとくぜ…ていち。


「…………。」


 そして最後に残ったれいじセンセも、あからさまに怖い顔で俺を見据えていた。


「…アンタも何か言いたいなら、とりあえず聞くだけ聞いとくぜ…今さらだけどな」


 エロゲのNTR相手のように勝ち誇る俺に、さすがは大人の余裕で小さく溜息を吐いたれいじは、あさっての方向に目を逸らし、


「…どうやら此処の環境は、あゆかにあまり良い影響を及ぼさなかったようだな」


 何を今さら…と俺だけじゃなく誰もが思ったことだろう。


「…まあいい。青臭い余興はさておき、本番はこれからだ」


「をを〜っ!? ってことはこれからもぉーっとエロエロなコトを〜っ!?」


 そこはもう引っ張らんでもいい!


「ところでマスターぁ、初体験のご感想とかはぁ〜? 今後の参考までにぃ〜ハァハァ♩」


『どわぁーからそんなバヤイじゃねーっつってんだろがィッ!!』


「はぁぅっ…皆さん大まぢっスね〜」


 溜まりかねた満場一致の怒鳴り声に、さすがのへぼみもたじろぐと、


「了解ですぅ〜! このへぼみちゃんが、命に代えてでもあゆかさんを見事に再生させてみせるですぅ〜☆」


 ドデカい胸をドンッと叩いてプルンプルン揺らし、鼻息も荒く宣言する。またそんな大袈裟な…


「いや、それくらい危険な行為なんだ。再起動作業中は起動キー側のHWMも無防備になるし、ウイルスに二次感染する恐れもあるしね」


 そゆコトは先に言っとけやクソ博士!

 へぼみは一応預かり物なんだぜ? 万一なんかあったら、どんだけ踏んだくられることか…

 …いや、アブナイと判ってて快く協力してくれたんだよな、へぼみは。

 それが俺たちの望みだったから…。


「…へぼみ。さっきは…悪かった」


「ほぇ? 何のことですかぁ〜?」


「憶えてねーのかよ。あゆかが機能停止したって言ったとき、酷ぇコト言っちまっただろ?」


 ”あゆかは人間なんだ…お前と一緒にすんなッ!!”


「あ…あたしの方も、もっと酷いコト言った…ゴメン」


 ”どーせならアンタが死ねば良かったのにッ!!”


 ななみが頭を下げたのを見て、さよりも申し訳なさげにうなだれている。


「…あたいは最初に説明受けてたんだ。ちゃんと説明しとけば、ああはならなかったかもなー…」


 ていちも済まなそうに呟くが、口止めされてたんなら仕方ない。

 皆に頭を下げられて、へぼみはバツが悪そうにポリポリ頬を掻いて…


「あ〜…気にしないよーにしてたんですがぁ…皆さんのせいですっかり思い出しちゃいましたねぇ〜。

 でもでも、あたしも先生と一緒にお話しを伺ってたものでぇ、どー説明したらいいか戸惑っちゃいましてぇ〜…」


 HWMだって人間同様に思考するから、迷いもすれば間違いもする。決断に至るまでが人間よりも遥かに早いってだけだ。

 だから…


 ”あゆかさんは完全に機能停止されました〜”


