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アンコール・ティーン  作者: こなゆ
2/3

第一章〜いちかばちかの奔走〜

気づいたら、朝だった。死んだはずなのに、自分の布団から目が覚めて不思議な感覚に苛まれる。事故に遭う夢でも見ていたのだろうか。いやあの事故は現実に起こったことだ。その確信だけは何故か持てた。頭の中に浮き出た場面があまりにも現実的すぎたからだ。

 「四月十六日金曜日……。」

 日付を見て、時の進行を確認した雷育は、身支度を整え、歯ブラシを加えながら、生前(?)のような腑抜けた様相でいる。まるで世界の異変や転生になんて全く興味がないかのような眠そうな顔。その面持ちのまま、何事もなかったかのように、一階に降りて親がいるリビングに入った。

 「おはよう。」

 「おっ……」

 言葉に詰まった雷育。

 (やっぱり、俺が事故に遭ったこと、忘れてんだな、母さんも。あのおっさんの言うこと、そのまんまじゃねぇか……)

 先日見た暗室の中のおっさんをなるべく忠実に思い出してみた。

 「なんだ、死んだ魚のような目をして。早く学校に行け、お前を見ているだけで気分が滅入るわ。」

雷育から見て母親の奥側に座っていたいかにも悪の権化である父親を盛大に無視した雷育は、歯磨きの最終局面を終えて、洗面台の定位置、四本の歯ブラシが差さっているコップにもう一本戻してから玄関に向かった。その途中僅か三十メートルの移動中に家の隅っこに縮こまって怯えている弟と妹を発見した。雷育はその頭を軽く撫でてから颯爽と家を後にした。

「にいに。」

「お、おう。」

家から出ていったところを呼び止められた雷育は、振り返った視線の先にさっきは気付かなかった、頬に残ったぶたれた跡を見つけた。

「芽育、またやられたのか……」

もうやられる方は愚か、見る方も慣れっこなので特に驚きは見せなかったが、改めて自分の妹の惨めさに拳を握った。その脇を軽自動車が一台、時速七十キロメートルはオーバーの速度で通り過ぎた。通勤に急いでいる様子が運転手からも見受けられた。そんなことしてたら事故るぞ、と経験者は胸の内に思う。

「ねぇ。」

「ま、我慢しとけ……」

「にいには小さいときからなんでこんなのに耐えられたの。めい、もう無理そう……。ていにいだって辛いのに泣くの我慢してる。」

雷育は一瞬返答に困惑する。

「自分なんていないんだと思っておけ。世界の中でちっぽけな存在。誰も見向きはしてくれない。そうやって残酷な世界に見切りをつけたら、こんな生活すぐに終わってくれる。じゃあな。」

何もしてやれない甲斐性なさに後ろめたさもありながら、どこか自分が耐え抜いてきた日々を弟妹が今度また強いられたとしても、自分と同じように乗り切って欲しいという気持ちがあるのかもしれない。

「そんなのやだ!」

妹の苦心の叫びを背にして、耐えることも容易になった自宅前の道筋をその声が聞こえなくなるあたりまで自転車を押して小走りで掛けていった。

わが椿木市の中央にそびえる椿木中学校。立派な校舎がそびえたつその私立中学校は設備も公立中学とは訳が違い、金を沢山つぎ込んでいて恵まれた環境で勉学に励むことができる。にもかかわらず、その校門を雷育は軽い舌打ちをしながらまたぐ。

「こんなとこ、もう来なくていいはずだったのに……」

自転車置き場から校庭の端を独りで歩いていく。時刻はというと、ホームルーム開始まで約二分の八時二十八分。もう大抵の生徒が教室内で先生が教室に来るまでの間の世間話を楽しんでいる中、雷育はその耳障りな雑音を回避するためにも丁度このくらいの時刻を狙って学校に来る。校庭に生徒はほとんどいないが、雷育の見渡す限りで唯一発見できた女子三人組が前で少し先を急いでいる。

若干強い向かい風が吹いた。

思わず雷育は立ち止まった。時が止まったように思った。雷育はドキッとした。アニメのワンシーンみたいに、そう、出会ってしまったのだ。誰か見知らぬ人が前の方で何かしている。ただそれだけなのに、興味なんか持たないはずなのに、何故か一瞬目を惹かれた......。

