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令嬢退場。

【前回のあらすじ】

 入学以来ずっと不登校を続けていたクラスメイトの雫石しずくいしあゆかが、ななおの誘いに応じて突然学校に姿を見せた。

 彼女の素行の悪さについては様々な噂が飛び交っていたが、そこまで危惧するほどではないと高を括っていたななおは、実際の聞きしに勝る問題児ぶりに圧倒される。

 しかし、紆余曲折の末に彼女の窮状を知ったななお達にはある種の共感意識が芽生え…結果的に彼女を我が家の一員に迎え入れることを決断したのだった。





「とゆー訳で、今日から新たに我が家で同居する雫石しずくいしあゆか嬢でーす。ハイ拍手〜♩」


 パッチパッチ…。


「…とゆーことらしい」


 なんとも不景気でまばらな拍手に迎えられ、あゆかはバツが悪そうに会釈した。

 俺の誘いに自分で乗っておきながら、いまだ当事者感が希薄なままなあたり、いまいち現実味が欠如してるらしい。


「…私を急に呼び捨てにしたのは、そーゆーことだったのだな?」


 ご名答。うちに住み着くからには他人行儀はナシだぜ。


「…やっぱりこーなっちゃうのね…」


 こっちの方も自分で了承しやがったクセに、さよりが俺に向ける白い目の殺傷力がハンパない。


「まぁ〜予定調和とか様式美ってやつですかね〜? こちらこそヨロシクしやがれですぅ〜♩」


 一方で、へぼみの奴はご覧の通り、あゆかの同居にすんなり賛成した。というか、どの道こうなることを当初から見越していたらしい。

 そして…


「もちろん、タダ飯食わせるつもりはないけどね。うちに来たからにはキリキリ働いて貰うから!」


 最も意外だったのが、ななみの奴が積極的にあゆかを受け入れたことだ。コレが決め手となって俺も同居に踏み切った。

 どうやらアパートで見たあゆかの漫画原稿の完成度から、これは使えると判断したらしい。つまりはアシスタント候補だ。

 とはいえ、さよりの時はあれだけ部外者の受け入れを嫌がったのに…珍しいこともあるもんだな。


「てな訳で、別に取って食おうって訳じゃないから安心していいぜ、センセ♩」


 この場には担任も同席してるが、俺が呼びかけたのはあゆかの主治医を自称する男の方だ。紛らわしいったらねーな。

 詳細は知らんが、彼はあゆかの後見人でもあるらしいから、とりあえず我が家まで御足労願った訳だが…。

 単なるクラスメイトに過ぎない野郎の俺が、いきなりあゆかと同居するだなんて、さぞかし猛反対されるかと思いきや、


「いや、あゆかが自分で決めたことなら反対する気はないよ。あんな所に一人で置いておくよりは安心だしね」


 これまた思いのほか柔軟な御仁だった。彼もまた以前からあゆかの一人暮らしを危ぶんでいたらしい。


「それにしても、まさかあゆかがねぇ…。

 僕との同居すら断ったのに」


「あ、あの…どちらにお住まいなんですかー?」


 彼がうちを訪れると聞いて、監督官という名目で強引に押し掛けた担任の先生さきおいていちが、押せ押せで素性を聞き出す。


「僕は市内のマンションに住んでます。ここからは結構離れてるかな。お恥ずかしい限りですが、この歳でまだ独り身でしてね…」


 そりゃ〜あゆかが同居を拒む訳だわ。お嬢様とはいえ現役JKだぜ?


「まぁ、それじゃあたい…私と同じですね!?

 私も職業柄、学校そばのマンションに住んでましてー♩」


「そ、そうですか…ハハハ…」


 自らプライベートを明かして男を誘い込んでやがるぜこのアラサー。

 いつもの言動とはまるで別人な担任の必死さにサブイボが止まらない。

 うちに来る途中で急に姿が消えたと思ったら、そのマンションで着替えてきたのかジャージからスーツ姿にモードチェンジしてたし。


「ところでななお、親父さんとお袋さんは?」


 ちゃっかりついてきやがったはるきが尋ねる。もう夕飯時だしな。

 こいつはななみ目当てで何度かうちに来たことがあるから、勝手知ったるもんだ。もちろんろくに合わせてやる訳がなかったが、今日は致し方なし。


「親父とお袋は、あー…海外出張中だ」「お空の彼方で光り輝いてらっしゃいますよぉ〜♩」


 そーゆーフォローは要らないからなへぼみ。


「ふむ…なかなか良い物件よのぉ?」「僕らもここに住む? 姉さん」


 などと洒落にならん冗談を抜かしてやがる左右田姉弟も勝手にくっついてきた。

 冗談だと言い切れるのは、二人はここから程近くにある地元では有名な旧家の大切な跡取りだからだ。親が日本舞踊か何かの家元で人間国宝だったかな?

 年上ということもあって親交はそれほど深くはないが、つまりは二人も俺たちの幼馴染ってことだな。


「つーわけだから、早速あゆかの部屋に案内する…その前に」


 担任に目配せすると、彼女はニヤリと笑って席を立ち、


「とゆー訳で、お前はここまでだな春本ー。」


「え何で!? 雫石が居候すんなら俺もそーすんのが当然の流れってもんだろ!? ちょうど二人とも処罰食らったばっかなんだしさぁ!」


 校内であれだけのコトをしでかしてしまったあゆかには当然のごとく処分が下ったが…

 もともと不登校がデフォな奴に自宅謹慎は何の戒めにもならないということで、最終的な処分内容は当面の『保護観察』。

 観察役は担任が買って出た。つまり…


「お前は自宅謹慎だろ? ここはお前の自宅じゃないだろーホラホラとっとと帰れー」


「そそそんなぁ〜!? ななみちゃん! へぼみたぁ〜〜〜〜んっ!!」


 涙をちょちょ切らせて担任に摘み出されていくはるきを、ななみーズは極上の笑顔で手を振って見送った。


「あたいの部屋も後で案内して貰うからなー?」


 はるきと共に玄関へと向かう途中で、振り向きざまに担任が言う。保護観察というからには本当に二十四時間付きっきりであゆかを監視するつもりらしい。

 俺たちの両親が今は不在と聞いてそうすることに決めたらしいが、本音ではあゆかの主治医に媚を売るつもり満々なことは明らかだ。

 なお、担任との同居についてはさよりもななみーズも仕方なしと渋々承諾した。学校での担任の有り様から、ウチに置いといてもさほど害はないだろうと踏んだらしい。


「じゃあ早速、部屋に…」


「その前に、ちょっとあたしの部屋に寄ってくれる?」


 あゆかの部屋へと案内すべく腰を上げた俺を遮り、ななみが率先してあゆかの手を引く。本当に珍しいな…。


「それじゃ僕はその間、ここで彼女と話させて貰おうかな。へぼみくん、付き合ってくれるかい?」


「ハイハイ〜♩ 先生がお望みならばぁ、お付き合いでもお突き合いでもぉ〜すこぱこ☆」


 珍しいといえばこっちもか。どうもこの男と顔を合わせて以来、へぼみの様子がおかしい。

 お前のマスターは俺なんだろ? なのになんでそんな奴と…。

 …何なんだ、この行き場のないモヤモヤは?


「あーそれ、私もご一緒させて戴いてもよろしいでしょーかー?」


 はるきを追っ払ってリビングに戻ってくるなり、担任が揉み手擦り手で主治医に取り入ってる。


「そうですね…あなたにもお話ししておいた方が良いでしょう。どうぞこちらへ」


「はい〜♩」


 乙女チックに顔を輝かせて、担任もへぼみの隣に腰を下ろす。良いご身分だな〜モテ男くんは…。(※自分もそうである自覚ナシ)

 まあへぼみと二人だけにしておくよりは安心安全だろう。





「ほぉ…かなり本格的だな…!」


 ななみの部屋を覗くなり、あゆかは感嘆の声を上げた。

 そりゃ座卓しかないお前の部屋とは比較にもならんだろうが、こっちも必要最小限のモノしかないぜ?

 漫画原稿を描くことに特化した木製机の上には、いつでもすぐに取り出せるようガラスコップに種類別にまとめられた筆記具。

 椅子は作家の宿命ともいえる腰痛を緩和するためになるべく良いモノを選んだが、もともと動き回るのが大好きなななみは今のところ病気知らずだ。

 そんな彼女の指定席の背後にはもう一つ机が置かれ、こちらには高性能PCと、スキャナーやプリンターを兼ねたコピー機が鎮座している。

 こっちは俺の指定席で、原稿の仕上げ処理の他、メール対応から読者評価の分析、果てはサブカル市場動向調査まであらゆる雑務を行う。

 ご承知の通りななみは一切の電子機器が使えないから、俺の担当範囲は相当広い。マネージャー兼アシスタントみたいなもんだな。


「で、ななみの作品評価もかなり上がってきたもんだから、そろそろ新ジャンルにも挑戦させたい…んだが、このままじゃ作業量的にそろそろ限界だな…とか思ってたところに、タイミング良くお前さんが現れたって次第さ」


「ふむ、なるほどな。私としても己の漫画技術の向上が見込まれるなら、アシを務めるのはやぶさかではない。

 が…そちらがどの程度の作品を手がけているかにもよるな」


 そらきた。やはり自意識と自己評価は相当高い系か?

 ならば見せてやろう、我らが『七海奈緒菜ななみなおな』の至高の漫画世界を…!


「てかその前に…そっちの二人には見せても大丈夫なモンなのアレ?」


 冷や汗たらたらななみが指差す先には…二人して興味深げに室内を物色する左右田姉弟の姿。


「あ、まだ言ってなかったっけ?