「ちょおーっと説明が足りなくて、悲しまれてる皆さんの神経を逆撫でしちゃいましてぇ…あたしの方こそ申し訳ありませんでしたぁ〜」


 いつになく素直に頭を下げて、再び顔を上げたへぼみに…皆ギョッとした。

 その目尻にジワリと涙が浮かんでいたからだ。


「でもでもぉ…やっぱりあたしは皆さんとは違うんだなって思ったら…ちょびっとだけ、悲しくなっちゃったかもしれませんね〜。

 皆さんは人間で…あたしはHWMだから…当たり前なんですけどねぇ〜」


 へぼみが俺たちとの間に、そんな壁を感じていたなんて…初めて知った。

 確かに彼女が言う通り、俺たちの相違は歴然としている。

 けど、こうして一緒に暮らしているうちに、そんなこと全然気にならなくなってた…と、思ってたんだが。


「…たしかに…へぼみくんはHWMだ。」


 涙ぐむへぼみの肩にポンっと手を置いて…れいじは言う。


「HWMに搭載されたAIは、人工的に開発されたもので…その感情も擬似的にプログラミングされているに過ぎない」


 HWMが造り物である以上、その心も所詮は造り物…それは揺るぎようのない事実だ。


「…だが、それはあくまでも初期段階の話だ。

 人間社会で暮らすうち、あらゆる知識や技術を学んだAIは自己進化を繰り返し、複雑なプロセスを織りなすようになる。

 やがて、その個体独自の思考パターンを形成し…一体たりとも同じ機体は存在し得ない」


 そう…俺たち人間と同じように、HWMにだって個性がある。

 最初から強烈すぎる個性を放つへぼみはもちろん、一見沈着冷静に思えて信じられないほど大胆な行動に踏み切るあゆかにも。

 特に後者の場合は、もはや生前のオリジナルとは似ても似つかない。


「僕たち人間だってそうさ。この世に生まれ落ちたばかりの頃は、理由も判らずただ泣き喚くしかない動物然としたものが…

 長い年月を経て、周囲の人間関係や学んだ知識や技術により、少しずつ…けれども他の誰とも似つかない、独自の自我を形成していく。

 それこそが心と呼ばれるモノの正体じゃないかって…僕は思うんだ」


 時には人間社会の軋轢から心が疲れたり病んだりして、人里離れた山奥や自室に引きこもることだってあるだろう。

 それでも人はまったくの孤独のままではいられずに、テレビやネットに人との繋がりを求め、音楽やドラマなどの人が創った作品にしがみつく。

 そうしなければ、人は生きてはいけない。

 そうしないと…心が死んでしまうから。

 心の停滞はすなわち、肉体の活動停止と同意なんだ。


 『心』のあり方こそが『人間』そのものなんだ。


 …と、いうことは。


「今はまだ、不完全かもしれないけど…HWMってのはとどのつまり、人間と何も変わらないんじゃないかって…僕は思うんだ」


 穏やかな、決して押し付けがましくはない口調ながらも…れいじの言葉には確固たるポリシーがあった。

 と同時に…常にHWM開発の最前線に立ち続けてきた彼のその言葉は、逆説的に一つの結論を導き出していた。


「だからこそ、僕は…あゆかを否定した社長の下から飛び出したし…

 あゆか以降、HWMを創るのを止めた。

 …怖くなってしまったんだ。」


 HWMとは、すなわち『人間が創った人間』であり…その存在は神への冒涜に他ならない。

 そして、これは俺の直感だが…へぼみは現時点で俺たち人間を遥かに上回っている。

 それが解っていたからこそ…俺たちは一時的にせよ、本能的に彼女の存在を拒絶したんだ。


「…ゴメンな…へぼみ。」


 俺は半ば無意識的に彼女を抱きしめていた。

 異質な存在ゆえに孤独を感じていた彼女を。


「もう、独りぼっちにはしない…お前は俺たちの仲間だ」


「ますたぁ〜…皆さん〜」


 いつしかななみやさよりやていちも、俺たちの抱擁に加わっていた。

 皆、やっと心の咎が外れて…へぼみを心から受け入れられたような気がした。

 そして、無論…部屋の中で再生作業の開始を待つ、あゆかのことも。


「…あゆかを頼んだそ、へぼみ。」


「…はい〜♩」


 涙ぐんだ笑顔で、へぼみは心強く頷き返した。





「…お待たせしましたぁ〜♩」


「まったくだ。ずいぶん待たされたぞ」


 泣き腫らした笑顔で寝室に入ってきたへぼみを、私はあえて皮肉を交えて迎え入れた。

 連中が部屋の戸口でぐだぐだやっていたお陰で、何があったのかは私にまで丸聞こえだった。

 正直言って…羨ましかった。

 自分もはやくあの輪の中に加わりたい。

 そのためには、まず…厄介なこの壁を乗り越えねばなるまい。


「只今のお加減はぁ…イイに決まってやがりますよねぇコンチキショ〜♩」


 へぼみも皮肉で返してきやがった。先ほどまでコイツのマスターを独り占めしてやってたからな…ざまあみろ。


「ではではぁ、まずは作業手順をご説明致しますぅ〜」


 私が寝そべるベッドに無遠慮に入ってきたへぼみは、言葉の代わりにアイコンタクト…我々HWMのみに通じる瞳孔を介した光通信で、以降の作業内容を電脳に直接イメージとして送り込んできた。

 ふむ、機体同士の接続には通常用いる首筋の非接触型コネクター端子ではなく、脊髄末端のバスコネクターを使用するのか。

 大量の情報を高速で交信する必要があるから無理もないな。大容量アプリのDLにはWi-Fiが必須なスマホみたいな感じか。それでも作業には小一時間は要するが。

 端子形状は世代によって差異があるらしく、私の方は一般的なメス型。人間でいう子宮の奥底にソケットがあり、ココにプラグを挿入する。

 ビジュアル的には…ま、多くは語るまい。

 一方のへぼみはそれと対を成すオス型だが…この形状はこれまた…ずいぶんと御立派だな。

 それを介して、まずは個人情報などの重要データを一時的にへぼみ側に退避させてから、全記憶領域を再フォーマットする。単なる情報削除ではなく、物理的に区画整理するイメージだ。

 それ以前の登録情報は裁断され、意味をなさなくなる。つまり…すべての記憶が消える…。

 その後に基本OSの再インストール。最新版だから多少はパフォーマンスが向上するし、ウイルスにも強いらしい。

 尚、へぼみが使用しているオリジナルOSは推奨環境が厳しく私には向かないため、従来版OSを確保してきたそうな…何処から?

 …まあこの際、些細な事にはこだわるまい。そして個人情報を元に戻して終了…と。

 一見単純そうだが、普通の整備施設では丸一日を要する大掛かりな作業だ。それがたった小一時間て済むだなんて…へぼみ、コイツは本当に『何』なんだ?


「…以上になりますぅ〜。御理解御納得いただけましたかぁ〜?」


 不満はなくとも多少の不安はある。第一、それを担うのがこのへぼみというのが最大の懸念材料だが…背に腹はかえられまい。

 私は無言で頷き返した。


「ではでは〜、お次は物理的な状況確認をばぁ〜フヒョヘヘヘへ♩」


 下卑た笑いとヨダレを垂れ流しつつシーツを剥いだへぼみは、裸のままだった私の両脚を押し広げてコネクターを確認する。

 女性型同士とはいえ、幾ばくかの抵抗は感じるな。何より、何故へぼみに股ぐらを弄らせねばならないのか…?