......。

感動も束の間、前の方でまた会話が続いてる。

「あいたたた。転んじゃったー」

「何やってんの、いち。もう小学生じゃあないでしょー!?」

「うぅー…。でも今の風、強かったよ!」

「まあ小柄なお子ちゃまには耐えがたいものがあったかもね。」

「もう!このねはいっつもそうやっていちを馬鹿にして!」

ここらへんで雷育は我に帰る。目の前で夫婦漫才が繰り広げられていた。

「まあまあ、いっちゃんもこのちゃんも。チャイムに間に合わなくなっちゃうよ。」

いい感じにバランスの取れたトリオは全員一致で急ぐことを決めて、走っていく。

「さて、俺も向かうか」

漫才を歩きながら一瞥していた雷育はペースも変えず歩を進める。遅刻して教師に叱られることなんかなんとも思ってない、正確には、怒られようが怒られまいが興味のない雷育は、体内メトロノームでも持っているかのように一定の速度で教室に向かう。

向かった二年三組の教室は、まだ十日も通っていないので新鮮だ。端からクラス編成に興味なんてまるで持たない雷育は誰一人覚えてないし、なんならまだ顔すら見たことない人がいるのは勿論のこと、他の生徒もクラス全員の顔と名前は一致していないだろう。

雷育はギリギリ定刻に間に合った。その瞬間、得も言われぬ空気が漂う。どこか小声が混ざりあい淀んでいることにも慣れ切っている。厳格な生活指導の教師が入って来たような空気と似ている。周りでは、唐突にコショコショ話を始める輩もいる。内容なんて分かりきったことだが。教室の中はと言うと、最先端で黒板の前にはプロジェクターとスクリーンが備え付けられている。前から二番目、窓際の自分の席に腰を下ろす。

「げー、転んだとこ、血ぃ出てるー……」

さっきの子だ。独り言のように呟いている。雷育は彼女と同じクラスであることを初めて知った。

その女の子はスカートの中に何やらいやらしい桃色に水玉模様の影を見せてしまうくらいに高い位置に持ってきた膝を両手で抱えながら痛がっている。

「せ、先生。さっき転んでけがしちゃって、あの、保健室に行っても、いいですか?」

女の子はホームルームに来た五十代のお母さんという表現がこの世で一番似合うであろう女性担任に第一声を浴びせる。

「あらあら、擦り傷もねぇ、馬鹿にできないわよ。行ってきなあさい」

持っていた出席名簿を教卓の上に置いた担任は優しい声でいちかに伝えた。あっさりと許可を得た女の子は膝を抱えながら、イテテと独り言を言いながら千鳥足で教室を出ていく。

「さて、榎戸さんはいないけど、出席取るわよ」

担任教諭の声に一同が前に向き直す。


 一時間目の後の休み時間。

 「いっちゃーん。大丈夫だった?」

 「もう相変わらず、ドジっ子なんだからー」

「ごめんごめん、でも、けがは大ジョーブ♪」

「まったく。すーぐそうやって。お転婆すぎて、いつか悪いおじさんに誘拐されそ」

廊下側の一番前の席に集まった女子たち。さっき校庭で一緒にいたのとは違う子たちと楽し気に会話を弾ませている。新クラスでもう友人がいるのはあのキャラが功を奏していると言っても過言ではない。

そんな会話をぼんやり眺めつつ、自分の人生から興味を失った男、雷育は神(?)との会話を脳裏に蘇らせる。

「好きと伝えられれば、万々歳で天国に送ったるわい」

不思議な感覚の中で言われた言葉を回想する。

「んなん、俺には……。でもこの世界にいなくて済むなら試す価値はある……か」

流れている風景を眺めているだけ。音楽を聴いて世界との接点を断っている。誰もこの世界にはいない。そんな感情には慣れっこだ。でも、昨日のことは珍しかった。『考える人』のポーズを見事に再現させながら考えあぐねる。そんな男の漏らした独り言だった。