 二人ともお前の作品の大ファンだとよ。

 お前の正体もとっくにバレてる上にこっそり見逃してもらってるから、共犯者だな」


「え゛…まぢっ!?」


 驚くのも無理はない。片や生徒会長、片や風紀委員長…本来なら天敵もいいところだからな。

 今までは他の連中の手前、二人の立場的に公言できなかったが、ここには『共犯者』しかいないことだし。

 ともあれ、こんな『理解ある』二人が重鎮なだけに、うちのガッコの校風は相当ユルい。


「大マヂじゃ。特に三作目の『おとうと』は傑作だったのぉ。日々大人びてくる弟を見守る姉の心情が痛いほどよく解るわい…」


「僕はその作品を弟視点から描いた四作目の『届けたい…届かない』が、もう神レベルのデキだと思うよ。読み返すたびに泣ける…!」


「は、はぁ…毎度お買い上げありがとうございます…♩」


 執筆作品の性格上、生の意見を貰ったのは初めてだろうから、ななみは照れ臭そうに頬をポリポリ掻いて、


「あの連作は自分でもイイ感じに仕上がったと思うけど…でもガチな近親相姦モノで、描写もかなりドギツかった気が…」


『ソコがイイッ☆』


 って褒め称えてるのがガチな双子姉弟だってのが一番の問題点だと思うんだが…。


「…どーなってんの、この二人?」


「ま、あまり深く考えるな。考えたら負けだ」


「…そだねー」


 と俺たち義兄妹も頷き合ったところで。


「いま出た作品名…それに、この描きかけの原稿…お前、まさか…?」


 ほほぉ? あゆかも既に知っていたとは…七海先生の人気ぶりもなかなかのもんだな♩

 ここまで来れば、ななみもすっかり天狗になって、


「そう! 今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで人気赤マル急上昇中の、期待の新人同人作家・七海奈緒菜とはァーッ!!」


「何を隠そう、この小娘です。」


「小娘ゆーなしッ!!」


 などと兄妹漫才を繰り広げる俺たちには目もくれず、あゆかは原稿にかぶりつきでワナワナ震え…


「我が国の性風俗の乱れは、いよいよこんな低年齢層まで毒し始めたのか…っ!?」


「驚くとこソコかいっ!? てか誰が低年齢層だ誰がっ!? あたしアンタのいっこ下!」


「…フッ。またまたご冗談を…」


「屋上のとき、あたしも居ただろッ!?」


「…へぼみのインパクトが凄まじすぎたのと、ちっこすぎて目に入らなかった」


「にゃにぃをぅッ!? フザケんのはその超弩級な化け乳だけにしとけやァーッ!!」


「…ならば相手にとって不足はない。存分に助太刀してやろう…!」


「どわぁーからアシの分際でなんでそんなにエラソーなんだよッ!?」


 おいおいななみ、あゆかはこの街を代表する有力者の一人なんだぜ?

 つまり、エラソーなんじゃなくて『偉い』んだ。

 そして、そんなお偉いさんに手を出されちまった俺(笑)。

 つくづく信じ難い事件の真っ只中に放り込まれっぱなしだが…

 それはさておき、この二人が思いのほか仲良さげで何よりだ。

 お互い漫画が趣味なんだから、自然と話題も合うだろうし、良いコンビになりそうだな。





 その後、あゆかに充てがう部屋も見せて了解をもらい、再びリビングに戻った頃には主治医の話とやらも終わっていた。

 彼とへぼみはいまだ与太話で盛り上がってる中…ひとり蚊帳の外な担任は、あゆかにチラリと視線を送るなり、


「…マジかー…」


 と頭を抱えてうなだれてしまった。

 いったい何があったんだ?


「…さてと。僕はそろそろお暇するよ」


 頃合いをみて席を立った主治医に、


「えっ、泊まっていかれないんですかー!?」


 担任が慌てて問いかけた。あー、さてはウチに住むと言い出したのもソレが目当てだったな?


「ええ。あゆかの調子も良さそうですし、これだけ人目があれば安心できますしね。

 へぼみくんという頼もしい存在もいますし」


 よりにもよって、へぼみをアテにするとはなぁ…。


「…れいじ…」


 不意にあゆかが誰かの名を呼んだ。そして切なげな眼差しで主治医を見つめる。

 アンタ、れいじってのか。そういやまだ名前聞いてなかったっけな。野郎の名前になんざ興味無ぇけど。

 そのれいじクンは優しげな微笑を浮かべ、不安気なあゆかをそっと抱き寄せて…


「なんて顔してるんだ、あゆか。皆にこれだけ歓迎されて、今さら心細いことなんて何もないだろ?

 むしろ今まで以上に恵まれた環境だし、僕もこれで良かったと思ってる。

 これからも時々様子を見に来るしね」


 幼子をあやすように頭を撫でるれいじに、あゆかは目を細めて安心しきったように身体を預けている。

 …なんかちょっとムカつく情景だな。

 てゆーかコイツ、本当に只の医者なのか?

 どー見てもパカッポーそのものじゃねーか。


「…………」


 意外なのは、さっきまであんだけ押せ押せだった担任が、なにやら達観した顔で二人を黙って見つめてることだ。

 俺らが席を外してたほんの僅かな間に、いったい何があったんだ?


「それは後のお楽しみですぅ♩ それがあゆかさんの一番の希望だと思いますからぁ〜」


 いつもはやりたい放題なへぼみが、珍しくあゆかを最優先に立てているのも不気味だし。

 マスターの俺に隠し事とか、HWM的にどうなんだ?


「だから隠してるんだよ。HWMは基本的に嘘がつけないから、そうするしかないのさ」


 別に訊いてもいないのに、れいじの奴が俺にそっと耳打ちした。そりゃ難儀なこったな。





 れいじと同時に左右田姉弟も帰ると、うちの中は途端に静かになった。新メンバーのあゆかも担任も口数はかなり少ない方だしな。

 さよりとへぼみ、それから意外にも担任が夕飯の用意をしてくれて、遅ればせながら皆で食卓を囲んでの賑やかなディナーとなった。


「…どぉ?」


 皆が丹精込めた手料理を、事務的に口に流し込み続けるあゆかに痺れを切らしたさよりが感想を乞うと、


「どぉ…とは?」


 思いもよらない質問返しに、いまだあゆかに抵抗を感じるさよりはムッとして、


「美味しいかって訊いてるんだけど…?」


 それでも努めて冷静に問いただした。

 するとあゆかはようやくハッとして、


「ああ、これは失敬…。正直に言わせて貰えば…私は味が判らないんだ」


「え、それって…味覚障害?」


「…みたいなものだ。甘い、辛い、酸い、苦い…という感覚はあるが、それがお前たちの言うところの旨味とどう結びつくのかが皆目理解できない」


 人間の味覚の大半は幼少期に形成される。

 雫石家で出される料理に下手な味付けなんてされてるはずが無いから…原因があるとすれば、その頃だろうか?

 詳しく訊いてやる気はないが…なにぶん多忙な家柄だろうし、あゆかもその頃から人知れず辛い思いをしてきたのかもしれない…。


「だから…私にとっての食事という行為は、単なる栄養補給であり、それ以上の意味は見出せなかった」


 それはキツイな。生物の三代欲求の内でも最重要な『食欲』が存分に楽しめないのは…生きてる意味が無いのと同じだ。

 でも…食事の楽しみ方は、味覚だけじゃないだろ?


「…今までは、な。」


 そう付け足して、あゆかはやっとさよりに微笑を手向けた。


「ここの食事には、私が今まで感じたことの無かった『温かさ』がある。それだけで…こんなに食が進むものなのだな」


 聞けば、あゆかは今まで必要最小限のものしか口にしてなかったらしい。それでその抜群のプロポーションを維持できているのは驚愕だけどな。

 先ほどから黙々と食べ続けてたのは、生まれて初めて感じた『食事の醍醐味』に箸が止まらなくなったかららしい。

 ちゃんとそう言ってくれれば、あらぬ誤解も受けずに済むだろうに…。

 彼女の今一番の課題は『コミュ障の解決』だな。


「…おかわりの分はまだあるからね♩」


 ずいぶん回りくどかったものの、手料理を褒められて嬉しくない訳がない。

 元来、世話好きな委員長気質というか…男女関係方面においてはまだまだ問題山積なものの、さよりのあゆかへのわだかまりは少しずつ氷解しつつあるようだ。

 う〜ん、女心ってのは複雑なモンだな?


「あと、もう少し食べるペースを落とされた方が消化効率が良いと思いますよぉ〜♩」


 それ以上に解せないのが、へぼみのあゆかへの献身的なこの態度。

 本来なら、マスターである俺に手を出したあゆかは、へぼみ的にも敵視すべき存在だろうに?

 あのれいじという主治医と出会って以来、コイツはちょいちょい摩訶不思議な行動を取ってみせてるが…いったい何なんだろーな?


「…ところで七尾…いやななおー。この後の風呂の順番はどーなってんだー?」


 だから言い直しても同じだってばよ、ていちゃん。


「ではでは、まずはあたしと下僕とでぇ〜♩」

「お姉様…♩」


 ソレまだやってたん? てな訳で一番手はへぼみ&さよりのエセ百合コンビに。


「ロボ子の分際で一番風呂取るとか…しょーがないから二番風呂はあたしとあゆかとで」

「ふむ…狭い風呂場の占有比率的には理想的な組み合わせだろうな。最小と最大とで」

「…どこの部分の比較ぢゃそりゃ!?」


 部分的じゃなく全容量の話に決まっとろーが。てな訳で二番手はななみ&あゆかに。


「んじゃ、最後はあたいとななおなー」

「…アンタそんなに社会的に死にたいのか?」

「ちぇー。背中洗いに使えると思ったんだがなー…。

 しゃーねーからななお、先入れー。あたいは後始末がてらゆっくり浸かるわー」


 しれっと笑えないジョークを飛ばす、平常運転な担任の口ぶりに、誰もが冗談だと思い込んでいた…のだが。





 二人して風呂から上がるなり、仲睦まじく夕飯の片付けと明日の食事の仕込みにかかったロボ子&眼鏡コンビと入れ替わりに、あたしとあゆかも一緒に風呂に入った。

 あゆかは年上だけど、初っ端からあんな出会い方をしたお陰で互いに気を遣わすに済むのはありがたい。

 それに…無口なのかと思えば、


「今春の新作アニメには、目玉と呼べる作品は皆無ね」


「うむ、だがそれだけに実力派スタッフの功績が光る佳作が豊作だな」


 漫画等のサブカル方面の話題にはかなり詳しくて、そちら方面ならそこそこ饒舌だから退屈しない。

 あたしも学校の友達とは流行りの漫画やアニメについて話すことはたまにある。

 けどJK的にメインの話題はファッションやグルメ、タレントにアーティストにネット…。

 そっち方面になると、もうついていけない。スマホやPCが使えないってのはそれだけ厄介なことなんだ。

 時間がもったいないから流行りのドラマも見ないし、そんな暇あったら漫画描いてるし。

 それでも、あたしの見てくれがカワイイってだけでチヤホヤしてくれるクラスメイト達は正直ありがたいけど。

 だから…あゆかとは、やっと腹を割って話せる相手ができたみたいで、正直嬉しい。


「それにしても…カワイイな、お前は」


「んなっ…やっぱ乳か、乳の話かァッ!?」


「それもあるが…」「あるんかいっ!!」


「背丈に見た目に…どこを取ってもマスコット的でカワイイ」


「あ…そ、そぉ。それはどーも…」


 今まで散々可愛いカワイイ言われ続けてきて、正直耳タコだけど…あゆかみたいに至近距離で、面と向かって言ってきた相手は初めてだった。


「ア、アンタこそ…キレイだし…背も高くてモデルみたいで、カッコイイと思う…わよ」


「…そ、そう…か…」


 対照的にあゆかの方は全っ然言われ慣れてなかったようで、顔を真っ赤に茹で上げると湯船にブクブク沈んでしまった。

 …何なの、このカワイイ生き物?


