転生考察~なぜ『電車』ではなく『トラック』に轢かれるのか~
小説家になろうでおなじみのファンタジー作品『異世界転生もの』
これらの作品の冒頭のシーンにて、主人公は現実世界において一度死亡して異世界に転生することになるのだが、今回はその死亡原因にもっとも多く採用されている『トラックによる交通事故』について考察をしていきたいと思う。
主人公は一度命を落とした後、世界を管理する女神的な存在に招かれる。
そして女神の手違いで死んでしまったことを謝罪され、そのお詫びとして女神から『チートスキル』を授けられて異世界へと転生して無双する。
……というのがテンプレなので一見すると死亡原因は別に何でもいいように思える。
なのでトラックではなく通勤や通学の手段としてなじみ深い『電車』に轢かれるのでもいいのでは、と思ってしまう。
だが実際の作品たちを見てみるとトラックに轢かれるほうが圧倒的多数を占めている。
トラック自体が異世界転生の代名詞とも言われているぐらいだ。
では、なぜ異世界転生の主人公はトラックに轢かれるのか?
今回は作品をヒットさせる上で作者がなぜ電車ではなくトラックを選ぶのか。その合理的な理由について考えていきたいと思う。
第一の理由。それは主人公が電車に轢かれるとグロシーンになってしまうというものだ。
電車はトラックと比較すると質量がかなり大きく、衝突したときの衝撃がより大きなものとなる。
一般的な中型トラックが8トン未満なのに対し、電車は乗客の乗っていない状態で約30トンの質量をもっている。
なので主人公がうっかり電車に轢かれると死体がバラバラになってしまうようなスプラッターな描写になってしまうのだ。
異世界転生の読者は主人公の冒険活劇や無双ハーレムを楽しみに来るのであって、物語の冒頭から手足や肉片がはじけ飛ぶような、そんなシーンを見せつけられたらどうだろう?
おそらくかなりの読者が引いてしまうのではないだろうか。
主人公はこの後に女神の力で生き返るので、別にどんなにボロボロになってもいいのだが、あまり凄惨な事故描写をしてしまうと物語が始まる前に読者がドン引きして離脱を招きかねない。
開幕の人身事故で嫌な気分になった読者が「この作品はこの後もグロシーンばかりかもしれないから別の小説を読もう」と思ってしまっては、せっかく本編が面白くてもそこまで読んでもらえないだろう。
トラックはその辺のダメージ描写はかなり抑えることができる。
トラックにはねられた主人公は吹っ飛ばされて全身を強く打ち、頭から血を流して絶命する。
この時、手足や頭が千切れたりというような描写はせず五体満足の状態でも特に違和感はない。
だが轢かれるのが電車だとさすがにこうはいかないだろう。
衝突の衝撃で手足が吹っ飛んだり、固定されたレールと車輪の間に挟まれて死体がズタズタになってしまったり……と現実で出くわしたら目を覆いたくなるようなことになってしまう。
このようなシーンを開幕から見せるのは作品を読んでもらう上でマイナスになる。
それなら別に『電車に轢かれた』という事実だけを書いて、死体の描写などそういう内容は書かなければいいんじゃないかと思うかもしれない。
確かに直接的なグロ描写を書いた場合と比べれば読者の離脱は少なくて済むだろう。
だが人間には想像力があるのでそういうシーンが描かれていなかったとしても、『電車に轢かれて死んだ』と書いてあったら、賢明な読者様は死体がどういう状態かあれこれ想像してしまうものだ。
なのでやはり悲惨な電車の事故は避けておいたほうが無難だ。
もちろん「グロ描写が平気」という読者も中にはいるだろう。だが全体としてはかなり少数派と思われるので、作品のヒットを望む作者が電車による事故を選ばないのは仕方ないのだろう。
以上が第一の理由である。そして続いてが理由の二つ目だ。
第二の理由。それは電車の事故による被害額の大きさである。
電車は多くの乗客が毎日利用するのでもし事故で止まってしまうと大変なことになる。
億単位の損害賠償が発生し、鉄道会社から遺族に請求がいったなんていう話を聞いたことがある方もいるだろう。
主人公はどうせ異世界に転生するんだから現実世界のことはどうでもいいんじゃないの? と、思われるかもしれないがなかなかそうも言いきれない。
主人公には現実世界に未練なく、異世界に旅立ってもらわなければいけないのだ。
主人公は異世界で無双してハーレムを築いているが、残された家族は鉄道会社との慰謝料を巡る裁判で毎日苦労してる……みたいなことになってしまうとせっかくの異世界を主人公が楽しめない。
普段、善良に生きられている社会人の読者さまは、自分が死んだあと残された家族への迷惑とか、鉄道が止まったことへの社会全体への迷惑とか、そういうことにどうしても考えがいってしまうだろう。
それでは気持ちがもやもやしてせっかくの異世界ライフが魅力半減だ。
主人公の目標もいずれ現実世界に帰還して、残された家族を助けることとかになりかねない。
主人公の家族がクズ親だとか、主人公は社会に迫害されている等の設定を追加すればこれらの問題は一応解決できる。
だがそうすると主人公が親や社会から迫害されているようなシーンを冒頭に入れないといけなくなるので、肝心の異世界に転生するシーンが遅くなってしまう。
転生作品の読者は作品の展開のスピード感を重視するので、小説の冒頭数行で主人公が死亡し転生するのが望ましい。
転生する前の現実世界での人間関係の描写などをだらだらやっていては、やはりこれも読者の離脱を招くだろう。これもできれば避けておきたいところである。
トラックに轢かれた場合の被害はトラックの修理費用と、それとトラックの貨物が特定の日時までに届けないといけないものだった場合、その賠償費用だろうか。