「どーしてそんなつまんなそうな顔してんのー。こっちもじろじろ見てたような……。もしかして、君がいちを誘拐する不審者さん!?やーめーてーねー!美味しくないヨー!」

女の子がやってきた。学級全体が静かな騒然を起こしてこちらの方を向いている。後ろ髪はショート寄りのセミロングで自然とおでこが出ている。大きい球のついた髪留めで上の髪をくくって漫画で言う所のアホ毛のように寝ぐせをつけている。スラっとした体形に吐出した部分は見られず、女子の身体を魅力づける部分もまな板という表現がぴったりなほど、そうまったいらだ。セーラー服のリボンもピシッと決まらず、短いスカートから覗く右膝に絆創膏がつけられていた。さっきまで数十メートル先で会話を楽しんでいたのに、少しぼんやりしている間に数メートルまで迫って来ていた。すぐ前にある教壇の上の教卓と見比べると、高低差が感じられず、わかりやすいふくれっ面でそこに立っている。

「いや、あの、その、わりぃ」

驚きも隠せない間が一瞬あったが、それも束の間、雷育はそっぽを向く。

「あー!なにそれ~!ツッコんでよー!」

「いや、その」

「同じクラスになってから一回も話してなかったから初めましてだね!自己紹介でも言ったと思うけど、私は榎戸いちかです。君は?」

「いや、別に。いいんで。俺、トイレ」

わざとらしくスタスタとそこを離れる雷育。

「え?あ、あのー。あのー!!」

「あらら、残念無念だね、いっちゃん。あの子はたみやま らいく君……だったっけな。去年クラス一緒だったんだけど、いっつもあの調子だったよ。流石のいっちゃんでも難しいかもねー。」

いちかは行ってしまった雷育の方を振り返り、さっきまでのふくれっ面をしかめっ面に見事に変化させ、呟いた。

「仲良く、なれない、のかな……」


「さて、みんな。新学級、早く仲良くなるために、今日の学活はなんかゲームでもやるか!」

午後の授業。もう一時間で帰宅だし、明日からは週末の二連休。こんな心弾む午後に学級活動の授業が入るカリキュラム設定は多くの生徒を歓喜させる。しかも今日は親睦を深めるという体で先日決まったばかりの学級委員長に授業運営が任されている。

「マセワク!じゃんけん列車しようぜ!」

「なにそれ~。男子って案外子どもっぽい」

「なんだと~!」

「そうだな。他はないか」

「俺はジェスチャーだけで誕生日順に並ぶやつ!あれ達成できたら、先生に何か奢ってもらおうぜ」

委員長でみんなの意見を聞いて回っているのは、真瀬和久。ませわきゅうと読むが、初日からみんなの信頼を得て学級委員長に推薦された彼はマセワクと親しまれている。勉学も運動も中の上といったところだが人間性が信頼感を得る大きな素材となっている。

「雷育はなんかないか」

「は?自習。」

雷育は彼にがんを飛ばす。教室は一気にしんみりする。浮いていることくらい分かっている。彼のようなタイプは苦手だ。馴れ合いでも全学級を統一しようなんて理想論だ。俺は馴れ合いなんてするつもりは一切ない。今回だってそれがわかっていて俺を指名したのだろうか。売られた喧嘩は買わないことで無関心を示す。それでいい。

「ま、まあ。自習は置いといて。じゃあ、じゃんけん列車やるか」

「だからー、じゃんけん列車は子どもっぽすぎるって~!」

「そ、そうだったな、じゃ、何をしよう」

少し動揺を見せたが、すぐに方向修正した和久は、再び頼れる議長に戻った。


雷育ともう一人クラスに馴染めない女の子の若干二名を除いてレクリエーションタイムを楽しんだ一同は、帰りのホームルームを終えて、部活に行く者、帰路につく者と分かれている。中学校というもの、部活に所属しているのが八割程度はいる。だが、どの部もそれほど強くはなく、この前男子バドミントン部が県大会に出場したとかで騒いでいたくらいだ。

