婚約破棄してボコボコにされた王子をかばった傭兵隊長の話
「公共の場で婚約破棄は不幸とは思うがね」
わたくし──ソアラ・リースリが、第2王子から婚約破棄を告げられた場で、
「こちらも面目があるだろうね。今、キミが言葉でののしった『全員』には『我々』も含まれるのだから」
なんと言ったかな?
彼は……貴族ではないが平民であり、国王よりも強力である男は、あだ名からは想像もつかない穏やかな声色で告げました。
傭兵らしく野蛮に!
学園には不相応な傭兵だとは覚えています。
「なぜ貴族が偉そうにできるのか、なぜ女が虐げられるのか、なぜ傲慢な連中に従わなければならないのか、まあ自由を宣言したわけだが」
囁き声が聞こえました。
「ドウォーム……傭兵隊長」
学友がつぶやきました。
彼の名前を。
優雅さのないイントネーション。
彼の名前です。
貴族を震えあがらせる恐怖の象徴。
傭兵団の長は人殺しには見えませんでした。
しかし傭兵です。
下賤な仕事で、しかも男なのです。
「ふむ、リースリ嬢?」
と、ドウォームは言いました。
「な、なにかしら?」
「キミらを外敵から守っている力とはなんだ? 技術とはなんだ? 外交が失敗した場合の最終的な解決手段とは?」
わたくしは、
「軍事力、です」
「そうだ。キミが今、全てを否定した『我々』だ。今は、休戦期間であるし暇を持て余している、金食いの我々傭兵だ」
ドウォームは、第2王子の側にいた女を、
「力が全てだ。形は問わない」
さらいました。
暴力的に、強引にです。
彼女の名前はルシータ。
わたくしが婚約破棄された理由。
第2王子が新しく惚れた女性です。
野盗ドウォームは彼女の唇を奪いました。
第2王子は怒りに顔を赤くします。
「ッ!」
ドウォームは唇を離します。
淫らな糸が2人の間に……。
「見ていろ」
「キサマッ!」
ドウォームが剣に手を添えました。
「奪う覚悟はあるのか?」
ドウォームは深いキスを再開しました。
第2王子は婚約破棄とは比べ物にならない屈辱を与えられています。
まさに王子も剣に!
しかし、
「抜けないならば、女はもらう」
王子は何も言いませんでした。
それはルシータが奪われたということです。
わたくしは破廉恥な光景に耳まで熱を帯びているのを感じていました。
「どうする?」
ドウォームが服の下の乳房を数度、もみしだいてルシータを解放して、
「今! お前の言う全てが蹂躙された。お前は、何ができるというのだ」
「わ、わたくしは……」
ドウォームに言い返さなければなりません。
しかし、言葉だけで済むでしょうか?
剣を抜かれたら?
わたくしは骸を晒すでしょう!
「わたくしは──」
「言ってみろ、ソアラ・リースリ」
「──第2王子に言ったものをそのまま返せます。貴族が、力が、どうしてそんなに偉いのでしょうか? 傲慢は許されるのでしょうか。わたくしは、力には相応の高貴な義務と謙虚が……」
「小娘。お前の義務はなんだ」
「領地の民をより豊かにすることです」
わたくしは胸を張ることができました。
「より豊かに、より自由に、より平等公正を掲げてソアラ領を発展させています!」
「誰が守っている?」
ドウォームは言いました。
「大いなる敵があらわれたとき、その平穏は誰が守る。下賤な男どもとキミは言った。下半身でモノを考えると」
学園の視線。
軽蔑の眼差しがドウォームへ集中しました。
「そうだ! 獣性と人間性、どちらも兼ね合いなのだよ。女がどうして子を産む? 仕方なくだ。男がどうして戦う? 戦いたいからだ!」
彼は共感されません。
学園は女の世界だから。
みんなが味方をしてくれていました。
「キミが下賤という男の野蛮な衝動こそ、未来をより広くしているとは考えないかな」
つまり、彼は話すほどわたくしたちの学園からつまみだされているも同然なのです。
わたくしは、空気を感じました。
ドウォームに共感する人間はいない。
少なくとも女には1人としていません。
「なんと下劣な!」
わたくしは憤慨しました。
ドウォームは畜生と同じです。
まったく下品な男です!