 これまた意外にも…いや予想通りかな?

 あたしもあゆかも早風呂だったのですぐに風呂から出て、リビングでぼんやりテレビを観てた兄貴にバトンタッチ。


「あたしはこれから部屋で漫画描くけど、あゆかは?」


「ならば手伝おう。何でも申し付けるがいい」


 アシ志願風情が相変わらず態度デカめだけど、言うだけ無駄なので連れ立ってとっとと自室へと。


「アンタの実力はあの原稿でだいたい判ったけど、アシは仕上げ時間の速さも重要だから。

 …ここにちょっと集中線を引いてみて?」


 書き損じて没にした原稿用紙から、テキトーなコマを指定してあゆかに手渡す。

 集中線はほぼ全ての漫画作品に必ずといっていいほど出てくる背景効果の一つで、作家の技量が如実に表れる。

 コマの端から画面中心へ向かって定規で一直線に線を引き、中心に近づくほど力を抜き、中心部分には描かない。

 これを角度を変えてひたすら何本も繰り返す訳だけど、線の太さや密度で効果がかなり変わってくる。

 まさに漫画の基本にして応用範囲が幅広い技法で、特にアクションシーンや緊迫した心理描写では必須だ。

 さ〜て、あゆかの腕前の程は…って?


「あの…定規は?」


「不要だ。」


 不要なわけないでしょ直線なのに!?

 しかも手にしたのは、いわゆる一般的なつけペンじゃなく極細サインペン。均一な線が描ける反面、力加減が困難だから難易度爆上がりだ。

 けれどもそんなあたしの不安をよそに、コマ端にペン先を立てたあゆかは一呼吸置いて…


 シュカカカカカッ!


「…ふむ、こんなものか?」


 え゛…い、今のナニ? 速すぎて全然見えなかった…。

 しかも。


「…!? か、描けてるし…!」


 驚くべき完成度だった。

 定規を使ってないのにキッチリ直線になってるし、線の寄り具合も力加減も絶妙だ。

 おまけに、元からコマに描かれていたあたしの没絵が、なんで没にしたのか解らないほど活き活きして見える。

 コマに生命を吹き込むというのはこういうコトなんだって、今さらながらに理解できた。


「…プロじゃん…!」


「少なくともそのつもりで取り組んでいるが、お前は違うのか?」


 ゔゔっ、漫画家としての心得まで負けてる気がする…悔しい…!

 しかも今のチート級な描画速度に、迷いのないペン運び…。


「…あの原稿、下描きの跡がまったく無かったんだけど…まさか?」


「『下描き』?…とは、何だ?」


 そもそも下描き自体ご存知なかった!

 なんなんだコイツ、漫画の神サマか!?

 …でもそれは、あくまでも作画面での話だ。


「作画面では既に申し分ないレベルに到達できたと自負している。

 だが…肝心なストーリー展開が思うようにはいかない」


 それが思い通りにいくなら、あたしたち作家は誰も苦労なんかしない。

 あゆかのアパートで初めて彼女の作品を読んだはるきさんは、面白いと笑っていた。

 けれど…それは彼が、それほど漫画を読み込んでいないライトリーダーだからだ。

 もちろん彼らのような評価も大切だけど、あたし達ベビーリーダーを唸らせるような作品を描けて、初めていっぱしの作家といえる。

 今日びでは原作者と作画担当が共同制作した作品や、アニメスタジオばりに何人ものスタッフが携わったタイトルが一般的だけど…

 真の漫画家を目指すなら、絵もお話も一人で両立できなければならない。


 あゆかの作品に対する、あたしの率直な評価は…『凡作』。

 たしかに主人公はキャラが確立してて良かったし、行動も破天荒で面白かった。

 でもそれは、うちの兄貴を参考にして描かれたからだ。生きた素材に勝るキャラクターはいないし、実物の兄貴を知るあたし達が親しみを覚えて当然だ。

 それに引き換え、主人公以外のキャラは…どれも型にハマった典型的な『村人A』ばかりで、予想通りの行動とセリフしか披露しない。

 これじゃあ読者は先の展開を容易に予想できてしまうし、せっかくの漫画という何でもアリな架空世界を舞台にしてる意味がない。


「だから…それを学ぶべく、私はななおの誘いに乗ってここへ来た。

 …そしたら早速、漫画以上に面白い展開になった」


 いつもは無表情なあゆかが、あたしの顔を見てニヤリと笑う。


「『七海奈緒菜』は、私がいま最も注目する作家の一人だ」


 え…。


「彼女の魅力はその美麗な絵柄もさることながら…大胆かつ圧倒的なストーリー展開と、それを支える設定のリアリティーから生まれる『物語の説得力』にこそある。

 故に、作中の登場人物への感情移入度も凄まじく、わずか数十ページの短い物語でありながら高い満足感と絶妙な余韻を味わえる」


 …スゴイ分析力…!

 前に兄貴も似たような評価をしてたけど、説明が大雑把すぎてよく解らなかった。あたし的にはそこまで意識して描いてないし。

 でも、ここまで詳細かつ理路整然と解説されると、作者本人のあたしまで納得してしまう。


「七海作品における最重要ファクターは『切なさ』、そしてそこから逆説的に導き出される『愛』。

 それらがとめどなく溢れ出ているからこそ、読者は一撃で魅了され、それを求めて何度も彼女の作品を欲してしまうのだろう…」


「ちょちょちょちょちょ…!?

 ひ、人の作品をそんなアブナイお薬みたいに!」


 ガシッ!! 動揺するあたしの手を掴んで壁際に追い詰め…あゆかは言った。


「…私はそれが知りたいのだ。」


 ひぐぅっ!? これって壁ドン…!?


「教えてくれ…ななみ。

 何がお前をそうさせる…?」


 穢れを知らない子供のように純真な瞳で。

 あゆかは真っ直ぐにあたしを見つめた。


「…そんなの…あたしが知りたいよ…!」


 あたしは、ただ…一生懸命に描いてただけなんだ。

 あたしが今できる、精一杯の想いを込めて。

 その想いが、いつか…その人に届くと信じて。


 そう…あたしは他の誰にでもなく…

 たった一人に向けて、叫び続けてるんだ。

 漫画というカタチを借りて…

 いつ届くとも知れない…


 …届かないかもしれない…


 …この、想いを。


「…っ!? すまん…!」


 あたしを問い詰めていたあゆかが、急にギョッとしたようにその場を飛び退いた。


「…泣かせるつもりは無かったんだがな」


 言われて慌てて目元を指で拭ってみれば…

 指先が濡れていた。


「ななおがこの場にいなくて良かった。奴に見られていたら…本気で殺されかねん」


「いやいやそこまでは…………あるかも」


 兄貴ならマジでヤリかねない。

 幸いあたしは可愛かったから、そうそうイジメられることもなかったけど。

 でもいつだったか、あたしにちょっかい出したガキ大将をこてんぱんにブチのめした挙げ句、両親が菓子折り持って謝罪しに行くハメになったこともあったっけ。

 結局、そのガキ大将はあたしに気にかけて欲しい一心で意地悪しただけだったんだけど。

 …今にして思えば、あたしが漫画を描いてるのと同じことだったのかもしれない。

 そんなことをツラツラ思い出したあたしの様子をみて、あゆかはクスッと微笑んで、


「…愛されているのだな…アイツに」


 あ、あああ愛ッ!?

 たぶん正当的な意味合いで言ったんじゃないと思うけど、あたしは顔の火照りが我慢できなくなって…


「アンタこそ…そーゆー顔してたら、もっとモテるんじゃないの?」


 いまだ愛らしい微笑を浮かべるあゆかの頬をツンツンつついてやった。


「…そ、そうか? ふむ…ななおにも見せてみるか?」


「それは…なるべく控えて戴けるとありがたいカモです」


「…フフッ♩」「あはは…♩」


 思えば…兄貴以外の人といて楽しいと感じたのは、これが初めてかもしれなかった。





 ガラッ。いきなり風呂場の戸が開いて、


「邪魔するぞー」


 担任が入ってきた…俺がまだいるにもかかわらず。もちろん一糸纏わぬスッポンポンで。


「んな…っ」


 そろそろ身体を洗い流そうかと湯船から腰を上げた俺は…モロに見られちまった。何って、ナニを。


「あーダイジョブダイジョブ、あたいガキは対象外だし、昔ウチで弟の世話してたときに散々見慣れてるからー」


「そっちはそうでもこっちはギリ対象内だし、見慣れてもねーっての!」


 我ながらテンパりすぎて何を口走ってんのか自覚がないが、慌てて湯船に沈み込んだ俺に担任はニンマリ満足気にほくそ笑んで、


「ほぉー、あんだけ周りにオンナはべらせといて、お前まだまだ童貞かー?