勿論部活など入っていない雷育にとっては変わらぬ日々の一部だった。今日の学校も、そこに存在した、それだけで幕を閉じた。今日はこれからが本番なのだが。

「じゃ、いち、部活行くね♪今日こそ、まだいちだけできないスマッシュ決めてくるよ!」

榎戸いちか。いつもと違った出来事と言えば、へっぽこ女の子に話しかけられたことだ。まあ、どうでもいいが。

「今日は参加できなかった理由でもあるのか」

あいつだ。真瀬和久がある女子に話しかけている。その髪はツインテールにしていて色は染料でも使っているのかというほど明るい。顔は中学生にしては大人っぽく整っていて、出るとこは出ている。春先の暖かい日であるのに藍色のカーディガンを羽織っていて、おとなしさと恥ずかしさを全面に押し出している。鞄についているストラップから察するに可愛いものには目がないように見受けられる。下を向きながら、スカートの裾を両手でいじっている。

「あ、あの。ごめんなさい。わたし、人見知りが激しくて」

もはや尋問にしか見えない。今日の学級活動に参加しなかった女子に尋問しているのだ。気に食わない。誰もがみんなと和気あいあいと触れ合いたいわけでもなかろう。が自分に関係があることでもない。雷育は、数人残っている教室から颯爽と出ようとする。

「雷育ももうちょいクラスに溶け込んでもいいんじゃないか。このままじゃ今年度も友達なしだぞ」

横目に教室を出ていこうとしている雷育を見て取った和久が呼び止める。また頭にくる物言いをする。

「余計なお世話だ。お前は俺の親かセン公か何かか。それに俺は、死ん……」

一瞬言葉に詰まった。

「兎に角、お前らに馴れ合うつもりもねえよ。じゃな」

癖になった軽い舌打ちをして、出ていく。

それを見て、珍しく自分から口を開く。

「あの子、ちょっと怖いですよね……あーゆー人がいるって考えると話しかける勇気もなくなっちゃって……」

「そっか。ま、大丈夫!あいつは特殊だ。去年からああでなぁ。俺も嫌われているみたいだからなぁ。他は仲良くなりやすいいい人ばっかだ。今日友達になった俺が保証してやる。だから頑張ろうぜ、上郷!」

机の前に立っている和久が、かばんに教科書やノートを一冊一冊詰めながら座っている彼女に右手を差し出す。顔を赤らめたその子は少し恥じらいながらその右手に自分の右手を添えて軽く握った。


家に着いた雷育。ここも大いに帰って来たくない場所の象徴ではあるが、中学生がホテルやネットカフェを利用するわけにもいかない。両親のいない時間帯の内に自室に籠りたかった。だからいつも帰宅は四時から六時の間だ。いつもは見たくない顔にも遭遇しないように、厳しい校則を破って下手くそな道草を食っていく。でも今日は試すべきこともある。二か月ぶりの直帰だ。五人が住むのにちょうど良い大きさかちょっと大きいくらい、瓦屋根に白いペイントを全面に誇張しているコンクリート製二階建ての一軒家の前に自転車を止める。

「ふぅ……」

重い右手をため息と同時にドアノブに引っ掛け手前に引く。

「おかえり、にいに」

わかっていた。だからこそのため息だった。上目遣いで何か懇願でもしているかのような感じを漂わせる2つの似通った顔が目の前まで現れる。二人とも左手に漢字ドリルを右手に鉛筆を持っていて、そのままダッシュしてきたことが分かった。雷育は帰宅途中にずっとつけていたイヤホンを外す。

「久しぶりに早いんだね」

「あぁ……」

もうこんな顔を見たくはなかった。あの時死んでさえいれば……。唇を噛みしめる。でもまだ可能性が断たれたわけではない。だからこそこんな時間に帰ってきたのだ。

「やったやった、にいちゃんだ!ママが帰るまであそぼあそぼ!」

まるで地獄からの解放のようにはしゃぐ弟。

「う、うん。でもママが来るまでに勉強進めとかないと、また、ほら……」

「勉強ならとっくにやったよ!それにまたママが帰ってくるときにやってるふりすればいいんだよ!そんなことより早く早く!」

 兄の裾を思いきり引っ張る。昔から貞育は変わってない。強がるときは強情で妹を守るのに、本音のとこでは甘えたがりだ。こんなときはつらい現実さえ忘れる。楽観的だが強い男の子だ。

