001 YMHカンパニー
「常に効率を考えろ! 無駄に休むな! 1日当たりの休憩時間を10分減らすだけで月にこなせるクエストの数は3個増えるんだぞ! 休憩なんて5分で十分だ! それ以上の休憩は怠慢に過ぎん!」
Sランクギルド〈ホワイトスターダム〉のギルドホームに怒声が響く。
三階建ての広大なホームの中を、メンバーが汗水垂らして走り回る。
200人を超えるギルドメンバーの顔は、例外なく青白い。
喚いているのは二代目のマスター、アンドレイ。
ビシッと七三に分けた髪が特徴的な25歳の男だ。
「もう無理……」
バタッ。
ギルドメンバーの一人が倒れた。
過労が原因だ。
「今月これで何人目だ? 過労で倒れた奴」
「分からねぇよ……。先月だってたくさん倒れたし……」
「ふん、軟弱者め。こんなカスはクビだ!」
アンドレイは過労で倒れた部下を蹴飛ばす。
「そんなことしないでください。私が病院へ運びますから」
魔術師のエステルがアンドレイの前に立ちはだかる。
彼女は22歳と若いが、このギルドにおける最古参だ。
朱色の長い髪が地面に当たっていた。
エステルは先代の頃から働いている唯一のメンバーだ。
他は代替わりして1年足らずで別のギルドへ転職していった。
アンドレイが継いでギルドの空気が一変したからだ。
先代の息子である彼は、ギルドで働いた経験がなかった。
後を継ぐまでは経営コンサルタントだったのだ。
先代の頃は無理なくマイペースがモットーだった。
ギルドは和気藹々としていて、優秀な人材が集まってきた。
今では地獄だ。
仕事に次ぐ仕事で休みはなく、隙あらば給料を減らされる。
有給休暇は形骸化し、申請しようものなら即解雇だ。
アンドレイになってから業績は上がっていた。
コストカットして仕事を増やしているのだから当然だ。
その一方で、従業員の満足度や幸福度は激減していた。
エステルはかつての同僚から何度も転職を勧められた。
お前ならどこでもやっていけるし厚遇される、と。
だが、彼女は先代に恩義を感じているので耐えていた。
「そうやって仕事をサボる気だな! この軟弱者め!」
アンドレイがエステルの肩を蹴飛ばす。
大したことのない蹴りだったが、彼女は気を失った。
度重なる過労によって意識が朦朧としていたのだ。
少しの衝撃によって、ギリギリで耐えていた糸が切れた。
エステルは数日間の入院を余儀なくされた。
栄養失調に睡眠不足と、実に酷い有様だったからだ。
「また悪夢のような日が始まるのかぁ……」
退院したエステルは、その足で職場に向かう。
憂鬱な気分で〈ホワイトスターダム〉のギルドホームに入った。
そして、異変に気づく。
自分の机から一切の物が消え失せていることに。
彼女を指名するクエスト伝票の山がなくなっていたのだ。
どれも先代の頃から続くお得意様からの依頼なのに……。
「アンドレイさん、私のクエスト伝票がないようですが……」
エステルはマスタールームに行ってアンドレイに尋ねる。
すると、アンドレイはニヤリと笑った。
「お前はもうクビだ」
「なっ……」
「まともに働けないような奴などコストの無駄だ。失せろ」
エステルは「そうですか」と受け入れる。
入院時からクビになるかもしれないと思っていた。
だから驚きはしないし、抵抗するだけ無駄だ。
アンドレイは倒れた人間をクビにする。
強気に人を切れるのは、すぐに新しい人材が見つかるからだ。
最上位たるSランクのギルドで働きたいと願う人間は多い。
たとえブラックと分かっていても、だ。
「クビになるのは分かりました。では退職金を……」
「そんなものない!」
「えっ。でも、それじゃ不当解雇ですよ」
「なら通報すればいい。お前の発言を裏付ける証拠などどこにもないがな! むしろお前の不正が暴かれるだけだ! がっはっは!」
エステルに非がない即日解雇なので、本来なら退職金が必要だ。
しかし、アンドレイは書類を偽造することで、退職金を消した。
エステルが不正を働いたとでっち上げたのだ。
「私は不正なんてしていない……」
「論より証拠、これがお前の不正を示す証拠だ!」
偽造した書類をテーブルに並べるアンドレイ。
それを見たエステルは顔が真っ青になった。
横領やら何やら、身に覚えのない罪が載っている。
「労働者如きが経営コンサルタントを舐めるなよ。お前ら労働者なんぞその気になったら簡単に切れるんだよ!」
アンドレイがエステルを睨む。
(面倒だしもういいや……)
エステルは退職金を諦めることにした。
◇
夕刻――。
クビになったエステルは路頭を彷徨っていた。
幸いなことに貯蓄はある。
再就職を慌てる必要は無かった。
「懐かしいなぁ」
一軒の酒場で足を止める。
先代がマスターの頃、ギルドの皆でよく来た店だ。