 じゃあ今後の参考にしっかり見とけー」


「ええいっ、少しは恥じらって隠せッ!

 あんたの倫理観は一体全体どーなっとんだ!?

 俺が学校にチクったら一発アウトだろがっ!?」


「マジにチクったら再起不能になるまでボコ◯ン踏んだくってボコるぞー?」


 怖っ!? 実際にやりそうなあたりがマジヤバいわこの不良教師!

 …ま、実際チクる気なんざ微塵も起こらねーけどな。コイツはこんなんで校内人気は不思議と高いし、こんな状況下にあったことがバレたら社会的に屠られるのは俺の方だからな。


「…ま、急に無理言って住まわせて貰ってんのはこっちだからなー。お礼にちょこっとサービスしてやろーかと思っただけでなー」


 などとうそぶきながら、担任は勝手に俺の隣に入ってきた。ただでさえガタイがデカい上にあちこち出っ張ってる奴が一緒の湯船に浸かったもんだから、狭っ苦しくてしょうがねぇ。


「ヘッ、よく言うぜ…。わざわざリスクを冒してまで俺の風呂を邪魔したってことは、他の連中には内密で訊いておきたいことでもあったんだろ?」


「…フフッ。やっぱお前は他のガキとは違うな。テストの成績も本気出せばもっと上を狙えるのに、わざとアホのフリしてんだろー?」


 チッ、バレてやがったか。確かにいくらか手加減はしてるが、テストの点が悪いのは自業自得さ。家でも学校でも教科書なんかろくに開いたコトねーから当然だわな。


「で…そんな本当はお利口さんのななおクンから見て…あのへぼみってHWMはどーよ?」


「どう…とは?」


「バックレてんじゃねーよ。あんなん、どー見てもマトモな出所のヤツじゃねーだろー?」


 …ったく。大雑把な脳筋のフリしてんのはどっちだよ?


「…詳しい経緯は俺にもわからん。ある日突然ウチに押しかけてきたんだ。

 親たちはアレをこっちに押しつけたままドロンさ。最初にテキトーすぎる説明を受けた後は放ったらかしで、いつまで預かればいいのかすら判らん」


「この子にしてこの親ありだなー」


「逆だろ。まぁ生活費はちゃんと振り込まれてるし、ちゃんと生きてんなら文句は言わねぇさ」


「…やっぱお前、キモの座り方が並みのガキじゃねーなー。こっちの方もマジ子供離れしてるしー」


 さほど関心無さげな口ぶりながらも湯船の中で俺の股間に手を延ばし、ちゃっかりちょっかい掛けてくる不良教師。


「何がガキは対象外だよ。あのれいじって主治医がお目当てだったんじゃねーのか?」


 すると担任は何か吹っ切れたように風呂場の天井を見上げ、


「アレはなんつーか…売約済みたいなモンだったー。告るいとまも無かったなー…」


 なるほど…なんとなくそんな予感はしてたけどな。

 担任がなんで俺んトコに来たのか解った気がするよ。俺はメンヘラどもの寄り合い場か?


「…まさか俺に慰めさせようってんじゃねーだろうな?」


「ケッ、イキがるなよガキー。童貞の世話になるほど落ちぶれちゃいねーぞー?」


「ならチ◯コ放せ」


「あーコレはいいモノだー。もうちょいいじくらせろー。

 なんならあたいのも触るくらいならいいぞー」


 お許しが出たので、俺も遠慮なく担任の股間に手を延ばした。すると彼女はビクッと身体をすくめて、


「…乳くらいなら揉んでヨシってつもりだったんだがな…まいっかー」


 相変わらず話が早すぎてかえって不安になるが、せっかくなので指先で弄ぶ。


「んんっ…へぼみはなんでななみにそっくりなんだー?」


 平静を保とうとしてか、担任はさっきの質問を蒸し返した。


「あれは俺のオーダー通りだ。といってもまさか本当に送り付けてくるとは思わなかったから、冗談のつもりだったんだけどな。

 でも見た目は予想以上にクリソツに仕上がってきて驚いたが、性格があんなんだったってのはカンペキ予想外で、別の意味でビックリ仰天だぜ」


「ハハハ、個性的でオモロイ子じゃないかー。

 たった一日ですんなりクラスに溶け込んだようだしなー」


「笑い事じゃねーよ。今日の学校で見せた機能は、ありゃほんの序の口だせ?

 実際にはどんだけ高性能なのかは、俺もまだ良くは知らんが…マジで洒落になんねーレベルだぞアレ。その気になれば一人でクーデターとか起こせるぞガチで」


「ほぉ〜ガチムチかぁー? んで、そんな常識外れなHWMと…お前たちはどう接してるんだー? 何か心構え的なアドバイスは…」


「アドバイスだぁ? 無ぇよ、んなもん。

 マスターの俺にすら逆らいまくりなクッソ生意気な奴だぜ? そこいらの安物AIと同じだとナメてかかったら痛い目見るぞアリャ」


「命令を聞かないAIー? そりゃ新しいっつーか、むしろフツーの人間…」


 そこまで言い合って、


『…………。』


 俺たちはハタと見つめ合った。

 一瞬でも芽生えてしまったバカな考えを、互いに否定してくれることを願った。

 けれども…そう考えるとすんなり腑に落ちた。

 命令に背くということは、自身の確固たる意見に従って行動しているということで、すなわち…自分の意志を持っている、ということ。

 つまり、あくまでもマスターの命令を実現するために行動する普通のHWMとは似て非なる処理を行っている…とみて間違いない。

 ゴタンマの野郎どもめ…とんでもないモノを造ってくれたな。

 要するに、へぼみは…名目上はHWMだが…


 …中身は『人間』そのもの…?


「…あー…このことは当面、他言無用なー?」


「わーってるよ。こんなこと、他の誰に言えるってんだ…?」


「んじゃ、共犯関係成立ー♩」


 相変わらずの軽口を叩きながらも、その唇が小刻みに震えているのを俺は見逃さなかった。


「まいったな…そんな奴とこれからどう付き合えってんだ…?」


「んー? そりゃ決まってんだろ?」


 被りを振る俺に、担任はいつものあっけらかんとした口調で応える。


「相手が人間だってんなら…

 フツーに付き合えばいいんじゃねー?」


 …そっか。そりゃそーだよな。

 先生さんよ、アンタやっぱ先生だわ。

 いざとゆーときは頼りになるぜ♩


「あたいの方こそサンキューなー。

 これでやっと目が覚めたわー

 …やっぱ、お前にカラダ弄ばれて正解だったなー♩」


 いやいやイヤイヤその発言は教師的にどーよ!?

 いったい何のことだかワカランが…

 なんだか担任の顔が風呂に入る前よりもスッキリしてる気がする。

 何を悩んでいたのか知らんが、無事に自己解決できたようだな。


「感謝してくれるんなら…ついでにコレ、どうにかしてくんねーか? お互い準備万端らしいけど…」


 担任の手に握られっぱなしの俺のオレは、もうギンギンに憤っていた。

 俺の指が分け入っている彼女のカノジョも、もう指先がふやけそうなほどグチョグチョに濡れそぼっている。

 後は担任の判断待ちだが…


「んー…やっぱやめとく。ベタすぎるし、ここでヤッちまっらマジ引き返せなくなりそうだしなー」


 熱っぽい瞳で俺を見つめて、


「その代わり、責任持って最後までイカせてやるよー」


 言うが早いか、担任の唇が俺の口を塞いだ。


「んむっ!?…ふ…ぅああっ!?」


 慌てた俺が抵抗するよりも早く、生き物のような彼女の舌が俺の口腔に分け入ってくる。

 そのまま片手で股間をしごかれて…俺はあっという間に果ててしまった。


「…ぷはっ。やれやれ堪え性のねぇガキだぜー♩」


「ハァ…うっせぇな。担任に無理やり奪われるとか有り得ねーだろ、漫画かよ?

 …体育会系ってのはみんなこんなケダモノなのか?」


 息も絶え絶えに湯船の縁にへたり込んで、照れ隠しの愚痴をこぼす俺に、担任はニマニマほくそ笑んで、


「その調子だと、さよりともまだだったみたいだなー? クラス一の隠れ人気男子のお初はあたいのもんだー、ザマみろクソガキどもー!」


 なんか俺も無自覚だった新事実が明らかになってるが…日頃どんだけ仕事のストレス溜め込んでんだコイツは?


「…ソレ、特にさよりには絶対言うなよ? 下手したら刺されるぜアンタ」


「あー、いいんちょやっぱヤンデレかー? どんな仕事を押しつけても笑顔で『喜んでー♩』とか言ってるから、マゾかコイツとは疑ってたけどなー」


「このクソ教師め…っ」


 だがそんな担任の横暴ぶりに音を上げたさよりが泣きついてきたからこそ、俺たちの今の関係がある訳で…何なんだこの因果応報ループ?


「あと、お前には特別に呼び捨てを許可してやんよー。もうこんな爛れた関係だしなー」


「自分で爛れさせといて、よく言うぜ…。

 わーったよ、ていち。もうこんなキワドイことは程々にして欲しいが…時々は乳揉ませろ」


「プハハッ…正直な男は好きだぜー♩」


 男気溢れる笑顔を見せた担任…ていちは、もう一度俺と、今度はそっと優しく口づけを交わすと、何事もなかったかのように平静と風呂場から出て行った。

 …って身体洗ってねーじゃんアイツ。代わりに俺があちこち撫で回してやったけど…本当にエロテロ仕掛けに来ただけか?

 風呂に入ってるはずなのに何故だかヘトヘトになった俺は、今度こそ肩までゆっくり湯に浸かってホッと一息ついた。

 …正直ヤバかった。個人的には同世代のさよりよりも、アレくらい年食った女の方がしっくり来る気がする。よもや自分が年増好みだったとわ…なんたることが。

 …なんてことは、愛しのヤンデレカノジョ様には口が裂けても言えねーけどな。刺されるどころか街中燃やされかねん。

 まったく、なんて日だよ。

 こんなコトがこれから毎日続くのか?