「にいに。」

対照的に妹の芽育は、泣き虫で臆病。こんな時でさえ、母親の帰宅を案じ、どこか焦りと怯えの顔を浮かばせている。今朝だってそんな妹の顔を見てられず、出てきだんだ。

「やっぱ、今日もいつもと同じようにぶたれるのかな……」

もう彼らの人生には敷かれた親のレールがあった。厳しさと調教をはき違えていると、真剣に伝えたら変わる可能性もある。でもその行動に移すほどの力と心は雷育にはなかった。

「心配すんな!またぼくが守ってやる!」

「そういって、ていにいだって、いつも泣くの我慢してんじゃん!」

三人だけのその場を取り巻く空気が静まる。うちの小さいのの喧嘩は一般家庭のそれとは方向性が全く違う。互いが互いを思うからこそ争いになるという何とも皮肉なものだ。八歳に背負わせるものではないことは確かだ。それに介入や手助けの手を差し伸べない自分も自分だが。

「ま、まあ。久々に話す機会とあって、二人に言いたいことがあるんだ」

こんな状況でもまだ弟妹を助けることより自分のことを優先させる。自分だって、自分の苦しい生活を送ってきたんだ。だから……だから………。

「なになに?」

「どしたの?」

天使のような瞳に罪悪感を感じざるを得ない。でもいいんだ。俺はもうこの世界に居たくはないんだ。

「あ、えっと、その……」

「?」

「改めて、そのなんだ、す、好きだよ」

一瞬の間を感じ取る。


―好きと伝えられれば、万々歳で天国に送ったるわい―

 

 そう、実践したのだ。だって、好きって誰かに言えばそれで死ねるわけで、せめても話の出来る弟妹に言えば、それでいいのだ。それでもうこの世を離れられる。それ以上に願ったことはない。だから、こっぱずかしい気持ちを押し殺して実践した。

 ―。

「う、うん。めいもね、にいにのこと、だいすき!」

「ぼくも、遊んでくれるし、好きだよ!」

このまま終わると思っていたから、次の一手は用意していなかった。軽く顔を赤くした雷育は、もう一回言った。

「好きだ好きだ好きだ好きだ!!!!」

ダメだ。神様は迎えに来てくれない。

「好きだっつってんだろ!」

「好きなんだよー!」

いくら言ったってダメだった。どうにも死後の世界に転送されない。

「好きだ好きだ好きだ好きだ!!!」

二人の弟妹は遊びのように満面の笑みで繰り返す。そんなはしゃぐ弟妹を前にして、やりきれなさに溺れる雷育。

「最後のチャンス……だったのに……」

絶望を希望として願った少年は、絶望できず希望を失った。が、自殺する勇気なんて端からない。だから今回の事故はチャンスだったのだ。でも結局死ねなかった。何故だ。好きって言えばいいんじゃないのか。そう言ってたじゃないか。怒りと無気力から重いため息をつく。

「にいちゃん?」

「……いや、あの、その。あと一時間半。遊ぶか、久々に」

吹っ切れたように雷育は二人に問いかける。

「わーい!」

「やっとだ。やっとめいたちに神様が来たんだ!」

「神様、か……そんな大袈裟な」

数日ぶりに微笑んだ。数か月ぶりだろうか。

こんな不可解なことがあっていいものか。死んだのに生き返っている。無情にも生きたくない俺がこんな状況に陥っている。なんとも滑稽の話だ。でもそんな滑稽な世界をやはり生きていくしかないのか。それがどんなにつまらなくても。

