第二話 真夜中の校舎
龍ノ宮学園つまり夜な夜な神殺しの生徒たちが集うという神殺し学園に、俺がついたのは真夜中のことである。この学園の周囲は人の気配がない森の中にあって、俺は最寄駅からここまで歩いてきたのだが人家は数件しか見当たらなかった。
「ここがあのいわくつきの学園跡です」
「暗いからよくわからないが、確かに雰囲気がありますね」
神官たちの情報交換システムによって現地在住の神官が俺をここまで案内してくれた。彼は学園跡の校舎を一度も見ようとしなかった。
「雰囲気だけじゃないんですよ。この場所は呪われています」
「呪い?」
それから彼は、この土地ではこの学園のことを決して話題にしてはいけないと忠告してくれた。
が、この学園がもたらす呪いについて具体的なことは教えてはくれなかった。
「とにかく、何があるかわからないんですから。十分に気を付けてください」
彼は一度も学園の方向を向くことなしに、足早に去っていった。
彼は俺と話している間もずっと震えていた、この土地にはよほど恐ろしいものが隠されているのだろう。
俺はその手の話が大好物だったので、期待を胸に校舎に足を踏み入れたのだ。
この地の神官たちの話によると、新しい神である妹杏理がやってきたのは確実なようだが、彼女は神官たちに軽く挨拶をすると姿を消してしまったらしい。
もしかすると杏理はすでに校舎にいるかもしれない。
もしかすると既に神と神殺しの戦いが始まっているかもしれない。
そう思うと急がずにはいられなかった。
校門は開いてなかったので、よじ登って中へ入る。
龍ノ宮学園は主に二つの校舎と体育館から構成されていたらしい。
俺はとりあえず最も大きい校舎から調べることにした。
玄関から中に入る、懐中電灯で周囲を照らしてみる。
二十年前に廃校になったとは思えない。
土足厳禁というポスターが張られている。まるでつい最近張られたようなポスターを見つつ、俺は土足で中へ入っていった。
夜の校舎は確かに不気味であるが、窓は一つも割れてないし、床も毎日掃除されているかの如く清潔だ。見る限りここが廃墟であるという納得できるような要素がない。
二十年間放置されていたはずの廃墟にしては、人の面影があちこちにあるのだ。
教室の一つに入ってみる。机には埃一つ積もっていない。
どうやら何者かがこの廃校を使っているというのは事実のようだ。
もし噂が事実なら、夜な夜なここに神殺しの生徒たちがやってきていることになる。
だがどの教室も電気がついてないのだから、まだ例の生徒たちはやってきてないのだろうか?
それとも暗闇のまま神殺しの授業でもするのだろうか。
もしそうだとすれば、すでにこの校舎の中に神殺し学園の生徒たちがいてもおかしくないのだが。
その時、廊下のほうから物音がしたような気がした。すぐに懐中電灯を消す。
気のせいかもしれない、しかし、足音かもしれない。
俺は抜き足差し足で廊下に顔を出して周囲をうかがった。
月明りは意外と明るいもんで、窓からさす明かりのおかげで、そこに誰かいるかいないかの区別はつく。
動くものはない、誰もいないようだ。
気味が悪いが、もし誰かいたとき先手を取れるように懐中電灯は消したままで探索することにした。
教室を一つ一つ調べる、どこも代り映えがせず、だれもいない。
目が慣れてきたのでそんなに不便もしない。
この龍ノ宮学園の大きいほうの校舎は三階建てだ。
一階の部屋をあらかた調べつくして二階へ階段を上っているとき、またあの音を聞いた。
トットット、という人が早足で歩くような音が上のほうからする。
それからひそひそ話のようなものも聞こえてきた。
まるですぐ上で誰かが待っているみたいだ。
今度は意を決して、俺は階段を駆け上がった。
その声を追ったのだが誰もいない、逃げたり隠れたりしたようにも思えない。