「…フフッ」


 愉快すぎて自然に笑けてくるぜ。

 漫画以外でこんなに笑えたことなんて、今まで無かったかもしれねーな。





 翌日の朝。


「…とゆー訳だからあゆかー、お前も今日から学校に通えー」


 起き出してきた皆で食卓を囲むなり、ていちはいきなりあゆかに命じた。いきなりだから『とゆー訳』もクソも、前説なんて無かった。

 昨日はあゆかに対してどこか扱いづらそうにしていたていちも、ようやく吹っ切れたらしい。


「…昨日は特別に行ってみただけなんだが?」


 皆が制服を着て通学準備を済ませてる中、あゆかは元から通学する気が微塵も無かったらしく、一人だけ部屋着だか寝巻きだか判らん適当な格好で遠慮がちに拒否した。


「バカタレー、学生にとっては休む方が特別だー。生徒の自主性に任せようなんてゆとり精神は、あたいの辞書には無いぞー」


 さすがは体育会系教師、有無を言わさぬ強制力だ。引き篭もりに無理強いは禁物って意見も多いが、きっかけはどうあれ何らかの働きかけが無けりゃ、コイツらは一生家の外には出られないからな。

 …ん? そういやあゆかは既に街中を徘徊してたから、引き篭もりとは違うか。

 …ならなんで学校に来ないんだろうな?


「まぁ〜他の生徒どもなんて血の詰まった水袋程度に考えとけばイイですよぉ〜ふひょへへへ♩」


 へぼみは今朝も早よから絶賛平常運転中だ。

 昨夜、コイツのことを只の人間かも…と一ミリでも勘繰っちまった自分を恥じたい。


「あたしもそばについててあげるから、昨日みたいなことにはならないと思うよ?」


 一晩で妙にあゆかに懐いちまったななみもフォローを申し出てるが…お前、自分のクラスの方はどーなっとるんだ?


「私も委員長として、少しでも過ごしやすいクラス環境になるように努力するから」


 さよりはまだ若干お堅い感じながらも、もう初日のようにギスギスした態度はとらない。

 あゆかがウチに来てからは、今のところ俺に対して不穏な動きを見せないことに安心してるようだが…

 スマンなカノジョ様。俺はもう昨日までの真っ白な俺じゃないんだ…。


「…だとよ。着替えてくるまで待っててやるから、みんなで行こうぜ?

 なんなら俺も着替え手伝って…」


 ヒュンッ! さくっ☆


「あーゴメンねぇーななおくん、手が滑っちゃったー♩」


「…うわーい。バターナイフって斬鉄剣並みに斬れるんだね〜?」


 俺が冗談混じりに口に運びかけたトーストを皿ごと真っ二つに裁断したさよりの凶行に…

 昨夜の風呂場での一件は墓場まで持っていこうと固く心に誓った俺とていちだった。


 それはさておき、俺の一押しが決め手となり、あゆかは浮かない顔のまま黙って頷くと、再び自室へと戻っていった。

 うちから学校まではそう遠くないから、のんびり着替えてもまだ余裕があるしな。

 …そーゆー割には今まで遅刻しなかったことの方が珍しい俺だが…

 ああ言ってしまった手前、これからは精々マジメに通うさ。





 昨日の顔ぶれにあゆかとていちまで加わった俺たち七尾一家の登校風景に、校内はもはやプチパニック状態だった。


「おいおい、なんだよあの集団は!?」「な、なんで雫石がななみちゃんと一緒に?」「ていちゃんまでいるし!?」「祭りか? 祭りが始まるのか!?」


 おかげであゆかへの風当たりはだいぶん緩和されたが、それでもまだいくらかの非難の声が漏れ聞こえてはいた。


「雫石の奴、また来てるぜ?」「二日連続かよ…雪でも降るんじゃねーか?」「勘弁してくれよ…」「私、明日から学校休もっかな?」


 普通に登校しただけでこれだけの騒ぎになるとは…あゆかの悪評は相当なもんだな。

 だが、元々これぐらいは想定済みだ。俺たちも半ば強引に登校させた手前、あゆかをしっかりフォローする気満々だしな。

 しかも味方は俺たちだけじゃなく…


「ぃよお〜☆ 今日もみんなで仲良しこよしの集団登校かい?」


 ほら、さっそく援軍が現れた。俺たちを目ざとく見つけたはるきの奴が、気さくに手を振って話しかけてきた。


「朝っぱらからよりどりみどりだなぁ〜ななおクンよぉ? オレっちを追い出してハーレムキング気取りかぁ〜ん?」


「追い出したのはていち…担任だろ。クソうるせーだけでろくなモンじゃねーぞ?」


 嘘ですちゃっかり美味しい思いしてますスンマソン…と胸中で手を合わせる。


「あ、あゆかタンも調子はどーよ?」


 いまだビビリ気味ながらも、果敢にもあゆかにアタックを仕掛けるはるき。

 相手が誰だろうと臆さない、こうした調子の良さはある意味コイツの強みだな。

 一方、いきなり話しかけられたあゆかはキョトンとして、


「…誰だお前は?」


「ズコーッ!? 何なんアンタ若年性認知症かよ!? 昨日オレもずぅ〜っといただろーがッ!!」


「すまんが記憶にない」


「だったら今から覚えとけやーッ!!」


「…了解した。お前はななおと親しいようだから、憶えておいて損はあるまい」


「いや損得勘定抜きにして憶えろやクラスメイトぐらいよぉ!?」


「ふむ…そういうものか?」


 などとグダグダな即興コントを繰り広げる二人を、周囲の生徒たちが信じ難いものを目の当たりにしたような驚愕の表情で凝視していた。

 あの悪名高き雫石あゆかが、俺たちの知り合いとはいえ一介の男子生徒と普通に会話できているのが衝撃的だったらしい。

 こいつはひょっとしたら、思いのほか旨い好転材料になるかもしれないな…。





「…んで、またアンタらも『特例措置』で此処で授業受ける訳だな?」


「うむ、当然じゃ♩」「どうやら昨日以上に面白いコトになってるようだしね♩」


 教室の昨日の席に、左右田姉弟は今日も当たり前のように居座っていた。

 この二人に関してはさよりに次ぐ超成績優秀者で、卒業資格なんてとっくに満たしてるから、学校側も文句は言えまい。

 むしろ問題は…


「お前はなんでまだ此処にいるんだ…ななみ?」


「そんなん、へぼみがオッケーっていうなら勿論あたしだってそーでしょ?」


 などとふんぞり返る我が愚妹だが…

 へぼみは生徒じゃなく私物扱いだからな?

 とかツッコもうとしたら、


「…ああ、ななみに関しては向こうの担任から許可が下りてるぞー」


 ていちから意外な情報提供が。それまたどちて?


「コイツ授業中はだいたい寝てるし、居ても居なくても同じだから…だそーだー。

 さすがは兄妹だなー?」


『…えろぉすんまへん…』


 呆れ顔のていちに、揃って頭を下げる俺たちダメ兄妹だった。





 そして授業中。

 最も皆を驚かせたのは…


「…以上の事柄により、この登場人物の心情としてはこの推察が最も妥当と思われるが…このような回答で良かっただろうか?」


「…じ、実に素晴らしい意見ですね雫石さん!

 模範的かつ理想的な回答でした」


「ふむ? 私としてはいささか意外性に欠けるツマラン回答かと危惧したのだが…」


「いえ現国の回答に意外性とか不要ですから!」


 とまあこんな塩梅で、あゆかが皆の予想外にやればできる子だったことだ。

 かくいう俺も初対面があーだったから、てっきり俺と同程度のアホの子とばかり…。

 昨日のへぼみほどのインパクトは無いが、己の意見を理路整然と語る彼女の姿に、クラスの誰もが魅了された。

 その後の授業でも、教師の出題すべてに滞りなくスラスラ答え、その実力の程を余すことなく皆に知らしめた。


「ううっ…またまたライバル登場!?」


 それはもういいからな、さより。お前も家庭環境が一段落したんだから、もうそんなに気張る必要はないだろ?


「雫石さんて、結構スゴくない?」「凛々しくてカッコイイし…私、ファンになりそう!」


 世論なんて曖昧なもので、クラスメイトからも早速あゆかを好意的に評価する意見が聞こえ始めた。


「アレで何で不良なんてやってんだ?」「ソレだけど…彼女って本当に不良なのか?」「そんな噂があるってだけで、誰も実際その場に出くわした訳じゃないしな」「じゃあ、あの噂って…只の誤解?」


 …よしっ。ここまで来たらもう一押しだな。

 そろそろ、あゆかイメージ改善計画の仕上げにかかるとするか!