『ガチャ』

間違えない母親だ。雷育も小学生のころはその音に恐怖をよく覚えたものだ。

「今日は早いな、ママ。なんでこんな日に……」

貞育が涙目になる。

「ほら、勉強してるふり!」

「で、でも……遊びたかった……」

「また今度早く帰ってきてやるから!」

「ほんと?」

「本当だって。だから今は……」

思ってもいないことを言ってしまった。早くなんて帰ってくるつもりもないのだが、この場をやりきるために咄嗟に口から出た。

「じゃな」

すると雷育は自分の部屋に向かった。こんな生活をし始めて一年は経つ。小学生のときは怯えていた両親が弟妹を対象にしてからは、自室に籠っても何も言われないようになった。言うなれば、あいつらが身代わりだ。なんて不孝な兄だろう。その罪悪感にももう慣れっこだ。だから今日も、泣いているあいつらを横目で見ながら、自室で大して関心もないマンガの流し読みをしている。そんないつもと変わらぬ夜だ。


***


 週明け月曜日の二年三組。と言っても雷育は充実した土日を過ごしたわけでもない。学校という憂鬱も土日の自宅という憂鬱と比べたらましなのかもしれない。弟妹を見殺しにしている自分への自責の念に追い込まれることもないから。ただそこにいればいい話だから。道端にある電柱と同じだ。異なるところと言えば無論、役に立っているかどうかだ。

 父親曰く死んだ魚のような目をして幽霊のように教室の席に座っている。まあ、死にたいと思っている雷育にとっては通常運転だ。

「……あのー」

「ん?」

「また音楽聴いてるー!」

「あ、すまん」

何となくイヤホンを外してしまった。

「あのねあのね、今日はあめさん持ってきたの、田水山君も食べて♪」

「いや、あの、持ち込み禁止だし。」

これが正論だ。それにしても、一昨日同様に俺に妙に絡んでくる。その子は榎戸いちかと言っただろうか。なぜだろうか。もう俺は自ら仲良くなるのを断ったものだと思っていた。

「まぁ、それはそうなんだけどー!」

共通点を見出せない彼女は、会話の切り出しに迷走してこの結果に至ったと思われる。

こんないけ好かないやつ、無視しとけばいいのではないか。自分のことながらそう思ってしまう。

「で、でも、これ、昨日買ったらね、スースーして、これ薄荷って言うらしいよ~薄荷ってミントとどう違うのかね、いち、バカだからわからない~」

それなのに、この休日を使って一生懸命考えてきた会話のタネなのだろうか、不発だったことにわかりやすい落ち込みからの復帰への尽力を見せている。

「お、おう。」

俺にはわからなかった。こうまでして話しかけてくるやつの気持ちが。

「だ、だから、田水山君も、家帰ってからでも、舐めてみて!きっと、スーってビックリするよ!」

「あの、悪いけど、馴れ合うつもりはないから。」

差し伸べられたその手を引っ込めさせた。少し物言いがきつかったかもしれない。でも、彼女の厚意を無碍にすることで、もうこれ以上は気にして話しかける必要はないと伝えておきたかった。多分優しさから来るお節介だからこそ。俺はもう、死んでもいいと思っているんだ、と。

「そ、そっか。」

表情が暗い。手を差し伸べたくなるほどわかりやすいが、人情などどこかに置いてきた。堪えることは容易い。

「でも仲良くなれると、誰かと話せるときっと楽しいことだらけだよ……じゃ。」

独り言のように呟いた彼女は背中で寂しさを語りながらその場を去っていった。

何故だろう。別にクラスをまとめる役目が彼女にあるわけじゃない。和久のように責任から話さなければいけないわけでもない。なのに、話しかけては失敗して落ち込んでいる。そんな彼女を不思議に思う。彼女を追い払った雷育はさっきの数学の授業で球の表面積を示すために教師が使っていたテニスボールと黒いビニールテープに目を落とした。テニスボールは揺れながらも教卓の上から落ちることはなく、微妙なバランスを保っている状況だ。


***


「ぜーったい、そう思わない?」

あれから三日程経ったいつぞやの放課後である。ほとんどの生徒は部活を始めるが、まだ掃除当番でやるべきことが残っている生徒も多い。

「なに、いち。その子のこと、好きなの?」

当然話しているのは雷育のこと。いちかの目には疑問に映った彼の言動を逐一訴えてテニス部の親友に相談している。友人二人も最近いちかから出る言葉は『雷育君がさぁ』なので、そろそろ揶揄いたくなっている頃合いだ。