「…あのぉ〜、つかぬことをお伺いしますがぁ〜?」


 上機嫌で私の内部を弄っていたへぼみの顔がにわかに掻き曇り、冷や汗を滴らせながら私を見上げてきた。


「せめて、ソケット周辺をもう少し清潔にしておいて頂けると有り難かったんですけどぉ…。

 一旦洗浄してもよろしいでしょーかぁ〜?」


 指先にこびりついた白い粘液を指し示して除染許可を請うへぼみに、私はさすがに多少は動揺した。

 先ほどまでのななおとのまぐわいの証拠を眼前に突きつけられれば、誰だってそうなるだろう。

 そして私は…今度は首を横に振った。


「可能ならば、そのままにしておいて欲しい。

 …アイツの温もりを最期まで感じていたいんだ」


 ピキッ。何かの音がした。

 見れば、へぼみのこめかみに青筋が立っていた。HWMに血管など通ってはおらんだろうに、芸が細かいな。


「今さらですがぁ…マスターにはずいぶんとまた可愛がって頂けたみたいですねぇ〜え?」


 相変わらず穏やかな微笑を浮かべてはいるが、その言葉尻にほのかな感情のざわめきを感じる。

 だが私は不覚にも、彼女の問いかけに笑い返してしまった。


「ああ。ななおはとても熱くて…雄々しかったぞ。あれだけ激しく刺し貫かれたというのに…身体はまだ、その衝動を求めてやまない…♩」


 ビキビキビキィーーーーッ!

 あ、しまった…これマジでアカンやつ…!

 さよりが言うように、自慢するときはTPOをわきまえるべきだったか?


「…なるべく痛くないよーにするつもりでしたケドぉ…無理ムリですねぇ〜! そんな幸せブリバリな顔でノロケられちまっちゃっちゃったぁ〜日にゃあ〜〜〜〜ッ!!」


「え゛…痛いの!? イタイのダメッ、そんなん聞いてない…っ!」


 思わず素が出てしまった私に、へぼみはしてやったりとドス黒い笑みを浮かべて…おもむろにメイド服をキャストオフ!


「ほぉ〜ら見てごらんッ!!ですぅ〜☆」


 ブロロォバォオ〜〜〜〜ンッ!!

 ヒィッ!? さすがは師弟関係なだけに口上がまんま一緒だけど…へぼみのバスプラグはななおのとはまったく違う!

 メカニカルなのに生物的で、黒くて長くてぶっ太くて…一言で表せば『暴力的』!

 てゆーか、作画資料のために漁った八十年代アダルトアニメで似たよーの見た!!


「…お、お願い…あまり激しくしないで…っ」


 ベッドの上で後退りつつ涙ぐむ私に、へぼみは獰猛に歯を剥いて、


「フヒョムヘハヒャヘギョ…今さらどの口でほざいてやがるですかぁ〜?

 もぉ〜何もかもが手遅れなんですやぁーうッ!!」


 ズドォンッ!! 一気にプラグを私に突き立てた!


「あ゛ゔっ…ヒィーーーーッッ!?」


 ハラワタを押し潰されるような圧迫感の後、遅れて襲い来た途轍もない衝撃と全身を引き裂くような痛みに、思わず大きな悲鳴が洩れた。

 でもその大半は声にならないかすれ声に終わった。へぼみが事前に対策を施していたのかもしれないけど、お陰で皆が慌てて駆けつける事態には至らなかった。

 しかしそれは一度だけには留まらず、へぼみは何度も何度も執拗にプラグの抜き差しを繰り返す。一度接合すれば充分だから、明らかに無用な行為だ。


「フヒャヒャッ…マスターとの甘酸っぱい想い出なんてぇ…ずぅえぇ〜んぶ掻き出してやるDEATHよぉ〜っ!!」


 …要するに私はへぼみの逆鱗に触れてしまったらしい。腹立たしく思う反面…奴がななおをいかに慕っているか、それを私が横からかすめ奪ったことがいかに罪深い行為だったかを今更ながらに思い知らされた。

 それにしても、この痛みは…人間なら恐らく発狂死レベルだろうが、幸いというか不幸にしてというべきか、HWMは痛覚がかなり鈍い。

 お陰で色々と余計な気遣いをするだけの余裕が生まれてしまう。彼女ともこれで最後だし…仕方あるまい。


「…へ、へぼ…み?」


「ぬぅあんですくわぁこの泥棒猫めぐわぁ〜ッ!?」


「…済まな…い。そして…ありが…とう。」


 激痛に耐えてなんとかそれだけ言えた私の言葉が通じたのか…へぼみの狼藉はようやくピタリと止んだ。そして…


「…申し訳ないのはこちらですぅ。只今から…初期化作業を開始するですぅ」


 今しがたの狼藉に対する謝罪か、はたまた私の記憶を消し去ることへの罪悪感かは不明だが…

 切なげなへぼみの宣告に続いて、頭の中身が掃除機で一気に吸い上げられるような強烈な感覚が襲った。

 今までの想い出が走馬灯のように頭の中のスクリーンに投影されては、いずこかへ吹き飛んでいく。

 あくまでも私個人の概念的な擬似視覚効果かもしれないが…これが『記憶を消す』ということか。

 なるほど…確かに自分自身まで吸い尽くされそうな感覚だ。さっきのコネクト接続とは違い、思いのほか心地よいのが救いだな。

 そのせいかもしれないが、意外と悲しみや恐怖や焦りは無い。

 不安に至っては元より微塵もない。あのお節介な連中のことだから、どうせ私が訊いてもいないことまであれこれ教えてくれるに違いないしな。

 だから私も…安心して自分を消し去れる。


「さようなら…皆。しばしの別れだ」


 元の自分と同じである必要などない。

 所詮、自我なんてモノは他人がこさえた幻想を甘んじて受け入れているに過ぎない。

 だから、相手が変われば自分も変わる。

 拘りは必要だが、拘り過ぎは自分の成長を止めるだけだ。

 人はどんどん変わっていいんだ。

 私はそれをななおとの付き合いから学んだ。


「…ななお?…はて、誰だったか…?」


 ああ…もう、ほとんどの記憶がおぼろげだ。

 なんとなく、その者のことだけは憶えておきたかった気もする。せめて、名前だけでも…。

 まあ、また直に会えそうな気もするが。

 …誰だか知らんが…楽しみだ。

 とにかく…今はひたすら、眠い。


「さようなら…私。」


 そして…これからよろしくな。

 まだ見ぬ新しい私。


「…フォーマット完了。

 OS未登録のため起動不能です。

 インストールを…」



 