「近寄らないで!」
わたくしはドウォームを拒絶しました。
ルシータを辱めた手が伸びていました。
しかし、
「拒絶されてはしかたあるまい」
彼はあっさり引き下がりました。
「欲しいものだよ、ソアラ・リースリ。男と女では思考が違う。おれには女の思考は無理だ」
さっさと死んでしまえ、人間豚め!
淑女にあるまじき罵倒の内心です。
ドウォームは、わたくしの婚約破棄という場を破壊しました。
代わりに、公爵家の長女であるルシータを辱め、簒奪した悪漢としてドウォームの、最悪の噂が学園に広がりました。
「所詮は傭兵か」と。
「殿下……」
おれは第2王子リリオンの部屋に呼ばれた。
理由はわかっている。
好色なリリオンの部屋の前には、見目麗しい──体格も男受けする──護衛が4人だ。
「傭兵だからと粗野を演じるな」
と、おれは言われてしまった。
護衛の1人、蒼髪の女が扉をあけた。
「ッ、ドウォームか」
「殿下。ことを急ぎましたね」
リリオンは扉が閉まるより早く、おれを抱きしめてきた。
少し大きくなったか。
頭3つぶんは小さな『弟分』を腹で受け止めた。さらさらのリリオンの髪をすくう。
「ルシータが怒っていたぞ!」
「……でしょうな、お詫びはすぐに」
「うむ。義姉さんは粘着だから急げ。だがそれよりも──」
リリオンは、額を隠す髪をあげた。
「──キスしろ」
躊躇う必要はない。
おれは、リリオンの額に唇を落とす。
それだけでリリオンは顔を真っ赤にして、
「リリオンは今、とても幸せだ! 夢を見ているようだ!」
彼は嬉しそうに自分自身を抱きしめた。
「母上も、父上もついにはしてくれなかった額へのキス、これは愛なのだろう?」
「殿下。愛とは決算です。失われた終わる日に、ついに初めて理解できるモノでありましょう」
おれは言いながら椅子を探す。
するとリリオンが椅子を選び、
「使え」
「殿下に使用人をしていただけるととは、下々にも言えませんね」
リリオンが引いた椅子に腰掛けた。
「なぜソアラ・リースリ嬢との婚約を、あんな公共の場で告げたのですか」
「わがままだよ。彼女がリリオンを蔑んでいるのはわかっていた。親が決めたこと、こちらが王家であることを理由に仕方がない、そう言いながら、内心では父上や母上と同じ目をしていた」
リリオンは悪びれず、
「遅かれ早かれ托卵くらいはされていたさ。少々危険な思想を貴族にも広めているようだしね」
「かばう令嬢を見極めた、と」
「浅い繋がりは全て断たせたとも言う。守ってくれない友人の信頼はあるか? 男と女では違うかもしれないが」
「殿下の名はどうするのです。地に落ちてしまいましたよ。婚約を一方的に、身勝手に……」
おれの唇に、リリオンの指が添えられた。
それだけで口をつぐんでしまった。
「許せ、我が騎士にはなれない傭兵よ」
「……」
「正直、あの場所をお前に見せたくはなかった。傭兵の仕事はどうした」
「殿下の差し金ですか。野盗は根城諸共に滅ぼしましたとも。もっとも野盗というよりは、隣国の騎士みたいな精強さではありましたが」
「許せ」
と、リリオンは酒をあおり、
「一石二鳥で騎士崩れを征伐したかった」
「見られたくはない演劇には間に合いました」
「見られたくなかったと言っているだろう。お前との約束を裏切る場所になったのだ」
「傭兵団を常備軍とする?」
「そうだ。お前は略奪免除税で各国の都市や村々から勝手に徴収している。国境を越えてだ。お前の力は、一国を超えるだろう」
リリオンの信頼は落ちた。
問題はことさら拡大するはずだ。
1度の失敗は全てを奪う。
リリオンも知っているはずだ。