少ない額ではないだろうが、電車の場合と比較すれば被害は小さく済みそうだ。
そしてこの後、第三の理由で述べるのだが、これらの請求が主人公の遺族にくることはないケースがある。
それでは最後、第三の理由。
それは轢かれて死んだ主人公はあくまで被害者でなくてはならないということだ。
普通に生きていた主人公はいきなり事故に巻き込まれ、その謝罪として女神からチートスキルを授かり異世界に転生させてもらうのだから、主人公の立場として死んだのは自分の過失ではなく、不幸な事故でないといけない。
主人公の不注意、赤信号の無視、踏切の遮断機内への侵入などの結果事故にあったのでは、女神に謝罪されてチートスキルを授かるという物語の構図が成り立たなくなってしまう。
別に主人公が不注意で死んだ結果、特に理由なく女神から同情されてチートスキルを授かっても自由なのだが、それでは読者の共感が得られないだろう。
「主人公が死んだのは自業自得なのになんでこんなに優遇されているんだ」みたいに思われては主人公に感情移入してもらえず、遠からず作品から離脱されてしまうだろう。
ではなぜ主人公を被害者として描写するうえで、トラックのほうが電車より向いているのか。
それは両者が走っている場所に関係している。
トラックが走っているのは歩道に隣接した車道の上だ。
歩道と車道は地続きになっており、隔てているのはガードレールくらい。あるいはそれも存在せず、白線で区切られているだけの場合も多い。
歩行者が道路を横断する場合、白線で引かれた横断歩道の上をいくわけだが、これは車の行き交う道の上であり、車と歩行者の衝突を妨げるものは物理的には何もない。
この場合だと主人公は普通に歩いているだけだったとしても、トラックの運転手側のミスで容易く事故の被害者になりうる。
なので運転手のよそ見、居眠り運転などでトラックが急に突っ込んできて、主人公は避ける間もなく轢かれてしまう……というようなシーンが描きやすいのだ。
この場合であれば運転手に過失があるので、先に書いた事故の被害額などを残された主人公の遺族は払わないでよさそうだ。
主人公も残された家族を心配することはなく、異世界での第二の人生に集中できる。
対して電車がどこを走っているかというとあらかじめ敷かれたレールの上なのだが、乗客が待つホームとは仕切られていて、よほど運転を間違っても電車がホームに乗り上げて突っ込んできたりはしない。
そのため主人公が電車に轢かれるには、ホームから飛び降りてレール内に侵入する必要があるのだが、レール内に勝手に侵入するのは違法なので、そうすると事故が主人公の過失によるものということになってしまう。
なのでどうしても主人公を電車の事故で転生させたい場合、主人公にできるだけ過失がないような形でレール内に入ってもらうしかない。
まず考えられるのは恨みをもった誰かに突き飛ばされ、線路上に落ちてしまうという理由だ。
だが恨みを持たれた理由が主人公の浮気だとか、会社での不正とかだと、死んだのは主人公の自業自得だということになってしまう。
なので主人公に罪はないが一方的に恨まれてしまうようなシチュエーションを考えないといけないのだが、そうなると主人公の背景描写を細々としないといけないのでやはり転生までのテンポが犠牲になってしまうだろう。
もう一つはレール内に落ちた誰かを助けるため、というシチュエーションだ。
トラックで転生する場合、轢かれそうになった子供や子猫を助けるため主人公が飛び出して犠牲に……というシーンはよく見る。
なので同じように電車にも当てはめられるように思えるが、実は意外とハードルがある。
まず山手線などにはほとんどの駅にホームドアが設置されており、利用客がうっかりレール上に落ちてしまうようなことがまずない。
何とか理由をつけて誰かが線路上に落ちたことにして、それを主人公が助けにいくわけだが、落ちた人物が意識があるか、怪我をして動けない状況かどうかなど、助ける上で確認することが割と多い。
線路にあと何分で電車が来るかの描写も必要だ。
電車が来るギリギリではそもそも助けられないし、余裕があるなら非常ボタンを押したほうが早い。
また最終的には主人公は電車にはねられて死亡しなくてはならないのだが、線路内には落ちてしまった人が電車との接触を避けられるスペースがある。
ホーム下には避難用の空間が設けられているので、そこに潜り込めば難を逃れられる。
作者はこのスペースを主人公が利用できないなんらかの理由も考えないといけない。
これらの描写をしっかりと書き、主人公がやむを得ない状況で死亡に至るシーンを作るには結構な文量がいる。第一話~第二話くらいが全部、駅のホームのお話になりかねない。
これが電車ではなくトラックならもっと短くて済む。
トラックに轢かれそうになった子供を主人公が庇って吹っ飛ばされるだけでいい。
なので、やはりここでもトラックに分があるだろう。
以上、これらが筆者の考える、異世界転生にて電車ではなくトラックに轢かれる理由だ。
まとめると、電車による事故は読者が引くような凄惨なシーンになりやすく、賠償費用などのめんどくさい内容が尾を引いてしまうことになり、そして走っている場所の関係から主人公を純粋な被害者として描写しづらいのだ。
いかがだっただろうか。毎回同じ原因で死亡している異世界転生の主人公たちだが、このトラックに轢かれるシーンの裏には作品を成功させるための重要な要素が含まれていたのだ。
読者の皆様が作品を楽しむ上での一助になれば幸いだ。
そんなところで今回は終わろうと思う。では、またの機会に……
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