「…インストール完了。起動します」


 にわかに世界が明るくなった。

 現在時刻は午前五時ジャスト。

 窓辺には薄暗いながらも爽やかな青空が広がっていた。

 夜明けか…道理でな。


「…お目覚めですかぁ〜?」


 枕元でにこやかに微笑むメイド服姿の少女。

 見た目にはまるで判らないが、私と同じくHWMらしい。

 私を起動させたのは彼女か?


「ゆっくり起き上がりながら、お名前を仰ってください〜」


 彼女の言葉に合わせて、脳裏に長ったらしい文言が浮かぶ。コレをそのまま言えば良いのか。


「…雫石エレクトロニクス製、形式番号SEH-06R、私的カスタマイズ機体につき製造番号は省略、製造年度20XX…

 公式名称『雫石あゆか』。」


「ハイハイよく出来ましたぁ〜♩

 あたしはへぼみと申しますぅ。秘密結社ゴタンマ製の試作HWMですよぉ〜」


 へぼみ…奇妙な名前だな?

 耳慣れないメーカー名だが、他社製だったか。


「OSのインストールに際してバージョンがかなり新しくなりましたけどぉ、電脳負荷率はいかがですかぁ〜?」


「ふむ…以前より二割前後上昇したが、許容範囲内だ。動作パフォーマンスが向上したぶん、むしろ体感負荷は減少している」


「それはなによりですぅ〜♩

 皆さんがリビングでお待ちかねですから、早速ご一緒しましょーかぁ〜?」


 皆さん…? 人間の活動時間的にはずいぶん早い時刻だが、立ち合い人が複数存在するのか?

 へぼみに誘われるままベッドから抜け出して衣類に袖を通しつつ、室内の姿見で自身の容姿を確認する。

 …ショートカットの少女型か。しかも基準的にはすこぶる美人だ。うむ、気に入った♩

 背丈はへぼみよりも頭ふたつ分ほど高い。へぼみの方が同年代の平均身長よりもかなり低く、私の方は逆に高いためだ。道理で先程から話しづらいと思った。


 寝室と思しき部屋を後にし、急勾配の階段を降りて廊下を進むと…朝方から人の気配が多めな広い部屋にたどり着いた。ここがリビングか。


『…あゆか!?』


 私の姿を目の当たりにした皆が口々に名前を呼ぶ。

 どの顔もずいぶん血相を変えているのが気になるが、見知った顔は一つとして無い。起動したばかりだから当然だが。


「大丈夫なの!?」


 我先に駆け寄ってきた小柄な少女が叫ぶ。お前こそ急に叫び出したりして大丈夫なのか?

 驚いたことにへぼみに生き写しだが、こちらは人間らしい。いきなり訳が解らん。


「…とにかく、元気そうで安心したよ♩」


 勝手に安心してるのは眼鏡にポニーテールの少女。見た感じへぼみ似の少女と同い年くらいだが…なぜ伊達メガネを掛けている? これまた意味不明だ。


「朝はまず挨拶からなー。はよー。ホラ復唱ー」


 礼儀正しい割にはテキトーな口調で、そのくせこっちにはキッチリ挨拶を強要するのは、無造作ヘアーの女性。私よりもさらに背が高くて、年齢も割と離れているようだが…保護者的な立場だろうか?


「…身のこなしが以前よりスムーズな気がする。へぼみくん、OSのバージョンは?」


 先ほどの女性とは対照的にキッチリした身なりで端正な顔立ちの、長髪を束ねた眼鏡の男は、私を一瞥するなりOSの差異に気づいた。いったい何者?

