第五話 白昼の学園
目が覚めた俺が見た光景は、とても信じられるものじゃなかった。
一度は寝ぼけているのだろうか?
と、疑ってみたがそんなはずがない。
目の前の光景のせいで、目はこれ以上ないほど冴えているのだから。
俺の目の前には、絶世の美少女が突っ立っていた。
こんな美少女に俺は見覚えがない。
そしてもっとおかしいことは、ここはどこかということだ。
まったく知らない場所にいたのだ。
神に忠実な司祭であり、それなりに名の知れた探偵の俺が、本来目覚めるべき場所は大神殿の地下一階の寝室のはずだが。
ここは異様に狭い空間のように思えた。
というよりもここはまるでUFOの中のようだ。
まさかと思って俺は周囲を見回す。そして、目の前の絶世の美少女に視線を戻す。
彼女は宇宙人で、このUFOで俺を攫ったのじゃないだろうか?
もしそれが事実なら、俺はこれから名前も知らないような遠い星へ連れていかれてしまうのだろうか。
これは大変なことだ。
だが、これほどの絶世の美少女にさらわれるのならまんざらでもない気もするが……
「何難しい顔しているんですか? 兄さん」
「兄さん?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に幾多のイメージが走馬灯のように流れた。
俺は忘れていたのだ。
会うたびに妹であることを忘れ一目ぼれしてしまうほどの美貌を兼ね備えた、新しい神である妹杏理。誰よりも大事な、最愛の妹の存在を忘れていたのだ。
俺が茫然自失していると、新しい神である妹杏理は双眼鏡で窓の外を眺めながら言った。
「兄さんが寝ている間、下の橋を生徒が通りましたよ」
「もうそんな時間なのか。どっかの学校に登校してるんだろう」
「いえ、そんなわけはありません」
杏理は断定した。
「というと?」
「この近くに教育施設は一切ないはずです。さっき、瀬戸に調べてもらいました」
「ということは」
俺は一瞬寒気のようなものを感じた。
最愛の妹、新しい神である杏理の存在を忘れていたのも原因の一つだが、それ以外にも寒気の理由はあった。
「もしかすると、神殺し学園に通う生徒たちかもしれません」
「でも……」
俺は仮の神殿の外の景色をうかがう。気持ちのいい朝の世界がそこにあった。
「もう朝だぞ。野本さんの話だと生徒たちは夜な夜な集まるらしいけど」
野本さんの名前が出た瞬間、新しい神である妹杏理の眉毛が一瞬動いたのを俺は見逃さなかった。
新しい神である妹杏理は野本さんをすでに二度も破門にしているのだ。
「ええ、知ってます。でもそれが完全に正確な情報だとは言い切れません」
「確かにそうだな」
「それに、今私たちが知っている情報ではそれ以外の仮説はたてられません」
そこで俺たちは、あの生徒たちは神殺し学園の生徒である、という作業仮説を立て、真相を知るために彼らを追跡することにした。
杏理によると彼らはそんな遠くに行っていないという話だから、走っていけば学園につく前に背中が見えてくるだろう。
新しい神である妹杏理とその忠実な司祭である俺は、それぞれ別のらせん階段を下って仮の神殿から地面に降り立った。
すがすがしい朝の空気が気持ちいい。
晴れ渡る空を見て俺は一抹の違和感を覚えたが、ここでぐずぐずしている暇はない。
俺たちは生徒たちの行った道を歩き始めたのだ。
一度通った道だし、今は十分明るいので迷う不安もなかった。
しばらく走ると、確かに生徒の後ろ姿が見えた。彼らは四人組、お互いに話し合いながらゆっくりと歩いている。
「いましたね。わたしが見たのと同じ人たちです」
一見何の変哲もない制服に身を包んだ、一見何の変哲もない生徒たち。
一目神殺し学園の生徒にはとうてい見えない。
ふと、俺は新しい神である妹杏理の服装を見た。
彼女は神の正装を着ているが、それは一見学生服と見分けがつかない。
運が良ければ龍ノ宮学園になじめるかもしれない。
一方俺の服装はどうだろうか?