 昨日は昼前にあゆかが倒れてしまったため昼メシどころじゃなかったが、今日の昼休憩はメンバー全員で机をくっつけてのお弁当タイム。

 ていちもわざわざ職員室から教室まで出向いて、総勢九名もの豪華な顔ぶれでの会食だ。

 弁当は昨夜の夕飯同様、さよりにへぼみにていちが腕によりをかけて全員分をこさえた。


 そして、顔ぶれの大半がJKであることから、飯時に欠かせない共通の話題といえば、もちろん恋バナ…ではなく、


「つーわけで、お前らがいちばん『これは神!』だと思う漫画は?」


 中心メンバーが俺やななみであることから、必然的に漫画ネタで花が咲く。


「ぬうっ、これまた答えにくい問いだな。なかなか一つには絞り切れん…!」


 これはあゆかが会話に参加しやすいように意図的に仕組んだことだ。昨夜のうちにななみから、あゆかは漫画の話になると予想外に饒舌で驚いた…との報告を受けていたからだ。

 すなわち、彼女の飾らない素顔を周囲に認知させることで、一気にイメージ回復を狙おう!ってな作戦だ。


「パッと思いついたヤツでいいのよ。

 あたしは無難なトコで『千ピース』かな。それまで見たこともなかった独特な世界観に、他の誰とも被らない個性的なキャラを次々登場させる作者の底力には素直に脱帽ね♩」


 俺やななみのような漫画廃人でなくとも、現在では漫画にまったく触れことがない輩は一人もいない。

 国内外を問わず、実写ドラマや映画の原作の大半は漫画やアニメという昨今だし、大ヒット作が一本出れば国を動かすほどの経済効果をもたらすしな。


「あっ、ななみちゃんに千ピース奪取られた。 その他といやぁ、やっぱ『迷探偵ドイル』っしょ。サスペンスものだから毎回面白いに決まってるし、ヒロインがみんな可愛い♩」


 故に…はるきの奴は昨日、流行りの漫画しか見ないと言っていたが、それだけ解れば大抵の話題にはついて来れる。


「私は壮大なスケール感を買って『王堤』ね。三国志ネタが面白くない訳がないし、それ故に誰でも知ってるお話にもかかわらず、あれだけ盛り上がるのは漫画ならではね!」


 さよりも自宅では自己学習の息抜きとして青年向け漫画をよく読んでいたそうな。

 彼女の家は病院で、待合室には患者の暇潰し用に週刊誌や漫画雑誌が数多く取り揃えてあるから、その影響らしい。

 さらには俺との話題作りのためにと、自主的に人気漫画雑誌を買ったりしてたんだとか。いやはや努力家だねぇ♩


「わちきのイチオシは『魔術学科の落第生』じゃが、アレは漫画というよりはライトノベルが主体かのぉ?」

「コミックならやっぱり『鬼殺』じゃない? 原作はとっくに終わってるし、最後まで兄妹愛を貫かなかったのは難アリだけどね」


 生徒会長&風紀委員長というおカタいイメージの左右田姉弟も、ななみの同人誌に手を出すほどだから重度の漫画オタクだ。

 詳しくは知らんが古典芸能の家元に生まれた二人にとっては、作中に出てくる緻密に描き込まれた人物の所作やアニメの動作に、ヒントや参考になるモノが多いんだとか。

 …ななみのエロ漫画の所作がどう役立ったのかは、深くは考えまい。

 それにしてもコイツらのイチオシって、どれも兄妹愛が激しすぎるヤツだけど…そこはツッコミ不可なのか?


「あたいは断然『球ハイ!』だなー。アレ見て実際バレーボール選手目指したしー」


 一見漫画とは無縁そうなていちにも、しっかり推しがあった。しかも訊いて納得のベッタベタなやつ。

 コイツの行動原理は恐ろしく単純で、しかも自分の願望のためなら善悪は無関係ってことを昨夜のアレで嫌というほど思い知ったぜ。

 実際、学生時代には将来を有望視された有名バレー選手だったらしいが…

 それがどうして今、教職に就いているのかは誰も知らない。別段どこか具合が悪いって訳でもなさそうだしな…。

 ともあれ漫画はこんなふうに、時には誰かの人生にすら影響を与えることもあるんだ。


「うぬぅ…どれもこれも捨て難い。『龍球』も良いし『ジュジュ』も侮れん。古くは『ノラだもん』、最近ならば『誰の子』も…ダメだ、絞りきれんッ!」


 最後に残ったあゆかはいまだに苦悩中。いかにもコイツが好みそうな作品から、おおよそイメージとはかけ離れたタイトルまで、実に様々なものを読み込んでいるようだ。


「おいおい、そんな真剣に悩まなくても…」


「いや、本気で悩んだらそれこそ一生かかっても選べない。だが、しかし…ぬむぅっ」


 一見クールビューティーな彼女が、ある意味しょーもないお題で大真面目に悩み抜く様子は、俺たちの周囲で弁当を広げていたクラスメイト達にも滑稽に見えたらしく、あちこちからクスクスという笑いが洩れ聞こえてくる。

 小馬鹿にしたような嘲笑も若干あるが、大半は「なんかカワイイ♩」的な好意的な微笑だ。 いわゆるギャップ萌えってやつだな。表向きコワモテな奴ほど、その効果は絶大だ。

 よしよし、俺たちの狙いは予想以上の効果を発揮してるようだぞ…!


「…よしっ、ここはやはり将来的な期待から、七海奈緒菜作品を…!」


『ソレはここではやめとけ!!』


 作家本人とその関係者な俺たちが、慌てて総出で思いとどまらせた。並み居る有名作家と同列に評価してくれるのは大変光栄だが、ガチな成人向け作家を未成年の巣窟な高校で推すな!

 これでもう誰の目にも歴然だろうが、あゆかは超が付くほどのド天然だ。

 だが、それが思わぬカタチで身を結んだ。


「あ、あのぉ…ちょっといいかな?」

「わ、私達も一緒にお昼食べていい?」


 それまでこちらの様子を興味深げに窺っていた男子グループと女子グループが、思い切ったように話しかけてきたのだ。

 両者ともその手のイベントには欠かさず参加してそうな印象だから、何に反応したのかは明らかだろう。

 他のクラスメイトが驚きの目を向けてくるが、オタクがお仲間を見つけたときの行動力には驚くべきものがあるからな。


「うむ、同好の士が増えるのは歓迎すべきことだ。他の者に異論が無ければ、私としてはやぶさかではないぞ」


 これまた驚いたことに、あゆか自ら率先して彼らを迎え入れた。彼女もまた重度のオタクだから、スイッチが入ってしまったらしい。


「オレ的に女子は大歓迎だけど…そっちの男子、よもやななみちゃんやへぼみタン目当てで寄ってきたんじゃねーの〜?」


「しし失敬な!? 僕たちは君らの漫画知識に純粋に興味を覚えてだねぇ!」


 アホはるきのお決まりの横やりに、男子オタがムキになって反論。すぐにカッとなるのもいかにもオタクらしくて微笑ましい。


「そそそーゆー春本くんこそ明らかに女子目当てだろう!?」


「にゃにをぅ!? オレは元々このメンバーの重鎮としてだなぁ!」


「とか言ってる割にはぁ、昨日は早々にお家から追い出されてらっしゃいましたねぇ〜♩」


「ぬぉうっ!? 何故このタイミングで余計なコト言ってくれちゃうのへぼみた〜ん!?」


 昨日はるきに散々泣かされたことへのささやかな逆襲を果たすへぼみタンだった。

 ちなみに彼女のイチオシ漫画は『つげ式』だそうな。シュールすぎてなんともコメントしづらいっちうか、ウケ狙いにも程があるだろ。


「ななお〜っ、お前もなんかフォローしてくれよぉ〜っ!?」


「日頃の行いのせいだろ。ちなみに俺は女子狙いでここにいる。」


 ブホッ!? 俺の正直すぎるコメントにさよりが激しく咳込み、ななみの箸がへし折れた。


「…へぇー。ななおクーン? そこんとこもう少し詳しく♩」


「先割れスプーンを喉元に突きつけながらの尋問はやめて戴けますかねぇさよりさん?

 てかなんで誰も冗談と受け取ってくんないのかな〜?」


『日頃の行いのせいだろ?』


 満場一致の回答が見事にハモった、その時。


「…プッ…あははっ♩」


 突然上がった明るい笑い声に、皆一様に唖然となった。

 それが、誰もが予想だにしなかった人物の笑い声だったからだ。


「フフッ…こんなに笑ったのは久しぶりだ。

 お前たちと一緒にいると、全然退屈させて貰えないな」


 目尻に浮かぶ涙を指で拭いつつ、朗らかな笑顔を見せるあゆかに誰もが魅了された。

 いつもは無表情で大人びて見える彼女だけど…笑うとこんなに可愛かったんだな。





 結局のところ、そんなあゆかの偽らざる素顔が決定打となって、以降彼女を怖がる者はほとんどいなくなり、積極的に話しかけてくる者も増えた。

 なにしろ見てくれだけは極上の美少女なんだから、潜在人気はかなりのものだったらしい。

 それまでまことしやかに蔓延っていた黒い噂はいったい何だったのかとバカバカしくなってくるほどの手のひら返しだが、世の中なんて所詮こんなもんだよな。

 あるいは、そんなあゆかをやっかんだ輩が故意に流したデマだったのかもしれないが…。


 ともかく、当初はもっと時間を要するかに思えた彼女のイメージ改善計画は、たった一日で見事に成功を収めた。

 …しかしそれと引き換えに、困った問題がまた一つ。

 

「ななお…私への交際の申込みが多数寄せられているが、コレはどう処理すべきだろうか?

 今のところお前以外に興味はないから、なるべく相手を傷つけないよう穏便に断りたいのだが…」


「いや、だからソレを俺にどーしろと!?」


 放課後の帰り道。

 本日何度目かの相談を持ちかけてきたあゆかに、俺は素気無く問い返す。

 昼休みの一件が瞬く間に校内に広がるとともに、そんなチャレンジャーも急増したのだ。

 世間的にはいまだ弱者側に見られがちなオタクですらお近づきになれるなら、自分達ならもっと上手くヤレる!と思った輩が多いらしい。

 無論、そんな浮ついた野郎を受け入れるほどあゆかは甘くはない。

 が、人付き合いに不慣れな彼女は、コミュ障ゆえに対応が甘すぎる!

 そしてまた、そんな告白をされる度にいちいち俺に律儀に報告してきやがったせいで、そのやり取りを周りで見てた他のメンバーからは「えーかげんにせーやこのパカッポー!」的な風当たりが強くなってきていた。


「やっぱハッキリ断った方がいいんじゃない?

 だって、兄貴のコト…好きなんでしょ?」


 半ば辟易した様子のななみが堪らず口を挟んだ。

 昨日、屋上にいた者は皆、あゆかと俺のあられもない逢瀬を目の当たりにした訳だからして、あゆかの気持ちはもはや周知の事実…かと思いきや、


「好き…とは、いわゆる『愛』とか『LOVE』とかいう概念のことか? 誰が誰を?」


『…………は?』


 思いもよらぬあゆかの発言に、皆の目が点になった。


「いや、だって、兄貴に興味があるって…」


「うむ、漫画のネタとしてコレ以上面白いキャラクターにはそうそう出会えんからな!」


 はあ。


「だが、なにぶんにも街中ではエンカウント率が低すぎてなかなか出くわせん。

 これ以上の取材のためには、やはり学校まで出向かねば…という訳で、ななおの口車に乗ってわざわざ登校してみたのだ」


 …はあ。


「そうしたら、なんだかやたらと取り巻きが多くて、なかなか近づけそうになくてな。

 これではイカン!と焦った挙げ句…ああなってしまった訳だ」


 ……はぁ。


「これというのも…ななお、お前がさっさと私のもとに来なかったからだ!