それから二階の教室を調べたのだが、ここが現在も使われている施設だということがわかるくらいで、それは一階と何も変わらなかった。
だが、俺をからかうように物音や足音、話し声や笑い声が聞こえてくるのだ。しかもそれらの音はすでに調べた教室からはしない、俺が次に調べる場所からするのだ。まるで先回りされているようだ。
何も目新しいものがないので、俺はその物音を追うことにした。
それは階段のほうから、俺が階段まで行くと上のほうからした。
階段は屋上まで続いているらしい。
屋上の扉は半開きになっていた。俺がその前に立つと、扉はバタンと音を立ててしまった。
誰かが俺をおびき寄せているのは確実だ。
それは神殺し学園の連中かもしれないし、それ以外の俺たちの命を狙う輩かもしれない。
俺はポケットの中の拳銃を一度握りしめた。
そして、ドアノブを握って扉を開いた。
月明かりが屋上を照らしていた、誰もいないようだがまだ安心できない。物陰に隠れているかもしれないのだ。
周囲を警戒しながら屋上の中心までやってきた。
それでも奴は俺の前に姿を現そうとしない。
「いつまで隠れてるんだ。いったい何のつもりなんだ」
返事はない。
物音もしない。
あまりにも静寂が続くので、本当に何も聞こえてないのか、それとも微かな物音が聞こえているのか区別がつかないくらいだ。
ふと周囲が急に暗くなった。空を見上げると月が雲に隠れたようだ。
視界がほとんど見えなくなった。月が、それも満月がどれだけ明るかったかをやっと思い知らされる。
ここにきて初めて冷や汗をかいた。
奴が何者か分からなければ、目的も分からない、今にも襲い掛かってくるのではないか。
鼓動が早まっていく。
俺が懐中電灯に手をかけたとき、大きな風が吹いた。
その風は、俺にとって忘れることができない香りを俺の鼻腔へと運んだ。
ハーブの匂い、薬草の匂い、そしてそれは新しい神である妹杏理が常日頃つけている香水の匂いだった。
杏理は昔からハーブや薬草の類に興味を持っていたが、神になってからは、自らそれを栽培して、その成分を蒸留するまでになった。
これは確かに杏理の薬草の匂いだった。
ニガヨモギを中心に、ヨモギ、タイム、セージ、イヌハッカ、ローズマリーを調合した特性の香水だ。
周囲が急に明るくなる。
おそらく月が再び現れたのだろう。
それと同時に、カタッという音が後ろからした。その方向は、屋上の扉がある方だ。
振り向くとそこにはアロマキャンドルが灯っていた。
「杏理、お前なのか?」
杏理は人を驚かせるのが好きだからもしかすると、そんな期待が俺をよぎった。
彼女は大神殿の神官たちを驚かせたいがために、夜中に大神殿の窓ガラスをすべて割ってしまったことがある。そうして、驚き戸惑う神官たちを見てクスクスと笑うのも彼女の一面であるのだ。
「もう十分楽しんだだろう。いい加減に出てきてくれ」
返事の代わりに校庭から物音がしたので、俺は屋上の端から校庭を見下ろした。
うっすらとではあるが、そこには信じられないものがあったのだ。
「杏理!」
と、思わず俺は叫んでしまった。
校庭には白い粉──おそらく消石灰で巨大な杏理の自画像が描かれていたのだ。
俺が驚いて腰を抜かして、屋上に座り込むと物陰から人影が現れた。
その少女は近くまでやってきて、親しげに言った。
「やっぱ兄さんも来てたのですね。せっかくなので少しいたずらをしちゃいました」
俺は少女の顔をまじまじと見てこう言った。
「誰だ!」
「誰って……」
少女は、はにかみながらにそう呟いた。
気づくと俺の鼓動はどんどんと高鳴っていった。
「私は兄さんのかわいいかわいい妹ですよ」
「妹!?」
その瞬間、確かに思い出した。
彼女は俺の妹だ。
会うたびに妹であることを忘れ一目ぼれしてしまうほどの美貌を兼ね備えた、新しい神である妹杏理がそこに立っていたのだ。