傭兵には失敗した連中ばかりだ。
「軍事力だけです。養えるのはせいぜい……10万未満。有耶無耶の徴募平民ごときには負けませんが」
「来るべき巨悪にはわからないか」
「さようです」
おれはそこで、
「リリオン殿下……」
「気づかれたか!」
リリオンは小さく舌を出して、
「本当は約束なんてどうとでもねじ込める。本当は……このリリオンの恥を、お前にだけは見せたくなかった。たったそれだけの理由で遠くにやったこと、謝罪する」
「殿下のウンチも裸も、毛の生え具合から皮を剥く努めをしてきた、おれですよ。なにを今更」
「そうだ。晒している。だが全てではない」
「……ですね、そのくらいが良い。知りたがりすぎるよりも、望みすぎるよりも」
「リリオンは、お前が好きだぞ」
「おれも好きでしょうね」
「断言しろ、そこは。リリオンは結婚で売れ残っているお前がそうなったとき、どれほど枕を濡らすかわからないというに」
「傭兵なのでわきまえましょう」
「ぬかせ」
リリオンは、おれの胸を小突いた。
歳の離れた弟がじゃれるようにだ。
「好きだぞ、ドウォーム」
「おれもです、秘密ですが」
ところで、と、リリオンは、
「奪ったものはどうする?」
リリオンは部屋の外を、
「どうしましょうか……」
バルコニーを指した。
窓にはカーテンがかかっている。
それが唐突に風に揺らいだ。
飛び込んできたのは、
「ルシータ!」
胸が明らかにすぼんだルシータだ。
「女の役てうんざり!」
カツラを外した悪戯っ子がはにかむ。
ルシータ。
王家から捨てられた失敗作の1人だ。
「でも、キスは嬉しかった、かな?」
「好色な伯爵よりも?」
「女装させた男をいたぶるやつよりもずっと! って、酷いことを思いださせないで! 女装しているだけで男なんだからね」
ルシータも、おれの唇に指を添えた。
言わないで、と。
これをやられると黙るしかない。
「ルシータの報告だよ」
と、彼は、
「ソアラ・リースリが、兄のほうに今回のことを報告しているみたい。本家にもね」
「だろうな」
と、リリオンだ。
「そしてリリオンは、猛烈な抗議に折れた気弱な王家の使いによって幽閉とか廃嫡までいくかもしれない」
「殿下の背景は傭兵団です。無理でしょう」
おれは何もえられないだろう無駄な、婚約破棄と修繕不可能な事件を考えながら、
「感情的に動いた代償は、経済戦争です。どこまで発展しているのか、奇才ソアラ・リースリ嬢が鍛え上げた領地が役に立つのか、試します」
ですよね?
おれは、リリオンに訊いた。
彼は笑うだけだ。
「ソアラ領をいじめるの?」
と、ルシータが小首を傾げた。
「少しだけ、外にも人間がいるということを知ってもらうだけです。ソアラ領を弱体化させれば国も弱る。ソアラの名前は貴族なのだから」
失礼します、と護衛たちだ。
話がちょうど区切りのついた頃合いに、
「アルコールの低いお酒をお持ちしました」
「ありがとう」
おれは瓶を受け取り蓋を抜いた。
果実酒だ。
甘い香りが強い。
リリオンのグラスに注ぐ。
「親愛なる兄弟に」
ルシータのグラスに注ぐ。
「親愛なる家族に」
おれは都合よく胸から護衛の飲み分の杯を出した。少し小さいし、高級ではないが全員分はある。
「乾杯、愛しい弟妹たちに」
リリオンが眉をしかめた。
音頭の前に飲もうとしていたルシータの口が止まる。
護衛の女の子が一言、
「え? 恋人だったのでは?」
リリオンとルシータ。
護衛を交えた紛争があるのはまた別の話だ。
読んでくれてありがとー。
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