その頃はまだ未成年だったので、彼女はジュースを飲んでいた。
アンドレイになってからは一度も来ていない。
酒場でのんびり過ごす時間など無かったからだ。
「もう自由の身だし、クビになった記念にたくさん飲むぞー! お酒とか飲んじゃおっかなぁ!」
エステルは酒場に入った。
すると、カウンター席に座っている二人の男が振り返った。
「おっ」
「エステルじゃねぇか!」
かつての同僚だ。
「ジークさん! ゴリウスさん!」
漆黒の鎧に身を包む黒髪の剣士・ジーク。
スキンヘッドの大男・ゴリウス。
どちらもエステルの先輩だ。
「久しぶりだな! ほら座れよ!」
ゴリウスは右隣の席にずれて、先程まで自分が座っていた椅子を叩く。
エステルは「はい!」と頭を下げて、指定された席に腰を下ろした。
椅子にゴリウスの尻の温もりが残っていて苦笑いを浮かべる。
「一人で飲みに来るとは珍しい、というか初めてじゃないか?」
左隣のジークが、手に持っているウイスキーを飲む。
背中に担いでいる黒い大剣が、照明の光を反射した。
「お仕事をクビになっちゃいまして……」
「クビって、マジか? エステルがか?」
「お前をクビにするってどこのギルドだよ!?」
ジークとゴリウスが同時に驚く。
ゴリウスの声は大きくて、エステルは耳がキーンとした。
「ずっと変わっていませんよ」
「つーことは〈ホワイトスターダム〉かよ!」
「お前、まだあのギルドにいたのか。あそこはもう駄目だぜ。先代は素敵な人だったがな。もう終わったんだ。あの馬鹿息子じゃ無理だぜ」
ゴリウスが「そうだそうだ」と同意する。
「再就職の目処は立っているのか?」
「いえ、どこも……。ジークさんはAランクギルドの〈ナイトメア〉で働いているんでしたっけ?」
「数日前まではな。奇遇にも辞めたところだ」
「辞めたんですか? どうして?」
「そこのハゲに誘われたからだ」
「ハゲじゃねぇ、スキンヘッドだ! 年上を敬わんか!」
ゴリウスは31歳で、ジークは26歳。
キャリアもゴリウスのほうが上だった。
「エステル、俺は新しくギルドを立ち上げようと思っている」
ゴリウスがグラスを軽く回す。
中の氷がカランコロンと鳴った。
「新しく立ち上げるのですか?」
「そうだ。ジークはAランク、俺はCランクのギルドで働いていたが、どっちも先代の〈ホワイトスターダム〉に比べたらクソだ。どうしても不満を抱く。それだったら自分達で好きな環境を構築すればいいんじゃねぇかって話になったんだ」
「なるほど」
「軌道に乗るまで大変だと思うが、やり甲斐はあるはずだ。俺とジークはそれなりに蓄えがあるから、駄目なら会社を畳んで再就職すりゃいいしな」
「面白そうですね! いいなぁ! 羨ましい……!」
「興味あるのか? なんだったらお前さんも参加するか?」
「いいんですか?」
「もちろん歓迎だ。ただ、最初は給料を出せるか分からないぞ。それにクエストもクソみたいなものしか受注できないはずだ。Fランクからスタートだしな」
「かまいませんよ! 私も蓄えはありますので!」
エステルは乗り気だった。
かつての仲間達と働けるということで心が躍っている。
「よかったな、おっさん。最高の仲間が入ったぞ」
「だな。エステルが加わったら成功は確実だ」
「私なんて駄目駄目ですよ。器用貧乏だし……」
「お前さんの場合は器用貧乏じゃなくて、万能とかオールラウンダーって言うんだよ」
「そうだぜ、ハゲの言う通りだ」
「スキンヘッドつってんだろ!」
エステルは声を上げて笑う。
愉快に話したり笑ったりするのは久しぶりだった。
「ギルド名はどうする?」
「漆黒騎士団で頼むぜ」とジーク。
「お前は本当に黒が好きだな――却下だ。そもそも騎士じゃねぇ!」
ジークがむすっとするが気にしない。
「せっかくだしウチのエースに決めてもらおうじゃねぇか」
そう言って、ゴリウスはエステルを見た。
「エースって、私ですか!?」
「お前さんは〈ホワイトスターダム〉でも一番の実力者だったからな」
「エースと呼ぶに相応しいと思うぜ」
「いやぁ、でも、ゴリウスさんのギルドなわけですし……」
「その俺が言ってるんだ。名前を決めろ、エステル」
「うぅぅぅ」
エステルはしばらく悩んだ。
目の前のお酒をグビッと飲んだ後、素早くチェイサーに手を伸ばす。
アルコールでふわふわした頭が答えを導き出した。
「YMHカンパニー!」
「ワイ、エム、エイチ? 何の略だ?」
「ゆったり、マイペースに、働こう! です!」
「「ぷぷっ」」
ジークとゴリウスは声を上げて笑った。
「お前さん、よほどブラックギルドに毒されていたようだな」
「漆黒騎士団には劣るが悪くないんじゃないか」
こうして、三人のギルド名は〈YMHカンパニー〉に決まった。