神に忠実な司祭でありそれなりに名の知れた探偵ということで、そのイメージを守るため俺の服装はかなりの制約がある。
俺が今着ているインバネスコートは、学生服とは程遠いもので、このまま学園へ行ったらいらぬ注目を集めるに違いない。
杏理一人で行かせるのは危険だし、俺が行けば目立つ。
この問題を俺は主張すると、賢明なる新しい神杏理はクスクス笑う。
「大丈夫ですよ、兄さん。似合ってます」
「でも目立つだろ」
「兄さんは心配性ですね。ちょっと外から様子を見るだけだから大丈夫ですよ」
とうとう龍ノ宮学園の校門のところまできた。
校門に見張りの教師がいるようでもない。
生徒の数はまばらで、彼らは校舎の中に向かっていく。
俺たちは物陰に隠れて、その様子をうかがっていたのだが、どうやら窓ガラスが割られていることに驚いているようだ。
俺は横目で杏理を見た。
彼女は真剣なまなざしで龍ノ宮学園を見つめている。
「妙ですね。廃校に生徒たちが登校するなんて。そう思いませんか、兄さん」
「二十年前から使われてないっていうのは確かな事実だもんな」
俺たちがこの奇妙な学園風景に気を取られていると、後ろのほうから物音がした。
その存在に気付いたのは、逃げるのにはあまりにも遅かった。
その人物は突然、俺たちを呼び止めたのだった。
「お前たち何者だ!」
すぐに杏理と俺は振り向いた。
そこに立っていたのはスーツを着た筋肉質の男だった。
ただの通りがかりとは思えない、おそらくこの龍ノ宮学園の教師に当たる人物だろうか。
もしそうだとしたら大変なことだ。
ここで正体を明らかにするわけにもいかない。だからと言って走って逃げきれるのかといえば、難しそうだ。
どうしたものかと思案していると、さすが賢い新しい神である妹の杏理はとっさに嘘をついた。
「散歩していたら学校があったので、ついどんな所かなって思って。わたしたち昨日ここに来たばかりで、ここら辺の地理には疎いので」
すぐに俺もフォローを入れる。
「親戚の葬式で来たんですよ」
「そうか、だがここは君たちには関係がない場所だ。早いところ立ち去るんだな」
その人は俺たちに詮索されるのを良しとしないらしい。さっさと立ち去ってほしいという素振りを露骨にする。
余計なことを聞いてこれ以上怪しまれるのは悪手だ。
杏理とアイコンタクトをしてすぐに立ち去ろうとしたとき、その人はボソッと呟くように俺たちに聞いた。
「そういえば、昨夜不審な人物を見かけなかったか? 旧校舎の窓ガラスがすべて割られていたんだ」
俺は杏理を横目で見た。俺が下手なことをしゃべると感づかれてしまうと警戒したからだ。
だが彼女は憐憫の表情で、その人を見ているものの何も喋らない。
なぜ喋らないのだろうとちょっと考えて、すぐに思い出した。
新しい神である妹杏理は窓ガラスを割ったことを追及されると、まるで時間が止まったかのようにピタリと動かなくなってしまうのだ。
気づいた俺はすぐに代わりに言う。
「それは酷いですね。誰がそんなことを……」
「ああ、まったくだ。しかし近頃の不良は実に勤勉だな。窓を一つ残らず割るのだからな」
俺は愛想笑いするしかなかった。
「それじゃ。俺たちはこれで」
そういって俺たちが立ち去ろうとしたとき、旧校舎の方向から女子生徒が駆け足でやってきた。
「どうした生徒会長?」
「さっき屋上から校庭を見たんですよ。で校庭に女の子の顔が書いてあったんです」
「顔?」
そういえば雨が降らなかったのだ。
いよいよ大変なことになりそうだが、新しい神である妹杏理はまだ固まったままだ。
その状態の杏理の顔を見て生徒会長と呼ばれた生徒は叫んだ。
「校庭の絵と同じ子だ!」
「どうゆうことだ? 君たちちょっと話を聞かせてもらおう」
これはまずいことになった。
俺はとっさに新しい神である妹杏理の手をつかんで走り出した。
ここは逃げるしかないようだ。
杏理もやっと動けるようになったらしく、神々しい姿勢で走る。
俺も走る。
二人して走る。
後ろからは突然逃げ出した俺たちを、龍ノ宮学園の教師が追ってくる。
俺たちが神と司祭であることがばれるのは厄介だ。兎にも角にも逃げるしかない。
そうして俺たちは仮の神殿を目指して必死に走るのだった。