 どうしてお前はいつもあちこちフラフラほっつき歩いているのだ!?

 これからはすぐに私に気づいて、そばに来い! 解ったな!?」


 は…えっ、俺が悪いの!?


「いやいやあゆか、それってよーするに…」


 冷や汗タラタラでそこまで言いかけたななみの口を、いきなりさよりが横から手のひらでピシャン!とシャットダウン。


「余計なアドバイスしないで! この天然お嬢様が根本的なコトに気づいちゃったら、何かと面倒でしょ!?」


 ヒソヒソ囁きかけてるつもりだろうけど、全部筒抜けだからな。


「……っ!?」


 あ、お陰であゆかも今さら気づいたっぽい。

 見る間に顔が真っ赤に染まって、俺と目が合うなり慌てて逸らして…判り易っ!

 よもや、これほどまでの天然だったとわ。


「…俺を手に入れられるなら、お前はどんなコトでもしてくれるんだったな♩」


 ついイタズラ心であゆかに囁きかけてやると、彼女は今にも人体発火しそうなほどに火照りまくって、


「それは…とりあえず保留に願いたい」


 だろうな。でも既に散々オイシイ思いはしたし、それ以上は望まねーよ。


「だが、まぁ…私の気持ち自体は…今もさほど変わらん。

 …返事も当面保留でいいからな?」


 …おんやぁ? 今度は俺の顔がどんどん熱くなってきた。


「なっなおくぅ〜ん? 解ってるよねえ〜ぇ?」


 ヒィッ!? さよりがまたしても俺の目元に先割れスプーンを突きつけて!…ってスプーンならさほど怖くねーか?


「私、目玉焼きの黄身は最後まで取っておく主義なの。周りから食べ進めて、残った黄身をグチャアッて突き刺して、中身をチューチュー吸い尽くすのがだぁ〜い好き♩」


「…イエス・マム!! すべて了解ですッ!」


 うーん、猟奇的なカノジョ♩





 さて、家に帰ったら夕飯もそこそこに、俺たち漫画班は新作の執筆に没頭だ。

 へぼみが来て以来ずぅ〜っとバタバタしてたせいで、予定が遅れに遅れてるからな。

 そこでいよいよ期待の大型ルーキー、あゆかの御登場♩


「…三ページ目の仕上げ終了。ななみ、次はまだか?」


「ぅげっ、もう!?」


 ななみからは既に凄まじい手腕だとは聞いていたが、これまた予想以上だった。

 モブシーンだろうが背景だろうがトーン処理だろうが、満遍なく速い!

 作家がこの種の作業をアシに丸投…一任するのは、それだけメンドくてシンドいからだ。

 しかしあゆかは嫌な顔一つせず率先して請け負い、瞬く間に仕上げて次の原稿を催促する始末。こんなアシスタント見たことない。


「ではデジタルの方を進めよう。ななお、指示を」


「お、おぅ…じゃあこのコマ、この位置に観客のモブを」


「承知した」


 さらにあゆかの強みは、アナログもデジタルも両方イケることだ。これによりななみのペン入れの終了を待つことなく、効率的に作業を進められる。

 もちろん仕上げは丁寧で完璧、描き損じが一点もない。

 それどころか、モブを描いてるところを観察してて驚いたが…やはり下画きを一切していない。その指先からななみの絵柄に似せたタッチの観客達が、魔法のように続々と描き出されていく。


「ハ、ハハ…スゲェなこりゃ…!」


 『思い通りに絵が描ける!』な〜んてどこぞのペイントソフトの煽り文句みたいな芸当は、大多数の人間にとっては不可能なはずだか…

 それを目の前で実証されてしまうと、もはや渇いた笑い声しか出てこない。


「ゔゔ…ま、負けてらんないわね…!」


 これだけの神技を目の当たりにして、本気を出したななみの技量も目覚ましい勢いで伸びている。

 元々はあゆかをウチに連れてくる口実に過ぎなかったアシスタント業務だが、これは思わぬ化学変化だ…!


「…そういや、あゆかも自作の執筆途中だったろ? 余裕があるなら此処で進めて貰っても構わねーぞ」


「いや、アレはあそこで行き詰まって、どうしようかと思い悩んでいたところだったのだ。

 此処に来たことで新たなアイデアが思い浮かんだが…それには全面的な描き直しが必要だ。

 故に今しばらくは技術習得のため、アシスタントに専念したい」


 作家にとって最も必要なのは、自己の技量の見極めと、何度でも練り直す忍耐力だが…あゆかはそれを最初から持ってる。

 ここまで凄まじい実力を持ち合わせながら、それに慢心せず貪欲に技術を学ぼうとする姿勢には、素直に感心してしまう。


「…ぬぬ…ふぅんぬぬぬっ…あ゛ーっもお!!

 なんっっっでこんなに描けないかなァーッ!?」


 もちろんななみにもそんな真摯な姿勢は見受けられるものの…コイツのいちばんの欠点は、上手くいかないとすぐに癇癪を起こすことだ。


「…アレは放っておいて良いのか?」


「ああ、いつものことだ。そのうち自己解決するから放置で結構」


「とはいえ、こうもやかましいと耳障りだからな…。

 ななみ、問題があるなら手伝おう」


 仏心を表したあゆかに、元来他力本願なななみはギュルンッ!と物凄い勢いでターンチェアを回して振り返り、


「じゃあこの大ゴマに、ギンッッッギンに勃起したチ◯コのドアップをお願いッ!!」


「ちん…………。」


 興奮気味に叫んだななみに、あゆかはたっぷり十秒間は硬直し、


「…それは…つまり…私に男性器を描け、とゆーこと…か?」


「当ったり前でしょ!? あのねぇ、うちらが今どんな漫画描いてんのか、解ってる?」


「いや、それは当初から重々承知しているし、己の糧になるならばと覚悟…というか諦めもついているが…」


 いつもは毅然としたあゆからしくもなく、ずいぶん回りくどい言い回しの挙げ句…


「…なにぶん、まだ…男性器というモノを見たコトが無く…」


 顔を真っ赤にしたあゆかのいつになく可愛らしい、そして意外といえば意外な告白に、俺たちの時間は再び凍結した。

 さすがは純粋培養のお嬢様といえなくもないが…それが本当だとすれば、つまり。

 巷に蔓延っていた、あゆかが夜な夜な派手に遊び回っていた…という噂は、根も葉もないデマだった…ってことか?


「え…ってことは、あゆかってまだ処」


「なーんだ、そんなコト!?」


 俺の一番重要な質問を遮って、ななみは意気揚々と、


「見たコト無いなら見てみりゃオッケー!

 Hey! レッドスネーク・カモンッ☆」


「ほい来た!」


 いつも通りのおバカなノリに、俺も至極自然にズボンをずり下ろし、


「ほぉーーーーら見てごらんっ☆」


 ズンベラリンチョと下半身を露出した。


「ッッッッ!!!!????」


 それを目の当たりにしたあゆかの顔が、真っ赤を通り越してドドメ色に染まる。

 当然といえば当然な、しかし俺たちにとってはいつぞやのさより以来久しく見てなかった新鮮な反応に…俺たち愚兄妹は今さら青ざめた。


「…ヤッッッベェ、これモロセクハラぢゃん!?」…と。


「…な、なるほど…コレは願ってもない参考資料だな。」


 そしてまたあゆかの冷静さも、俺たちの予想の遥かに斜め上をいくフラットぶりだった。

 ずいぶん無理してるのは見え見えだが、早速スケッチブックを取り出して、


「まずは記録だ」


 呟くなり、瞬く間に俺のオレを真っ白い紙面に克明に描き起こしていく。

 これまた当然のように上手く、ほとんど写真並み。あまりにもリアルというかグロテスクな描写で、ソレを所持している俺の方が軽く引くほどだ。


「…なんなら触ってみてもいいぜ?」


「それは遠慮させて戴く。そのまま動かないで貰えるとありがたい」


 俺の申し出を一刀両断したあゆかは、この短時間ですっかり落ち着きを取り戻し、画家に徹した視点で俺の股間を凝視し続ける。

 こちらを静止させた代わりに自分の方が動き、様々なアングルから何枚も怒涛の勢いでスケッチを仕上げていく。

 自分のチ◯コながら、まるでダ・ヴィンチの肉筆画を間近で鑑賞するかのようなアカデミックな気分になってきた。

 それにしても、あゆかのような美少女が俺の局部にかすかな鼻息を吹きかけながらかじりついてるというのは、背徳感ハンパない訳で…


 むくむくっ…パオ〜〜ン♩


 あっヤベ、おっきしてしまった。


「う、動かすなと言っただろうがッ!?」


 にわかにトランスフォームした俺の俺に顔を引き攣らせたあゆかが、あからさまに動揺している。コレはコレでなんか…イイ♩


「それにしても…お前たちは兄妹で…夜な夜なこんな変態行為を?」


 次第に慣れてきたのか、スケッチよりも観察時間の方が長くなってきたあゆかが興味津々に尋ねる。やっぱそこ気になっちゃう?


「ちょっ人聞き悪いわねっ!? あたし達は実の兄妹じゃないから変態じゃないっつーの!」


 溜まりかねたななみが反論するが、兄妹だろうとなかろうと変態には相違ないと思うぞ?


「なるほど。…いや、ちょっと待て?

 今の言葉、プレイバックを要求する!」


 懐かしいの知ってんなコイツ?

 てか、あゆかにはまだ言ってなかったっけ?