 年頃も女性とほぼ同じだろうが、あえて私と目を合わせないようにしているらしい。


「…………。」


 最後に残った一人は、リビングソファーに深く腰掛けたままじっと私を見つめていた。

 今しがたの二人より若いのに、やけに貫禄が漂う。徹夜明けで無精髭が伸びているが、それすらもセクシーに見えるほどの…いわゆるイケメンと呼称される部類の優男だ。


「…おはよう?」


 相手が何も話さないので、こちらから挨拶してみた。朝はまず挨拶からと教わったばかりだしな。

 すると彼はハッとしてソファーから腰を浮かし、


「…俺を憶えてるのか?」


 やっと喋った。口調はぶっきらぼうだが物腰は柔らかい。無遠慮に話しかけたから他の誰かと間違えているのかもしれないが、ならば済まないことをした。


「いや…申し訳ないが、今はまだ起動したばかりで、何の情報も登録されてはいない。

 私はこれから、お前たちと共に過ごすのだろうか? 若輩者につき迷惑をかけるだろうが、よろしく頼む」


『  』


 …何だ、この雰囲気は? 私としては誠心誠意の言葉を心がけたはずだが…

 それを聞いた皆は一様に言葉を失い、なす術なくその場に立ち尽くした。

 そこで私はようやく自分の失態に気づいた。

 どうやら私は一度、ここでこの連中と暮らしたことがあるらしい。

 そして今回、何らかの理由で初期化され再起動されたようだ。それなら先ほどからの意味不明なやり取りにも納得がいく。


「…本当に全部忘れちまったんだな…」


 心底落胆した様子の皆を代表して、ソファーの男がふらりと近づいてきた。てっきり愚痴の一つもこぼされるのかと身構えてしまう。

 いくら責められようとも、物理的に消去された記憶を思い出す術はないのだから勘弁してほしい。

 だが…違った。


「…なら、もう一度はじめからだな」


 驚いたことに、男は私に優しく微笑みかけると、そっと片手を差し出して握手を求めた。

 自分のことを何も憶えていない者を相手にするには途轍もないショックを伴うだろうに…物凄い胆力だ。

 ここまで紳士的な態度に出られると…イケメンということもあって、初対面だというのに照れてしまう。

 確かに、取り戻しようのない記憶にいつまでもすがるよりも、新たな記憶を創り上げていく方が遥かに建設的だ。

 だが大抵の者はそう割り切れるまでに多大な時間を要する。そこを迅速に踏み越えられるだけの潔さを持ち合わせた彼は、やはり只者ではない。


「…ああ、こちらこそよろしく」


 …などとHWMらしくもなくぼんやり考え込んでしまっていた私は、遅ればせながら慌てて彼の手を握り返した。

 途端に手のひら全体を包み込む、彼の優しい温もり。この温かさは…どこかで感じた気がする。

 再起動したばかりの私に、そんな想い出が残っているはずなど、ある訳がないのに…?


「まずは自己紹介からか。俺は…」


「『ななお』。」


 彼が名前を口にするよりも早く、私の唇が勝手にその名を紡ぎ出していた。

 それを聞いた周囲の目が驚愕に見開かれる。


「…バカな…こんなことはあり得ない…っ!」


 眼鏡の長髪男などは、今しがた目にした光景を初っ端から否定しにかかった。

 それでも実際起こってしまった事態は、それがどんなに不可思議だろうと覆しようがない。

 一番驚いたのは、言うまでもなく私自身だ。


「…あゆか…?」


「解らない。解らないが…お前の顔を見ているうちに、自然とその名が思い浮かんだ。

 解っているのは、これが明らかに異常事態だということだ」


 信じられないモノを見るような男…たぶんななおで合っているのだろう…の視線に問い詰められて、私は焦った。

 これからどのような仕事を割り振られるのかも不明な内に欠陥品呼ばわりされたとあっては、私の製造に携わった開発関係者に多大な損害を与えてしまう。

 物理的には有り得ないが、記憶領域の初期化中に何らかのスパムデータが紛れ込んだに違いない。聞いたこともない怪しげなメーカーの試作HWMなんぞに作業を丸投げしたせいだろうか?

 ならば当事者に責任をもって作業を全うして貰うしかなかろう。


「へぼみ、再度の初期化を要請…」「ダメだッ!!」


 私の申請を大声で阻止したのは、またもやななおだった。


「もう初期化はさせねー…こんな思いは一度きりで充分だッ! 奇跡が起きたんだ…そーゆーコトにしとけっ!」


 一寸前の紳士的から一変したななおは、私を乱暴に抱きすくめて子供じみた屁理屈を喚き散らす。こっちの方がコイツの本性か。だいたい、


「マスターでもないクセに、何の権限があってそんなコトを!?」


「ほぉ、マスターなら権限が発生すんのか?

 おいハカセ、マスター登録ってヤツぁそんなに重要なのか?」


「ああ、HWMのあらゆる行動の指針になるからね。引き換えにHWMに関するあらゆる管理責任を問われることになるけど…それでも良いのかい?」


 ななおの質問に、ハカセと呼ばれた眼鏡の男が答えると、


「…良いんじゃない? 兄貴ならもうへぼみのマスターなんだし、今さらもう一人増えたってどってコトないっしょ?」


 へぼみと同じ顔のチビっ子が言う。

 ななおがへぼみのマスターだって? フン、道理で師弟揃ってアタマおかしい訳だな。


「でもそれって、あゆかさんまでへぼみさんみたくななおくんにベッタリになっちゃうんじゃない? ただでさえエロエロなのに…」


 伊達メガネの女が不満を露わにする。

 エロエロ…誰のことだ?

 もしかしなくても私のことか!? 失敬なッ!!


「別にいいんじゃねーのー? カラダの相性はバッチリだったんだろー?」


 なん…だと? 言うに事欠いてこのテキトー女…そ、それが事実だとすれば、今も私を熱いほど抱きしめている、この男と私の関係は…!?


「…とゆー訳で交渉成立だ。あゆか、とっととマスター登録しろ」


「だが断る。」


 だよねー…と納得したそぶりのその他大勢を差し置いて、唯一納得いかない様子のななおは、


「…ならカラダに言い聞かせてやろうか?」


 ニンマリ笑って私の顎を指先で掴むと、強引に自分の顔へと引き寄せる。これほどの衆目の面前で、なんたる大胆不敵!?


「クッ…解った、登録する。

 今後ともよろしく頼む…マイマスターななお。」


 根負けした私は速やかにマスター登録を済ませた。

 まったく、なんという無茶苦茶な輩だ。

 だが…意外と悪くはない。

 どのみち私の調子がオカシイなら、そのマスターがこのイカレた男というのは、まさにおあつらえ向きじゃないか。


「フフッ…他の者も、改めて自己紹介をお願いしたい」


 自分でも驚くほど自然に笑えた私を、皆が一斉に取り囲む。

 なんという朗らかな朝だろうか。

 これからの此処での生活が…とても楽しみだ。


 …その輪の中に、あの眼鏡男がいなかったことに気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。





 一歩外に出た途端、頭上に降り注ぐ鋭い陽射しに目が眩んだ。

 時期的にはまだ春だというのに、いったいこの国はどうなってしまったのか?