「え!?な、なにいってんの、このね!そーゆーんじゃなくって!その、でも、いちはみんなが大好きなの!このねもゆいも!」

「……な、なーに言ってんの!?わ、話題を変えるのがベタすぎるって……!」

「私もいっちゃん好きだよ~えへへ。まあまあ、このちゃん、真面目に聞いてあげようよ~」

更衣室で三人が寄り添って各種の下着の隙間から肌をチラリとさせながら、上から袖が三分あるかどうかといった長さの練習着に着替えている。

「だ、か、ら!あの子とは仲良くなれるの!なりたいの!なんかつらいことがあったから、笑顔にしてあげたいの!」

「いっちゃん頑張り屋さんだね~」

「頑張り屋さんじゃないよ。頑張ってるんじゃなくて、ただ、仲良くなりたいだけ、それだけ……だよ……」

よく分からないが何か面構えが険しくなっている。必死さと共に周りの静けさが強調される。ロッカーまでもが空気を読んでガシャンとも音を立てずにいる。

「……それって、もう、好きってことじゃん。」

「違うって!からかわないで!でも、ほんと、どうすればいいのかな……」

「いっちゃんがもっともっと話しかけていれば、その子もいつか仲良くしてくれるんじゃないかな~」

「それはしつこいと思われるだけでしょ。もっと嫌われるだけじゃないかしら。というか、私ならそんな子放っておくけど。」

「そうだよね。でも雷育君はそんなことで人を嫌いにならない!分からないんだけど、ずっと、ずっとそう思ってるんだよね……」

他の二人はじーっと、いちかを見ている。何か言いたげな雰囲気を醸し出して。

「え、もう、なによ~なんか言ってヨ~!!」

「ああ、ごめ~ん」

甘い匂いに包まれた更衣室が、汗の滲んだ酸っぱい匂いも放ってきている。会話に熱量が増した結果だろう。

「うふふ、まあいいわ。ほら、練習はじめるわよ。みんな来てない今がコート使うチャンスなんだから」

「えぇ、ちょっと待って。待ってってばー!!」

揃って急いで更衣室を出た三人は、テニスコートに向かった。四つあるコートの中で男子と女子が二つずつコートを使うようにしている。部員が集まってくると二コート分に女子二十人が押し寄せ練習も思ったようにできないことが多いので、部員が掃除当番などをやっているこの隙に練習しよう、というのが三人の魂胆だ。やってきたテニスコートは一面が緑色に覆われていて白いラインがかすれてしまっているところが見受けられる。そろそろ新しいコートでもできないかというぼやきが通年テニス部員の間では囁かれている。

「今日も先生来る前に、スマッシュやるの~、いっちゃん」

「うん、よろしく!」

いちかとゆいは同じコートの対面の位置に立ってラケットを構えている。いちかの陣営にはこのねも前衛として構えている。

「じゃあ、行くよ~、そーれ!」

「えーーーい!!」

高い打球だったので早速いちかが打った。

『パン!』

いちかが打った球は右中間、狭いテニスコートの敷地を大きく外れ、校舎の方に軌道を描く。一球目から大きく打球を飛ばしたいちかは流石にため息をつく。

「……はあぁもー!取りに行ってくるー!」

校庭裏。それにしても、あんなに感情の表現がわかりやすい人はいるだろうか。雷育は直近で自分に起こった出来事に、考えを巡らせてみる。まあこれであっちからのアプローチを受けることもないだろうしな。雷育は放課後の校庭を横脇から校門に向かって歩いている。耳から入ってくる情報には一定のリズムの音とバンドボーカルの歌声しかないが、それにも慣れすぎている。

「ねぇ!」

だから、こんな声も届くには困難を極める。雑音でしかない他人の声が美しい音楽の狭間から入ってきている。

「ねぇ!ねぇってば、たーみーやーまー君!!」

「はぁ。」

ここではもう耳に入らないと思っている呼びかけを感じ取る。やつは猛者だ。此の期に及んでまだ話しかけてくるとは。

「なんだまたお前か。」

振り返ると、今度はミニスカートからショートパンツに替わったここ数日お馴染みの少女を見受けた。テニスキャップをかぶって、はあはあと息をあがらせ、だらだらと汗を掻いている。今度は前髪をピンで留め、左手にはテニスラケットを持っている。そして、透けた白の下着に思わず目が行ってしまう。

