視線
知り合いが体験したお話
誰かにじっと見つめられている時、そこに目に見えない力のようなものを感じることはありませんか?
肌がぴりつくような、あるいは温度を感じることさえ。……ちょっと言葉にしてお伝えするのは難しいところもあるのですが、そんな感覚を思い起こしながら語っていくと参りましょう。今宵は、そんなお話でございます。
かれこれ4~5年前でしょうか。私の大学の知り合いにYという人物がいます。大のオカルト好きな奴でして、何かにつけては一人でもしょっちゅう心霊スポットだの廃墟だのに出掛けていくような男です。
「俺さ、見たい見たいとは言ってたけど、とうとう見たっぽいわ」
ある日大学の食堂で、彼は椅子に座りながらどこか神妙な面持ちでそんなことをふと漏らしました。
「そうか。こないだ見せてくれた心霊写真もいまいち微妙な感じだったけど?」
私は軽く流します。彼のこういう話には事欠くことなく、決まってお化けがいるという決定打には欠けておりました。
「はぁ……。……いやマジでどうしたら良いんだろ」
「何だよ元気ないな。念願叶ったんだからさ、そこはテンション上げるところじゃないの?」
いつもと少し違う彼の様子に私は茶化します。何があったのかと聞けば、少し俯き加減にぽつりぽつりと、話し始めました。
――――
とある駅での出来事だったそうです。
その日も例に漏れず、彼は心霊体験をすることを目的にとある駅へと向かいました。曰く、22時22分に駅のホームから階段で降りたところにあるトイレの鏡を見ると、全身真っ白な女に出くわすとのこと。
所謂都市伝説のようなものですね。今までネットでしか聞いたことがないので、好奇心に支配された猫のように辺りを見回しながらテクテクと歩いておりました。
件のトイレまで程なくしてたどり着く。この手の話です。トイレだけが光っていて、天井の蛍光灯は切れかかっているからなのかどことなく薄暗い。少しだけ不気味さを感じながらも、腕時計で時刻を確認しながら鏡の前に立った。
「……来ないな」
鏡の隅から隅までじっくり見まわしますが、女の姿などどこにもない。また今回もハズレか。
雰囲気が良かった分やや肩透かしを食らったYは、そそくさとそこから立ち去ろうとしたそうです。
まさに出ようとしたその時でした。
ぞわり。と嫌な気配がいきなりYを包みます。は? なんだこれ。だなんてと思う間も無く、たちまちその場から動けなくなりました。足から根を生やしたかのように。
「……え?」
ふと、後方から何か囁かれたような気がします。首だけ動かして恐る恐る後ろを振り返ろうとして、止めました。
絶対に見てはいけない。と思ったから。
振り返って確かめなくても分かるんです。"それ"がジーっと自分を見つめているという視線を感じる。
動け。動け。動け!
自身の身体に命令しても一歩も足が動かない。全身から汗が噴き出しているのが分かりながらも、一切言うことを聞いてくれません。声を上げようにも掠れたような吐息が出てくるばかり。
そうしておりますと、後ろの気配がややこちらに近づいてきたのを肌で感じます。
ズズズ……。
実際にそんな音が鳴ったような気がするのは彼が覚えた錯覚だったのかもしれません。Yはただ身体が動くことを願うばかりです。
気が付けばすぐ後ろに気配を感じます。もう限界でした。
「わぁぁぁぁぁ!!!!」
ようやく声が出たかと思うと同時に身体の拘束が外れます。勢いのあまり前につんのめりそうになりながらも後ろは振り返らずにその場から離れました。
ただしここは駅なんです。電車が来るまでの間はまだまだ安心できません。ホームに駆け込むと同時に、そのトイレから最も遠いところまで走り切り、手すりに掴まりながらブルブルと震え続けていたそうです。
長い時間を待った後、ようやく電車が入線しました。扉が開くと同時に飛び込み、最終電車であるアナウンスが流れるのを車内で聞きながら、何とか生還できたという実感がようやく湧いてきます。
まだ荒い息を整えながら、ホームに背を向けるような形でロングシートの座席に座ります。当然自分がいた所なんか見たくありませんからね。
だからこその油断だったのでしょう。向かいのガラスに反射する自分の姿をちらと視界に入れてしまったのです。
自分と、その後ろから両手をガラスに張り付けた真っ白な顔をした女の姿を。
ぎょっとして思わず振り返りますが、ガラスの外には誰もいやしません。あれは何だと思う間に、電車は動き出しました。
――――
「……まぁさ、見間違いだろ」
私は、Yを元気付けるかのようにわざと明るい口調でそう言いました。
「いや、見間違いなんかじゃない。だってそいつさ
今もずっと俺の後ろにいるんだから」
「……」
「マジでどうしよう……」
私は早くもかける言葉を失っておりました。彼が話の中でトイレに入り、鏡を見渡したと語ったところから、私にも彼女が見えるようになっていましたので。
ああ、この人なんだな。と、どこか冷静に観察しながら彼の話の続きを聞き続けていました。
べっとりとYの肩に手をかけ、彼の肩から真っ白な顔をこちらに向けています。瞳には白目が無く、何が楽しいのか口を曲げて声なく笑い続けておりました。
その後、彼がどうなったのかは私には分かりません。なんせ次の日から大学来なくなっちゃったので。連絡を取ろうとしても何も返信がなく、今日に至るわけです。
まぁ、なんせかなり前の話なので、もう時効かなぁだなんて思ってはいるんですが、このYの体験談を私が話した当時の友人たちは皆、普段生活している時に後ろから視線を感じることがあるそうです。特に何かを見たとか害があったとかではないんですが。
ただね。私は知ってるんです。後ろから視線を感じた時に、実際にそれがいるのは真上なんです。
Yの話を聞いてた時、そいつは真上から髪の毛をだらりと下ろし、ゆっくりと逆さまに降りてきたんですから。
ほら、今あなたの真上にも。
ごめんなさいね。