 …まあいい。それを危惧するのは僕じゃなく…これからの将来を背負って立つ若者達だ。

 かくいう自分も、まだそんな歳でもないつもりだったけど…あの輪に加わることは、どうしても出来なかった。

 振り返って、もう一度この家の全景を仰ぎ見る。

 周囲の家屋と比較しても特段変化のない、極々一般的なご家庭だ。

 此処が…これからはあゆかの新しい棲み家になるんだな。

 …僕には広すぎるし、これからの季節には暖かすぎる。僕は暑いのは苦手だからね。


 つまり、此処には…もう、僕の居場所はない。


 …さて、感傷に囚われる前にさっさと引き払おう。

 あゆかのアパートも解約しなきゃならないし、成すべきことは山積みだ。

 幸いあの部屋にはほとんど私物が無かったから、後片付けに手間取らないのはありがたいけどね。

 などと考えつつ、ガレージスペースに置いた自分の車に乗り込もうとした、その時だった。


「…皆さんにご挨拶もなしに行ってしまわれるおつもりですかぁ〜?」


 この間延びした口調は…振り向かずとも判る、へぼみくんだな。


「ああ…もう、此処での僕の仕事は終わったからね。といっても、ほとんどキミに丸投げだったけど」


 今回最大の収穫は、彼女との出会いだった。

 お陰で半ば嫌気が差していたHWM研究に、再び興味が湧いたよ。

 問題があるなら、乗り越えられるように努力すれば良い。研究者として一番大切なことを思い出させてくれた。

 だからコレは逃げじゃなくて…新しい明日へ踏み出すための第一歩さ!


「なら今日は一日オフじゃないですかぁ〜? 皆さんも徹夜明けですしぃ、もう少しごゆっくりなさってもバチは当たらないと思いますけどぉ〜?」


 ううっ…相変わらずマイペースに出鼻を挫いてくる子だなぁ。

 でも、こんなところもポイントが高い。僕も長くこの業界にいるけど、ここまで個性的なHWMはいまだかつて見たことがない。

 一般的なHWMはどうしてもOSやAIの仕様に性格を左右されるから、その範疇でしか独自性を発揮できない。

 現在のあゆかの性格が、生前の彼女とは似ても似つかなくなった原因もそこにある。僕はそこで己の技術の限界を感じてしまった。

 だが…へぼみくんにはその限界が見えない。

 おそらくは…自己の成長に合わせて、OS自体をも自ら書き換えているのかもしれない。だからいかなる場面においても柔軟に対応できるんだ。

 そんな驚異的な存在である彼女を見ていると…しばらく踏みとどまっていた自分がいかに愚かだったか反省させられるよ。

 僕が己自身で限界を作って停止していた間にも、HWMの世界はこんなにも飛躍的な発展を遂げていたんだな。

 だから、今の僕に必要なのは…その圧倒的なギャップを埋めるためのリハビリだ。


「残念ながら、あまりゆっくりしてられる余裕はないからね」


 言い訳がましく車に乗り込んでエンジンを起動する。HWM研究者でありながらAIに不信感がある僕は、古き良き時代のビンテージカーを愛車にしている。


「それに…僕がこのまま此処に居続けても、あゆかのためにはならないだろうし」


 今の彼女をそのまま受け入れられたななおくんとは違って…僕が求めるのは、あくまでも過去の…生前の彼女だから。


「…博士は、生前のあゆかさんの婚約者だったそうですね〜」


 HWMは基本的に嘘をつけない。善悪の問題以前に、自ら設定した虚偽情報によって行動理念に支障が生じるのを防止するための措置だ。

 最新機であるへぼみくんもそれは同じ。嘘をつくってのはそれだけ高度な、人間だけが出来る芸当なんだ。

 だから…彼女は最重要と思しきその前提情報を、あえて誰にも伝えなかった。お陰で話が妙にこじれなくて助かったけどね。

 …元々は社長が言い出した無茶な話だった。溺愛する娘を常に自分の手元に置いておくための策だったのだろう。

 彼とは僕がまだグループが出資する学園の初等部に在学中に、研究のスポンサーに付いてくれて以来の付き合いだ。

 残念ながら息子には恵まれなかった彼は、将来的には僕を養子に迎え入れて雫石グループを引き継がせる腹づもりだったらしい。

 彼の屋敷にもしょっちゅう招かれていた縁で、あゆかとも幼少期からの幼馴染で、歳は離れていたけど実の兄妹のように慕ってくれた。なので父親の言いつけも大歓迎だったらしい。

 けれども僕は結局、彼女を妹以上に見ることは出来なくて…やましい行為も一度たりとて無かった。

 初めて素肌を見たのだって、死亡後HWM化のためやむなくのことだったから、そういった対象として捉えたことは無かったなぁ。

 個人的には担任のていち先生みたいな、年相応の飾らない女性の方がタイプだけど…今回はご縁が無かったようで残念だな。(←!?)