「いやー、スマッシュの練習で打ち上げた球まさかの場外ホームランでこっちまで転がって来ちゃったから取りに来てみたら、田水山君が見えたからさ!」

いつもと同じ調子だ。

「……あのさ」

「ん?なにかな……」

ここだ!と思った。もう一回試すんだ、まだ希望はある。ロマンチックさの欠片のないこのにぎやかな校庭で。

「まえからあなたのことがすきでした」

棒読み過ぎた。でも、こいつに何の義理もないし、もうやけくそだった。そこまでして、ここから居なくなりたかった。

「え?え?え?え?なんでなんでなんで。」

案外可愛らしい照れ顔を見せる。雷育はと言うと消えていない。やっぱりダメだった。静かな風に揺れている市旗と校旗。オーディエンスはうるさすぎるぐらい、熱血部活魂を見せていた。

―。いちかは告白の瞬間とは違うムードを感じ取ったのか、元の状態に戻る。

「冗談に決まってるだろ。どうしてだろうな、そーやって話しかけて来んの。俺みたいなどーしようもなくいけ好かないやつ、無視しとけば良くないか?一緒にお楽しみになっているクラスの奴から聞いたかもしれんけど、俺は人生なんかどーでもいい人間なんだ。楽しくしたいけど人見知りでーとかそーゆんじゃないからさ。もう気にしないでくれるか。お前みたいにわいきゃいはしゃいで楽しめる人種じゃないの」

久しぶりに誰かにこんな長文を伝えた。それもストレスの溜まった強めの口調でだ。善意をさげすんで、おまけにいたずらの告白までした。最低だとか人でなしだとか言われても文句の言えないくらいの勢いで言った。上から言動をさげすめば、受けた側は九割九分離れていく。話を続けることすら憚られるだろう。それを狙った、つもりだった。

なのに……

「うん、そうかもね……でも、わけのわかんない悪いものを倒そうとしてる人が目の前にいて、バカないちにはそんなことわかんないから、だからそんな苦しい顔を元気にすることができないとダメなの……誰も仲良くなってくれないの。だって、いちは勉強も運動も出来ないから……今はこうやって君と仲良くなれないのが嫌で。やっぱりいちはへたっぴで。仲良くなるのも下手くそで。だったらここにいてもいいのかも、わかん……なく…なって……きて……」

涙を必死に我慢している。この子がこんなに考えこんでいたとわかったのも初めてだ。ただの能天気ではなかった。仲良くなれないから涙を流すほどに悲しくなってみたりする。珍種なお人よしだ。また彼女自身の中に何かを隠しているようにも感じられる。

「だから、ぜっっったい、意地でも、この子と仲良くなってやる!って、声かけたときからそう決めてたの」

今度は力強い口調だ。

「本末転倒だ。お前じゃねえか、辛い、苦しい思いしてんの。失敗して、落ち込んでそんなのお前の周りの奴だって見たくねぇだろ。だから単純に楽しんでればいいんじゃねぇか。」

「ううん。だって、田水山……いや、雷育君はいちを無視しなかった。あったかい人だよ」

雷育は一瞬で頬を紅葉色に染め上げる。

いちかは今度は自然に爽やかな表情に変え、こちらに微笑みかけている。

「……」

「…………」

言葉での反応はできない。というよりし難い。照れを隠すのに必死だ。

「だ、だから、何度でも言うね。いちと、榎戸いちかと仲良くしてください。」

「ふん。ほんとしつこい奴だ。」

踵を返して帰路につく。周りには今年はもう満開の時期を過ぎたソメイヨシノの花びらが、風に靡かれ地面を踊っている。

「それにお前は自分が思うほど下手じゃねぇよ……」

わざと聞こえない位置に来てから耳打ち声で言った。

 振り返ると後ろ姿のあの子がいる。久々にほんの少し明るい表情を見せた雷育は、さて今日はどこに寄ってくか、と呟いた。

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