「ということは何か? ななおはさよりという恋人がありながら、血の繋がらない妹に加え、赤の他人のへぼみやていちと同居を決め込んでいるのか?」


「いやへぼみはHWMで俺がマスターだし、ていちは教師で監督官の立場だし…」


 無論とっくに手は出してるけど♩


「ななお的には?」


「大変美味しゅうございます。」


「う〜む…予想以上に破廉恥極まる由々しき事態に陥っていたとはな…」


 思わず素直に認めてしまった俺の顔と股間とを交互に見据え、あゆかは腕組みをして考え込んでしまった。

 とりわけ股間に目をやる頻度が高い気もするが…てか、スケッチ終わったならそろそろしまってもイイすか?


「…よし、寝よう。」


『…は?』


 思わぬあゆかの提案に、俺とななみがつんのめる中、件の彼女は壁時計を指差し、


「いつの間にかもう結構遅い時刻だし、これ以上は明日の体調に支障をきたしかねん」


「明日からはまた連休じゃん? もう少し頑張っても…」


「寝る子は育つ。ななみは寝ないからいつまでもそんな偏平胸…」


「そんじゃあオメーは寝過ぎだろがいっ、こん化け乳がァッ!!」


 またしても不毛な言い争いになりかける特大と極小コンビだが、あゆかの説得力の強さは乳だけに及ばず。


「私がスタッフに加わったことで、数日分程度の遅れならとっくに挽回できたはずだ。

 今後もななみの筆が進まん以外の理由で作業が遅れることはあり得ん。

 悪いことは言わん、さあ寝ようすぐ寝よういま寝よう!」


 何故にそこまで皆を寝かしつけたがるのか?


「ねぇ兄貴…コレってやっぱフラグってゆーかトリガーだよね?」


「…だな」


 兄妹でこっそり囁き合ってから、俺たちはおとなしくあゆかに従うことにして今日の作業を終えた。





 そして深夜。

 異様な寝苦しさに目を覚ました俺の目に飛び込んできたのは…海底から獲物めがけて襲いかかる、ジョーズのごとく盛り上がったシーツの塊。


「…何やっとんぢゃい、あゆか?」


「む…いわゆる一つの夜這いだが、なぜ判った?」


 判らいでか。


「あんだけ寝ろ寝ろ言ったら、夜中になんか仕掛けてくんのは一般常識でしょーが!?」


 布団を跳ね除け起き上がったのは、寝室のあちこちで雑魚寝していたななみをはじめとするその他全員。

 こんだけ大勢集結してる場所で夜這いを仕掛けるとか、正気の沙汰だろうか?


「しかもまた性懲りもなくエロ服だし!」


 上は先日屋上で見た純白のホルターネックブラに、下は尻や具がモロはみ出たTバック。

 寝入ったときのあゆかは普通にロングTシャツとレギンス装備だったはずだが?


「何故だ…何故この家の連中は我が想いを遂げさせてはくれぬ?」


「それは私がカノジョだから!」

「それはあたしが妹だから!」

「それはあたしがHWMですから〜!」

「それはあたいが教師だからだー!」


 誰が誰のセリフかは言わずもがな。よくよく考えたらおかしなのも混ざってるが。


「…いったい何をそんなに焦ってんだ。お前の気持ちは、まぁ…知らない訳じゃないし、ありがたいとは思ってんだが?」


「…だが、応える気はあるまい?」


 うん。だってさより達の前で応えた瞬間に撲殺ケテーイだし。


「本来ならば、私も気が長い方なのだが…もうそんな余裕もないし…お前はとりわけ放ってはおけない。」


『…………。』


 あれっ、なんでみんなして押し黙ってんの?

 もしかして、あゆかに共感してる?

 俺ってそんなに信用できない奴!?(※ド天然)


「ななお、お前という奴は…いったいどうすれば私のものになってくれるのだ…っ!?」


 いつになく思い詰めた様子で、あゆかは聞き分けのない駄々っ子のように同じ質問を繰り返す。

 いや、だからそれは…と俺が女々しい言い訳を探し始めた、その時。


「ッ!?」


 突然あゆかが胸を抑えてうずくまった。


「しまった…興奮しすぎた…っ!」


 無表情な顔をやや苦しげに歪めて、あゆかは吐き捨てるように呟いた。

 元々寡黙な奴だからか、それほどパニクった様子もなかったが…皆すぐにピンと来た。

 次第に意識が薄れて昏倒する、この症状は…先日の屋上のときと同じだと。

 やがて意識を失う寸前、あゆかは俺にすがりついて…


「…無念だ…っ」


 その目に光る涙にハッとした俺の腕に、深く沈み込んで…あゆかは静かに眠りについた。

 途端に全身にズシリとのしかかる、尋常じゃない重量。いつもは意図的に荷重操作している彼女が本格的に昏倒した証拠だ。


「ったくも〜、しょーがない…」


 やれやれとあゆかの回収に取り掛かったななみだったが…途中で何かに気づいたように、あゆかの身体から離れた。

 そして、彼女の顔の前で手のひらをパタパタ振り乱す、何やら奇妙な動作を繰り返し…その顔が瞬く間に青ざめていく。


「…兄貴…あゆか、息…してない。」


 …へ?


「…死んでる…あゆかが、死んでる…っ!?」


『……んなっ!?』


 パニクりかけた俺たちの周囲に群がった皆が、てんでにななみと同じ動作を繰り返して…やはり同じように青ざめた。

 う、嘘だろ? 確かに主治医なんて着けてるくらいだから、どこか調子が悪かったのは事実だろうけど…こんな急に…?

 いざ、こんな場面に出くわしてしまうと、悲しみよりも先に現実味の無さばかりが広がって…いったいどんな顔をすれば良いのか判らない。


「あゆか、ねぇちょっと…目を開けてよ…嫌だよ、こんなの…っ!?」


「あゆかさん…ダメでしょ? まだ…勝負の途中だったのに…っ!」


 ななみとさよりの涙声が次第に熱を帯びる中…さすがは大人の余裕か、ていちは腕組みをして考え込んでいたかと思えば…


「…お前ら、よく聞けー。あゆかはなー…」


「せんせぇ? そのお話はあたしの診断の後でお願いしますぅ〜♩」


 こんな時までのほほーんとていちの言葉を遮ったへぼみが、あゆかの亡骸相手にお医者さんゴッコをおっ始めやがった。


「…瞳孔拡散〜…呼吸なし〜…心拍数フラット〜…体温低下確認〜…

 あゆかさんは完全に機能停止されました〜」


 そんなへぼみの余計な一言が、いまだ混乱状態にあった俺の頭をぶん殴った…ような気がした。


「…機能停止…だと?」


 腹の奥底から煮えたぎったマグマが込み上がってくるように、全身がカァーッと熱くなってきた。

 あゆかの死に際して、俺が感じた最初の感情は悲しみなどではなく…その死を軽視したへぼみへの激しい怒りだった。


「あゆかは人間なんだ…お前と一緒にすんなッ!!」


 俺の叫びにななみとさよりも「そうだそうだ!」と同意する。

 とりわけ、いつの間にかあゆかと親友と呼べるまでに仲良くなっていたななみの憤りは俺以上で、へぼみの襟首を締め上げて、


「なんで…どうしてあゆかが!? どーせならアンタが死ねば良かったのにッ!!」


 などと喚き散らしている。さすがに言い過ぎだろうとは思う反面、心のどこかで大いに頷いてる自分も確かにいた。

 そんな阿鼻叫喚の最中、またもていちが、


「お、落ち着けお前らーっ! へぼみが言いたいのはそーゆーことじゃなくー!」


 この期に及んでどうしたんだコイツは?

 いつになく歯切れが悪いじゃないか?


「…せんせ、ここはあたしにお任せあれ〜♩」


 自分がこれだけ非難の集中砲火を浴びている最中だというのに、へぼみがまたもやのほほんと口を挟む。


「それでは皆さん〜、これからあゆかさんの再起動作業を行いますのでご協力ください〜♩」


 再起動だと!?…まだそんなコトほざいてやがんのかコイツは!

 おーおーやれるもんならやってみやがれ!!


「ではまずぅ…マスター、あゆかさんのメンテナンスハッチを開けてくださいますか〜?」


「ハッチだぁ? どこにあんだよそんなモンが!?」


「あゆかさんの首の後ろを手のひらで掴んでみてください〜。隙間が出来ると思うのでぇ、後は簡単に開きますよぉ〜♩」


 へぼみに言われるままに、ホルターネックブラをずらして首筋をさすると、パコンッてな具合に皮膚の一部がズレた。

 そこから指を差し込んで手前に引くと、内部にはディップスイッチやコネクターが…。

 なるほど、思えばあゆかは首筋が隠れる服装ばかり好んでいたけど…コレを隠したかったんだな。

 …って、いやいや…イヤイヤ重要なのはソコじゃ〜なくっ!!


「ま、待てやコラ…なんであゆかにこんなモンが付いてんだァッ!?」


 半狂乱になりかけた俺たちに、へぼみはちょこんっ☆と可愛く右手の人差し指をおっ立てて、


「それはもちろん…あゆかさんがHWMだからですけど、何かぁ〜?」


 …は?…はぁ!?

 ハァア〜〜〜〜〜〜イッ!!??




【第六話 END】

 今回は黄金週間中の執筆だったので、執筆ペースが大幅に低下して大変でした。休める時にはしっかり休むのがポリシーですので(笑)。

 あと最近、他の小説アプリにも投稿を始めまして。他作品と並行して制作せにゃ〜ならんので混乱しまくりです。まだまだ不慣れなもので。

 さらには最近話題の太陽フレアの影響かどうかは不明ですが、ここ数日に渡り通信障害が出ていたせいで、更新作業がすんごい大変でした。


 などと一通りの言い訳が済んだところで(笑)。

 前回から何かと不審な動きを見せていたキャラが多いですが、その行動理由が最後までお読み頂ければある程度理解できるかと。

 人間が追い詰められると、そうそう理路整然と行動できる者はいないと思いますので。


 てな訳で、次回で雫石あゆか編は解決となる予定です。

 無事に終焉を迎えるかどうかは判りませんけどね…フフリ。

 これまでの作品でも散々描いてきましたが、作者は何の代償も伴わないハッピーエンドってやつが大キライですので、今回もキッチリお支払い頂きます(笑)。

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