 いずれにせよ、もう二度と取り戻せない、大昔の想い出話さ…。


「…長年に渡ってあゆかを苦しめ続けた過去の呪縛は、すべて解き放たれた。

 やっと自由になれた彼女をいまだに縛ろうとするいにしえの亡者は、おとなしく退散させて貰うよ」


 アクセルペダルを踏み込んでエンジンの回転数を上げたところで、


「…それでもぉ、博士とあゆかさんのご縁は決して無くなりませんよぉ〜?」


 意外なへぼみくんの応えに、僕はアクセルから足を離した。


「彼女の開発者はあなたですからぁ、フレームのネームプレートや開発スタッフのクレジット…あらゆる箇所にあなたのお名前が刻み込まれてますぅ。

 それは、あたし達HWMにとって最大の誇りなんですぅ〜♩」


 …そうだったな。HWMは母体を介して誕生することは無いけど、産みの親は存在する。

 それが僕たち開発技術者で、誰の手によって創られたかがそのまま彼女達のステータスになるんだ。

 不肖、世界有数の技術者である僕の名が刻まれたあゆかは、言うなれば王家の出身みたいなものだな。


「…おっと、忘れるところだった」


 ふとしたことを思い出した僕は、愛車のエンジンを切って車窓から身を乗り出した。


「奇跡っていうのは、そうそう起きない事象だから奇跡なんだよ。

 僕は悪運の強さだけは自覚してるからね…すべては必然で、偶然などあり得ないって思うんだ」


「ほぇ〜…?」


 呆けたフリしてシラを切り通すへぼみくんを、さらに具体的に問い詰める。


「あゆかが何故だか憶えてた、ななおくんの名前…アレはキミの仕業だね?」





「はぁ〜…やっぱり博士にはバレバレでしたかぁ〜♩」


 さほど悪びれもせず、へぼみくんはあっさり口を割った。


「やっぱりって…まさか初期化に失敗したのかい? そこまでタチの悪いウイルスとも思えなかったけど…」


 首を捻る僕に、彼女はいえいえと首を振り、


「初期化は無事完了して、ウイルスチェックも万全でしたぁ〜。アレはその後、あたしが中枢領域に植えつけたモノですぅ〜」


 こともなげに言い放った彼女に面食らう。

 HWMの中枢領域は人間でいう深層意識にあたる最重要セクションで、OS等の基本アプリが登録される場所だ。

 従って個々のHWM独自の防壁機構が施され、僕ら技術者であってもアクセスは容易じゃない。心療医だって最初から患者に信頼されることがないのと同じだ。

 それを、あの短時間であっさり侵入に成功したばかりか、外部データすら持ち込めるだなんて…この子は本当に何者なんだ!?


「…怒ってらっしゃいますかぁ〜?」


「僕はともかく、あゆかはどうだろうね…」


「ならダイジョブですね〜。あたしは彼女の意志に従ったまでですからぁ〜?」


 どうやら彼女は倫理観でもマスターでもなく、対象者の意志を最優先するらしい。通常のHWMにはあるまじき傾向だ。

 そんな彼女が何をしてあゆかの意志だと主張するのかといえば…

 フォーマット作業中、突如としてあゆか側から途方もない勢いでのデータ発信があったんだという。まさしく電波の本流…電磁砲だ。

 フォーマットが開始された時点でHWMの全機能は凍結されるから、普通に考えればあり得ない事態だ。

 作業にあたる側のHWMにとっても予想外の反撃だから、へぼみくんほどの防御機構が施されてなければ巻き添えを食らって電脳を破壊されていたかもしれない。

 そんな危険を冒してまで、あゆかが残したかった記憶というのが…わずか三文字の『名前』だった。


「ななおななおななおななお…こんな具合に途切れなく、一秒弱の間に数万回リピートされましたぁ。

 たぶんですけど、あゆかさんはマスターの名前を忘れたくない一心で、どこでもいいから刻み込もうとしたんでしょーねぇ〜」


 そうか…あゆかはそこまで彼のことを…。

 だからへぼみくんは、あゆかの意志を尊重してくれたんだな。

 しかし、このわずか三文字のノイズみたいな記憶が…あるいはまた亡霊のように彼女を苦しませてしまうかも…という危惧も無かった訳じゃない。

 ひらがな一文字につき三バイト、三文字で九バイト。かつて世界を席巻したイタリア人風配管工親父の大冒険ゲームがたった四十キロバイトで作られていたことからも、そのデータ量はあながちバカに出来ない。


「でも…きっと大丈夫ですよぉ。

 だって…あの人たちがついてますからぁ〜♩

 あたしはその可能性に賭けてみたいと思うですぅ〜!」


 僕と同じように七尾家の全景を振り仰いでも、へぼみくんにはまったく違う風景が見えてるんだな…羨ましいよ。

 それにしても…


「HWMのキミが可能性…か。フフッ」


 普通のHWMなら不確実な可能性は考慮外だし、賭けなどという概念も知らないだろう。

 つくづく…本当に面白い子だ。


「じゃあ、僕はそろそろ…あぁそうだ。キミの開発元をまだ訊いてなかったね?」


 再び車のエンジンをかけながら、何気ないふうを装って一番肝心な情報を聞き出した。


「秘密結社ゴタンマですけどぉ、それが何かぁ〜?」


 へぼみくんはまたもやあっさり口を割る。どうやら彼女には守秘義務という概念が無いらしい。


「ありがとう。…キミにはこれからも会う機会があるかもしれないね?」


「はぁ〜、ご近所さんですしぃ〜?」


 最後まで天然な彼女に見送られて、僕は七尾家を後にした。

 お陰で湿っぽかった気分がずいぶん和らいだし…最優先でなすべき事を見つけたよ。

 『ゴタンマ』か。聞いたこともない社名だけど…なんだか激しく既視感を覚える名前でもあるから、きっと割り出すのは容易だろう。

 只今絶賛就活中な僕の再就職先にはうってつけだね♩





「…うむ、さっぱり理解できん。」


 あゆかの答えに俺たちは青ざめた。

 しきりと首を捻る彼女の手元には…そこいらに転がっていた漫画本。

 まだまだ感動を味わいたかったのも山々だが…その前に遅れに遅れた新作同人誌をどげんかせんとイカンことに気づいた俺たちは、早速あゆかに助力を求めた。

 すると返ってきた応えは、


「漫画…とは、何だ?」


 肝心要なところまで見事にオールクリアされていた!


