030 船上の会話
アンドレイは身を隠す必要があった。
自己破産したことで借金は帳消しになり、ギルドを解散したので退職金を払う必要もなくなったが、それは法律上の話だ。
退職金を貰えずに終わった労働者側は「はい、そうですか」とはいかない。
「ないなら所持金だけでも出せよ!」
「ゴヴォ……」
かつての部下に見つかる度、アンドレイは暴行を受けた。
どうにかして稼いだお金もその時に巻き上げられていく。
このままではどうにもならない。
そう思ったアンドレイは〈バブルス〉へ逃げた。
それだけだと不安なので、名前もドレイクに改名した。
髪型もお気に入りの七三分けからボサボサの鳥の巣ヘアにした。
彼が〈バブルス〉を選んだのは港町だからだ。
港町なので、船乗りの求人が大量に出ている。
船乗りの仕事は過酷なので常に働き手が足りていない。
だから応募すれば誰でも受かるし、身元を偽っても気にしない。
訳ありの人間が多いから深く調べられることはなかった。
今のアンドレイにはピッタリな仕事だ。
「いつかお金が貯まったら立て直してやる。自分の会社を興して、人を支配する側に回るんだ……!」
そんなことを思いながら、汗水を垂らして働く。
筋肉量しか取り柄のないおっさん連中に怒鳴られても諦めない。
彼がエステル達を目撃したのは、ちょうどそんな時だった。
「どうして、どうして……」
エステルを見ていると無性に腹が立った。
彼女の笑顔が許せなかった。
「リヴァイアサンか……ちょうどいい……」
アンドレイは帽子を深く被り、ヒヒヒ、と笑う。
「俺に見つかったのが運の尽きだ……エステル……」
リヴァイアサンの討伐依頼では、当たり前のように人が死ぬ。
リヴァイアサンの攻撃で死ぬ者もいるが、最も多いのは溺死だ。
戦闘の最中に船から落ちて、そのまま波にのまれて死ぬ。
だからアンドレイは思った。
エステルを海に突き落としてやる、と。
◇
帆が下ろされ、錨が上がる。
大型帆船が海に向かって動き始めた。
「やっぱり海は綺麗ですねー!」
甲板の手すりに両腕を乗せ、エステルは海を眺める。
海鳥が上機嫌に鳴いていて、空は晴天で心地よい。
「海より君のほうが綺麗だよ、エステル」
セドリックが真顔で言う。
エステルは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「気持ちは嬉しいですけど、仕事中にそういうことを言ってはいけませんよ!」
「おっと、これは失礼」
「でも、ありがとうございます!」
二人はしばらくの間、静かに海を眺める。
「あの、一つ質問してもいいですか?」
エステルが口を開いた。
「何だ?」
「どうしてそこまで私にこだわるのですか?」
「どういう意味だ?」
「たしかに私はセド……ランドさんを助けました。それなりに腕が立ちます。ですが、強くて素敵な女性なら他にもいますよ」
「例えば?」
「そうですね……今も〈ゼスキア〉にいるかは分かりませんが、アメリアさんとか有名ですよ。ソロでバハムートを狩ったこともある方で、戦闘技術に関しては私より遙かに上です。ジークさんですら一目を置いているくらいですから」
「ふむ」
「それにアメリアさんはすごく美人ですよ! 私もお話させていただいたことがありますけど、気さくで話しやすいですし。私なんかよりずっと魅力的な方だと思います」
「なるほど」
「他にも私より強くて素敵な女性はいると思うんです」
「かもしれんな」
セドリックが小さく笑う。
「だったら――」
「エステル、君は一目惚れをした経験があるか?」
セドリックがエステルの言葉を遮る。
「えっ、一目惚れですか?」
「そうだ。ないだろう?」
「はい、ありません。実は恋愛自体、経験がなくて……」
「早い話、俺は君に一目惚れしたのだよ」
セドリックは海を見つめたまま話す。
「アメリアのことは俺も知っている。何度か話したこともある。だが、彼女は違うんだ。他の女性だってそうさ。俺が君にプロポーズした際、たしかに『強さに惚れた』と言った。だが、強さだけが理由じゃない。上手く説明できないが、君を見ていて思ったんだ。運命の相手はこの人だ、と」
「運命の相手……」
「この話を他の者にしたら、『それは一目惚れというものです』と言われた。だから一目惚れなのだろう。そして、一目惚れに理屈はない。君の強さや醸し出すオーラ、話し方、香り、それら全てが合わさって、他の全ての女性にはない魅力となっているんだ。俺にとって、君より素敵な女性はいない」
エステルの顔がかぁーっと真っ赤になる。
恥ずかしくてたまらなかった。
「えっと、その、えっと……」
「別に今すぐ答えを求めているわけではない。求められても困るだろう。分かっている。だから時間を掛けてじっくり知ってもらいたい。それまでの間、俺は何度も君に想いを伝えては玉砕するだろう。だが、最後は違う結果になる。そう確信しているんだ」
「確信ですか」
「そうだ。俺が君のことを最高の女性と思うように、いずれ君にとって俺が最高の男と思える日がくるに違いないと。自意識過剰と思われるだろうけどな」
エステルは顔を赤くしたまま俯く。
「……すごいですね、ランドさんは」
「すごいか? ただの馬鹿だろ」
「そんなことありませんよ。自分の気持ちをよく理解していて、正直で、本当にすごいと思います。だから、どっちつかずの態度で本当にごめんなさい」
「どっちつかずというか、ばっさり断られているぞ」
「あはは、それもそうですよね。じゃあ、ばっさり断っちゃってごめんなさい」
「かまわないさ。むしろ先に謝らせてもらうよ。すまないな、エステル」
「何がですか?」
「俺はしつこいぞ。一目惚れの経験も、恋愛の経験もないからな。惚れた以上はひたすらアプローチをし続ける。不慣れだから押してダメなら引くなんてテクニックは使えない。ひたすら押して押して押すだろう」
エステルはニッコリと笑う。
「いいですよ! 私だって断り続けますよ! こんなことランドさんに言える身分ではないのですが……頑張って惚れさせてくださいね!」
「おう! 楽しみにしておけ!」
二人の話がいい感じに落ち着く。
それを見計らったかのように、誰かが叫んだ。
「出た! リヴァイアサンだ! リヴァイアサンが出たぞー!」
 