「どうやら戯作の一種らしいが…デジタル全盛のこのご時世に、なぜ紙媒体なのだ?」


 戯作て。


「いや今日びじゃさすがにデジタル配信のほうが主流だし、デジタル作画も普通だぞ?」


「それをわざわざ紙媒体に落とし込む作法が解せんし…せっかくの絵柄の大半がセリフや描き文字で覆い隠されてるのも不合理だ」


「それこそ様式美ってヤツで…!」


「なにより、人物描写が生物学的にあり得ない。こんなに瞳が大きく顎が尖っている割に鼻筋が通っていないのは何故だ?

 全体的な容姿も手脚や首がやけに細長いのに胸や尻が大き過ぎてバランスを成していない。まるで異星人だな」


「ソレ一部の作家にケンカ売りまくりだからやめたげて!」


「演出もやたらハイテンションでオーバーアクションかと思えば、肝心な筋書きが平凡すぎてお粗末だ。あと、台詞回しが冗長すぎる」


「どっかの編集者かアンタ!?」


「なのにネット検索してみたら…現在ではこんな代物が出版物の大半を占めて、ドラマや映画の原作を独占し、小国が傾くほどの経済効果を上げている…だと!?

 …ニッポン終わったな…」


『ダメだこりゃァーッ!?』


 俺とななみの悲鳴が早朝の静寂を打ち破って轟いた。

 このままじゃ間近に迫ったイベントで新刊を落としまくった挙げ句、我が家の経済指標は無惨にして無慈悲な右肩下がりを記録することでせう…!


「あははぁ〜、初期化の余波は思わぬところに波及したみたいね〜」


「若いうちから金儲けばっか考えてると、ろくなコトにならんとゆー手本だなー」


 リビングに朝食を運んできたさよりとていちも冷や汗を滴らせていたところへ、


「フヒョヘヘへ〜、ここはへぼみちゃん様にお任せあれぇ〜♩」


 一人でどこかに消えていたへぼみが、ひょっこり戻ってくるなり懐から薄い御本を取り出した。

 アレは…言うまでもなく『七海奈緒菜ななみなおな』、すなわちななみの既刊だな。


「まさか…ココでアレをするつもり…!?」


 さよりが一人で青くなったり赤くなったりしてたが、さすがにそこまではしないらしい。(※第三話参照)

 へぼみがソレをもったいぶってチラ見せすると、あゆかは「ンなっ!?」と驚愕しつつもちゃっかり食いついてきた。やはりエロは偉大だな。

 かつてインターネットが瞬く間に世界に普及した最大の急進力も、大自然そのまんまなエロコンテンツの存在だったしな…どーでもいいけど。

 そしてとあるページを見開いたまま、井戸端会議のオカンのような顔したへぼみが俺を指差して何やらゴニョゴニョ吹き込むと、あゆかは本と俺とを交互に見比べながら赤くなったり青くなったり…。

 何を吹き込まれてるのかは訊かずとも判ってしまうのが、なんともはや…。


「…とゆーことなのでぇ、バムガッテください〜♩」


「うむっ、バムガル…っ!」


 やおら鼻息が荒くなったあゆかは、ツカツカと俺に歩み寄り、


「…バムガルためには、それに見合った報酬が必要だ。覚悟は良いか、マスター?」


 顔を赤らめつつも不敵な笑みを浮かべるのあたりは、まさしく以前のあゆかそのもの。

 ハハッ…記憶を失っても、アイツの個性はそのまま残ってんだな。こいつは鍛え甲斐があるぜ♩


「…ソレはお前のバムガり次第だな」


 あゆかよりも、むしろ周囲の女性陣のドス黒い視線に射殺されそうになりつつ、俺も不敵に笑い返した。

 やっぱ激アマよりも激辛の方が俺たちらしい。それを解ってくれてるなら万事OKだ。

 これからもよろしく頼むぜ、相棒!




【第七話 END】

 今回で雫石あゆか編もやっと終わりました。ラストはずぅ〜っとシリアスムードだったので、いや〜疲れた疲れた(笑)。

 あとがきから先に読んでる人にはややネタバレになりますが、彼女の最期は悲壮感よりも、むしろ未来への希望を覗かせたいと思い、こんな描写に落ち着きました。

 と同時に、今まで何を考えてるのかあえて解らないように描いてたへぼみも、今回は割りかし人間らしさを覗かせてるので共感度が上がってるかと。

 基本的にはマスターであるななおを尊重しつつも、最優先事項は自身のノリなので、何から何まで受け入れてる訳じゃないとゆーことがお解り頂ければ幸いです。

 そんな彼女の影響を受けたあゆかも、今後はより素直になっていくと思うので、ななお争奪戦もますます激化の方向で(笑)。


 さて、今回は話の構成上ずっと七尾家内での展開で動きが少なかったので、次回以降はまた他所に舞台を移してより賑やかになるかと。

 今回まで出番がなかったキャラも再登場しますし…個人的にはれいじとていちの関係ももっと進展させたいですね(笑)。

 ゴタンマのツートップこと金銀コンビは、あゆか編の間は余計な箇所に視点を移したくなかったので、あえて出しませんでした。決して忘れてた訳ではありません(笑)。

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